育児休業中に学び直しをしましょう案

 岸田文雄首相(65)が27日の国会答弁で、賃金上昇やキャリアアップに向け、産休・育休中のリスキリング(学び直し)を「後押しする」と発言したことについて、ネット上で批判が殺到している。

https://www.sponichi.co.jp/society/news/2023/01/29/kiji/20230129s00042000211000c.html

これによると、そもそもこの発案者は自民党の大家敏志議員(福岡選挙区)で、岸田さんがこれを後押しするといったことでネット上で大批判を浴びているということですよね。

産休や育休中の生活がどんなに過酷か知らない人が政治をしているから、あちこち変なことになってしまうのですよ。3時間おきに起きて授乳し、寝かしつけて寝る、家事は誰もやってくれず、洗った先から吐いて汚すをくりかえす。それを毎日数か月(私は1日も休まず2年間でした)の繰り返しをやってみてから言って欲しい。

毎日ルーティンの家事と一緒にいつ泣くかわからない、泣いたら1時間でも2時間でもしぶとく泣き続ける赤子の世話なんてしたことがないんだろう。必要なのは学ぶ時間ではなく睡眠時間だと、やったことのある私は本気で思います。

とはいえ、私が産休中に「働いている方が楽でしょう」と言った専業主婦もいたので、どっちもどっち。

元に戻ってなぜこの発想になるかというと、ともかく女性に働いてもらい、税収を上げたいからにほかなりません。もうお役人ってどう税収を上げるかしか考えてないのかと思うくらい、最終的にはそこに行きつく。

男性の税収が底打ちなので、目をつけたのが女と老人。働け働け、税金納めろということです。

ただ、私の知人に育休中に資格を取りまくっている人がいるので、全部を否定はしません。30代の彼女は3人の母。二人は保育園、一人は自分で家で面倒をみています。二人の保育園は片道1時間半かけて車で送り迎えをしています。夫はシフトの仕事なので、いつも手伝ってもらえるわけではありません。

「大変じゃない?」と聞くと「子どもが寝てる間とかに集中してやるの」「ついやりすぎて2時とかになっちゃう」という勉強好き。

たぶん前出の国会議員はこのような人が周りにいるのではないでしょうか。確かに議員さんや国会にお勤めするような「デキる」女性たちは手早く雑仕事を終わらせて勉強するというような器用な方が存在します。いわゆるスーパーウーマン。

家事も仕事もちゃちゃっとやっちゃう。その人を見ていたら、この「育休中に学び直し」という発想が出てくるかもしれないし、そういう方に「こういう案はどう?」と聞いたら「いいですねー、やってくださいよ」というかもしれません。

でもそういうスーパーウーマンは一般社会にはそう多くはいません。そこをわかって欲しいかなー。

議員も自分の周りで「いいですねー」と言われたから言っただけで、こんなに反発が来るとは思わなかったのかもしれません。

国会議員の周りの人は特別な人なの!一般市民とは違う人種なの!

そこがわかっていないから、他の施策も?マークが沢山つくようなピンボケのものになる。

国会議員よ。天から地面に降りてきて、一般市民と同じ生活してみてください。

いかに自分らが世の中知らないかわかるから。

自営業の将来、老後の暮らし

私の実家はサラリーマンだったので、自営業の家の金銭感覚がわかりませんでした。私のサイト内の「OGのお仕事紹介」コーナーでシナモンティーさんがカフェ経営について書かれていますが、その中で

”融資を受けることは借金を作ることなので勇気がいりますが、 飲食経営は「借金は財産」です。滞納しなければ融資の額が増えますので、それだけ信用が付くことになります”

と書かれているのを見て、そういうものなのかーと目から鱗でした。

勤め人しかしたことのない私にとって、自営業は未知の世界です。いっとき「好きな時に本を読んだり、ネットしたりできて快適だよ」とお誘いを受けたことがあるのですが、何しろ臆病なので、お金がどんと入る時もあれば、まったくない時もあるというこの不安定さはとても怖いものがあります。

何時から何時までは体は勤務先のものだから自由にすることはできないという縛りはありますが、その報酬として決まった日に決まった額が振り込まれる安心さには代えられません。

