暗黒街のふたり

森さんの「女が会議に出ると長くなる」発言は撤回しても、与党議員から退陣の話が出なくても外圧が許さず、結局辞任するみたいですね。

私は森さんという方はもともとそういう人だと思っていましたから、発言にそう驚きませんが、ともかく80歳を過ぎて、長く議員をやっているのに、まだ言っていい場所(ステーキ屋やふぐ料理屋)と言ってはいけない場所がわからないという、こちらの方をどうにかして欲しいと思います。

それよりもオリンピックのボランティアをすることになっている私は、森さんよりも二階堂さんの方の発言の方が頭に来ました。

”「どうしてもおやめになりたい」場合は追加で募集をかけざるを得ない”とは、政治家の言葉での発言ですが、これを訳すと「辞めたければ辞めれば?どうせやりたい奴はいくらでもいるし」ということです。

ま、政治家とか役人とかはボランティアをその程度にしか思っていないということですよ。補充なんかいくらでもきくと。

私がボランティアを希望したのは、生涯でオリンピックが2回ある(あった)。その1回は開催地に住んでいるという奇跡。これを受け止めねばなるまいよと思ったからです。

日本国に住んでいる人でボランティアをしたい人は大勢いますが、何しろ10日間東京にいなければならない。ここでほとんどが脱落する。そして仕事をしている人が10日間休んで任務につかなければならない。ここで更に脱落する。

この2点をクリアした人たちは、申請書を送り、面談をし、代々木のオリンピックセンターで研修を1回受けなければならないのです。私も受けましたが、結構日本各地から集まっていました。面談や研修のために交通費や宿泊費を使って、東京に来ている方が大勢いたのです。

その申請書で少しでも有利にするために、語学学校に通ったり、スポーツボランティアをしていた人も大勢いました。オリンピックにはスポンサー企業も参加する。人脈もできるだろう。何か次の人生のきっかけになるのではと、仕事を辞めた人もいます。

その熱意や努力を「やりたい奴らは他にもいるから」とは何事か。勝手にお前らが応募したんだろって言うんだろうか。当初人が集まらなくて、募集団が全国行脚してやっと集めたのではなかったか。この人たちの苦労や努力をブチ壊してどうするのだろうか。

代々木スポーツセンターの研修では、多様性や障がい者の方についてどう考えるかという、とても考えさせられる良い映画を見ました。森さん、あの映画を見たのだろうか。

私は今のところ静観です。だって、オリパラそのものがやるんだかやらないんだかわからないんだもの。今のところ「無理でしょ」の声が大きいですね。ユニフォームのサイズ合わせも終わっていたから残念だけど、人間生きていると予想外のことが起きるものですよ。

それより、選手の方たちは一生をこれにかけていたでしょうから、そちらの方を気遣って欲しかったなぁ。森さん、二階堂さんに考えて欲しいなぁ。

ふたりの写真が並んでいると「暗黒街のふたり」という映画のポスターに見えてきました。政治の世界って、暗黒街みたいだし。

ありがとう、松屋

昨日PayPayがキャンペーンをしている吉野家からテイクアウトしようとしてお店行ったら、なんと閉店。すでに店の中はがらんどうで看板もない。毎日前を通っていたのに気づかなかった私もどうかしてる。

ショック。年に1回入るか入らないかという程度の吉野家だったので、生活に不便になることはないのですが、何となくファストフード=吉野家という感じだったので、コロナ不況もここまできたかの思いがあります。

そうなると、松屋は。。

子どもと一緒に初めて東京に来てから12年が経ちます。故郷から夜行バスでやってきて、電車を降りたのはまだ午前7時前。雨が降っていました。

寒いし、手配した部屋には食べ物はないし、暖房器具が到着するにはあと数時間かかるし、何よりお腹がすいたので、手っ取り早く駅前にあった松屋に入りました。故郷には松屋はないので、子どもにとっても私にとっても初松屋。

私は朝定食、子どもは大盛牛めしを注文して、カウンターしかない席に座っていました。やってきたあつ~いお味噌汁を一口すすると、それが腹わたにしみわたり、長旅の疲れがほどけていきました。

