疲れたけどがんばりました

お正月が終わり、客人(子どもたち)がいなくなり、静かになったのでやらなければいけないものに手をつけることにしました。

お気づきのかたもおられると思いますが、昨年暮れよりこの管理人の小部屋にアクセスすると「warning」という警告が発せられるようになっていました。

ただ、一瞬なのでその警告がナンなのかがわからない。

ということでやっと時間ができたので、スマホで動画撮影してそのwarningをつきとめました。

#警告するなら警告するなりにわかるようにしてくれないだろうか

そしてスマホの画面のwarningのところでストップして警告を見てみたら

warning:creating default object from empty value in/————————-/wp-includes/post.php on line 1767 という謎の文字が。

これはいったい何ですか~~~♪

とにかくググりまくって、多分Word Pressをバージョンアップしたら消えるのではないかという結論になりました。

そういえばたまに「更新しました」のメールが来るので自動的に更新されているものだと思っていたら、Word Pressにはいくつかの種類があって、私がずっと使っているのはもう古くてセキュリティの安全性が低いらしい。

それならさっさとバージョンアップをすればいいのでしょうが、Word Pressに限らず、バージョンアップをするととんでもない事態になることがあります。

ググってみれば「Word Pressをバージョンアップしたら真っ白な画面になった」「動かなくなった」「レイアウトがガタガタになった」と恐ろしいものが山盛り出てくる。

AmebaとかHatenaとか、既成のサイトで作っている方はこういう苦労はないのでしょうが、何しろ自前で作っているブログですから、メンテナンスも自分でやらなければならない。

最初に「Warning」で検索すると、「放っておくと重大なことになる可能性がある」とのことで、ともかく嫌でもなんでもバージョンアップせねばならない。

そしてバージョンアップの準備をすること3日間。バックアップを2種類で取り、ついでにバックアッププラグインを導入し、自動でバックアップをとれるようにして(今までバックアップしていなかったのが怖い)、もしバージョンアップして事故った場合のために元に戻すプラグインを入れと万全の準備でのぞみました。

3日間、腰を据えてバージョンアップのための知識を入れ込んだおかげで、Word Pressについてそこはかとなく詳しくなりました(1か月で忘れる)

なんで更新の数字が2種類あるのだろうと不思議だったのはWord Pressの更新とPHPの更新の2種類があるためで、このPHPの更新はサーバ側にある設定をささっといじれば簡単にバージョンアップもダウンもできることがわかりました。

もしバージョンアップに失敗しても、すぐに元に戻せる。

使用しているプラグインもテーマも全部更新した。後はWord Press本体だけ。

でも、もし失敗したらどうしようと、なかなか更新ボタンが押せません。

準備は全部できた。失敗したときの対処法も大体わかった。後は押すだけの押すだけができない。

#ロケット打ち上げもこんな感じなんでしょうかね。

今日やらなくても明日でもいいんじゃね?と、お茶を淹れたりみかんを食べたりしながら現実逃避するする。

そしてふと、「取りあえずこの『更新』ボタンを押せば次の画面になるだろうから、それから考えよう」とポチ。

あれ?何かしてる、動いてる。

もしかしたら

「更新作業しちゃってる?!」

ブログが真っ白になったり、レイアウトがガタガタになったり大騒動になる!?

「やば!!」とストップさせて「ほーっ」一息つき、Word Pressのバージョン情報をクリックしたら、あらびっくり。

更新しちゃってる。

あわててこの編集画面を開いたり、あちこち見たけど全部セーフ。

できちゃった。3日間、必死でググりながら調べて調べてを繰り返した「更新」があっと言う間にできちゃった。

「ふ~~~~」と一息ついて、「これって還暦過ぎた孫のいるおばあちゃんのやる仕事じゃないよね」

エンジニアでもちゃんと勉強したわけでもない普通のおばあちゃんが20年前からずっとこうやってサイトを作ってきましたが、PC本体側で作るものと違って、サーバ側を動かすものは意味がわからず、もうそろそろ限界かしらと思っていました。ま、とりあえずなんとかバージョンアップが完了いたしました。

ある日突然サイトやブログが消えたら、何かやらかしたと思ってください。

自虐歌

お正月につけっぱなしのテレビを見ていたら、研ナオコさんが出ていました。

「老けたな~」と自分を棚に上げて番組を見ていると「『愚図』は阿木燿子・宇崎竜童夫妻が初めてふたりで作って私にくれたのがこの曲なんです」とコメントしました。

ふ~ん、そうなんだ~。百恵ちゃんよりこちらの方が先だったんだ~と思いながら、「ところで「愚図」ってどんな曲だっけ」とYouTubeをググりました。

この頃とにかく固有名詞が出てこなくなり、「あれ、あれ、あれ、誰だっけ、何だっけ」と焦るよりもとにかく関連しそうなワードでググることにしています。

ありがたいことに2,3ワードで大体出てきます。世の中が進歩してくれたおかげで「出てこない固有名詞をいつまでも頭の中で探す作業」がかなり大幅に減って大助かりしています。

さて、探し出した「愚図」はこんな曲でした。

ああ、そうだった、こんな曲だったとあの頃にタイムスリップしながら聞き続け「夏をあきらめて」「あばよ」「かもめはかもめ」まで来たら、なんだか変な気分になってきました。

♪何もあの人だけが世界中で一番優しい人だと限るわけじゃあるまいし
たとえばとなりの町ならとなりなりにやさしい男はいくらでもいるもんさ

明日も今日も留守なんて 見えすいた手口使われるほど
嫌われたならしょうがない
笑ってあばよと気取ってみるさ(あばよ:中島みゆき)

