寂しい週刊朝日の休刊

週刊朝日が今年5月末で休刊になるとのニュースを聞き、驚きとともに寂しさや、この時代にの流れではしかたがないという気持ちが混ぜこぜになっています。

こちらにモラハラ被害者同盟がどのメディアに掲載され、協力してきたかの一覧があります。

https://morahara.cocoon.jp/media.html

ここに書いているように、モラハラを一番最初に取り上げて下さったのが週刊朝日でした。突然担当者の方からメールをいただき、職場から帰る途中の車の中で、担当記者さんと電話でやり取りしたのを今も忘れることはありません。

車外は雪と氷の暗い道の脇に車を止めて、どういう趣旨の記事になるのかを伺いました。

些細な家庭内のいざこざを妻が被害妄想で喚き散らしているとだと面白可笑しく掲載するのではなく、社会的な立場からこの現状を報道するというのだという担当者さんの言葉に納得し、東京からお出でいただくということにびっくりしながらも、取材をお受けしました。

初めての取材は私一人では心元ないので、地元のDV関係の方に同席をしていただき、ホテルの喫茶ルームでお話させていただきました。

2005年2月18日号、表紙は沢尻エリカさんのこの号が、華々しいモラハラメディアデビューの号でした。それ以後、沢尻エリカさんのニュースは親戚の子のように受け止めてしまいます。

その週刊朝日の記事を見たNHKの方から取材を受け(日の目を見ず)、その後、同じ朝日系列の新聞、主役が女性なので女性週刊誌、そして、ホップステップのステップにあたるのがフジテレビの「こたえてちょーだい!」と続き、今に至ります。

私が最初にサイトを立ち上げた理由、「沢山のモラハラで困難な人生に陥っている人たちにこの事実を知らせたい」という希望は、ネットと、アナログメディアによって日本中に広がりました。

週刊朝日はまさに私の恩誌です。その恩誌の休刊は一時代の幕引きのようにも思えます。

週刊誌を定期購読する個人などほとんどいないでしょう。ヘアサロンに行っても週刊誌ではなく、タブレットが置れています。病院の待合に週刊誌を置いている所は数少なくなりました。みんな順番待ちの時には自分のスマホを見ていますから、需要が無くなったのです。

週刊朝日とは18年間のおつきあいとなりました。さびしいなぁという思いは尽きないのですが、あの凍てついた冬の車中の情景は、たぶんずっと私の心の中に残っていると思います。

モラハラ被害者同盟20周年です

1月19日でモラハラ被害者同盟は20周年となります。

元夫が成人の日にブチ切れて大暴れして実家へ行き、そこから4日目くらいにこのサイトを立ち上げました。

いろんなことがあった20年でした。20年前にサイトに立ち寄って下さった方々と同窓会でもしたいところです。あの頃、モラハラに悩んでいた方たちはどうしていらしゃるかな。みんんな幸せだといいな。

あの頃と比べて、モラハラを取り巻く環境は大きく変わりました。もう「モラハラって何ですか」と言われることも無くなりました。

#その代わり、思い違いをしている方も増えました

広辞苑にモラル・ハラスメントが入り、どこでも「モラハラ」が出没しています。20年前には考えられないことでした。こんな日が来るとは思いもしませんでした。

あのコタツテーブルに乗ったノートパソコンから、世界が広がりました。パソコンも5代目のものです。あの頃必要なかった老眼鏡が今は必需品に、立ち上がる時には「どっこいしょ」と掛け声をかけるようになりました。

後どれくらい続けられるかわかりませんが、あとしばらくお付き合いいただけたら幸いです。

探し物は何ですか?

ここのところ小さな災いが続いていました。一番は失くしもの。いつものことだとは思いつつ、失ったものがいつもは何気なくそこにあって、気にもとめていなくて、あるのが普通だったものが、ある日突然失ってしまったという喪失感。

長い間使っていたものがふたつ、突然行方不明になってしまいました。あらゆるバッグやポケットを探しても見つからず、もしやあそこでと思うところに電話をかけて聞いてみても、やっぱり見つからず、無くなって初めてわかるその物の存在の大きさを知るという、自責が延々と続くこの失くし物。

もしかしたら私は普通の人よりも物に対する執着心が強いかもしれません。捨てることもかなり一生懸命やらないと捨てられません。捨てたら捨てたで「あー清々した」となるのですが、捨てるまでの決心がなかなかつけられないのです。

