東欧に住む方のロシアへの感情

2019年、私は中欧から東欧へ旅行しました。最初の都市プラハは前から行ってみたかったところ。最後の地はセルビアのベオグラード。利用したのはアエロフロート・ロシア航空(以後SU)です。理由はオープンジョーという、往路と復路が違う都市の場合、他の航空会社では大きく値段が上がるのに、SUはそう大きく変わらないことです。

まず東欧の方々に「SUで来た」というと、「よくあんな危ない飛行機に乗るね」と呆れたり怒ったりする人が多かったのが印象的でした。さらにロシアへの憎悪は隠しません。同年代の方も「子どもの頃はロシア語を習ったけど、もうすっかり忘れた」「ロシアは大嫌い」と言います。

今回ウクライナが侵攻されましたが、昔からヨーロッパの方たちはロシアからの侵攻に対してひどく敏感になっています。実際「プラハの春」という大きな事件もありました。「プラハの春」についてはまた別の機会に書こうと思います。

とにかくロシア以外の国は、いつロシアが何をするかわからないという恐怖の中で暮らしているようです。もし今回ウクライナが征圧されたら、次はポーランド、その次はということになり、易々と「とりあえず降伏したら?後からどうにかするから」というわけにはいかないでしょう。ポーランドも他の国の話とはしていないでしょう。

ヨーロッパは地続きの大きな大陸です。ロシアの大統領がその大陸制覇を考えているという、歴史の中の大きな出来事の中にいる今。へたに動くと核爆弾のスイッチを押してしまう。私の人生の中でこんな大きな出来事が起こるとは思ってもみませんでした。日本も他国のことと考えず、身近な問題として考えなければならないですね。ロシアは海を隔てていますがお隣なのですから。

写真はベオグラード。私が撮ったコソボ紛争でNATOからの爆撃で壊された旧参謀本部です。1999年の出来事です。それをいまだにこうやって残している。テニスのジョコヴィッチは一度爆撃されたところは二度目はないとして、爆撃の間を縫って練習したそうです。

オリパラのカチューシャ

私がオリパラでボランティアをしていた時、練習場でロシアチームと接することがありました。練習場は本番の会場と違ってそれほどピリピリした感じでもなく、選手や関係者は気軽に声をかけてきたりしました。

ロシアの若い通訳の女性(他はどうか知りませんが、通訳さんはみんな英語でした)が、ボランティア数名とちょっと雑談めいた話を始めたとき、ふと私はロシア民謡の「カチューシャ」を口ずさみました。

後から考えたら、「一週間」でも「トロイカ」でも「ポーリュシカ・ポーレ」でもよかったのですが、その時はこれしか思い浮かばず、とりあえず彼女に親しみの意味で歌いかけました。当然日本語です。

「うんうん」と聞いていた彼女は少し離れたところにいた年配の男性(コーチかな?)を連れてきて、私の歌を聴くように言うと、男性も「うんうん」と言って一緒にカチューシャを歌い始めました。

どうやらカチューシャは、ロシアの若い人たちの間では「聞いたことはあるけど歌詞がわからない」という感じのようなのです。

#私たちの世代は教科書にもあったせいか、まず全員歌えるけどね

それは日本の若い人たちも同様で、やはりハミングはできるけど歌詞がわからないようで、楽しそうに手拍子はするけれど歌えないのです。

通訳の方に「私たちの世代は学校でこの歌を習ったから、全員歌える。もしこの会場に『コロブチカ』が流れたら、私たちは完璧に踊ることができる」と言いました。

通訳さんはこれほどロシアの曲が日本人に知られていることを知って驚き、大変喜んでいました。何しろ他の国のチームもいるので、あまり大げさにはできなかったのですが、ちょっとした国際交流になりました。