1月の末になると、いつもあの時のことを思い出します。駅前の松屋へはその後入る機会がほとんどなく、いつぞや牛筋カレーが美味しいという評判を聞き、1回入ったかなという程度です。

バーミヤンが閉店し、吉野家が無くなり、もしかしてこの松屋も無くなってしまうのかなと思ったら、いてもたってもいられなくなり、思わずテイクアウトで買ってしまいました。

あの冷たい雨の朝、遠くからふたりしてやってきた私たちを、暖かい味噌汁で迎えてくれた松屋。

できることならこのままずっとそこにあって欲しい。

週末にはあれ以来初めてになる朝定食を食べに行ってみようと思っています。

めんどくさい「三顧の礼」

こちらの続きです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/ffed202edbdc84ee8d13806f44d5f298f78e7c52

”釈明会見では辞任を否定したが、それは周囲から引き留められての判断だったという。毎日新聞によると、森会長は「元々、会長職に未練はなく、いったんは辞任する腹を決めたが、(組織委の)武藤敏郎事務総長らの強い説得で思いとどまった」と経緯を明かしている。”

周りから説得されて、本当は辞めるつもりだったけど、思いとどまったという、ホントかなぁ。

こういう人たちはやる気満々なのに「本当は嫌だけれど周りが押すから渋々」というポーズを取りたがります。この面倒くさい儀式をしないと腰を上げません、いや、上げてくれなくていいんだけど、あなたの代わりはいくらでもいるんだけど、どっちかというとやめて欲しいんだけど、と思いながら、「どうかお願いします」と言わないと、ヘソを曲げて後からガタガタ騒ぎまくって、裏で工作なんかして会をめちゃめちゃにするし、めんどくさくなるからしかたなく三顧の礼のまねごとをすることになる。

元義父がこれでした。「おじいちゃん、今日は外にご飯を食べに行こう」と誘っても、「俺はいい、お前たちだけで行ってこい」と言う。外食をするというのは、元義母の負担を減らそう(私の負担もだ)という目論見があるから誘っていることで、元義父が行かなければ元義母も行けない(元義父なんか来なくたっていい)。

そこで、孫たちを使って「おじーちゃん、いこーよ、いこーよ」「ああああ、俺は行かなくていい!」「そんなこと言わないでいこーよ」「ああああ、お前たちだけで行ってこい」「おじーちゃんが行かないとつまんない」「いい、いい、お前らだけで行け」

これを3回ほど繰り返すと、渋々外出着に着替えて来ます。ある時、なぜがものすごく派手なアロハシャツを着てきたことがあり、その時一緒にいた義姉が「あれ着てくの?どっから買ってきたんだろう、あのシャツ」と固まってしまったことがありました。

#おおかた店の若い娘に「すごくお似合いですよ」とでも言われて、売れ残りを押し付けられたんだろうw

ある日ある時、この儀式にうんざりしていた私が、いつものとおり元義父が「俺は行かない」と言い出したので、「じゃ、おじいちゃんはお留守番だね。おばあちゃん行こ、行こ」と強引に元義母の手をとって連れて行きました。「え?え?」と私に手を引っ張られながら後ろを振り返る元義母でしたが、彼女も毎度のこの儀式に辟易していたと思われ、付いてきました。

取り残された元義父、ぼーぜん。

すると元夫が、「何してんだ、ほら、行くぞ」とナイスフォロー。元夫はマザコンなので、義母のためにはやるんだよ。

渋々むっつりとした表情で付いてくる義父。

そして以後、元義父は「俺は行かない」という儀式はしなくなりました。

私は元夫には逆らえないけど、元義父には強い。元義父は私の機嫌を損ねると最愛の孫に会わせてもらえないと思っていたらしいのと、年をとると介護という問題も出てくるので、私には弱かったのです。人間、弱みがあると何も言えなくなるのですね。これ、モラハラの構図と同じ。

さて、森さんですが、「今の座に未練はない」と仰っているそうですが、実際困難が予想されるオリパラですから、私だったらこれ幸いと辞任しますが、どうも政治家というのはそういうものではないらしい。菅総理大臣だって、去年9月、コロナでわやわやの時期に総理大臣に就任しましたからね。あの方たちの感覚というのは我々一般人とは相当かけ離れているようです。

