魔法の言葉

いろいろな相談を受けている人たちが異口同音に言うのは「相談される方は魔法の言葉を知りたくて来るのよね」ということです。

「夫がアルコール依存症」「意地悪な義母とうまくやっていきたい」「子どもがひきこもり」などなど、とても身近で深刻な問題で来られます。ネットをググればそれなりの回答のようなものは山のようにあります。おそらくここに来られる前も沢山の機関や人に相談されたのだと思います。

あちこち相談し、いろいろ試してみたけれどなかなかうまくいかないという方の表情は本当にに暗くて、疲れ切っています。もうこういった類の悩みは小手先では無理で、エイっと大ナタを振ることが求められますが、それを言っても「でも」「だって」「どうせ」という3Dワード。

「相談をする方は、これを言えばぱっと解決するという魔法の言葉が知りたいのよ。」

簡単に、一言で、人を変える魔法の言葉を教えてくれと言う。それを言えばアルコール依存症の夫はぴたっと酒を止め、意地悪な義母は優しくなり、子どもは引きこもり部屋から出て働くようになる魔法の言葉。

そんな言葉があったら私も知りたい。

コインランドリーを使ってみた

コインランドリーって知らない人の洗濯物を洗ったものなので、ちょっと使うのに抵抗があったのです。ニュースで「コインランドリーはペットのものを洗うのに使う」という人のコメントを見たせいもあるかもしれません。

でも、この雨続きの日々。洗濯物が乾かない。完全乾くのに2日間かかったりする。そこでコインランドリーの乾燥機だけを使いました。去年ホステルに泊まった時にコインランドリーを使い、ふわふわの洗濯物を取り出した瞬間、感動!したせいもあります。

去年もずっと雨続きでうんざりしていた時に、このふわふわ感。
あったか~い!感。乾燥機もいいもんじゃないかと思いました。

最近近所にコインランドリーができたので見に行ったら、乾燥は10分100円とのこと。10分では乾かないという記事をどこかで読んだことがありましたが、洗濯物を乾かすのに200円はかけたくない。とりあえず100円でやってみよう!と、洗った洗濯物を持って行きました。

100円入れてスイッチオン!ぐるぐる回っている間はお向かいのスーパーでお買い物。

戻ってみると、機械は止まっていて、ランドリーのふたを開けるともわ~っとした空気。そしてふわふわの衣類。

やっぱり感動!この柔らかなふわふわ感!あったかい洗濯物って、なんて人の心もあったかくするんだろう。

木綿は8分の乾き具合でしたが、化繊類は完ぺきに乾いていました。この時はコインランドリー内でたたんで家に持ち帰り、まだ乾いていないものはハンガーに干しましたが、もしかしたらまだ温かいうちにまるめて持って帰って、家の洗濯機についている「エアージェット」を回せばいいんじゃね?


今度機会があったらやってみよう。

便利なものを今まで使わずに、なかなか乾かない洗濯物にため息をついていた日々は何だったんだ、と思う。食わず嫌いせずに、なんでもともかくやってみよう!と思った日でした。

コロナが持ってきたもの

コロナ禍はずっと世界中を混乱に陥れていますが、ひとつだけちょっとしたいい事もありました。長く続けていた調停がパタパタと決まっていったという話を聞いたのです。それもひとつふたつではなく、いくつも。

コロナ自粛が長く、裁判所がストップしていましたので、調停も裁判も行うことができず、当事者の方たちも動くことができなかったことが原因とみられます。ずっとこのことばかりを考え続けいたのに、裁判所が「しばらく休止です~」となって何もできなくなってしまった。それも3か月近く。

人間何もすることがなく、ぼーっとしていると、どうも考えが変わっていくようです。なぜ取り下げたり和解に応じたりするかは個々の事情によって違うと思いますが、当事者目線で考えたらたぶん「どうでもいいか」という境地になったのではないでしょうか。

あれほどかっかとしていたのに、長い間何もしていないと、かっかとしていたのがバカらしくなったものやら、コロナで生活の方が大変になったものやら、とにかく被害者側にとっては良い方向に向かったという話をいくつも聞きました。