さらに自営業の場合、満額でも65,000円の老齢基礎年金しかもらえないので、勤め人ならもらえる厚生年金の代わりを自分で何とかしなければなりません。

自営業で羽振りのいい人はそれなりにしっかりとたまっているでしょうが、個人営業的な自営の場合は老後2,000万どころの話ではないと思います。もっともっと必要です。あるいは定期的に入ってくる収入を確保する必要があるでしょう。

私も還暦を過ぎ、「友人との会話は健康と年金」というご多分にもれない状態になっています。

シングルマザーの老後は子どもたちが自立した後自分一人の生活になりますから、口うるさいモラ夫といるよりもずっと快適ですが、自分の食い扶持を、確実に自分ひとりで用意しなければならないという重荷もあります。

私は「だれかに生活の面倒をみてもらう」という発想がそもそもないので、すんなり自分の老後の生活設計をしてうまく軌道にのっていますが、生活費は誰かが稼いでくれるものと思っている方が離婚をすると、老後はかなり厳しいものになります。

個人事業主は定年がないからいつまでも働けるとは言いますが、いつまでもは働けません。60歳を過ぎると体力も気力も脳力も衰えますし、客商売ならば沈む一方ということもあります。

私は個人事業主一本よりも、勤め人をしながら副業で仕事をするというのが一番いいと思うので、ずっとその方式で仕事をしてきました。

年金を手にするようになって、それは正解だったなーと思います。

陽のあたる部屋は暖房いらず

我が家のリビングは南向きにベランダがあります。ここには今お正月の定番、葉ボタンとパンジーの寄せ植えと3種の色のゼラニウム、南天とパンジーの寄せ植えの鉢があります。(万年青は室内に避難中)

そして去年100円で買ったキンギョソウがいったん全部花が落ちて葉だけになったものの、また新しい芽が復活し、黄色い花を咲かそうとしています。

1月の厳寒期ですが、このリビングには日中は暖房を入れていません。確かに朝晩は寒いのですが、朝は日が昇る時間になると春のように暖かくなるのでエアコンは切ってしまい、夜はすこし寒いのですが、去年買ったこの充電式湯たんぽに足を突っ込むと充分暖かい。

これにひざ掛けをかけるともう他の暖房器具はいりません。11月分~12月の電気料金がクレジットに上がってきていますが、3,400円でした。本格的に寒くなってきたのが12月からなので、2月請求分の電気代を見なければならないのですが、たぶんそれほど高くならないのではないかと思っています。

これはひとえにこの鉄筋コンクリートでできた建物が、昼間の暖気を閉じ込めて、それが長時間部屋を保っているからではないかと思います。

では夏は暑いのかと言えばそれはなく、外の熱気を建物が防いでくれて、エアコンは必要ですがそこそこ涼しい。

夏の一番エアコンを使った時期の電気代は5,600円でした。寝室は寝ている間中エアコンをつけっぱなしにしていました。

大きな光熱水費高騰の元になるお風呂は、私は100%ジムで入るのでまったく影響がありません。本当に湯水のようにお湯を使って毎日洗髪しています。髪を乾かすドライヤーも電気代がかかるものですが、当然ここで乾かすので家での使用はありません。

80歳を過ぎたような高齢の方たちもジムを銭湯としているようで、体は動かさないけれど同じように毎日通われています。銭湯並みの大きな湯船が複数とサウナもあります。サウナには時々入ってじんわりと体を温めています。

ジムのお金は13,000円と安くはありませんが、もしうちでお風呂に入ることになったら、光熱水費が相当上がってしまうことになります。実際コロナでジムが閉鎖していた時は「え?」というくらい光熱水費が上がったので、お風呂は1日おきにしていました。

よく「光熱水費の高騰で」とニュースで聞きますが、我が家においては実感がありません。一人暮らしの光熱水費は1万円で足ります。

お部屋を選ぶときは南向きがやっぱりベストです。東向きだと午前中は明るいのですが、午後からすごく暗くなる部屋があります。西側に窓があると当然西日で暑くなります。

また、一番上の階にすると屋根の熱気が直接伝わってきますので夏は暑くなります。両端の部屋にすると同じように外気温を直接受けるので、暑くなったり寒くなったりします。

あまりないでしょうが、高層マンションは外に出るためにエレベーターを使わなければならず、そのエレベーターがなかなか来ないということで、外に出ることが億劫になってしまい、運動不足の原因になるそうです。

