死ぬわけじゃない

私が何かアクシデントがあった時、確かにその瞬間は「こりゃー大変だ、どうしよう!」と思います。「どうしよう、どうしよう、どうしよう」と部屋の中をウロウロするときもあります。そういう時は取り合えず時間をおいてからじっくりと考えることにしています。

そうすると「こうしたらどうだろう」「こういうこともできるんじゃないか」とアイディアが出てきます。アイディアが出てくるとなんとなく解決の方向が見えてきます。そうしたら後はやるだけですが、どうしてもできないこともあります。そんな時に思うのは

#これで死ぬわけじゃない

大きな損害は被ったけれど、これで死ぬわけじゃない

いやいや、死んだ方がマシという人もいますけれど、じゃ、死にますかと言ったらそうは言わないでしょう、普通。死んだ方がマシというフレーズを出しているだけで、本当に死のうとは思っていないはず。死んだら楽かもしれませんが、大抵は何とか乗り越えるものです。

こんな時に役に立つのは経験則です。私の年になればいろいろな経験則があります。過去に起きた出来事が私を救ってくれる。だからいっぱいいろんなことをして、いっぱい失敗した方がいい。道に迷った時も、いつか同じ道を通るから「あの時はこちらに行って失敗したから、こちらはダメ。こっちにしよう」という考えが出ます。

私はウロウロと知らない道に行くのが好きですが、不思議なことに後からその道に出くわし、しかも時間がなくて急いでいるということがよくあります。でも、前にその道は行ったことがありますから、見覚えのある建物や看板を目印に目的地にたどり着くということが数限りなくありました。

この急いでいるときに私を助けるため、過去の私が迷ったのだと思います。時間のある時に迷っておけば、いざというときに過去の私が助けてくれる。

どんなことでも最後の出てくるのは「これで死ぬわけじゃない」。死ぬのはもう少し先でいい、って思います。

オリパラのカチューシャ

私がオリパラでボランティアをしていた時、練習場でロシアチームと接することがありました。練習場は本番の会場と違ってそれほどピリピリした感じでもなく、選手や関係者は気軽に声をかけてきたりしました。

ロシアの若い通訳の女性(他はどうか知りませんが、通訳さんはみんな英語でした)が、ボランティア数名とちょっと雑談めいた話を始めたとき、ふと私はロシア民謡の「カチューシャ」を口ずさみました。

後から考えたら、「一週間」でも「トロイカ」でも「ポーリュシカ・ポーレ」でもよかったのですが、その時はこれしか思い浮かばず、とりあえず彼女に親しみの意味で歌いかけました。当然日本語です。

「うんうん」と聞いていた彼女は少し離れたところにいた年配の男性(コーチかな?)を連れてきて、私の歌を聴くように言うと、男性も「うんうん」と言って一緒にカチューシャを歌い始めました。

どうやらカチューシャは、ロシアの若い人たちの間では「聞いたことはあるけど歌詞がわからない」という感じのようなのです。

#私たちの世代は教科書にもあったせいか、まず全員歌えるけどね

それは日本の若い人たちも同様で、やはりハミングはできるけど歌詞がわからないようで、楽しそうに手拍子はするけれど歌えないのです。

通訳の方に「私たちの世代は学校でこの歌を習ったから、全員歌える。もしこの会場に『コロブチカ』が流れたら、私たちは完璧に踊ることができる」と言いました。

通訳さんはこれほどロシアの曲が日本人に知られていることを知って驚き、大変喜んでいました。何しろ他の国のチームもいるので、あまり大げさにはできなかったのですが、ちょっとした国際交流になりました。

このカチューシャやコロブチカを今聞くと、あの選手たちや通訳さんは今どうしているのかとあの時の情景が思い出されて涙が出ます。そういえばウクライナの選手もいました。

たった半年前に「平和の祭典」があったばかりなのに今は戦禍にある。

本当に切ない思い出です。

幸せは腹八分目

私が離婚したとき、たくさんの人たちが応援してくれました。ただ、日が経つとちらっ、ほらっとそうでもない言葉やら出来事やらが出てきました。気にしてないけどね。

なぜそういう言葉や出来事が出てくるかというと、離婚しても我が家は安泰だったからです。シングルマザー、母子家庭ではありましたが、ボロにくるまってモヤシを食べている家庭ではなく、ごく普通の生活を維持していました。これは私がずっと仕事を続けていて、それなりの収入があったからです。