あいたたたた、ふと林真理子さんの「死ぬほど好き」を思い出しましたね。とっくに飽きられているのに「彼はなにか誤解しているんだわ」とストーカーする女性の話。勤め先に何度も電話をしたり(ケータイがない時代)、家まで押しかけたり。じゃけんにされても「一緒に食事をして話をすればまた仲直りできるわ」とスカーレットオハラのように「明日また連絡してみよう」とする女。

♪あきらめました あなたのことはもう電話もかけない

あなたの側に誰がいても うらやむだけかなしい

かもめはかもめ 孔雀や鳩やましてや

おんなにはなれない(かもめはかもめ:中島みゆき)

♪おんながひとりきりで踊ってると不自然
そんな言葉 もう聞かないわ
今夜から利口になるの

おんなが連れもなしに店にいてもいいでしょう
あの人は忙しそうよ 恋人とあっているから

だからひとり 今日はひとり
踊りたいの あの人を恨みながら(ひとりぽっちで躍らせて:中島みゆき)

怖~~~~~~ 怖くないですか?

歌詞は全部中島みゆきですが、全編ふられた女の恨み節が漂っています。こんな自虐歌がヒットしていたということは、こういうのが当時の女性の共感を得たのでしょう。

今はどうなんでしょうか。紅白歌合戦で次々と出てくる初見のガールズ&ボーイズグループの歌はもはや歌詞が聞き取れない(聞き取る気もない)

中島みゆき:歌詞 研ナオコ:歌 コンビで知っているものは全部「どうせ私は○○だから、振られて当然よね」「私なんかあなたのそばに行けるような女じゃないのよ」「あの子の方がきれいだから比べたってしょうがない」

あ~~~、もうイライラするくらい自虐だ~。も少しプライド持てよーー。

「笑ってあばよと気取ってみる」と言いつつ、未練たらたらだし、そんなんじゃいい運も回ってくるわけがない。

この源流は何かと考えてみれば「演歌」です。「艶歌」とか「怨歌」などとも書かれますが、研ナオコは「怨歌」です。恨み節です。

こわ~~~~。

怨歌はずっと「男は旅をして、女は帰りを待っている」路線です。そしてその頂点は「着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて編んでます」

こわ~~~~~~。

そんな恨みを編みこんだセーター、怖くて着られない。

恋愛をしている女性は「相手が自分をどう思っているか」「自分よりいい人があらわれるのではないか」「その女に彼を盗られるのではないか」「いつか自分はひとりぼっちになるのではないか」という不安や恐怖があります。

それを「どうせ私なんか」と自虐の方へ走るより、ひとりでも生きられる思考を身につけたほうが断然生きやすいです。そしてそちらの方が断然かっこよくて魅力的に見えるのです。

LonelinessじゃなくてIndependence

どちらもひとりだけど、全然違う。自虐で半分白目をして下から見上げられたら、怖くて誰も寄ってきません。今年は目指せIndependenceと手帳に書いておくって、どうですか?

謹賀新年-今年もよろしく

三が日は子どもたちが家に来ていたので、わいわいの賑やかなお正月でした。3日まで我が家で寝泊まりしていた子がいたので、昨日全員帰ったとたん、いつものものをいつもの場所に戻す作業やら、布団を再度圧縮して押し入れにしまう作業やら、冷蔵庫の整理やらで疲れ果てました。

今年は孫も加わっていたため、目離しできなかったり、ぐずって泣き出したら全員であやしたり(かえって大泣きになる)と、人数が増えると、なにかと勝手が違っていました。

この中でたぶんこの先一番長く生きるであろう赤子には、孫が自分で模索しながら満足する人生であってほしいとも思います。

子どものパートナーの実家は地方のごく普通のお宅です。穏やかなお父様と明るいお母様の家で育った彼女と巡り合ったことは「でかした!息子!」でありました。

私も元夫も機能不全の家庭、そのふたりが作った家はモラハラ家庭と、2代続いた円満ではない家庭に、初めて普通の家庭で育った方が加入されたことで、我が家系はやっと軌道修正ができそうです。

パートナーのご両親は「孫には何事もなく、良いレールにのって幸せに生きて欲しいと願っています」と仰るのですが、それにブンブンと首を振ったのが息子と私。

「この子にはこの子が選ぶ生き方があります。それが傍から見て安全ではなさそうと思えても、子どもが選んだなら行ったらいい。私たち大人は援護できるものであればすればいいと思います。小さな頃の躓きはむしろいい肥料になります。転びながら、挫折しながら、何が自分のやりたいことなのかを模索してほしいと思います」

普段は何かと意見の相違がある我が親子でありますが、ここは一致しています。

ご両親は「何事もないことがいいと思うんですけどね」と不思議そうにされるのですが、そこは穏やかな方たちなので、ここで論争とはなりません。

「大事なのはレジリエンシー、復元力です。転んでも自分で起き上がる力です」

さて、息子よ。正月我が家にいた時に、赤子の取り扱い方を見ていたけど、丁寧とは言い難かった。普段あまりやっていないでしょー。哺乳瓶の取り付け方もぎこちない。こういうのは離婚の時に「子どもを乱暴に取り扱う」と離婚原因のひとつになるんだから、心して子育てするように。

さて、2023年は共同親権の正念場の年です。

こちらをご覧になって、ぜひ法務省にパブコメを送ってください。共同親権になってワクチンも子どもの進路も何もかも、モラ元夫が嫌がらせをしてきます。今回はコビトさんは何もしてくれません。王子さまは向こうから来てくれません。

安全安心は自分の手でつかみましょう。