避難先のお部屋を決める時の参考にしてください。

今回のパブコメでの養子縁組の問題

今回のパブコメでは再婚し、子どもと結婚相手が養子縁組する件も触れられています。

これも甲案と乙案があり、乙案が現状維持で再婚して子どもと相手が養子縁組をフリーにできる状態です。

実は以前から指摘されていたのは、実の父親が自分の子が他の人と養子縁組をしていることをまったく知らない状態でよいのかということでした。

だから今回これが盛り込まれたのかなと思います。

共同親権になった場合「重要事項は協議する」ことになりますので、この養子縁組も協議することの中に入ります。つまり夫の同意がないと養子縁組できません。

「えーー、モラ夫が嫌がらせをして許可しないでしょう」と言われるかもしれませんが、私は全部が全部そうとは限らないと思っています。

養子縁組をした場合、子の父親は養育費を払う必要が無くなるからです。

「養育費がチャラになる」

なんと甘くて素晴らしい響きではないでしょうか。これにのらないケチ夫はいないのではないでしょうか。

だから「養子縁組どうぞどうぞ」という父親は多いだろうなーと思っています。

ただ、問題なのは養育費を払っていないのが8割という現実です。この「どうぞどうぞ」は2割しかいません。そのうちの再婚する方がどれくらいいるのかはわかりませんが、養育費は払わない、養子縁組は許さないという親が出てくるだろうなと思います。

そもそも離婚後、相手がどこに住んでいるかわからないケースは山のようにあると思いますが、これをどうするのか。どう知らせるのか。

それは共同親権になったら居所を明らかにするという項目がありますので、ここでカバーするのか。

養育費の支払いが棚上げのまま、別のところに手をつけようとしているのはいかがなものかとこの件からも感じられます。

寂しい週刊朝日の休刊

週刊朝日が今年5月末で休刊になるとのニュースを聞き、驚きとともに寂しさや、この時代にの流れではしかたがないという気持ちが混ぜこぜになっています。

こちらにモラハラ被害者同盟がどのメディアに掲載され、協力してきたかの一覧があります。

https://morahara.cocoon.jp/media.html

ここに書いているように、モラハラを一番最初に取り上げて下さったのが週刊朝日でした。突然担当者の方からメールをいただき、職場から帰る途中の車の中で、担当記者さんと電話でやり取りしたのを今も忘れることはありません。

車外は雪と氷の暗い道の脇に車を止めて、どういう趣旨の記事になるのかを伺いました。

些細な家庭内のいざこざを妻が被害妄想で喚き散らしているとだと面白可笑しく掲載するのではなく、社会的な立場からこの現状を報道するというのだという担当者さんの言葉に納得し、東京からお出でいただくということにびっくりしながらも、取材をお受けしました。

初めての取材は私一人では心元ないので、地元のDV関係の方に同席をしていただき、ホテルの喫茶ルームでお話させていただきました。

2005年2月18日号、表紙は沢尻エリカさんのこの号が、華々しいモラハラメディアデビューの号でした。それ以後、沢尻エリカさんのニュースは親戚の子のように受け止めてしまいます。

その週刊朝日の記事を見たNHKの方から取材を受け(日の目を見ず)、その後、同じ朝日系列の新聞、主役が女性なので女性週刊誌、そして、ホップステップのステップにあたるのがフジテレビの「こたえてちょーだい!」と続き、今に至ります。

私が最初にサイトを立ち上げた理由、「沢山のモラハラで困難な人生に陥っている人たちにこの事実を知らせたい」という希望は、ネットと、アナログメディアによって日本中に広がりました。

週刊朝日はまさに私の恩誌です。その恩誌の休刊は一時代の幕引きのようにも思えます。

週刊誌を定期購読する個人などほとんどいないでしょう。ヘアサロンに行っても週刊誌ではなく、タブレットが置れています。病院の待合に週刊誌を置いている所は数少なくなりました。みんな順番待ちの時には自分のスマホを見ていますから、需要が無くなったのです。