それが気にいらない、という人種がいるのです、悲しいことに。

離婚したら不幸そうにしていなきゃダメなのよ、贅沢なんかしちゃだめよ、やっかまれるわよとは友だちからも言われていました。だって、車を替えたのは壊れたからだし、外壁はもう寿命でボロボロだったから工事したし、するならちょっときれいな色にしたいじゃない、よね。

それが気にいらない。離婚した人は不幸で貧乏暮らしをしないと気に食わない。

だから気をつけてましたよ。実際働き手は私しかいないし、子どもはお金がかかる最盛期だったし、車は地方では必需品だから車式の古い軽自動車にしました。

プーチンスカヤ(母)もそうでした。娘が自分より幸せになると面白くない。といってものすごく不幸だとやはり心配。娘は少し不幸なのがちょうどいい。人の不幸は蜜の味と言いますが、そう思う人は今の自分の状態が満足ではないからです。だから自分よりお不幸な人を探しにいって溜飲を下ろす。

人の不幸を探しに行く人は、まず自分が幸福に思えるような考え方を身につけたらいい。本当はそこそこ幸福なのに、それに気づかないだけだったりします。腹八分目の幸せが一番いいところじゃないかなぁ。常に満腹は健康にもよくないように、常に幸せいっぱいもまずないし、そこから少しだけ悪いことがあったら落ち込んでしまう。

すごい幸せもないかわりにすごく不幸もないという暮らしが一番いいんだって、と言ったスピリチュアルな友人がいました。それなりな苦難があった身としては本当に平凡にあこがれますね。

電話相談&避難応援プロジェクト追加募集

3月分の電話相談の受付を開始しました。今回は3月18日~28日の間に行います。
詳しくはこちらからどうぞ。21時までのご相談を受けています。

https://morahara.cocoon.jp/denwasoudan.html

いつもご電話相談を受けていて思うのですが、夫が家にいるとか、いつ帰ってくるかわからないなどの理由で車の中や公園からなど家の外からかけられている方がとても多く、状況の切迫感が伝わってきます。

モラハラあるあるなのですが、話をしている途中で「誰か来たので」と、ぷっつり切れたり、開始の時間に「なぜかいつもだったら仕事に出るのに、今日はまだいるんです」というメールをいただいたりします。

開始が遅れた場合は時間や日程をずらすなどして対応させていただいておりますので、安心してお申込みください。私もみなさんの生のお声にふれることができる貴重な機会で、毎回とても楽しみです。

また、「避難応援プロジェクト」も追加募集しております。今回個人面談を予約されていた方が日程をずらされましたので、個人面談枠も空いています。土曜日に経験豊富なDV相談員と弁護士を独り占めして相談できる貴重な機会です。

電話相談・避難応援プロジェクト、両方ともお申込みはこちらから
https://morahara.cocoon.jp/form.php

ありがたい無料相談

実家の相続のことで(プーチンスカヤ(母)はまだ死んでない)不動産の法的手続きについて知りたいことがあったので、区役所の無料登記相談に行きました。これは本来であれば法務局に行って尋ねればいいことなのですが、現在、法務局はコロナ対応のため、対面での相談を行っておらず、予約をとっての電話相談になります。

聞きたいことは「ここは手書きですか?印字でも大丈夫ですか?」みたいな簡単なことなのですが、電話に出る職員の方はまず「法務局のHPを見てください」から始まる。「見てもわからないので教えてください」と言うと「では予約を」となります。手探りの状況なので、疑問点が出たらすぐに聞きたいのですが、なにせ「予約を」と言われる。