このカチューシャやコロブチカを今聞くと、あの選手たちや通訳さんは今どうしているのかとあの時の情景が思い出されて涙が出ます。そういえばウクライナの選手もいました。

たった半年前に「平和の祭典」があったばかりなのに今は戦禍にある。

本当に切ない思い出です。

「ひまわり」上映だそうです

こちらに書いたウクライナのひまわりの続きです。この戦禍でやはりウクライナと映画「ひまわり」を結ぶ方が多かったようで、複数の映画館で上映が決まったそうです。

”侵攻が続くウクライナに思いを馳せる名作「ひまわり」50周年HDレストア版、緊急公開! 収益の一部を寄付”

https://news.yahoo.co.jp/articles/f8c13c9b64763965659c30ce6790d2e9d6c5df8e

あらら、東京での上映予定はないんですね。BS放送の録画は持っているけれど、やっぱりスクリーンで見たいかも。まだご覧になったことがない方はぜひ。私が講座でお世話になった福岡の「アミカス」でも上映されますね。福岡の方、ぜひぜひ!

プーチンスカヤの祈り

タイトルの「プーチンスカヤ」とは母の新しいニックネームです。まさにぴったりなので私が命名しました。もっともうちのプーチンスカヤの全盛期は過ぎ、もはや力は無くなりました。息子や娘に攻撃をしかければ、向こうから縁切りを言われそうなので、彼女の攻撃方法はひたすら哀れな年寄りを訴えることです。

たまたまニュースを見ていたら、家族がウクライナにいる方たちが日本の教会で祈りを捧げているシーンがありました。「お父さん、みんな祈ってるよ」と電話で伝えると、ウクライナからは「祈りはいいから金を送ってくれ」と返事が。

緊迫の中で祈りを捧げるシーンに「祈りよりも金」という、何とも現実的なセリフで思ったのは、母はいつも「私はいつもお前たちのことを祈っているよ。朝昼晩と神様、仏様、死んだお父さんにどうか頼むとお願いしているんだよ」という言葉です。

「あ、そ。祈るのはタダだからね。どうぞ祈って祈って」とある日言ったら、ふて腐ることふて腐ること。

「お父さんの遺産は全部私のものだから」と全額自分の口座に移すように指示した彼女。お金に関わることは気が狂ったようになる人です。

昔仕事場で寄付集めをした時、同僚たちは実家に頼みに行くというので、そうかと私も行ってみました。「これこれで寄付を集めてるんだけど」と父に言うと「千円でいいのか?」と言って父がズボンのポケットから財布を出そうとすると母が飛び込んできて、「お前は年金生活者に金をせびる気か!」「お父さん、いいから、出さなくていいから」と言って押しとどめました。

確かに年金生活者ですが、「うちは他の家よりずっと年金が多いから、額を言えないんだよ」と自慢そうにしていた母。あちこち旅行に行き、お取り寄せグルメを買っていました。その人が娘が千円の寄付を頼むと「金をせびる気か!」と怒鳴りつける。その剣幕のものすごさに、すごすごと財布をまたポケットに戻した父。

母の観念としては子どもが大きくなったら親に仕送りをするもの、親へ小遣いを渡すものということになっています。それなのにまったくお金を渡そうとしない子どもが、さらに金をせびりに来るとは何事か!ということなのでしょう。

今はめっきり大人しくはなりましたが、お金に関することになるときりっとします。

そうなんだと思う。ウクライナも「祈るよりも金をくれ」なんだと思う。うちのプーチンスカヤは今日もウクライナに平和をと祈っているのでしょう。支援金は。。出さないだろうな。

ウクライナへの寄付はどこへ

毎日ウクライナの戦禍のニュースで1日が開け、終わる日々です。本当に心が痛い。ニュースは片方ばかりでなく、相手側の言い分も聞くべきとは思うのですが、実際の映像とプーチンの話は乖離が激しすぎて、LINE会話も「誰か暗殺して」ばかりです。

まるでモラハラッサーが家の中で堂々と嘘八百を家の中でまき散らしていることを、世界中に向けて発信しているようです。「そんなこと言わなかったじゃない」「私がやったんじゃない」「子どもの学費は出してほしい」と言っても「俺は言っていない」「お前がやったんだろう」「学費?自分で出せ」と力づくて事実を捻じ曲げてしまう。