週刊朝日とは18年間のおつきあいとなりました。さびしいなぁという思いは尽きないのですが、あの凍てついた冬の車中の情景は、たぶんずっと私の心の中に残っていると思います。

モラハラ被害者同盟20周年です

1月19日でモラハラ被害者同盟は20周年となります。

元夫が成人の日にブチ切れて大暴れして実家へ行き、そこから4日目くらいにこのサイトを立ち上げました。

いろんなことがあった20年でした。20年前にサイトに立ち寄って下さった方々と同窓会でもしたいところです。あの頃、モラハラに悩んでいた方たちはどうしていらしゃるかな。みんんな幸せだといいな。

あの頃と比べて、モラハラを取り巻く環境は大きく変わりました。もう「モラハラって何ですか」と言われることも無くなりました。

#その代わり、思い違いをしている方も増えました

広辞苑にモラル・ハラスメントが入り、どこでも「モラハラ」が出没しています。20年前には考えられないことでした。こんな日が来るとは思いもしませんでした。

あのコタツテーブルに乗ったノートパソコンから、世界が広がりました。パソコンも5代目のものです。あの頃必要なかった老眼鏡が今は必需品に、立ち上がる時には「どっこいしょ」と掛け声をかけるようになりました。

後どれくらい続けられるかわかりませんが、あとしばらくお付き合いいただけたら幸いです。

探し物は何ですか?

ここのところ小さな災いが続いていました。一番は失くしもの。いつものことだとは思いつつ、失ったものがいつもは何気なくそこにあって、気にもとめていなくて、あるのが普通だったものが、ある日突然失ってしまったという喪失感。

長い間使っていたものがふたつ、突然行方不明になってしまいました。あらゆるバッグやポケットを探しても見つからず、もしやあそこでと思うところに電話をかけて聞いてみても、やっぱり見つからず、無くなって初めてわかるその物の存在の大きさを知るという、自責が延々と続くこの失くし物。

もしかしたら私は普通の人よりも物に対する執着心が強いかもしれません。捨てることもかなり一生懸命やらないと捨てられません。捨てたら捨てたで「あー清々した」となるのですが、捨てるまでの決心がなかなかつけられないのです。

この冬、いつも通っているちょっと長距離な場所へ自転車で走っていて、ふと「この道を行けば近道かも」という悪魔の囁きに負けて、行ってみたらとんでもない迷路。結局google mapを使ってようやくたどり着いたのは「この道を行けば」というスタート地点。

へなへなへな~となりながら目的地に向かおうとしたら、手袋が片方ありません。どこを探しても見つからず、時間も押していたので「帰りに時間があったら探そう」と目的地に行きました。

さて帰り道。時間があるので手袋の片方を探そうと思いました。

100均ショップで200円で売っていた手袋です。しかも2シーズン目。手袋はよく無くすので高いものは買わないと決め、100均でいいやと思っていたらこういう物に限って無くさない。今シーズンで捨てようと思っていたのですが、手袋の片方だけが無いという状態は、もう片方の手袋が寂しい思いをするのではないか(しない)、捨てるときは両方一緒に捨ててあげたいとか(どうでもいい)、どうも感情移入してしまい、探すことにしました。

ところが道に迷っていたので、どこをどう通ったのかわからず、とりあえず迷った時に目についたファミレスの看板名をGoogle mapに入力し、そこを目的地としました。なんとなく「あ~、ガストがあるな~」と心に刻んでいたのです。

そしてあの迷った道にやってきました。どこで落としたかわからない手袋の片方を探す(しかも100均の!)という、ナニやってんだかという気持ちですが、ここで見捨てて後から雨に濡れている片方の手袋のことを思うと、きっと後悔するな~、やるだけやったんだからという証拠だけ残したくての手袋探しです。