予約を入れて相談すると「それは私の預かり知らないことです(←本当にこういう)」とそっけない。おそらく私の質問は税に関することで、法務局の管轄ではないのでしょう。でも、これがどちらの管轄なのかがわからないので聞くと「それは私の預かり知らないことです」を連発される。

そんなこんなの手続き作業もやっと終わりが見えて、集大成として作った書類の総点検をしていただこうと2週間後の区役所の登記相談に申し込みました。

予約の時間に書類を持って部屋に入ると、若い、スーツを着たきりっとした女性が座っていました。ふと、「あらー、私は相談員をしていたときにどうでもいい格好をしていたなー。ちゃんとした服を着るべきだったかも」とちょっと反省しました。やっぱり服装は大事。

書類を見せて「ここはこれで大丈夫ですか?」と確認を取りながら進めていくと、「ちょっと待ってください」と言って戸籍謄本を見て、「これ、全部じゃないですね。一部です」と言いました。相続登記には亡くなった父の全戸籍が必要なので、役所には「全部の戸籍を」と申請書に添付した手紙に書いたのですが、どうも全部ではないらしい。

「全部の戸籍とはお父さんが産まれてから死ぬまでの戸籍が必要です。産まれたときの戸籍がありません」

「へ?!」

ここで私は思い出ました。どうやら故郷には戻らず、東京で生涯暮らすことになりそうだから本籍を移そうかと思って戸籍係の方に相談したら「本籍はめったやたらに移すと後から追いかける時にすごく苦労するから、動かさない方がいい」と言われたのです。その「後から追うのに苦労するから」の意味はわからなかったのですが、言われた通り本籍は元居た住所に残したままでした。パスポートを取るときなど、戸籍謄本をいちいち郵送で取るのが面倒くさいのですが、元居た場所と縁を切りたくないというのもあり、残したままでした。

戸籍謄本は本籍がある場所のものしか取れず、本籍を動かすとその場所を管轄する役所に取り寄せ依頼をしなければならないのです。

つまりA県A市で生まれて、親が本籍を動かしてB県B市に行くと、A県A市とB県B市の両方に戸籍が分散してあるのです。B県B市の戸籍には「A県A市から転籍」が最初にありますから、A県A市にも取り寄せの申請が必要とわかります。

本人が生きてれば「最初はA市、次にB市、次にC市」と言ってもらえるので最初からそれぞれの役所に申請しますが、何しろ亡くなっているので、戸籍を取り寄せて産まれた発着点にたどり着くまで捜査をしなければなりません。プーチンスカヤに聞いても「結婚前のことなんか知らない」なので、地道に探索するしかありません。

おそらく父は産まれてから転籍を1度しかしていないと思われるので(まだ探索途中)、2市だけで済みそうですが、これが私の場合だと、もっと多くなります、というか女性は転籍が多くなりがちです。

1 産まれた場所 2 親が家を建てたのでそこに転籍 3 結婚して夫の実家の籍に移る ←これはたぶん今もあると思いますが、女性は結婚すると「相手の家に入る」という風習があり、夫の実家の戸籍に入ることが少なくないと思います。私もわけもわからずそうしていました。 4 家を建てたのでそこを本籍とする。モラハラも離婚もなければそこで終結だったと思いますが、私は離婚をして自分で戸籍を作っていますので(5)がありますが、同じ市内で作っていますので、取り寄せの時は1か所で済むのではないかと思います。

子どもが結婚をする時に戸籍を動かす話になった時にこの話をしました。「本籍はなるべく動かさない方がいいって役所の人が言ってた」と言うと息子は「じゃ、4↑の場所、つまり自分の本籍へ妻を異動させよう」と言ったのですが、そこで私とハナコさん(仮名)が反発。「じゃあんたがハナコさん(仮名)の本籍に移ればばいいじゃん。一緒じゃん」。

息子、不本意の表情。

#なんだよ、相手が自分の戸籍に入るのはいいけど、自分が相手の戸籍に異動するのは嫌なのか?