人間かっかとしたら、しばらく時間を置いてみる、その場を離れてみることも必要なことなんだなと思いました。コロナ禍がもたらした、ひとつの解決策かもしれません。ただ、3か月も何もしない、できないことなんて、そうざらにあることではありません。もうこれは「運が良かった」としか言いようがない。チャンスの女神が走ってくる一瞬を自分に引き寄せた、がんばったご褒美かもしれません。

ポテトサラダじじぃ

今Twitterが発生場所の「ポテトサラダじじぃ」がちょっとした巷の話題になっています。その記事はこちら

子どもを連れてスーパーに買い物に行ったら、どこぞのじじぃが母親のくせにスーパーの総菜を買うのかと捨て台詞を吐かれたという話です。ああ、義父もやってた。「けっ、いい奥さんが総菜なんか買ってよっ」と、斜め後ろを見て言ってた。

義父はもっと手の悪いことに、妊婦を「見ろ、見ろ」と指さして嘲り笑う人でした。どうやら妊娠のプロセスを想像しているらしい。「あんたはどこから産まれてきたんかい、木の股から産まれてきたんかい」と言ってやりたかったです。

残念ながら、高齢者は男性に限らず「ご飯のおかずを外で買ってくる」ことに苛立ちを覚える方が多いようです。「ちゃちゃっと作ってしまえばいいでしょ」「手抜きすることばっかり覚えて」と言う方もいます。

ポテトサラダって主菜にはならない割に手間のかかる料理で、でも、何かもう1品欲しいなと思って総菜コーナーに行ったら189円で、だったら買うよねという代物だと思います。もしくは業務スーパーに行って1キロ入りを買ってきて小分け冷凍にするか、アレンジするかでしょう。

この話は「母親は子どもに全部手作りの料理を食べさせるものだ」というじじぃの母親信仰の問題と、見知らぬ人に暴言を吐くことが暴力であるということを認識できない人がいるという、ふたつの問題があります。

料理は食べるのは一瞬だけど、作るのは本当に手間がかかり、「今日は何にしようと」毎日毎日ずっと考えなければならない苦労があることを、食事担当をしたことのない人たちは理解できないのでしょう。しかも、予算は限られ、冷蔵庫にあるものを傷まない前どう組み合わせるか、それを1年中考えなければならないことがどういうことなのか、わからないのでしょう。

モラハラも被害に遭ったことのない人に理解してもらうのは難しいものですが、やはり、自分に関係ないものについては理解は難しいのかなと思います。

どこかで読んだ記事ですが「熟年夫婦が離婚した。夫は妻が居なくなって清々したと思っていた。夫の昼食はいつも生ラーメンだった。ひとりになった夫は生ラーメンを作ったが、麺とスープは別々に用意しなければならず、ネギも麺が茹で上がる前に切らなければならず、切ったまな板と包丁は洗わなければならず、鍋もふたつ洗わなければならないことがわかり、次回から具無しのインスタントラーメンを鍋で食べるようになった」というのがありました。

妻がしていた「生ラーメンを買って作る」という作業が「ラーメンを作るなんて簡単」と思っていたら、そうでもなかった、人に作らせる分には簡単だけど、自分で作るのは大変だったということでしょう。

ポテトサラダじじぃがひとりになったら、絶対に自分で料理はしないし(できないし)、3食スーパーの総菜コーナーの総菜を食べるに私は1票入れる。

俺は男だから総菜を買ってもいいんだと言うなら、男ならスーパーの総菜なんか買わずに済むような生活をしろよと言ってやる。

岸辺のアルバム2

1977年のリアルタイム放送を私は見ていません。なぜなら私の住む県ではTBSが流れないからです。でもあの最終回「アルバムを持ち出さなきゃ!」というシーンは何度となく見たことがあります。たぶん「思い出のドラマ」のような番組で見たのでしょう。