これが家庭と違うところは家の中でふたりでしている会話ではなく、世界中に向けて発信していることです。まさに公開ハラスメント演説。

今自分にできることは何かと思うと、ウクライナへ寄付することかなと思うのですが、東日本大震災の寄付がわけのわからないものに使われていたものがあるという報道を見て、非常に憤りを感じました。あの時、沢山の支援団体が寄付を受け取りましたが、団体でおそろいのブレザーを買ったというものもあったとか。こんなことに寄付したお金を使ってほしくありません。

それ以来寄付は

◎知っている人が集めている
◎使い道がはっきりしている

ことに寄付することにしています。誰がどの目的で使うのかわかった方が、自分の送ったお金が具体化されるのを見る喜びもあります。今回の寄付は医薬品や食料を送ってくれるようなところに出そうと思っています。

↑の写真はセルビアのベオグラードで私が撮った写真です。こんな風に今もベオグラード市内を「日本からの寄付です」と書いたバスが走っています。

それにしても昨日の北京パラリンピックの開会式。選手入場をちらっと見て、最後の方に花火があがっているのを見たら、空爆とシンクロしてものすごく嫌な気持ちになったのでテレビを消しました。東京パラリンピックはとても感動したので楽しみにしていたのですが、どこかで殺されている人たちが沢山いるときの平和の祭典は、見たい気持ちになりません。

70歳を過ぎても働くことーお菓子工場の火災

”2月11日の深夜に新潟県村上市にある主にせんべいなどを作っている工場から出火し、5人が死亡しました。”

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220212/k10013480181000.html

”死亡した5人のうち、身元のわかっている60代から70代の4人の女性はアルバイトの従業員で、工場で清掃作業を担当し、夜、出勤して翌朝まで働く夜勤だったということです。”

”死亡した5人のうち、身元のわかっている60代から70代の4人の女性はアルバイトの従業員で、工場で清掃作業を担当し、夜、出勤して翌朝まで働く深夜勤だったということです。”

死亡した方たちは71歳、68歳 70歳、73歳、といった70歳前後の方たちです。この方たちの他に、きっとこの深夜勤務をしていたのはこういった高齢女性だったのではないかと思います。

地方にはこういった工場があまりなく、働く場も少ないため、貴重な働く場所だったのだろうと思います。私が地方で暮らしていた時も、夜に仕事の終わった事務所の掃除のアルバイトをしているママ友がいました。「コンビニのお弁当を作る深夜バイトは時給がいい。あそこのばあさんはそれで家を建てたそうだ」という話を聞いたことがあります。

今の70代は昔と違って背もピンとして、体力もあり、まだまだ家に引きこもるのは早い方々がいますから、少ない年金を補おうと働く方が少なくありません。でも、やっぱりこの深夜勤務は体に堪えるのではないかと思います。

雪深い新潟県ですから、この女性の方たちは「とーさん(嫁さんに、孫から、息子から)に(車で)送ってもらって」通っている方だったのではないか、そのご家族の方々は今どんなに嘆かれていることでしょう。

この会社は何度も火災を出していると報道されています。

”三幸製菓の工場では過去にも火災が起きています。平成18年には新潟市北区の新崎工場で菓子の製造ラインにあるベルトコンベアから出火し、従業員3人が煙を吸って軽いけがをしました。また、新崎工場では3年前にも製造ラインから出火しましたが、このときはけが人はいませんでした。”

”製品を焼く網目があって、そこにカスか何かが落ちて、火がついたような話だった”

たぶん、働く場の少ない地方では大切な工場だと思います。それゆえ、早く再稼働をと思っている授業員の方がいるのではないかと思いますが、これをうやむやにしてしまってはまた同じような事故が起こるのではないかと思います。

https://news.yahoo.co.jp/articles/98eff528df7a7414d5c48661083ef16edc45484d
6人死亡 三幸製菓は「火災事故の常習犯」従業員の告発

