アスペルガーアラウンドのSORAさんがご夫婦で登場

「うちの夫はモラハラで」と仰る方の中で、夫がASDの場合が非常に多いと感じています。

ASDと一緒の空間で暮らすとモラハラ被害者と同じような症状になります。ASDは人の気持ちを汲み取るということができませんので、見える部分では「人の話を聞かない」「自分の意見を押し付ける」「相手を尊重しない」「自己中」、経済観念がありませんので「自分の好きなものにはお金を使うが、家族のためにお金を使わない」といったモラ夫現象がでてきます。

とてもこういった人と一緒に暮らすのは困難です。そして周りが被害者の言うことを信じてくれないということから、ギリシャ神話の予言者「カッサンドラー」から名前をとって「カサンドラ症候群」と呼ばれるようになりました。

外面のいいモラ夫に周りがみんな騙され、妻の言うことを信じてくれないのと同じです。

そのASDの夫とご夫婦のSORAさんは、カサンドラから脱出するためにはどうしたらよいかというサイトを立ち上げたのが「アスペルガー・アラウンド」です。

今はご夫婦とも中年期を過ぎてらぶらぶのお二人ですが、そうなるまでには壮絶な戦いがあったとのこと。

おふたりのトークイベントなどにも参加させていただいておりましたので、事情の方は大体知っていましたが、心が通じ合わなくても生活することはできるというお手本のようなおふたりです。

特に興味をひいたのは、SORAさんが相手に何も求めていないこと、幸也さんの愛はないけど好きですという感覚。

記事はこちらです

ASD夫との特別な関係が書かれています。ご一読くださいませ。

経済観念は本当にひとそれぞれ

相談員をしていた時、とても気を使ったのは相手の経済観念と私のそれがとても違っている時に私の感じ方を押し付けないようにすることでした。

経済観念はその人の生きてきた結果なので否定はできません。でも「お金がなくてとても困っている」状態を伺って、口あんぐりの時が時々あります。

新聞に貧困女子の話が載っていたことがありました。

「収入が少なくて貧困にあえいで、食べるものがない」「水もドラッグストアで買う」というのを見てびっくり。

「食べるものがないのに水はペットボトルを買うのか?」「水って水道をひねると出るのではないか?」

どうも今の方たちは、水はペットボトルやウォーターサーバーから出るものと思っているようです。海外では水が硬水だったり上水施設が貧弱だったりして水を買って飲んでいますが、日本は軟水だし上水設備もよいのでこれを飲んでも体に影響しません。

と言っても生まれた時からペットボトルの水しか飲んだことがなければ、蛇口から出る水は飲めないということになる。そして「水をドラッグストアで買うくらい貧乏なんです」と言われると困ってしまいます。

お金の価値や使い道は本当に人それぞれでなので、一概にあなたが間違っているとは言えないのですが、これを役所で言うと「冷たい」と言われるのでぐっと飲みこみます。

ただ、生活保護を扱っているようなところではしっかりと「指導」されます。税金を払っている人が水道水を飲んでいるのに、生活保護家庭がウォーターサーバーでは理解が得られないからです。

私はずっと倹約をしてきているので、どうも一般の方と価値観がずれているなぁと思っていますが、60代以上の年金生活の方々の中にはもっとすごい生活をしている方もいるので、こっちはこっちでなかなか合わせづらかったしします。

ひとりでばったりの時はどうするかをふと考えてみた

先日同じ年のジム友がクモ膜下出血で倒れたと聞きました。もう大驚き!つい3日前、元気で動き回っていたのにまったくその兆候はなく、クモ膜下でICUだとは。

今日の状態では幸い順調に回復はしていて、ICUも出たとのことで一安心しました。ただ、クモ膜下出血の場合は、1/3は亡くなり、1/3は後遺症が残り、1/3は元通りになるのだとか。

一番問題なのは真ん中の「後遺症が残った場合」です。そして彼女は夫との二人暮らしなので夜中の急変も夫が救急車を呼んでくれたので大丈夫でしたが、私の場合は誰もいません。

友人はいるけど徒歩5分ほどだし、困ったなぁ。

さらに「頭が痛い」となって誰かに電話ができる状態ならいいのだけれど、いきなりばったりだったら困る。

同じ困りごとを母が言ったときは「それって寿命っていうんじゃないの?」と言い切った私。

今同じ状況になっていますが、母が心配なのは自分の命で、私が心配なのは死んだ後に体がとろけてしまった後処理のことです。

きっと子どもたちに迷惑がかかるだろうなと思うと、死んでもいいけど迷惑はかけたくありません。この話を友人にしたら「臭ってくるからわかるよ」って。。

私が異臭を放つまでとろけてしまうのもなんだかなぁ。

ネットをぐぐってみると、無料のアプリはいくつかありますが、一番現実的なのは電力会社と契約をして、電力消費がいつもと違う場合は電力会社から登録してある身内のところに連絡がいくというもの。

