ここのところ小さな災いが続いていました。一番は失くしもの。いつものことだとは思いつつ、失ったものがいつもは何気なくそこにあって、気にもとめていなくて、あるのが普通だったものが、ある日突然失ってしまったという喪失感。
長い間使っていたものがふたつ、突然行方不明になってしまいました。あらゆるバッグやポケットを探しても見つからず、もしやあそこでと思うところに電話をかけて聞いてみても、やっぱり見つからず、無くなって初めてわかるその物の存在の大きさを知るという、自責が延々と続くこの失くし物。
もしかしたら私は普通の人よりも物に対する執着心が強いかもしれません。捨てることもかなり一生懸命やらないと捨てられません。捨てたら捨てたで「あー清々した」となるのですが、捨てるまでの決心がなかなかつけられないのです。
この冬、いつも通っているちょっと長距離な場所へ自転車で走っていて、ふと「この道を行けば近道かも」という悪魔の囁きに負けて、行ってみたらとんでもない迷路。結局google mapを使ってようやくたどり着いたのは「この道を行けば」というスタート地点。
へなへなへな~となりながら目的地に向かおうとしたら、手袋が片方ありません。どこを探しても見つからず、時間も押していたので「帰りに時間があったら探そう」と目的地に行きました。
さて帰り道。時間があるので手袋の片方を探そうと思いました。
100均ショップで200円で売っていた手袋です。しかも2シーズン目。手袋はよく無くすので高いものは買わないと決め、100均でいいやと思っていたらこういう物に限って無くさない。今シーズンで捨てようと思っていたのですが、手袋の片方だけが無いという状態は、もう片方の手袋が寂しい思いをするのではないか(しない)、捨てるときは両方一緒に捨ててあげたいとか(どうでもいい)、どうも感情移入してしまい、探すことにしました。
ところが道に迷っていたので、どこをどう通ったのかわからず、とりあえず迷った時に目についたファミレスの看板名をGoogle mapに入力し、そこを目的地としました。なんとなく「あ~、ガストがあるな~」と心に刻んでいたのです。
そしてあの迷った道にやってきました。どこで落としたかわからない手袋の片方を探す(しかも100均の!)という、ナニやってんだかという気持ちですが、ここで見捨てて後から雨に濡れている片方の手袋のことを思うと、きっと後悔するな~、やるだけやったんだからという証拠だけ残したくての手袋探しです。
あるわけがないと思いながら、それでも歩道を目で探していくと、
「あったーーーーー!!!!」
ガードレールの脇にちょんと、落ち葉にまぎれながら、手袋が落ちていました。もう片方の手袋と同じ模様(当たり前だ)の、2シーズン使った100均の手袋。
「ありえない!奇跡だ!」と思いながら手袋を拾い上げ、ペアにしました。「よかったねー、相棒が帰ってきたよ~」と手袋をはめ、小躍りしたい気持ちで帰路につきました。
冬はあちこちに片方の手袋が落ちていて、それは持ち主が「あー、落としちゃったー」「失くしちゃったー」という、軽い気持ちで諦めている方が断然多いとは思いますが、私はどうも自分の物だったものが自分の手から離れていくことに寂しさがあるのです。なので海外旅行に行くときに「捨ててもいいような物を持って行って、向こうで使って捨ててくる」ということがどうしてもできません。お弁当に入っている魚の形の醤油入れさえ、海外では「同胞」。
「みずしま~!一緒に 日本に 帰ろ~~!!」(←ビルマの竪琴)
と言いながら日本に持ち帰って捨てるという、わけがわからない構造です。
いつも気にも留めずに自分のそばにあって、でも無くなると無性に愛おしい。しかも自分が注意深くしていれば避けられた事故なのに、全部自分の不注意のせいで失ってしまったという自責感。
失くしものは本当に探す時間の無駄です。ちなみに冒頭に書いたふたつの物は出てきました。一つは出先に電話したら「ありますよ~」との返答があり、もう一つは何度も探したはずのバッグのポケットに入っていました。
探し物は何ですか 見つけにくいものですか かばんの中も机の中も 探したけれどみつからないのに まだまだ探す気ですか ~中略~ 探すのをやめたとき 見つかることもよくある話で (by 井上陽水 「夢の中へ」)
いつもこの歌が頭をぐるぐるしています。