それにしても70歳を過ぎても深夜勤務をしている人がいる。それは地方も都会も同じです。道路工事で通行整理をしているのはほとんど高齢者です。少ない年金では暮らせないのか、孫にあげる小遣いを稼いでいるのか、子どもたちの収入が少ないから孫の教育費を一緒に稼いでいるのか、その理由は人それぞれですし、働きたいけれど日中の仕事がないから深夜勤務で働く方もいるでしょう。でも、70歳を過ぎての深夜勤務。

この火災はいろいろな問題があるのではないかと思っています。


ひまわり畑とウクライナ

ウクライナは行きたい場所のひとつでした。行きたいと思ったのはずっとずっと昔。イタリア映画「ひまわり」という映画を見てからです。第二次世界大戦中、新婚カップルのマルチェロ・マストロヤンニが招集され、妻のソフィア・ローレンと離ればなれになってしまいます。戦争が終わっても帰ってこない夫を探しにソ連に行くソフィアでしたが、そこにいたのはその地で新しい家族を作っていた夫の姿でした。

というメロドラマの基本のような映画でした。当時中学生だった私がどこまでこのふたりの心情を理解できていたかは甚だ疑問なのですが、ヘンリー・マンシーニの音楽がいかにも物悲しく、人の心を揺さぶりました。その曲は今でもインストルメンタルの定番曲で、誰もが一度は聞いたことがあるはずです。

ソフィアがソ連で夫を探していくシーンに出たのがひまわり畑でした。今は日本でもひまわり畑は観光用であちこちにありますが、当時はとても珍しい風景でした。地平線の向こうまで続く黄色いひまわり畑。カメラはずっと引きながら、その広大を映していました。

私は当時住んでいた社宅の小さな庭にひまわりの種を植え、「大きくなーれ」と世話をしたら、大木のようになって周りの草木の養分まで吸い取ってしまい、大事な植木を枯らしたと、父から大目玉を食いました。

その撮影地はウクライナ。「ウクライナのひまわり畑を見に行きたい!」とずっと思っていました。

もうひとつは1994年リレハンメルオリンピックフィギュアスケートで優勝したオクサナ・バイウル。独立したばかりのウクライナ代表で出場。当時16歳とはいえ、今の16歳がぴょんぴょんとジャンプを飛ぶのと違い、まるで生のバレエを見ているような優雅な演技で、世界中が魅了されました。エキシビションで同じウクライナのヴィクトール・ペトレンコとペアで演技をしたのも記憶にあります、とこの間友人たちとの会話で言ったら、私もーーーーー!!と友人が共鳴。たぶんこの時、多くの人たちに脳にウクライナの国名が刻まれたことと思います。

さらに私にとっての記憶はリオオリンピック男子体操で、最後の最後まで内村航平選手と個人総合を争ったのがウクライナのオレグ・ベルニャエフ選手。記者会見で「内村選手は審判の同情を買ったのでは?」の質問に「それは無駄な質問だ」と怒りを露わにしたというニュースがありました。「審判の判定に疑問を挟む余地はない」「伝説の男と戦えたなんて最高にクールだ」とも。

東京に来てバレエを見に行くことが時々ありますが、キエフバレエ団の「くるみ割り人形」を見たときは、背景がちょっと寂しくて「お金がないのかな」と思ったりしていました。

「ひまわり」からずっと心にあったウクライナ。とても嬉しいニュースにが出るたびに、「いつか行ってみたい」と思っていました。

ウクライナに行くためのリサーチもしていて、大変物価が安く、旅行者にとって過ごしやすい場所だというのはわかっていました。ただ、物価が安いということは、収入が低いということ。東欧はすべからくみな同じです。

「ひまわり」はヴィットリオ・デ・シーカ監督が、反戦映画として作った作品です。そのロケ地となったウクライナが今戦火にあります。私の心の底にずっとあったウクライナがこのような状態になっているのを見るのは悲しく、プーチンには怒りがあります。

中学生の時、社会科の先生が「攻めるんだ、攻めるんだと言って始める戦争はない。戦争はいつも守るんだ守るんだと言って始まる」と言っていました。私が子どもの頃はまだ戦争の傷跡が色濃く残っており、先生方も戦争があったことを知っている方が多くいました。