この冬、いつも通っているちょっと長距離な場所へ自転車で走っていて、ふと「この道を行けば近道かも」という悪魔の囁きに負けて、行ってみたらとんでもない迷路。結局google mapを使ってようやくたどり着いたのは「この道を行けば」というスタート地点。

へなへなへな~となりながら目的地に向かおうとしたら、手袋が片方ありません。どこを探しても見つからず、時間も押していたので「帰りに時間があったら探そう」と目的地に行きました。

さて帰り道。時間があるので手袋の片方を探そうと思いました。

100均ショップで200円で売っていた手袋です。しかも2シーズン目。手袋はよく無くすので高いものは買わないと決め、100均でいいやと思っていたらこういう物に限って無くさない。今シーズンで捨てようと思っていたのですが、手袋の片方だけが無いという状態は、もう片方の手袋が寂しい思いをするのではないか(しない)、捨てるときは両方一緒に捨ててあげたいとか(どうでもいい)、どうも感情移入してしまい、探すことにしました。

ところが道に迷っていたので、どこをどう通ったのかわからず、とりあえず迷った時に目についたファミレスの看板名をGoogle mapに入力し、そこを目的地としました。なんとなく「あ~、ガストがあるな~」と心に刻んでいたのです。

そしてあの迷った道にやってきました。どこで落としたかわからない手袋の片方を探す(しかも100均の!)という、ナニやってんだかという気持ちですが、ここで見捨てて後から雨に濡れている片方の手袋のことを思うと、きっと後悔するな~、やるだけやったんだからという証拠だけ残したくての手袋探しです。

あるわけがないと思いながら、それでも歩道を目で探していくと、

「あったーーーーー!!!!」

ガードレールの脇にちょんと、落ち葉にまぎれながら、手袋が落ちていました。もう片方の手袋と同じ模様(当たり前だ)の、2シーズン使った100均の手袋。

「ありえない!奇跡だ!」と思いながら手袋を拾い上げ、ペアにしました。「よかったねー、相棒が帰ってきたよ~」と手袋をはめ、小躍りしたい気持ちで帰路につきました。

冬はあちこちに片方の手袋が落ちていて、それは持ち主が「あー、落としちゃったー」「失くしちゃったー」という、軽い気持ちで諦めている方が断然多いとは思いますが、私はどうも自分の物だったものが自分の手から離れていくことに寂しさがあるのです。なので海外旅行に行くときに「捨ててもいいような物を持って行って、向こうで使って捨ててくる」ということがどうしてもできません。お弁当に入っている魚の形の醤油入れさえ、海外では「同胞」。

「みずしま~!一緒に 日本に 帰ろ~~!!」(←ビルマの竪琴)

と言いながら日本に持ち帰って捨てるという、わけがわからない構造です。

いつも気にも留めずに自分のそばにあって、でも無くなると無性に愛おしい。しかも自分が注意深くしていれば避けられた事故なのに、全部自分の不注意のせいで失ってしまったという自責感。

失くしものは本当に探す時間の無駄です。ちなみに冒頭に書いたふたつの物は出てきました。一つは出先に電話したら「ありますよ~」との返答があり、もう一つは何度も探したはずのバッグのポケットに入っていました。

探し物は何ですか 見つけにくいものですか かばんの中も机の中も 探したけれどみつからないのに まだまだ探す気ですか  ~中略~ 探すのをやめたとき 見つかることもよくある話で (by 井上陽水 「夢の中へ」)

いつもこの歌が頭をぐるぐるしています。

安易なモラハラ宣言

とある方のモラハラについてのご相談です。個人的なことなのでフィクションが混ざっています。

夫とふたりのお子さんがいる家庭のお話です。夫は何でも自分の言うとおりにさせようとして、怒鳴ったり不機嫌になったりするので、そうならないように大変気を使っていました。

父親には父親の考え方があり、「自分は私立大学だったため就職も、現在の地位も不満。子どもにはこんな思いはさせたくない」と、彼は彼の思いから進学校に行けと強要していました。

ずっとこのように父は自分の敷いたルートを子どもに強引に歩ませようとしていましたが、母親は子どものやりたいことをさせたいと、習い事や塾を子どもと選び、その費用は父親に払ってもらっていました。