ハナコさん別の意味で反対。「戸籍を取るときにお義父さんに頼めばいいっていうけど、それは気兼する」

ハナコさんは「私が私が」というタイプではなく、夫の姓にするこを何の疑問もなく同意したくらい普通の女の子なのですが、始終会っている私ならいいけど、会ったこともない(その時は会っていなかった)夫の父親は煙たいよう。

結局話し合って、「ふたりが最初に住んだ街を本籍にする」ことで合意。

#よかったよかった、大団円

とまぁ長くなりましたが、戸籍は離婚するときにぶち当たる問題ですので、離婚を考えている方はよーーく調べて対応してくださいね。

ともかく今回は区の無料相談に行って大変貴重なアドバイスをいただけたので、ちゃんと税金を払っててよかったなの巻でした。これが司法書士さんの有料相談に行くと30分5千円ですからね。

区役所や市役所無料相談はいろいろ沢山あります。タダより安いものはありません。ぜひご利用くださいね!男女参画センターの無料相談もありますよーーー。モラハラ相談できますよーーー!!

「ひまわり」上映だそうです

こちらに書いたウクライナのひまわりの続きです。この戦禍でやはりウクライナと映画「ひまわり」を結ぶ方が多かったようで、複数の映画館で上映が決まったそうです。

”侵攻が続くウクライナに思いを馳せる名作「ひまわり」50周年HDレストア版、緊急公開! 収益の一部を寄付”

https://news.yahoo.co.jp/articles/f8c13c9b64763965659c30ce6790d2e9d6c5df8e

あらら、東京での上映予定はないんですね。BS放送の録画は持っているけれど、やっぱりスクリーンで見たいかも。まだご覧になったことがない方はぜひ。私が講座でお世話になった福岡の「アミカス」でも上映されますね。福岡の方、ぜひぜひ!

プーチンスカヤの祈り

タイトルの「プーチンスカヤ」とは母の新しいニックネームです。まさにぴったりなので私が命名しました。もっともうちのプーチンスカヤの全盛期は過ぎ、もはや力は無くなりました。息子や娘に攻撃をしかければ、向こうから縁切りを言われそうなので、彼女の攻撃方法はひたすら哀れな年寄りを訴えることです。

たまたまニュースを見ていたら、家族がウクライナにいる方たちが日本の教会で祈りを捧げているシーンがありました。「お父さん、みんな祈ってるよ」と電話で伝えると、ウクライナからは「祈りはいいから金を送ってくれ」と返事が。

緊迫の中で祈りを捧げるシーンに「祈りよりも金」という、何とも現実的なセリフで思ったのは、母はいつも「私はいつもお前たちのことを祈っているよ。朝昼晩と神様、仏様、死んだお父さんにどうか頼むとお願いしているんだよ」という言葉です。

「あ、そ。祈るのはタダだからね。どうぞ祈って祈って」とある日言ったら、ふて腐ることふて腐ること。

「お父さんの遺産は全部私のものだから」と全額自分の口座に移すように指示した彼女。お金に関わることは気が狂ったようになる人です。

昔仕事場で寄付集めをした時、同僚たちは実家に頼みに行くというので、そうかと私も行ってみました。「これこれで寄付を集めてるんだけど」と父に言うと「千円でいいのか?」と言って父がズボンのポケットから財布を出そうとすると母が飛び込んできて、「お前は年金生活者に金をせびる気か!」「お父さん、いいから、出さなくていいから」と言って押しとどめました。

確かに年金生活者ですが、「うちは他の家よりずっと年金が多いから、額を言えないんだよ」と自慢そうにしていた母。あちこち旅行に行き、お取り寄せグルメを買っていました。その人が娘が千円の寄付を頼むと「金をせびる気か!」と怒鳴りつける。その剣幕のものすごさに、すごすごと財布をまたポケットに戻した父。

母の観念としては子どもが大きくなったら親に仕送りをするもの、親へ小遣いを渡すものということになっています。それなのにまったくお金を渡そうとしない子どもが、さらに金をせびりに来るとは何事か!ということなのでしょう。