テレビの実況でリアルタイムで見る戦火。何回この映像を見なければならないのだろうと、暗澹たる気持ちになります。

圧巻と絶望のボレロ

ラヴェルの「ボレロ」は、同じ旋律を異なった楽器が繰り返すという単調な曲ですが、聴いた人の耳のどこかに残る曲でもあります。

最初に聞いたのはサラエボオリンピック、アイスダンスフリーでイギリスのトービル・ディーン組が使用した時でした。アイスダンスはオリンピックの中でそれほど長い歴史があるわけでもなく、「ペアとどう違うの?」という素朴な疑問がある中で、私たちの記憶にもオリンピック競技の記録にも残ったのが、この曲を使用したペアでした。

見終わった時はまさに圧巻。数分の中で文字にならないペアの物語が繰り広げられ、観客は総立ち、テレビの前の人たちも茫然の演技でした。その演技の凄さに、この「ボレロ」という曲はそれを聴いただけでこの演技と重ね合わせてしまうためか、長い間誰も使用することがなく、フィギュア界で封印されたような形になっていました。

年月が経ち、その記憶が薄れ、ポツポツとこの曲を使用する選手が出てきました。宇野選手も今回のフリーで使用していましたね。なんだかこの曲は「勝負曲」としての位置にあるような気がします。だからエテリコーチも、天才ワリエワの勝負曲として選んだのかもしれません。

一昨日のフィギュア女子フリーは友だちとLINEを交換しながら、さながら「みんなで応援している」ような状態での観戦です。

「新葉ちゃん、中学生の時から見てた」「香織ちゃんがんばれ!」のLINEが飛びあう中、ワリエワ選手の演技になりました。私の予想は3位までロシア、4位に坂本選手、でもドーピングでワリエワ選手は失格となり3位に繰り上がりというものでした。

そのワリエワ選手の演技。もうドラマの筋立てのような展開で、「もう見ていられない」「かわいそうすぎる」のLINEが飛び交います。たぶん世界中で同じような言葉が交わされたことでしょう。それくらい、15歳の天才少女は痛々しくリンクに沈んでいました。

ワリエワ選手の悲劇的な結果もそうですが、1位、2位の選手たちもまるで鉛筆のように細い体で氷の上を飛んでいました。肉がほとんど見えず、まるで摂食障害の人のようですが、ワリエワ選手はそれほどではなく、ほどほどに肉がついていて、健康的な痩せ方のように以前から見えていました。手足が長く、かわいらしい顔と絶対のプロポーションに天才的なジャンプを飛び、身のこなしも優雅。北京の女王はワリエワ選手と誰もが思っていました。

そしてこの結末。エテリコーチに育てられた少女たちは4年ごとに顔ぶれを変え、10代で現役を引退していきます。「ワリエワ選手はまだ15歳、次のオリンピックもあるから」とは事情の知らない人。次のオリンピックに出場するのは今ロシアで4回転を普通に飛んでいる、10代前半の子どもたちです。この子どもたちに追い出されるように20歳を前にオリンピックの金メダリストたちは消えていくのです。

こうやって棒切れのように細くて全身バネのような少女たちに曲芸を仕込み、そして使い捨てる。

「ソチオリンピックで金メダルだったのは誰か知ってる?」LINEを送った私に答えが言えたのは誰もいませんでした。みんな「真央ちゃん奇跡の4分間」で浅田選手がソチ五輪に出場していたのは知っていますが、その時の1位が誰だったか、誰も知らないのです。

1位だったソトニコワ選手は五輪後、怪我が続き引退、当時私の一押しだったリプニツカヤも摂食障害ですでに引退。平昌のザギトワとメドベージェワも消えた。今回1位2位だったふたりもすぐに下からの突き上げで現役から退場となり、「北京の優勝者は?」と聞かれても、難解なロシア名のせいもあり「ロシアの誰か」としか誰も覚えていません。

イタリアのコストナー選手、カナダのロシェット選手、アメリカのコーエン選手など、何度もオリンピックや世界大会に出場すれば名前も顔も覚えますが、賞味期限が4年未満となると、覚える前に次の少女がやってくる。