父は「俺が知らないうちに習い事も塾も決まっていて、さあ払えと請求書だけ寄こす。いつも子どもの教育は蚊帳の外だった」と憤怒しています。

そして子どもが高校進学時期になり、「離婚を決意した」と言います。

このままでは子どもは自由に自分の進路を選べない。だから離婚しようと思ったそうです。

これをモラハラ夫というかと言われたら、ちょっとう~~んと考えてしまいます。

確かに高圧的で自分の思い通りに家族を操ろうとしていますが、妻は「夫を蚊帳の外において子どもの習い事や塾をふたりで決め、その支払いは夫に渡して」います。

まずモラハラ家庭で「夫を蚊帳の外において、子どもとふたりで習い事や塾を決める」なんてことはありません。そんなことは怖くてできません。

そしてモラ夫に「決めてきたから」と習い事や塾の支払いを渡しても支払うはずがありません。渋々だろう何だろうが、とにかくこの夫は支払いをしています。

この事例で「夫のモラハラで離婚したい」と言われたら、「子どもの教育に関する意見の不一致による離婚じゃないですか」と言うでしょう。

モラハラってもっと切実で、もっと残忍で、もっと相手をコントロールする力が強いものです。コントロールされずに夫に何も言わずに子どもとふたりでちゃっちゃっと習い事を決めてくるなんてできるはずがない。

離婚の原因をなんでもかんでも簡単に「夫からのモラハラ」と言ってしまえる現状に、私はとても危惧しています。それはモラハラの実態を歪めてしまい、法律の分野や一般でモラハラが軽く扱われるのではないかと思うのです。

現在DVの保護命令の中に精神的暴力を入れる案が出ています。私はこれに大賛成です。身体的な暴力はないけれど、精神的ダメージが非常に大きい場合は対象にして欲しいです。

でも、↑のような事例をモラハラと言ってしまうと、強姦も性被害、すれ違いざまに体にふれられたも性被害と、程度の差が天と地ほどにあるのに、どちらも性被害という名称になってしまうと、受け手のイメージが変わってしまいます。

もはやモラハラは日本中に広がり、ひとりひとりに説明することはできません。保護命令に精神的DVを含めるとなると、なんらかの定義が必要になるだろうと思います。

私はそれを大いに期待しています。

お勧め濡れマスク

乾燥して喉がイガイガひりひりする季節になりました。東京ではもう22日も雨が降らない日が続いています。更に寝室はエアコンも使うようになったので、部屋の乾燥度が上がりまくり。

加湿と一体型の空気清浄機があるリビングはまだいいのですが、ベッドのある北側の部屋にはクローゼットがあるのでカビの原因になる加湿はしたくない。

北側なので寝る前にエアコンはつけますが、部屋が狭すぎてあっという間に壁が暖かくなるので、10分ほどで切ってしまいます。それでも室内は乾燥はしているので何とかしたい。ということで、日中使っている不織布マスクを棄てずにお湯で濡らしたガーゼを挟んで使用してみたら、とっても楽になりました。

#老眼鏡が曇るのがデメリットか

これはいいわと、リビングにいる時も、要するに食事以外は全部マスクをするようになりました。外でするマスクは鬱陶しいですが、家で湿度を含んだガーゼをはさむと気持ちいい。

ガーゼは30分ほどでカラカラに乾いてしまいますが、しばらくはこの方法で喉を労わります。

育児は24時間365日

共同親権を推進したいのは多くは男性ですが、まず育児と言うのは24時間だとわかっていないようです。ミルクとおむつを替えればイクメン面していられますが、当然育児はそれだけではありません(それだけではないことをわかっていないのが辛い)

子どもは片時も目を離せず、月数が上がれば母乳やミルクから離乳食へ切り替え、その準備、後始末、床に置くと嫌がる子どもは抱いて歩き回らないと寝ない。

ミルクを飲めば吐く、吐いたものを片づけや洗い物をしながら着替えをさせ、着替えをしたらその洗い物。1日で山のようにたまる洗い物。

なかなか寝ない子は外に連れていって歩き回る。苦い薬を飲まない子を騙し騙し長時間かけて飲ませる。立って歩けるようになると、目離しできず、重くなった子を背中に括り付けて家事をする。