メンタルが強いのか、鈍感なのか、それはわかりませんが。

森さんは別格

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の発した「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」発言が波紋を広げています。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6384193

どうやら女はひとり発言すると対抗意識を燃やして「私が私が」と言い出すので、会が長くなると言いたかったらしい。これは大いに反論したい。男だって「俺が俺が」と、とにかく会合で何か発言したい、自分の存在を出したいと、どうでもいい話を持ち出して会を長くする人がいるので、私は「はー、めんどくさい」と思っているところです。

森さんの中に「女のくせに理事会なんてところに席を置くだけでもけしからんのに、発言までするとは面白くない」というものがあるのでしょうね。

私が呆れてしまうのは、この発言をして、世界中から非難を浴びていても、それがどういうことなのかまったくわからないという、無知と鈍感さです。たぶんこの周辺の方たちがふぐ料理屋やステーキ屋のいつも会食の中でいつものように話しているのを公に話しただけなので、「みんなそう言っている。何が問題なのか」と思っているだけなのでしょう。

森さんは今までも問題発言が多かった方です。それを何度も繰り返す。誰も諫めようとも進言しようともしないイエスマンに囲まれる、裸の王様状態。

あそこまで偉くなったら、本音と建て前を使い分ける技量くらい持てよと思う。ただ、建前で女性を尊重しているポーズを取りながら、実はバリアンチフェミという人は多いので、それに比べれば二面性が無く、わかりやすくていいなぁという気もします。

森さんについて知人から聞いたことがあります。政治家と接点がある、とある団体で働いていたことのある知人がある日声をひそめて、「政治家には沢山会ったけど、森さんは別格だった。誰もあの人に逆らえない。あの人の前に出るとどんな人でも小さくなる。あんなヨボヨボのじいさんだけど、今でもあの人の力はものすごいものがある」

今回も、これだけの騒ぎになっているのに閣僚の中からは辞任せよの声は出ていないとのこと。

https://mainichi.jp/articles/20210205/k00/00m/010/074000c

知人の話がぴったりと合う。

森さんはとっても怖い人らしい。

三世代同居の秘策

東京に来て周りを見渡しても、相談に来られる方の話を伺っても、三世代同居の方はあまりいらっしゃいません。同居の場合も都会での三世代同居はほとん1階と2階で分けていたり、玄関から別だったりする2世帯住宅です。地方にあるように、水回りもすべて一緒、完全同居の形はあまり見受けません。

私は結婚するときに「親と同居」を求められました。その頃、同僚も友人たちも同居する人が多かったので、それを何とも思わずに受け入れましたが、変人の義父から「お前ら親を利用しようと思っているのか」と断られたので、むしろそのお断りをありがたくいただきました。

相談員をしていたしていた時に、義両親との付き合い方のお話をとても少ない数ですが伺いました。とにかくすべてに過干渉であると。それでも遠距離の場合は離れている分深刻度は高くありませんが、近場にいるとそういうわけにもいきません。

仕事をしているといつもは保育園なのでいいけれど、子どもが病気をした時などは頼らざるを得ない、だから決定的に決別するわけにもいかない。そして義理とはいえ夫の両親なのだから大切にしなければいけないという思いもある。

私はこういうお悩みのお話には私の郷里の話をします。

私が元働いていた職場は、女性が結婚しても子どもが生まれても離職することがない所でした。そしてんな結婚すると多くは三世代同居をしました。共働きで夫婦収入を合わせると、かなりの額の保育料がかかります。2人、3人子どもがいると「保育料のために働いているようだ」と同居していない人たちはため息をつきます。

それが同居だと必要ないし、子どもが病気で幼稚園を休むなどの時にも即座に対応できます。なにより義両親が「かあさんは稼いで金とってこい。子どもは見てやる」と言ってくれるので、お言葉に甘えてそのようにしています。

それゆえ三世代同居の同僚たちは時間を気にせずゆったりと仕事をし、時にはしなくてもいい事や効率を全く考えない仕事をして残業代を稼いでいました。「早く帰るとご飯の支度を手伝わなきゃいけないからさ」と、ランチの時には言っていました。