ドーピングチェックは選手を責めるものではなく、守るものです。能力以上のものを出そうとして薬に頼る日常を送ると、いつの日か体がボロボロになる。今回のボレロの曲はサラエボの感動ではなく、使い捨て少女たちの悲劇を象徴するような、絶望の旋律となりました。サラエボの時に封印されたボレロは、また別の意味で閉じた箱に入れられるのかもしれません。

今回のことをきっかけにして、何か新しい動きにつながればいいなと思います。

コロナワクチン3回目終了

オリボラ友グループに、開会式の感想などを書いてLINEしたら、翌日「今日までオリンピックが始まっているのを知らなかった」、「子どもと寝落ちしてかけらも見なかった」と返事がありました。

やっぱり一度オリンピックに参加した人は、もう参加しないオリンピックは興味がないのね。その気持ち、わからないでもない。

さて、私は3回目のコロナワクチンを受けました。周りではいつも私が最初です。1回目はとにかく私はオリンピックのボランティアがあるので開会式前までには終わらせたくて、役所から接種券が届いたら、すぐに予約を入れました。私の住んでいるところは個々が病院に予約を取るシステムです。

特設サイトには20か所以上の病院があって、ひとつずつ開けていくと予約可能日時が書いてあります。それをひとつひとつ開けていくのですが、どれも1か月以上先。それではオリンピックに間に合わない。

それでも根気よく開けていくと、一か所だけ、3日後でも予約が取れる病院がありました。薮で有名なポンポコ病院です。薮だろうがなんだろうが打つのは同じ薬なんだから、注射ぐらいできるでしょうよとさっさと最短でできるそこを予約しました。

その後、友だちと「どこ、予約した?」の話になると「ポンポコ病院だよ。すぐに打てるよ」と言うと、「え?あのポンポコ?」とは言うものの、「見立てるわけじゃないから。注射はどこも同じ。何か異変があったら救急車」ということで、みんな右にならえ。

というわけで私は周辺の同年代で1回目、2回目を早く打ち終えたので、3回目も早いのです。そして気になる副反応は、周辺のリサーチによると私が一番重い。3回とも当然のように2晩発熱。腕、あがりません。薬品はFFMです。

みんなに「若いからよ」とからかわれながら、今回も解熱剤と湿布のお世話になりました。湿布は打ち終わった直後に湿布を貼ると、かなり腫れが抑えられます。

2回目は熱が引かないままボランティアの研修に行ったっけな。検温があったらどうしようかと思ったっけな。

その夏季オリンピックが終わり、冬季オリンピックが始まりました。またオリンピックが始まるとコロナが流行し、終わると熱が冷めるようにさーーっと流行が終わるのかしらね。

大坂の火災事件について

つい先週まで私が所在していた大阪で大きな火災がありました。大勢の方が亡くなったというニュースに仰天しました。火事があったのは心療内科で、HPを見ると「働く人のうつ病/大人の発達障害外来(ADHD、自閉スペクトラム症」とあり、この障害に特化した診療も行っていたようです。

#都会の心療内科って、すごく親切ですね。地方にはまずない。。

この間まで歩いていたところが大きな事件になると、なぜ自分がそこに居なかったのかとふと思い、生かされている理由を感じます。

亡くなったこの病院の院長先生もとても患者に寄り添った診察をして下さっていたとか。「職場復帰を目指す心療内科」は心の病気の方たちにとってどれほど心強かったことかと思います。働きたくても思うように体や気持ちが動いてくれないとき、親身になって話を聞き、一緒に職場復帰に向けての治療を考えて下さっていたようです。

心の病気を治すのは難しく、発達障害の方が働くのは困難なことが多いです。東京にもこういう病院があるのでしょうね、地方は難しいけれど東京にはあるのだろうと思いますが、私はこの情報にアクセスできませんでした。

犯人は家庭問題で悩み、離婚していたというニュースもあります。家庭の問題が社会問題へ繋がるというのはよく知られています。家庭問題に携わるひとりとして、考えさせられることの多い事件です。