母はもうどうでもいい

こちらの続きです。

もう母親に対しては恨みがあるとか、愛して欲しかったとかそういう気持はまったくありません。彼女は彼女なりの気持ちで娘を育ててきたと思います。ただ、彼女は「嘗めるように娘をかわいがってきた」と思い込んでいるでしょうから、実際にしてきた子育てと私の気持ちとの間に相当の乖離があり、それを塞ぐことは無理だと思っています。

それを実現させるには

「彼女にはその能力がない」

それにつきると思います。

能力のない者にそれを求めても無駄。ちょうど精神障碍者は罪を負わせないと同じ感じです。本人に自覚がないのに罪を償えと言っても、言っている意味がわからないのだから、言うだけむなしいという気持です。もう、アホらしいというか。

信田さんは昔からACについて、沢山の本をお書きになってきました。それまで「どんな親でも子どもを愛している」「親に孝行しろ」という大合唱に、正面から「子どもを愛せない親は確実にいる」さらに、「その数は世間が思っているよりもずっと多い」とも提唱してきてくださっています。

この記事では、5月6日に放送されたクロ現プラス「親を棄ててもいいですか」になぜ出演されたかも書かれています。

NHKクロ現プラスの中で、若くてきれいな女性アナウンサーが「例えば親が死ぬ時に立ち会うことによって、今までの経験を整理して、次への一歩を踏み出すきっかけになるのではないでしょうか」と言った時、思わずいらっとしました。

#あなたはきっと母親に愛されてきたんでしょ

#NHKのアナウンサーになるくらいだから、何の不自由もなく好きな学校に行けて、暖かい家庭で育ったんでしょ

このアナウンサーの言葉はこの回の冒頭、親が死んだ時に出棺に立ち会わず、代行業者を使った人に対する言葉です。

「せめて親が死んだときぐらい、立ち会えよ」という世間一般の、常識という無邪気な悪意に満ちた言葉を発しました。

それに対して間髪入れず信田さんが「そうなったらいいですよね。でも、ドラマみたいに行かないんですよ」と言いました。

きっとこの女性アナウンサーの頭の中は「???」だったでしょう。

それくらい、親に愛されてきた人とそうでなかった人には大きな隔たりがあります。

この記事の中で信田さんは「親に謝って欲しいのです」と書かれていますが、私はとうにその気持ちはありません。理由は最初に書いた通り、意味のわからない謝罪をされたところで嬉しくもなんともない。今そんなことを言ったら「ナニ企んでるの?」としか思えない。

親に謝って欲しいと思っている方は、まだまだ道半ばな方なんだろうなと思います。

私は別に親を棄てたいとは思っていません。ただ、その親が私や私の家族(子ども)の平和を脅かそうとする行動に出たら、一気に排除します。母はもう私に家族の一員ではなく、遠いお星さまの居住人。そこからインベーダーとしてやってくるなら、地球防衛軍として断固侵入を阻止します。