自治体にも無料や安価で登録できるものもあるようです。

子どもに「友人がクモ膜下で倒れて」の話をしたらきっぱり「ペットカメラをつけろ!俺が見る!」と言われましたが、気持ちはうれしいけれど、私にもプライバシーというものがありまして。。

という話を家族のある友人にしたら「うちだってダンナは単身赴任、子どもたちは彼氏の家、私も一人住まいみたいなもんよ」と言われました。

そうだなー。ばったり倒れた時うまく家人がいればいいけど、誰もいなかったら家族がいても頭に輪っかを乗せて天に上ることになるのよね。だったら緊急時、家族の有無は関係ないのかも。

とろける問題だけ残りますが。

赤松良子さんを追悼する

毎年今頃の季節になると、赤松良子さんの名前を確定申告の用紙に書きます。30年近く前から始めているユニセフへの募金を確定申告するためです。

クレジットカードの引き落としなので、毎月寄付をしているという意識はありませんが、子どもの進学や転居、転職で家の経済状態が切迫した時もやめようとは思いませんでした。

始めたきっかけはとある記事に「海外では障害を持っている子どもは他の子の災いを引き受けてくれていると言われている。だから海外では障害のある子どもを大切にしている」とあったからです。

同時に「不幸な子どもは他の子の不幸も背負っている」とありました。

自分の子が元気でいられるのはそういった子どもが災いを引き受けているから。だからそういう子たちへ感謝の気持ちとして私ができる範囲でしようと思ったのがきっかけです。

寄付額はわずか月額千円です。この千円がなくてもうちはご飯も食べられるし困ることはないからと思って始めました。

確定申告をするときにユニセフの住所と代表者の名前を書きますから、赤松さんのお名前は知っていました。90歳を過ぎても現役でお仕事をされており、男女雇用機会均等法の成立に尽力されたと略歴にあります。

以前調べた時は確か、男女雇用機会均等法は決して納得のいくものではなかったけれど、まず第一歩を踏み出すのが大事と妥協しての成立だったのだと記憶しています。

そうしてできた男女雇用機会均等法ですが、「入社時に総合職を選ぶか一般職を選ぶか」という選択肢を出され、総合職を選んだら残業も転勤も受け入れなければならないという大きな壁がありました。

当時は結婚、出産で家事や育児をほとんど担い、保育園も少なく、総合職を選んでも退職せざるを得ない状況でした。

男性は仕事と家庭の両立ができるけれど、女性は必然的にどちらか一方を選ばなければならない。これは今も続いています。

やれイクメンだ、カジダンだと言っても、妻と同等に家事・育児を行う男性はいまだに圧倒的に少数です。

#モラハラ男は論外

さらに現代、夫の収入が少ないので妻も働かなければならないようになりました。「あなたらしく」だの「女性にも活躍して欲しい」というのは労働力が不足しているから。労働力不足、少子化のツケが「女性も生き生きと社会で輝いて」ということになっています。

私は卒業してからずっとフルタイムで働いてきましたので、働くことは当然だと思っています。働きたくないけれど、嫌々働いている方も多いようですが、私は本当に働き続けてきてよかったと思っています。

赤松良子さんのご努力で、法律はできました。保育所も整備されています。ただ、大手の会社はそれなりに理解がありますが、中小企業はまだまだ。そして人の意識もまだまだです。それは男性も女性も両方です。

赤松さんが望まれていた社会になるまで、あとどれくらいかかるのでしょうね。

お正月の難はまだ終わっていない

1月4日から仕事始めの方もいらしたと思います。モラ夫と長い間過ごさなければならない年中行事のひとつがお正月ですが、12月28日頃か1月4日頃までの約1週間はいつ始まるかわからないモラ夫の怒号や、イライラなどに振り回された方もいらしゃるでしょう。

これをきっかけに無視が始まる場合もあります。ご相談を受けていて「無視が始まると胸がきゅーっと苦しくなってくる」「一生懸命ご機嫌をとってもまったくおさまらず、子どもたちもびくびくして小さくなっている」というお話を伺うと、私がモラ夫と同居していた頃を思い出します。

辛かったな~。本当に辛かった。

離婚のご報告を女性の上司にした時、「辛かった、辛かった、それしかないです」と言ったら、彼女は涙ぐんで「そっか、辛かったんだね」と自分の目元をぬぐいました。

なかなか難しい厳しい人でしたが、私の辛さをわかってくれました。こんなことがあったとエピソードを語ったわけでもなく、ただ「辛かったです」と言っただけで理解してくれました。

