安易なモラハラ宣言

とある方のモラハラについてのご相談です。個人的なことなのでフィクションが混ざっています。

夫とふたりのお子さんがいる家庭のお話です。夫は何でも自分の言うとおりにさせようとして、怒鳴ったり不機嫌になったりするので、そうならないように大変気を使っていました。

父親には父親の考え方があり、「自分は私立大学だったため就職も、現在の地位も不満。子どもにはこんな思いはさせたくない」と、彼は彼の思いから進学校に行けと強要していました。

ずっとこのように父は自分の敷いたルートを子どもに強引に歩ませようとしていましたが、母親は子どものやりたいことをさせたいと、習い事や塾を子どもと選び、その費用は父親に払ってもらっていました。

父は「俺が知らないうちに習い事も塾も決まっていて、さあ払えと請求書だけ寄こす。いつも子どもの教育は蚊帳の外だった」と憤怒しています。

そして子どもが高校進学時期になり、「離婚を決意した」と言います。

このままでは子どもは自由に自分の進路を選べない。だから離婚しようと思ったそうです。

これをモラハラ夫というかと言われたら、ちょっとう~~んと考えてしまいます。

確かに高圧的で自分の思い通りに家族を操ろうとしていますが、妻は「夫を蚊帳の外において子どもの習い事や塾をふたりで決め、その支払いは夫に渡して」います。

まずモラハラ家庭で「夫を蚊帳の外において、子どもとふたりで習い事や塾を決める」なんてことはありません。そんなことは怖くてできません。

そしてモラ夫に「決めてきたから」と習い事や塾の支払いを渡しても支払うはずがありません。渋々だろう何だろうが、とにかくこの夫は支払いをしています。

この事例で「夫のモラハラで離婚したい」と言われたら、「子どもの教育に関する意見の不一致による離婚じゃないですか」と言うでしょう。

モラハラってもっと切実で、もっと残忍で、もっと相手をコントロールする力が強いものです。コントロールされずに夫に何も言わずに子どもとふたりでちゃっちゃっと習い事を決めてくるなんてできるはずがない。

離婚の原因をなんでもかんでも簡単に「夫からのモラハラ」と言ってしまえる現状に、私はとても危惧しています。それはモラハラの実態を歪めてしまい、法律の分野や一般でモラハラが軽く扱われるのではないかと思うのです。

現在DVの保護命令の中に精神的暴力を入れる案が出ています。私はこれに大賛成です。身体的な暴力はないけれど、精神的ダメージが非常に大きい場合は対象にして欲しいです。

でも、↑のような事例をモラハラと言ってしまうと、強姦も性被害、すれ違いざまに体にふれられたも性被害と、程度の差が天と地ほどにあるのに、どちらも性被害という名称になってしまうと、受け手のイメージが変わってしまいます。

もはやモラハラは日本中に広がり、ひとりひとりに説明することはできません。保護命令に精神的DVを含めるとなると、なんらかの定義が必要になるだろうと思います。

私はそれを大いに期待しています。