とは言え、やっぱり文化や時代が違う義両親との生活は苦痛の方が多く、下の子どもが小学校に入るやいなや、まず妻が家を出て、夫がそれを追いかけて出るということが始まります。そして少しの間アパート暮らしをして、次に家を建てる。夫は本宅と愛人宅を行き来するように妻がいる家と実家とを往復します。たぶん実家の親に不満やイヤミを言われながら。

これが多く家で行われるので、私も何とも思っていませんでした。子どもが大きくなったら同居は解消するのがごくごく普通だったのです。

#よもや介護を放棄して家を出るとは思っていなかった義両親の憤りやいかに

もちろん義両親と仲良く暮らしてずっと住み続ける人も、少数ながらいましたが。だから私の元義父が「親を利用しようとして」というのも、あながち誤解だというわけでもなく、おそらく元義父は知り合いの家がその状態なのを知って同居を断ったのかもしれません。

「私の故郷では『子どもが小さい時は面倒をみてもらう。その後は疎遠になる』が普通なのよ」と相談者の方にお伝えすると、「へー、そうなんですか」と仰り、かなり罪悪感が軽減されるようでした。

今私は孫がいてもいい年ごろになり、もし子どもが子育ての助けを求めてきたら、喜んで受けると思います。もちろん介護目当てではありません。あのぷくぷくとして手に触って、柔らかな体を抱くことができたら、それは本当にありがたいだけです。(毎日24時間は困るけど。たまに数時間ならというわがままな夢)

私の体が動かなくなった時のことは、もう考えてあるので、当然一緒に住んでもらっての介護はありえません。私だって母を施設に入居させているのだから。母が変なのは、自分は義両親も実親と同居したことも通って介護したこともなく、きょうだいの配偶者におまかせだったのに、なぜか自分は子どもの家族と同居して介護してもらえると思い込んでいたことです。不思議やね。。

子どもと同居すれば当然老後は安泰と思っていた世代の方は、厳しい世の中になったと思って、自衛していただきましょう。

何でも時代を先読みするのが大事ヨ。

更年期さまざま

私の周りで更年期の悩みを聞くことが多いです。その症状は様々で、ひどい人になると仕事を辞めなくてはならなくなった方もいました。

更年期障害は閉経前後10年で現れるものですが、実は私はこの障害がまったくありませんでした。ちなみに子どもの反抗期を体験したことのない方は、子育ての辛さの何パーセントかを味わうことなく過ごした幸せな方だと思います。私は更年期障害がない幸せな人です。

反抗期のなかった子どもは後から反動が来るとか、それ自体が問題だという人もいますが、私の周りに限って言えば、反抗期なく育っても、何ら問題なく人生を送っている人も結構います。

私は反抗期がなかった人というのは、親からの抑圧がものすごくて反抗できなかったか、反抗する理由がなかったからではないかと思っています。親子関係がものすごくうまくいっていて、意思の疎通もスムーズ、親からの無理な抑圧もない場合は、反抗する理由がない。

「それっぽいものはあったけど、1週間くらいだったかな」という人もいました。

さて最初の更年期障害ですが、私はまったくその症状がなかったので、苦しい更年期障害を経験しておらず、何も言えません。「まったくないんだよねー」と同僚に言ったら「貧乏に更年期なしって言うよ」と言われました。

#うう、当たりすぎていて何も返せない

#生活するのに夢中で、自分の体に変化を気にすることもできなかったかもしれない。

ともかくとても生活に大変だった頃と更年期の時期がぴったり重なったので、この言い伝えはありかなと思っています。

今更年期でモラハラ渦中にある方は、とにかく自分の体優先にして(難しいかもしれませんが)、専門病院に行くなどしてくださいね。

石のスープ

小学生の頃読んだ童話で好きだったのが「石のスープ」(大体私が好きなのは食べ物が出てくるお話)。

外国の、とある村に戦争に行った兵士たちが通りかかりました。村人たちは兵士に食べ物を取られては大変と、食料を全部隠してしまいました。兵士から「何か食べるものはないだろうか」と聞かれた村人は「全然何もありません」と答えました。