今はめっきり大人しくはなりましたが、お金に関することになるときりっとします。

そうなんだと思う。ウクライナも「祈るよりも金をくれ」なんだと思う。うちのプーチンスカヤは今日もウクライナに平和をと祈っているのでしょう。支援金は。。出さないだろうな。

ウクライナへの寄付はどこへ

毎日ウクライナの戦禍のニュースで1日が開け、終わる日々です。本当に心が痛い。ニュースは片方ばかりでなく、相手側の言い分も聞くべきとは思うのですが、実際の映像とプーチンの話は乖離が激しすぎて、LINE会話も「誰か暗殺して」ばかりです。

まるでモラハラッサーが家の中で堂々と嘘八百を家の中でまき散らしていることを、世界中に向けて発信しているようです。「そんなこと言わなかったじゃない」「私がやったんじゃない」「子どもの学費は出してほしい」と言っても「俺は言っていない」「お前がやったんだろう」「学費?自分で出せ」と力づくて事実を捻じ曲げてしまう。

これが家庭と違うところは家の中でふたりでしている会話ではなく、世界中に向けて発信していることです。まさに公開ハラスメント演説。

今自分にできることは何かと思うと、ウクライナへ寄付することかなと思うのですが、東日本大震災の寄付がわけのわからないものに使われていたものがあるという報道を見て、非常に憤りを感じました。あの時、沢山の支援団体が寄付を受け取りましたが、団体でおそろいのブレザーを買ったというものもあったとか。こんなことに寄付したお金を使ってほしくありません。

それ以来寄付は

◎知っている人が集めている
◎使い道がはっきりしている

ことに寄付することにしています。誰がどの目的で使うのかわかった方が、自分の送ったお金が具体化されるのを見る喜びもあります。今回の寄付は医薬品や食料を送ってくれるようなところに出そうと思っています。

↑の写真はセルビアのベオグラードで私が撮った写真です。こんな風に今もベオグラード市内を「日本からの寄付です」と書いたバスが走っています。

それにしても昨日の北京パラリンピックの開会式。選手入場をちらっと見て、最後の方に花火があがっているのを見たら、空爆とシンクロしてものすごく嫌な気持ちになったのでテレビを消しました。東京パラリンピックはとても感動したので楽しみにしていたのですが、どこかで殺されている人たちが沢山いるときの平和の祭典は、見たい気持ちになりません。

70歳を過ぎても働くことーお菓子工場の火災

”2月11日の深夜に新潟県村上市にある主にせんべいなどを作っている工場から出火し、5人が死亡しました。”

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220212/k10013480181000.html

”死亡した5人のうち、身元のわかっている60代から70代の4人の女性はアルバイトの従業員で、工場で清掃作業を担当し、夜、出勤して翌朝まで働く夜勤だったということです。”

”死亡した5人のうち、身元のわかっている60代から70代の4人の女性はアルバイトの従業員で、工場で清掃作業を担当し、夜、出勤して翌朝まで働く深夜勤だったということです。”

死亡した方たちは71歳、68歳 70歳、73歳、といった70歳前後の方たちです。この方たちの他に、きっとこの深夜勤務をしていたのはこういった高齢女性だったのではないかと思います。

地方にはこういった工場があまりなく、働く場も少ないため、貴重な働く場所だったのだろうと思います。私が地方で暮らしていた時も、夜に仕事の終わった事務所の掃除のアルバイトをしているママ友がいました。「コンビニのお弁当を作る深夜バイトは時給がいい。あそこのばあさんはそれで家を建てたそうだ」という話を聞いたことがあります。

今の70代は昔と違って背もピンとして、体力もあり、まだまだ家に引きこもるのは早い方々がいますから、少ない年金を補おうと働く方が少なくありません。でも、やっぱりこの深夜勤務は体に堪えるのではないかと思います。

雪深い新潟県ですから、この女性の方たちは「とーさん(嫁さんに、孫から、息子から)に(車で)送ってもらって」通っている方だったのではないか、そのご家族の方々は今どんなに嘆かれていることでしょう。

