モラハラから脱出!優しいカフェ開きました
元夫とは出会って5年で結婚、1年目に妊娠しました。
妊娠してから徐々に元夫からのモラハラが始まりました。もともと飲食店のキッチンや仕込みなどの仕事が好きだった私は、子どもが生まれてからはパート従業員として飲食店で働いていました。元夫はそのころから経済的DVや子供を介したモラハラもひどくなり、子どもが4歳になるころ、子どもの面前での私に対する身体的暴力の回数が増えました。
久しぶりに会った友人が私の異変に気が付いてくれ、諭されました。「あんたの旦那、おかしいよ!」と言われて目が覚め、初めて母親に相談し、その日に脱出しました。実家に身を寄せているときに女性相談に行き、自分がDV被害者であることを知り、「モラルハラスメント被害者同盟」にたどり着きました。当時は毎日掲示板に立ち寄っては勇気づけられ、助け合うことができ、真のピアサポートとなりました。
弁護士さんについてもらって協議、調停、裁判を経て、親権を得て離婚しました。
その後持病が悪化し、入院、手術を受けました。また、元夫の暴力によるPTSDの症状(解離症状)は離婚して2年目から徐々に良くなっていきました。
※画像はイメージです
夢だったカフェを作りたい

体調が回復したころ、以前から抱いていた「飲食の仕事をしたい」「カフェを営みたい」という思いに、モラハラ被害者や被災者、病気からの回復者のような、疲れた人を癒せる場所を作りたいという気持ちが重なりました。ただのカフェではなく、モラルハラスメント被害者同盟のようにピアサポートのリアルな場を作りたいと思いました。
その後は資金をためるため、時給の高い短期アルバイトを選んで働き、飲食店経営の勉強をし、国民生活金融公庫の融資を得て、いよいよ小さなカフェを開業しました。化学調味料を使わない、体に優しい野菜たっぷりのお料理を提供しています。空いた隣のテナントとつなげて拡張し、3人のスタッフとステキなお客様に囲まれ、充実した日々を送っています。今年はパティスリー部門を強化し、ケーキのテイクアウト販売にも力を入れていく予定です。

カフェを開くには
カフェを開くのに資格は必要ありません(調理師である必要もなし)が
1)食品衛生管理主任者(自治体の保健所に聞けばわかる)の1日講習をうけ、資格を得る
2)融資を受けれる事業計画を作る
国民政策金融公庫の書類を取り寄せて作るのが一番わかりやすいと思います。
国民生活金融公庫は女性の起業の融資は積極的で低金利、今ならコロナ支援で無金利だったりするので融資を受けやすいです。
ただし、返済計画(事業計画書)に信ぴょう性がないと難しいです。私は母の知り合いに事業計画書をチェックしてもらって何度も何度も作り直しました。
つてがない場合は商工会議所の開業セミナーで事業計画書をチェックしてもらうという手もあります。
そして、私の場合は「フードコーディネーター(レストランプロデュース)」の勉強をしました。フードコーディネーター協会のセミナーに参加したりしてマーケティングやメニュー開発など総合的に勉強できました。
3) 東京など主要都市で開催される大型展示商談会に参加して、セミナーや業界研究をしました。
4) 売れるものを作ることができるようになっておく
全額自己資金で始めようとすると一生無理です。100万円くらいの自己資金としっかりした事業計画を作ることが大切です。融資を受けることは借金を作ることなので勇気がいりますが、
飲食経営は「借金は財産」です。滞納しなければ融資の額が増えますので、それだけ信用が付くことになります。
私は今回4回目の融資を受けました。
実際の私の一日ですが
7:25出勤 仕込み
10:30昼食
11:00スタッフ出、開店 キッチン、ホール手伝い
14:00スタッフ退勤 仕込みをしながら接客他 発注
18:00ラストオーダー
19:00閉店作業、片付け レジ締など
19:30退勤 です。
カフェ経営と子育て
カフェは楽しいですが、正直体力勝負です。体が資本です。
休みを上手にとって働かないと続きません。今は毎週日曜日と第2,4月曜日を休みにしていますが臨時営業、臨時休業でうまく調整しています。子どもが小さかった頃は学校行事でたびたび臨時休業にしましたが、自営だからできることでした。
軌道に乗ったのは3年後くらいでした。
今は新型コロナウイルスの影響もあり、モラハラ勉強会など、計画していた様々なワークショップを開けないでいますが、少しでも多くの女性が幸せになれるように、自分自身も楽しく働き続けられるようにコロナにも負けず頑張っていこうと思っています。
脱出当時からの同盟仲間とは今でもリアルに連絡を取り合い、良い関係を築くことができています。モラハラに遭わなければ出会えなかった仲間ですが、私にとってはかけがえのない宝物となりました。息子は16歳になり、父親との面交は取り決めた「月一回」はだんだん間隔が開き、今はあまり会っていません。