この古いテレビドラマは今の世の中、便利なことにYouTubeに全編あるので、見ることができています(長いドラマの途中まで見た。「愛の不時着」待ってろよ!)。

1977年(昭和52年)の制作ですからもう43年前!のドラマです。打っていて私もびっくりしました。もう遠い昔の日本が舞台で、風景は昔のものなのに、お話はそれほど古くありません。それにもビックリしました。貞淑な妻が家庭のある男性と不倫し、優等生の外人大好き女子大生の姉はその外人から性被害に遭いと、あの43年前のお茶の間に、こんなドラマを出して大丈夫だったんかい!?というくらい過激です。

#ああ、この路線から金妻に継承されるのねと思った。

家族の世話だけのために生きている妻と、そんな母を軽蔑する女子大生の姉と言うのは、今日でも生きている構図。この軸は43年経った今もそう変わりません。確かに外に働きに出る妻たちは多くなりましたが、それは「フヨウノハンイナイ」という、ひとりでは生きていけない収入のもの。月額8万円程度の、税金や社会保険料を払わないで済む社会システムの中のものです。

いつも夫や子どもの食事や洗濯物の世話だけなんてつまらないじゃない。ちょっと他の男性とおしゃべりするくらい、いいじゃないのという自己欺瞞からズブズブと深みにはまっていく妻(母)。それを知ってもリベラルな姉は「男の人と会うくらいの権利はお母さんにだってあるわよ」と言います。一番健気なのは、家庭を壊すまいと、不倫に走る母を必死で止めようとする高校三年生の息子です。

ね?これ43年前のドラマですよ。妻の不倫相手は誠実実直そうな家庭持ちのイケメン(竹脇無我はまり役)。信じられないのは妻の年齢設定が39歳だということ。どう見ても八千草薫扮する妻は50代の落ち着きがある。それを言ったら大学に毎日高価そうなスーツやワンピースをとっかえひっかえ通う姉が19歳というのも、どう見てもこの子たち大学生だろうという、息子やその友だちは高校生というのも、今の同年代の子たちと比べてずいぶんと大人びています。

今の年齢は昔の7がけ(今20歳ならば×0.7で昔の14歳)というのはホントだなと思いました。。

まだ全部を見ていないのですが、最終的には「家は多摩川の堤防が決壊して流されてしまったけれど、家族はまたやり直そう」ということで終わるのでしょう。

知人が多摩川の川べりにマンションを買い、お招き下さったので見に行きましたが、本当に川べりのマンションの真ん前は土手で、その向こうには川が流れていました。多摩川が特徴的なのは、その河川敷がとても広くて、サッカー場や野球場やゴルフ練習場に使われていたりするところです。

川にはいくつもの橋がかけられ、窓からは行きかう電車が見え、それはまるで「岸辺のアルバム」のプロローグシーンのようです。ジャニス・イアンが歌う主題歌「Will you dance?」はとてもヒットした曲でした。

Will you dance, will you dance?
take a chance on romance
and a big surprise?
Will you dance, will you dance?
Take a chance on romance
and a big surprise?

dance chance romanceという、韻を踏んだ音がとても印象深く、あの頃を生きた人たちは、この曲を聞くと「岸辺のアルバム」を即連想するようです。見たことのない私でさえ。
そう言えばジャニス・イアンの曲のことを今年ここで書いたんだっけ。

この頃はまだコロナウィルスが本格化しておらず、どこかの国のお話しのように書いてますね。まさかこんな世界になると思ってもみませんでした。梅雨の雨が終わっても、台風の時期になり、また豪雨なるのでしょう。今年の多摩川はどうなるのか。知人の家の窓から見た多摩川が河川敷を覆い、「岸辺のアルバム」のようなことにならないよう、祈るばかりです。

気がかりな長野別所温泉

長野と岐阜に大雨特別警報が出ています。長野には私が行ったひとり旅の女性におすすめの温泉宿があります。

信州別所温泉 旅宿 上松や

ここは新幹線上田駅から別所線という鉄道に乗り換えて行きますが、去年の台風19号で上田電鉄が崩壊し、一部バス代行しています。あの台風の時、この辺りは川が氾濫したとのことで「別所温泉はどうなった」と気になってはいました。以前は上田から別所温泉までは30分程度でした。