村に何も食べ物がないのはおかしいと思った兵士は一計を案じました。

「私はとびきり美味しいスープができる石を持っている。ここで作るので鍋と水を貸してほしい」

村人は訝しがりながらも鍋と水を出します。兵士たちは鍋に石と水を入れて煮始めました。

「これにほんのちょっぴり塩を入れたら世界で一番美味しいスープができるんだがな」

世界で一番美味しいスープとはどんなものだろうかと興味津々で村人は塩を出します。

こんな感じで次に小麦、野菜、次に肉、最後にミルクを村人から出させてスープは完成します。できあがったスープを兵士は村人にも分けて、みんなで一緒にとびきり美味しい石のスープを食べました。食べ終わると兵士は石を村人に渡し、去っていきました。

   ちゃんちゃん♪

この童話のステキなところは、兵士が腕づくで食べ物を奪おうとしないこと、できたスープを村人に分けて一緒に食べること、更に石を置いて去ることです。まさに「北風と太陽」。こんな物語を子どもが小さな頃に語って聞かせたら、知恵で物事を解決するように成長する一助になりそうです。

誰かが「スープは貧者の食べ物だ」と書いていました。貧しい暮らしをしていると、炭水化物(パンや穀類)と塩の入った汁物が唯一の食事になります。汁が塩辛いほど炭水化物を多くとれてお腹がふくらむ。絵画にも実のないスープとパンを前にした家族が、食事の前に祈りを捧げているものがよくあります。

でも、寒さが増す頃になると、私は「今日は何のスープにしようか」とわくわくします。スープの中には鍋物も入ります。体に暖かいものを入れると内臓は元気よく動き出し、よって体調も良くなり、元気になります。

とにかく内臓を活発にしたいので、朝起きがけは胃をどんと下げて、大腸に刺激を与えるために水を1杯ぐいっと飲む。朝ウォーキングの後はホット豆乳とか、ホット青汁とか、何か体を温めるのものを飲みます。朝は味噌汁だったり、クノールスープだったり。朝飲まない時は昼にいただきます。

朝昼何もスープが無ければ、夜はシチューやオニオングラタンスープや鍋物。

今でも童話にあった村人たちを唸らせるほどの「石のスープ」はどんな味だったのだろうか、この素材だけでそれができるとは、一級の調理人がいたに違いないと思っています。

雪だ、雪だ♪

東京に雪が降りました。ぼたぼたと、地面についたとたん解けてしまういわゆる「ぼたん雪」。温度が高い時に降る雪だから、積りはしないだろうなぁ。地面が白い景色をシーズン1回は見たいから、ちょっとだけ積もって欲しい。

12月、1月と、カレンダーは冬なのに、東京はずっと晴天で、時にはコートもいらないくらい気温が上がっていました。

もう雪は沢山!の地方の方には申し訳ありませんが、東京で雪だるまが作れるほどの雪が降ってからもう何年も経っていて、雪を見たい見たい病。

通りがかりの小学校の校庭では、子どもたちが歓声をあげて上を見上げて走り回っていました。雪が降ると喜ぶのは子どもと犬と管理人。

ちなみに雪国では除雪費用は「お金を使うだけでなんにもならない予算」とされています。何か建造物ができるわけでもない、春になれば消えてしまうものを、膨大なお金をかけて寄せたり捨てたりするから。と言って寄せないわけにもいかないしなぁと、雪国では毎度の会話。

明日までにはやむそうなので、今晩は暖かい飲み物を用意して、いっときだけ雪国気分に浸ろうか。

不機嫌の椅子 2

こちらの続きです。
林真理子さんが「不機嫌の椅子」というタイトルのエッセイをお書きになっているということで、読んでみました。「ベストエッセイ2008」という」エッセイ集に入っています。

夫はいつも「不機嫌の椅子」を独り占めしていると書かれている作品の中に、気になる文章がふたつありました。

冒頭、結婚願望があった林さんはよく私と結婚してくれたと夫に対する感謝の言葉を綴っていますが、その後に続きます。

”やがてあなたがえばり出したのは、いったいいつ頃だったでしょうか。確か二年目ぐらいだと記憶しています。私という女が、実は、言われているほど傲慢でも個性的でもなく、古風な結婚観の持ち主だということに気づいたからに違いありません”

