「最後だとわかっていたなら」

6月28日、千葉八街市で痛ましい交通犯罪がありました。

”千葉県八街(やちまた)市の路上で28日夕、下校中の小学生の列に大型トラックが突っ込み、児童5人が巻き込まれ、2人が亡くなった。事故後、運転手からはアルコールが検出された。”

https://news.yahoo.co.jp/articles/053436211cda3c687222e2bc670d9605d644742a

ちょっと違和感があるかもしれませんが、「交通事故」という名称は犯罪被害者支援をする人たちの間では使われず、代わって「交通事件」「交通犯罪」という言葉を使います。被害に遭われた方やその遺族の方たちにとって凶器の刃物が車になっただけで、自分の身近な方が亡くなったり傷ついたりしたことに変わりはないからです。

ただ、車の場合どんなに注意しても誰でも加害者になりうる可能性がありますので、故意に起こす普通の犯罪とは少し違った趣があります。しかし、今回は飲酒運転ですので、これはもはや交通犯罪です。

佐藤清志さんは娘の菜緒さんを交通犯罪で亡くした被害者遺族です。事件の後、佐藤さんは交通犯罪撲滅を祈り、全国を講演で回っています。

https://news.yahoo.co.jp/byline/yanagiharamika/20180410-00083823/

その佐藤さんが講演の最後に朗読する詩があります。

「最後だとわかっていたなら」

アメリカ人の女性が、10歳の息子を亡くし、その悲しみの思いを綴った詩です。

https://www.sanctuarybooks.jp/saigodato/poem.html


作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦
 
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう
 
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
 
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
 
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
 
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
 
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
 
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
 
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
 
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
 
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう
 
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

事件が起こる日の朝まで元気だった子どもが、物言わぬ体になって帰ってきた遺族の方の思いを想像すると、犯人を憎んでも憎み切れません。