あるわけがないと思いながら、それでも歩道を目で探していくと、

「あったーーーーー!!!!」

ガードレールの脇にちょんと、落ち葉にまぎれながら、手袋が落ちていました。もう片方の手袋と同じ模様(当たり前だ)の、2シーズン使った100均の手袋。

「ありえない!奇跡だ!」と思いながら手袋を拾い上げ、ペアにしました。「よかったねー、相棒が帰ってきたよ~」と手袋をはめ、小躍りしたい気持ちで帰路につきました。

冬はあちこちに片方の手袋が落ちていて、それは持ち主が「あー、落としちゃったー」「失くしちゃったー」という、軽い気持ちで諦めている方が断然多いとは思いますが、私はどうも自分の物だったものが自分の手から離れていくことに寂しさがあるのです。なので海外旅行に行くときに「捨ててもいいような物を持って行って、向こうで使って捨ててくる」ということがどうしてもできません。お弁当に入っている魚の形の醤油入れさえ、海外では「同胞」。

「みずしま~!一緒に 日本に 帰ろ~~!!」(←ビルマの竪琴)

と言いながら日本に持ち帰って捨てるという、わけがわからない構造です。

いつも気にも留めずに自分のそばにあって、でも無くなると無性に愛おしい。しかも自分が注意深くしていれば避けられた事故なのに、全部自分の不注意のせいで失ってしまったという自責感。

失くしものは本当に探す時間の無駄です。ちなみに冒頭に書いたふたつの物は出てきました。一つは出先に電話したら「ありますよ~」との返答があり、もう一つは何度も探したはずのバッグのポケットに入っていました。

探し物は何ですか 見つけにくいものですか かばんの中も机の中も 探したけれどみつからないのに まだまだ探す気ですか  ~中略~ 探すのをやめたとき 見つかることもよくある話で (by 井上陽水 「夢の中へ」)

いつもこの歌が頭をぐるぐるしています。

安易なモラハラ宣言

とある方のモラハラについてのご相談です。個人的なことなのでフィクションが混ざっています。

夫とふたりのお子さんがいる家庭のお話です。夫は何でも自分の言うとおりにさせようとして、怒鳴ったり不機嫌になったりするので、そうならないように大変気を使っていました。

父親には父親の考え方があり、「自分は私立大学だったため就職も、現在の地位も不満。子どもにはこんな思いはさせたくない」と、彼は彼の思いから進学校に行けと強要していました。

ずっとこのように父は自分の敷いたルートを子どもに強引に歩ませようとしていましたが、母親は子どものやりたいことをさせたいと、習い事や塾を子どもと選び、その費用は父親に払ってもらっていました。

父は「俺が知らないうちに習い事も塾も決まっていて、さあ払えと請求書だけ寄こす。いつも子どもの教育は蚊帳の外だった」と憤怒しています。

そして子どもが高校進学時期になり、「離婚を決意した」と言います。

このままでは子どもは自由に自分の進路を選べない。だから離婚しようと思ったそうです。

これをモラハラ夫というかと言われたら、ちょっとう~~んと考えてしまいます。

確かに高圧的で自分の思い通りに家族を操ろうとしていますが、妻は「夫を蚊帳の外において子どもの習い事や塾をふたりで決め、その支払いは夫に渡して」います。

まずモラハラ家庭で「夫を蚊帳の外において、子どもとふたりで習い事や塾を決める」なんてことはありません。そんなことは怖くてできません。

そしてモラ夫に「決めてきたから」と習い事や塾の支払いを渡しても支払うはずがありません。渋々だろう何だろうが、とにかくこの夫は支払いをしています。

この事例で「夫のモラハラで離婚したい」と言われたら、「子どもの教育に関する意見の不一致による離婚じゃないですか」と言うでしょう。

モラハラってもっと切実で、もっと残忍で、もっと相手をコントロールする力が強いものです。コントロールされずに夫に何も言わずに子どもとふたりでちゃっちゃっと習い事を決めてくるなんてできるはずがない。

離婚の原因をなんでもかんでも簡単に「夫からのモラハラ」と言ってしまえる現状に、私はとても危惧しています。それはモラハラの実態を歪めてしまい、法律の分野や一般でモラハラが軽く扱われるのではないかと思うのです。

現在DVの保護命令の中に精神的暴力を入れる案が出ています。私はこれに大賛成です。身体的な暴力はないけれど、精神的ダメージが非常に大きい場合は対象にして欲しいです。