ずっと前に林さんが「ユーミンと一緒に、離婚はしないと話した」とどこかで書かれたか、インタビューで答えられたかしたと記憶しています。ユーミンも林真理子さんも時代の先端で旗を振っているように見えて、結婚観は古風なようです。ただ、夫がえばり出したのが2年後というのはずいぶん時間がかかったなという感じ。モラハラ加害者ならば、一瞬で見抜きますから。

見抜いてから本性を出すまでに爪を隠しておくというのはやりますが、それにしても結婚してから2年は長い。

林さんが古風な結婚観を持っていることに気づいた夫は「不機嫌の椅子」を独り占めするようになった。こいつは絶対に自分から離れないとわかったら、家の中でブンブンと不機嫌を隠さずにふるまうようになった。

”「帰りが遅い」「うちが散らかっている」「お袋の誕生日を忘れた」という小言もさることながら、私が驚いたのはあなたの”不機嫌”の持続力です。商いの家に育った私は、イヤなことがあっても、喧嘩をしても、次の朝にはニコニコと食卓につくことを躾けられました。ところがあなたは何日も口をきかない。一週間、あるいは十日もです”

そして”私はとにかくあなたがその椅子に座らないよう、気を遣ったり、先回りしたりの十六年だったような気がします”と続きます。

もうモラハラ被害者ならばわかるわかると首をブンブンと縦に振りそうな文章です。さすがエッセイの名手、林真理子さんならではの簡潔明瞭な表現です。

そして最後に”私は結婚当初の負い目がまだあるのでしょうか”で締めくくられています。

結婚前、世の中で”ブスで売れ残りで結婚願望を売り物にしている女”というレッテルだった林さんと結婚しようという男性が現われた。そのことだけでも感謝すべきだよと周りから言われ、ご本人もそう思ったでしょう。

実はモラハラ被害者にはバツイチや夫よりも年がすごく上という方が目につきます。これはもう結婚当初から「こんな私なのによくもらってくれた」という「負い目」が最初からあり、モラ夫はそこに付け込んでくるのです。

また、そのような負い目が本当はないのに、「こんな私なのに」を自分で作ってしまう方もいます。一言で言ってしまえば「自己肯定感が低い」ということになるのでしょう。ただ、これは裏を返せば、尊大にならず、自分をわきまえるという美徳のはずなのですが、これを逆手に取られてしまうのです。

大体「私みたいないい女と結婚出来てありがたく思え」という女性がいたら、やなやつだと思いませんか?ところがこういうのに引っ付く自己評価が低い男性がいるのも事実。まさに割れ鍋に綴じ蓋。

ともかく「私みたいな女と結婚してくださって」という古風で奥ゆかしい美徳を持った林真理子さんは、不機嫌の椅子を独り占めする夫と今も結婚生活を続けているようですが、これで作家としてはむしろ深みが増したのではないかと思うのです。

これが優しくてなんでもはいはいの夫ならば、こういった苦労も世の中にあるのだということは表面的には理解できても、ひとつ屋根の下に暮らし、夕餉を囲み、傍からは仲のいい夫婦に見える妻の心の奥底に「いつ、この夫を誰にもわからないようにどうやって殺してやろうか」という感情が潜むということは、本当のところで理解できなかったかもしれません。

被害者には、なってみないとそのすべてはわからないものだと思います。

電話相談始まりました

予告をしていました電話相談のスケジュールをアップしました。

https://morahara.cocoon.jp/denwasoudan.html

お選びいただく時間が少ないので申し訳ありません。もしこの時間以外でご希望がありましたらご相談下さい。できるだけ対応させていただきます。土日祝、夜間もOKです。

この相談から避難を実行されたり、実行までの準備を整えられたり、まだ決心のつかない方、これはモラハラなのだろうかと不安な方、また、モラハラ以外にも毒親との関係や生き方など、モラハラ被害者同盟を18年間行ってきた管理人が、お話を伺わせていただきます。

コロナ禍でちょっと気持ちをお休みしたい、不安ばかりがあるなどの漠然としたお悩みがある方にほっこりしていただけるよう対応させていただきます。

お待ちしております。

次回は4月頃に行う予定です。