「辛かった」と言っただけで理解してくれる人は少なくありませんでした。いつもは明るくて頑張り屋の私が辛いと言うのだから、本当に辛かったんだろうとわかってくれたのかもしれません。

お正月が明けると女性センターの相談室が忙しくなります。ただ、4日、5日ではなく、その後に成人の日の連休が控えていますので、おそらく混雑するのは9日になると思います。

9日の午前9時には電話が鳴り、相談室に直接来られる方もいます。

「正月にケンカになったら出て行けと言われました」と肩を落としてこられる方がほとんどです。言われた後は判で押したように無視され、ずっと今まで口をきいていませんというのもみなさま同じです。

「出て行けと言われても出ていく必要はありません。あなたの家は夫だけのものではなく、あなたのものでもあるんです。あなたには家に住む権利があります。離れたいのなら夫に出て行ってもらえばいいんです」

多くは「そうですよね!」と仰るのですが、ムンムンと黒いオーラをまき散らしている家に戻るのは本当に気が重いだろうなと思います。

そしてその方たちは継続して相談室に来られることはほぼありません。なんとなくぎぐしゃぐしたまま、なんとなくまた元の生活に戻ったのでしょう。

これをいつも繰り返す。お正月、GW、お盆と年3回あります。

そして60歳を過ぎて「私の人生はいったいなんだったんだろう」「離れられるチャンスは何度もあった」「この年になったらもう無理」と、心の内を吐き出しに来られます。

離れた方で離れなかった方がよかったとおっしゃる方はまずいません。離れずに後悔している方のお話は山ほど伺いました。離れたら離れたでいろいろな苦労はありますが、みなさん、何とかやっておられます←その中に私もいます。

離婚しなくても離れるだけでかなり違います。今年はちょっとそれについて考えてみませんか。

今年もお世話になりましたー禍福は糾える縄の如し

「かふくはあざなえるなわのごとし」は、あまり幸福ではない時にぽっと頭のなかに浮かびます。今は幸せと思えない時でも、いつかは糾える縄のように幸福がやってくるかもしれない。

幸福という縄と不幸とい縄がよられて一本の太い縄になります。これが幸福だけの縄だったら幸福は幸福でなく当たり前。

不幸があるから幸福を感じられる。

不幸の度合いが大きければ、小さな幸せがものすごく大きな幸福に感じます。不幸だったからこそ幸せが感じられるものです。

「えーーー、そーゆーのやだしー。幸せだけの方がいいーーー」とZ世代からは言われるかもしれませんね。

でも60年以上生きてくると、やっぱり「禍福は糾える縄の如し」だと思うのですよ。いい時もあればそうでない時もある。そうでない時におろおろせずに達観できるような人が大人だなぁと思います。

60年以上生きていますが、まだ大人になれていないのがお恥ずかしい。

今年もお世話になりました。

まだモラ夫と生活している方たちは辛い時期になりますが、来年こそ人生がひらける出来事がありますよう、願っています。

この頃お気に入りの言葉

最近お気に入りになった言葉があります。

「たいていのことは 後になればみんな笑い話」

モラ夫からモラモラされても、後になればお茶を飲みながら笑い話にできます。

モラ夫にされたことはもう乗り越えているけれど、母から言われたことはまだ未消化のまま残っています。夫とは別れて勝利しているけれど、母はまだ生きていて、母はその言葉を覚えていないし、言っても反省はしないだろう。

母が死んだら、言われたいろんなことは笑い話にできるんだろうか。

調停でモラハラを理解してもらうには

よくどのように言えば調停委員はモラハラを理解してくれるかという相談を受けますが、調停の場でモラハラ被害を受けたと話をしても、要求する婚姻費用や養育費には反映されることはないと聞いています。

被害を具体化させるためのものは離婚調停で行う慰謝料請求です。婚姻費用請求の調停で慰謝料は要求できません。慰謝料を認めてもらうのは離婚裁判です。

調停は話し合いの場なので、相手が「払う」とさえ言えば調停で慰謝料が認められますが、モラ夫が「はい、自分はモラハラをしていました」と言うわけがなく、そして調停委員が「どうやらモラハラがあったようなので慰謝料を払いなさい」と言うこともありません。

調停委員にモラハラを認定してもらったところで、相手が認めなければ慰謝料に結び付きません。どうしても慰謝料が欲しい場合は、裁判するしかありません。

謝ってほしいとか謝罪文が欲しいという方はいますが、モラ夫は口が裂けても謝罪はしません。どんなことをしてでもと仰る方も中にはいますが、大抵は「こんな所に労力とお金と時間をかけても無駄」と、こんなこととはおさらばして次のステップに向かわれます。