途中駅に大学があったけど、学生さんたちは不便していないかしら。平原の中に大学の建物があるという、言葉を換えれば自然の中の大学で、コンパはどこでやるのだろう。

ともあれ、上松やさん。ひとり旅応援パックがあったりして、ひとり旅の人に優しいのです。私は朝食付きのプランで泊ったのですが、楽天で7,500円でした。他にもひとり旅の女性が数名いて、みんなお好みの浴衣に丹前羽織って(有料)、ゆっくりと豪華な朝食をいただいていました。私は浴衣無しでしたが。

温泉は広々。ちらちらと雪が舞ったりして、風情たっぷり。お風呂から電話をするとビールの配達があるのは笑った。館内には無料のスープやらかき氷やらがあり、到着時にはおうすのサービスもあるらしい(私は到着が遅かったのでなかった)。

廊下の壁に、地元の男女参画センターから「女性に優良な働き場所を提供している」との表彰状が飾ってありました。働いている女性の方もキビキビしていて、「お料理、写真を撮ってもいいですか」と伺ったら、「あ、ちょっと待ってください」と、映えするように料理の配置を工夫し始めました。職場を愛しているんだなぁ。

部屋にはDVDプレイヤーがあって、無料でこの辺りが舞台になっているDVDが借りられます。一押しはもちろん「真田丸」。館内すべて真田づくしの宿です。宿の近くには「真田の隠れ湯」があるそうです。

1泊ではもったいない。まったりと冬の旅だったら、2泊したいお宿です。

去年に続いての大雨警報。大好きな旅館がどうなるか、とても心配です。

岸辺のアルバム1

九州が大雨での被害が続いています。被害地にお住まの方々に情報がきちんと伝わたりますように。もう避難勧告の出ている地域にお住いの方は、ともかく避難をして、危なそうな場合は、即家の2階などに逃げてくださいね。

昨年10月の豪雨の時に、東京もあり得ないほどの降雨量になり、多摩川氾濫し、浸水した地域ありました。その様子をテレビで見ていたら、lineのメッセージがあちこちから飛んできました。

「多摩川決壊だって!」「どこ!?」「狛江(こまえ)じゃない?」「狛江?岸辺のアルバムじゃない!」

東京にお住まいではない方のために解説しますが、東京は「渋谷区、品川区、江戸川区」などの「区」が23区、「三鷹市(みたかし)、青梅市(おうめし)、国立市(くにたちし)」などの市が26市、なんと、奥多摩町(おくたままち)や檜原村(ひのはらむら)の町村、伊豆諸島もあるんですよー。私も東京に来る前まで知りませんでした。国立は百恵ちゃんが住んでいるから渋谷にあると思ってましたもん。

という話を東京の人にすると、「えー!」っと驚かれますが、じゃあ、あんたたちは48都道府県の県庁所在地を知っとるか?「小田急(おだきゅう)が」「うちは京王線(けいおうせん)」と、東京以外の人にさらっというけど、何のことだか東京に住んでいない人にはわかりませんのよ。私は東京に来る前に「中央線沿い」とか言われると、イラッとしました。なんで全国の人が東京の路線図を知っていると思うのだろうか。

それはさておき、「岸辺のアルバム」だ。「岸辺のアルバム」は1977年にTBSテレビで放送されたテレビドラマです。2018年に「週刊現代」が11人の選者を選んで行った「テレビ65年の歴史」の中で、14位になったのが「岸辺のアルバム」でした。このドラマは1974年の多摩川堤防決壊を土台に作られたホームドラマです。

多摩川は東京奥多摩から神奈川県川崎まであちこち蛇行しながらクネクネと流れている大きな川です。よく多摩川べりをジョギングやサイクリングしたり、河川敷でバーベキューをしている人たちがニュースなどで放送されるので、ご覧になった方も多いと思います。特に冬のサイクリングは、太陽がさんさんと降りそそぎ、気温もちょうどいいので、絶好の遠出になります。

