1985年3月17日、イラクのフセイン大統領が「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する」という声明を発表しました。現地に取り残された215人の日本人を救出するために必要な航空機を日本政府は飛ばしませんでした。
日本人救出のために旅客機を2機飛ばしてくれたのはトルコでした。日本政府は救出機を飛ばさなかったのですが、この記事↓には飛ばさなかったのではなく、手配をしたけれどすでにトルコが飛ばしたので必要なくなったという答弁を、当時の安倍晋三外務大臣がしています。
安倍当時外相はこうやってトルコが日本人のために危険を顧みず航空機を飛ばしてくれたのは日本の外務省が友好関係を築いてきたからだとも釈明しています。
ところが昨年11月、NHKでは「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 戦火のフライト〜日本人を救ったトルコの翼〜」では少し違った事実があることを放送しました。
日本人を救うために航空機を飛ばして欲しいと当時のトルコ大統領に直にお願いしたのは、当時伊藤忠商事イスタンブール支店長だった森永堯氏だったそうなのです。
大会社とはいえ、なぜひとつの会社の支店長が直に大統領と話ができたのかは、それこそ常日頃、伊藤氏は大統領とは親密な関係を築いており、お互い忙しい生活なので直に話せるのは寝る前しかないので、「パジャマ友だち」と言いながら話をしていたそうです。
そんな関係の伊藤氏から「日本人を救ってくれ、航空機を飛ばして欲しい」とお願いされた大統領はしばし時間を置き、快諾してくれたそうです。
このNHKの番組ではその飛行機の乗員たちは「困った人を助けるのは当然ですから」と笑顔でインタビューに答えていました。
もちろん国同士の友好関係があったから実現できたことかもしれませんが、こういった一個人の行動がこの奇跡を生んだのだと、私たちはもっと知ってもいいと思います。
航空機に乗った日本人はいつ撃墜されるかわからない緊張の中、静まり返った機内の中で外を見ていた人たちからひそひそと声が上がりました。4機の戦闘機が航空機を囲むように、ぴたりとついていたのです。
CAさんたちはトルコ空軍が航空機を護衛するために一緒に飛んでいると気づき、安堵しました。
そして機長からの「WELCOME TO TURKEY(トルコへようこそ)」というアナウンスが流れ、機内には歓声があがりました。死と隣り合わせの時間を過ごした人たちは、一斉にトルコへ入国するためにタラップを駆け下りました。
トルコは親日と言われていますが、その起源は1890年和歌山県沖でのエルトゥールル号座礁事件で地元民が総出で救出にあたり、貧しい村でありながら浴衣などの衣類、米、卵や芋それに非常用の鶏すら供出するなど、生存者たちの救護に努めたという歴史が元になっており、これはトルコの教科書にも載っているそうです。だからトルコは親日であり、それが現代にも続いていると言われています。
情けは人のためならず、必ず返ってくるもの。個人と個人のつながりは国をも動かすというお話で、私も大いに心を動かされました。