長く調停や裁判をすると精神的ダメージが大きく、それが体のあちこちを蝕みます。些少な慰謝料をもらったところで、一度傷んでしまった体は元にはもどらない場合もあります。

中には20年、30年と月日を重ねた方もいて、50歳を過ぎてから人生をやり直すと言っても限度はありますが、残りの30年をのびのびと暮らすために必要な体や時間を大事にした方がいい場合が多いなぁといつも思っています。

親が衰えると子どもが優しくなる

同年代の友人と話していたら、「うちの下の子は、以前は絶対に一緒に暮らすなんて不可能なくらいキツイ子だったんだけど、40歳近くなるとなんだか急に優しくなったのよね。他の人に『親も年だからさぁ』なんて言ってるのよ」と語っていました。

そうか、親が年をとると子は優しくなるのかとは思いましたが、私は年を取っても母に優しくはないです。ただ、離れて暮らしているので、たまに会った時は優しくなります。

2時間のガマンと思うと、「これ、好きだったでしょ」と好物を買っていくこともできるし、母親の自分勝手な話にも(嫌々)つきあってあげることもできる。

これが一緒に住んでいたら、まー、無理ですね。そしてこれは私が冷血だからというわけでもなさそう。

友人が母親と旅行したというので、「日本一周のクルーズなんかどう?」と聞いてみたら、「母とは2泊3日まで、それ以上は無理」と全員が答えました。

どこの家でも母親と離れて暮らしている場合はせいぜい2、3日ならもつけれど、それ以上は無理というのが全員のお答えでした。

離れている子は優しいのです。そして親が子を思うほど、子は親のことなんか思っていません。だから親が年を取ったから子が優しくなったわけではなく、離れて暮らしているからそういう気持ちになるだけ。

親は子に捨てられてなんぼのもの。捨ててもらわないと、一人で生きてもらわないと困るのです。

ああ、それなのにうちの親はいつも親のことを気にかけてほしいと望んでいるようです。もし私が借金苦で困っていたら、すたこら逃げて電話にも出ないくせに。

もし親がすがりついてきて困っている方は、「借金があって困っている。助けて」と言えばさっさと向こうから離れてくれますよ。

教育は恐ろしい

たとえば他の国を征服した時に最初にすることは子どもたちを自国の思想に染めることです。映画「キリング・フィールド」でもあったように、子どもたちを洗脳し、自国に忠誠を誓うような「教育」をします。

カンボジア内戦を描いた「キリング・フィールド」では子どもが大人を支配し、鞭打っていました。

母娘の関係でなぜ母は娘に対して異常なまでに高圧的に接することができるのか。それは母が育った環境がそうだったから、というのがひとつの要因にありましたが、もっと簡単な言葉で表現できることがわかりました。

60代以前の人たちの親は現在80代以上になっていますが、彼女たちの世代は「親に孝行をしろ」としっかりと教育された世代です。おそらく儒教の教えから脈々と受け継がれてきたものですが、家族の中で一番大切なのが「親」なのだそうです。

子どもは二の次。子どもは親に従うのが当然であり、子は親に忠誠を誓い孝行するのが当然なので、目もくれない。子どもの気持ちなんかどうでもいい。とにかく親が大切。

ある研修でこのことを聞かされ、はたと膝を打ちました。

そういえば私の母親も親を大切にしていました。母親が急死した時も、夜明けを待って行けばいいものを、父の尻を叩いて車を長距離走らせて駆けつけました。

お金が無くても親に贈り物をし、親が喜ぶようなネタを仕入れて話し(そのネタのためによい成績、人に羨ましがられる学歴、就職口、褒賞をそろえなければならない)、親に褒めてもらい、喜んでもらうのが親孝行。

彼女たちはそういう教育を受けて育ったのです。親を大切に!は日本国民のスローガンだった時代でした。

「子どもの気持ち」なんてものは考える用意がされていませんので、「私の気持ちを大切にして」と言っても意味がわからないのです。

子どもはどこまでも親に孝行、親を喜ばせ、愛し、感謝するという存在でなければならないとう教育をうけてきたので、この時代になって反発をくらうとは夢にも思っていなかったでしょう。

これは母親だけでなく、今を生きる私たちもしかと覚えておかなければならないことです。

時代についていけない人は置いていかれ、「なぜこうなったんだ!」「いつからそうだったんだ!」「誰も教えてくれなかった」「変わるなんて聞いてない」「昔はよかった」とひとりで叫んでいてもしょうがない。

# もしくはポツンと一軒家とか孤島に住むとか人里離れたところで悠々と暮らすか