東京の西側や神奈川に住んでいる人たちにとって、多摩川は生活に密接している川です。多摩川と玉川はどう違うのかについては、東京に住んでいなかった頃の私の疑問でもありましたので、とりあえずリンクを貼っておきますね。

https://j-town.net/tokyo/column/gotochicolumn/111197.html?p=all

だそうです。玉川と聞くと玉川大学を思い出し、玉川大学と聞くと薬師丸ひろ子を(卒業生)連想するというのは私だけではなさそうで、友人たちとその話で盛り上がったこともありましたw

ともかく東京の住民にとってはなじみの深い多摩川土手が決壊したのを扱ったのが「岸辺のアルバム」で、なぜ急に思い出したかというと、先日NHKアナザーストーリースで「多摩川水害と”岸辺のアルバム”」の放送を見たからです。>>>>続く

病院についてきて欲しい

被害者の方の掲示板への書き込みの中でよくわからないものの中に「夫が病院についてきてくれなかった」というものがあります。

私は両親ふたりとも働いていたので、中学生以上はひとりで保険証とお金をもらって病院に行っていました。そういうものだと思っていたから、病院とはひとりで行くものだと思っていました。

たとえばとても交通の便が悪いところで、夫から車で送ってもらわなければならない所に病院があるとか、ひとりでは動けないほど状態が悪いとかならば別ですが、モラ夫に病院についてきてもらったら、「忙しいのに」「なんだこれくらいで」「体調管理くらいできないのか」などなど、嫌みと文句たらたら、もしくはぶすっと押し黙って何も言わないのはわかっているので、むしろ来てもらわなくていい、ついて来られたら何を言い出すかわからないのが怖い、と私なら思う。だから出産のときも付き添ってもらわずにひとりで産みました。

それなのに「病院に付いてきて欲しい」のは、とても重篤な病気の可能性があって、ひとりでは受け止めきれないのか、そのような重篤な病気になったら、さすがのモラ夫も心配してくれるのではないかという淡い期待があるのか、日常注意しなければならないことがあって、それは医師の口から夫に言ってもらわないと夫は理解できないとか、そういうことなのでしょうか。

モラ夫が心配するのは病院費用と俺のメシはどうするかであって、妻の体ではありません。どちらも落ち度は妻にあるので、腹が立つだけです。重篤な病気でも性交渉は無理くりでもやってきます。そういうものなのです。いくら医師が夫に「こうしてください、ここに注意してください」と言ったところで、モラ夫は人からの指示を「命令」ととり、それは俺様モラ夫が非常に嫌うものなので、むしろ腹をたてる可能性が大です。

もし、「夫が自分の体を心配してくれて」「これをきっかけに良くなるかも」と思うのでしたら、そしてそれをきっかけに労わってくれるようになったなら、その人はモラ夫ではなく、ただの昭和の勘違い親父だったということです。

妻が夫より収入が多かったら

今開催中の「避難応援プロジェクト」でよく出る質問です。

Q:妻が夫よりも収入が多い場合、別居しての婚姻費用は妻から夫に支払うのでしょうか。

A:はい、そうです。年金分割も、妻の方が収入が高い場合は、妻の年金の分割になります。ただ婚姻費用の場合、妻と子が一緒に住んでいる場合は子の養育費分を夫に請求するので、計算がややこしくなると思います。それでも婚姻費用が欲しいという夫がいたら、

「早く別れる決心をしてよかった」

と思えます。ヒモは早く切るに限る。

年金分割は夫婦が一緒に暮らした期間の分割になりますから、妻の収入が多い場合は早めに別れないと老後の大切な年金を沢山夫に持って行かれます。もらう場合は「がっかり、たった1万円」ですが、持って行かれる場合は「1万円も盗られる!」と思うでしょう。