この会社は何度も火災を出していると報道されています。

”三幸製菓の工場では過去にも火災が起きています。平成18年には新潟市北区の新崎工場で菓子の製造ラインにあるベルトコンベアから出火し、従業員3人が煙を吸って軽いけがをしました。また、新崎工場では3年前にも製造ラインから出火しましたが、このときはけが人はいませんでした。”

”製品を焼く網目があって、そこにカスか何かが落ちて、火がついたような話だった”

たぶん、働く場の少ない地方では大切な工場だと思います。それゆえ、早く再稼働をと思っている授業員の方がいるのではないかと思いますが、これをうやむやにしてしまってはまた同じような事故が起こるのではないかと思います。

https://news.yahoo.co.jp/articles/98eff528df7a7414d5c48661083ef16edc45484d
6人死亡 三幸製菓は「火災事故の常習犯」従業員の告発

それにしても70歳を過ぎても深夜勤務をしている人がいる。それは地方も都会も同じです。道路工事で通行整理をしているのはほとんど高齢者です。少ない年金では暮らせないのか、孫にあげる小遣いを稼いでいるのか、子どもたちの収入が少ないから孫の教育費を一緒に稼いでいるのか、その理由は人それぞれですし、働きたいけれど日中の仕事がないから深夜勤務で働く方もいるでしょう。でも、70歳を過ぎての深夜勤務。

この火災はいろいろな問題があるのではないかと思っています。


物は捨てずに残しましょう

断捨離がブームになり、コロナで自宅にいることが増え、スッキリと物のない空間に暮らすことがトレンドになってきました。私の母はその先取りのような人で、超がつく潔癖症のこともあり、いつも私の実家に来る人たちの第一声は「きれいな家ですね~」でした。廊下も舐めたようにピカピカで、チリひとつ埃ひとつありません。

ならばその子である私も同様かと言えば全然そうではなく、来客がある時にはとりあえず押し入れに目障りなものを突っ込んでおく派です。そういう娘ですので、母の口癖は「お前はだらしない」。常に「だらしない、だらしない」と言われ続けた子ども時代でした。確かに物は無くすわ、忘れるわ、どうも片づけは苦手で、こんまりさんとは真逆の性格です。

その片付けられない一番の理由は、なかなか物を捨てられないことですが、こんまりさんの「胸に抱いて『今までありがとう』と言ってから捨てる」」ことをしてからかなり片づけが進みました。そして年も取り「私が死んだらどうせ全部捨てられるのだ」と思うことで、捨てられるようにはなりました。

でも、捨てられないことで命拾いしたことも何度もあります。「家庭モラルハラスメント」に書きましたが、調停委員から「家の土地は旦那さんが自分で全額を出したと言っていますから、あなたに権利はないですよ」と言われ、何度も「私も出しました」と言ったのですがまったく元夫の言葉を信じ込み、私の言うことを聞いてくれません。

さらに「あなたも出したというならば、その証拠を出しなさい」と言われました。夫には出しなさいと言わずに私には出せという。私は資金を出しているのだから、夫は証拠を出せるわけがない。夫の言うことは全部正しいと頭から信じている調停委員たち。男だからか、社会的地位が高いからか、見た目が誠実そうだからか。

#何が調停委員は中立だ

ただ、私にはこの時私が資金を出したという証拠を持っていましたので、動ずることはありませんでした。

はるか昔、家を建てることになり、登記は夫がしたのですが、送られてきた登記簿には私の名前がありませんでした。半分ずつの持ち分にすると約束したのに、勝手に自分だけのものにしてしまった元夫が許せなくて、郵便局からおろした払い出し票を取っておいたのです。その払い出しは夫がやったものでした。私は貯金通帳を取り上げられていたので、私は出せません。払い出し票に書かれた私の名前を書いた文字は夫のものでした。うまくいったとばかりに箪笥の上にぽいと置かれたその紙を私は手に取りました。

「いつかこれが私を救ってくれる」。何の保証もなく、クローゼットの中のバッグに密かに隠した数枚の紙。

それから十数年。その時は来ました。調停委員の前に並べた払い出し票。その日付は住宅金融公庫の申し込みの前日でした(詳しくは

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