でも、↑のような事例をモラハラと言ってしまうと、強姦も性被害、すれ違いざまに体にふれられたも性被害と、程度の差が天と地ほどにあるのに、どちらも性被害という名称になってしまうと、受け手のイメージが変わってしまいます。

もはやモラハラは日本中に広がり、ひとりひとりに説明することはできません。保護命令に精神的DVを含めるとなると、なんらかの定義が必要になるだろうと思います。

私はそれを大いに期待しています。

お勧め濡れマスク

乾燥して喉がイガイガひりひりする季節になりました。東京ではもう22日も雨が降らない日が続いています。更に寝室はエアコンも使うようになったので、部屋の乾燥度が上がりまくり。

加湿と一体型の空気清浄機があるリビングはまだいいのですが、ベッドのある北側の部屋にはクローゼットがあるのでカビの原因になる加湿はしたくない。

北側なので寝る前にエアコンはつけますが、部屋が狭すぎてあっという間に壁が暖かくなるので、10分ほどで切ってしまいます。それでも室内は乾燥はしているので何とかしたい。ということで、日中使っている不織布マスクを棄てずにお湯で濡らしたガーゼを挟んで使用してみたら、とっても楽になりました。

#老眼鏡が曇るのがデメリットか

これはいいわと、リビングにいる時も、要するに食事以外は全部マスクをするようになりました。外でするマスクは鬱陶しいですが、家で湿度を含んだガーゼをはさむと気持ちいい。

ガーゼは30分ほどでカラカラに乾いてしまいますが、しばらくはこの方法で喉を労わります。

育児は24時間365日

共同親権を推進したいのは多くは男性ですが、まず育児と言うのは24時間だとわかっていないようです。ミルクとおむつを替えればイクメン面していられますが、当然育児はそれだけではありません(それだけではないことをわかっていないのが辛い)

子どもは片時も目を離せず、月数が上がれば母乳やミルクから離乳食へ切り替え、その準備、後始末、床に置くと嫌がる子どもは抱いて歩き回らないと寝ない。

ミルクを飲めば吐く、吐いたものを片づけや洗い物をしながら着替えをさせ、着替えをしたらその洗い物。1日で山のようにたまる洗い物。

なかなか寝ない子は外に連れていって歩き回る。苦い薬を飲まない子を騙し騙し長時間かけて飲ませる。立って歩けるようになると、目離しできず、重くなった子を背中に括り付けて家事をする。

子どもは朝早いから、昨日寝たのが1時近くでも起きて朝食づくり。保育園の連絡帳も書いて、持っていくものに全部記名。保育園袋にいれて自転車に積んで保育園の送り迎え。

これを全部やって育児です。全部やってから「共同親権」と言ってください。子どもを一緒に育てたいなら、生まれた時からやってください。おむつに付いたウンチの処理をして、べたべたした手でさわったあちこちを拭いて、部屋の中に危ないものはないか、何かを口に入れたら大変なので、全部片づけてください。

ぐずって寝ない時はずっとあやして寝かせてください。当然その間は寝られません。そんな日が半月続いていて、睡眠不足で頭がぼーーっとしてても子どもは生きていますからやってください。山のようにたまった洗い物や翌日の準備は頭にあっても、ふたりでやればなんとかなりますが、片方がいなければ(何もしなければ)処理しないものはそのままの形になっています。

休日にイベントに行くなんてとんでもない。休日こそイクメンが活躍する時です。飲み会になんか行けません。人との付き合いは子どもが大きくなってからです。

自分は行くけど母親は母親だから飲み会なんか行かせないというのはやめてください。あなたが行くなら母も行く。母が出かけている間はあなたが面倒をみる。これ、当然。

それをやった人だけ「共同親権」「共同養育」と言ってください。

子どもが少しは親の言うことを聞くようにさせるまで24時間、365日。ずっと毎日毎日子育てしてきたのは母親。少し大きくなって子どもがこちらの言うことがわかるようになって楽になってから「育児する」などと言わないでください。

「子どもをこう教育したい」「こういう風に子どもと過ごしたい」

そういう前に生まれた時から24時間子どもの世話をしてください。仕事を言い訳にしないで、仕事から帰ったらまず洗い物をしろ。

まずは24時間365日世話してみろ。

養育とはそういうもんだ。