何事も早めの決心が吉です。

銀の匙を咥えた娘

当然エクササイズプロ30年のアラカン母の方が断然上手い

ネットをググってみると、まりなさんは秋田から大学進学のために上京し、卒業後日本生命に入社。営業成績上々で2年後すぐに人事部で就職セミナーで学生たちを前に会社説明を行うようになりと順風満帆。

大手の会社に勤務する日系アメリカ人の夫と結婚し、彼の影響を受けて自分の可能性を探すべくインドに行ってヨガ講師の資格をとりロスへ。夫は快く送り出してくれ、動画を始めると家事を担い、疲れて弱音を吐くとしっかりと支えてくれる。

YouTubeで動画配信をしてみたら1年程度で100万フォロワー突破。英語でのチャンネルも作って世界進出。

生まれた秋田では両親から溺愛され、祖母を「あっちゃん」と呼び、実家へ帰ると一緒に居酒屋で大ジョッキのビールをあおる。こういった風景は惜しげもなくYouTubeにのせる商売上手。

祖母の「あっちゃん」は「亡くなったじいちゃんはいい人だった。あっちゃんはじいちゃんが大好きだ。生まれ変わってもじいちゃんとまた一緒に結婚したい」という。

エクササイズコーチのアラカン母と娘が自慢でたまらない父とは地元のラーメン屋で芸能人顔負けの食レポを披露しながらラーメンをすする。YouTubeを見る限りは仲良し夫婦の中に生まれたかわいくてたまらない自慢の娘なのだろうと思います。

「銀の匙を咥えて生まれる」とは、裕福な家に生まれた人のことを言いますが、私はこういう人も銀の匙を咥えてきたのではないかと思います。

もちろん彼女が努力家で、人目につかないところで沢山の努力を積んでいるだろうことはわかります。でも世の中、努力だけではどうしようもないことがある。努力してもしても報われないことの方が多い。

ちなみに地方から東京の大学へ進学するには学費の他に生活費もかかります。地方の一般家庭で娘を東京の大学へ進ませるほどの収入がある家は、そう沢山ではありません。「学費は奨学金を利用して」と何百万もの奨学金を借りて、自己破産する人もいます。

地方から東京の大学への進学ができて、大企業に勤め、心優しい大企業勤務の夫と結婚し、見た目麗しく、朗らかで、アクティブで、NYに住み(現在は高知)、肩書は「起業家」。

その彼女が6月25日にliveで「痩せるダンス」を行いました。私は録画のものを見ながらいつものとおり一緒にダンスをしていましたが、最後に「私がなぜこのダンスをしているかというと、みんなに自己肯定感を持って欲しいからなのよ!」と繰り返し言っているのを聞いて、「え?」と思いました。

私がヒネテいるのかもしれませんが、銀の匙を咥えたような30歳の人から「みんな自己肯定感を持って!」と言われると、マリーアントワネットから「パンが無かったらお菓子を食べたら」と言われたような気になりました。

同じアラサーで親から愛されず、顔立ちは残念で、能力があっても進学できず、周囲にも認められず、夫はモラハラでという人は多いと思う。みんな苦しみながら必死で生きていると思う。自己肯定感って、自分はこれでいいのか、いつも模索しながら、もだえ苦しみながら、悩みながら、もしかしたらアラカンを過ぎる頃にやっと手に入るものだと思う。

銀の匙を咥えた30歳の人から「自己肯定感をみんなも持って!」と言われて、モニターの前で立ちすくみました。

自己肯定感を持つことを100としたら、彼女の環境はプラス50からのスタート。マイナス100や200からのスタート人は山ほどいる。生まれた時からプラス50をもらって生きてきた人から「みんな自己肯定感を持って!」って、なぁ。

とは言え、私はまりなさんのダンスが好きだし、特に同年代の「おかん」のファンです。もっとおかんのダンスが見たいし、「おとん」のしゃべりが好きです(多分本人は訛っていないつもりだと思う)。

まりなさんはただのYoutuberで終わる人ではなさそうで、7/4(土)23:00-23:30放送予定のマツコ会議にも出演するそうです。でも、彼女の目指すものは、もっとずっと壮大なもののような気がします。