子どもは朝早いから、昨日寝たのが1時近くでも起きて朝食づくり。保育園の連絡帳も書いて、持っていくものに全部記名。保育園袋にいれて自転車に積んで保育園の送り迎え。

これを全部やって育児です。全部やってから「共同親権」と言ってください。子どもを一緒に育てたいなら、生まれた時からやってください。おむつに付いたウンチの処理をして、べたべたした手でさわったあちこちを拭いて、部屋の中に危ないものはないか、何かを口に入れたら大変なので、全部片づけてください。

ぐずって寝ない時はずっとあやして寝かせてください。当然その間は寝られません。そんな日が半月続いていて、睡眠不足で頭がぼーーっとしてても子どもは生きていますからやってください。山のようにたまった洗い物や翌日の準備は頭にあっても、ふたりでやればなんとかなりますが、片方がいなければ(何もしなければ)処理しないものはそのままの形になっています。

休日にイベントに行くなんてとんでもない。休日こそイクメンが活躍する時です。飲み会になんか行けません。人との付き合いは子どもが大きくなってからです。

自分は行くけど母親は母親だから飲み会なんか行かせないというのはやめてください。あなたが行くなら母も行く。母が出かけている間はあなたが面倒をみる。これ、当然。

それをやった人だけ「共同親権」「共同養育」と言ってください。

子どもが少しは親の言うことを聞くようにさせるまで24時間、365日。ずっと毎日毎日子育てしてきたのは母親。少し大きくなって子どもがこちらの言うことがわかるようになって楽になってから「育児する」などと言わないでください。

「子どもをこう教育したい」「こういう風に子どもと過ごしたい」

そういう前に生まれた時から24時間子どもの世話をしてください。仕事を言い訳にしないで、仕事から帰ったらまず洗い物をしろ。

まずは24時間365日世話してみろ。

養育とはそういうもんだ。

疲れたけどがんばりました

お正月が終わり、客人(子どもたち)がいなくなり、静かになったのでやらなければいけないものに手をつけることにしました。

お気づきのかたもおられると思いますが、昨年暮れよりこの管理人の小部屋にアクセスすると「warning」という警告が発せられるようになっていました。

ただ、一瞬なのでその警告がナンなのかがわからない。

ということでやっと時間ができたので、スマホで動画撮影してそのwarningをつきとめました。

#警告するなら警告するなりにわかるようにしてくれないだろうか

そしてスマホの画面のwarningのところでストップして警告を見てみたら

warning:creating default object from empty value in/————————-/wp-includes/post.php on line 1767 という謎の文字が。

これはいったい何ですか~~~♪

とにかくググりまくって、多分Word Pressをバージョンアップしたら消えるのではないかという結論になりました。

そういえばたまに「更新しました」のメールが来るので自動的に更新されているものだと思っていたら、Word Pressにはいくつかの種類があって、私がずっと使っているのはもう古くてセキュリティの安全性が低いらしい。

それならさっさとバージョンアップをすればいいのでしょうが、Word Pressに限らず、バージョンアップをするととんでもない事態になることがあります。

ググってみれば「Word Pressをバージョンアップしたら真っ白な画面になった」「動かなくなった」「レイアウトがガタガタになった」と恐ろしいものが山盛り出てくる。

AmebaとかHatenaとか、既成のサイトで作っている方はこういう苦労はないのでしょうが、何しろ自前で作っているブログですから、メンテナンスも自分でやらなければならない。

最初に「Warning」で検索すると、「放っておくと重大なことになる可能性がある」とのことで、ともかく嫌でもなんでもバージョンアップせねばならない。

そしてバージョンアップの準備をすること3日間。バックアップを2種類で取り、ついでにバックアッププラグインを導入し、自動でバックアップをとれるようにして(今までバックアップしていなかったのが怖い)、もしバージョンアップして事故った場合のために元に戻すプラグインを入れと万全の準備でのぞみました。

3日間、腰を据えてバージョンアップのための知識を入れ込んだおかげで、Word Pressについてそこはかとなく詳しくなりました(1か月で忘れる)

なんで更新の数字が2種類あるのだろうと不思議だったのはWord Pressの更新とPHPの更新の2種類があるためで、このPHPの更新はサーバ側にある設定をささっといじれば簡単にバージョンアップもダウンもできることがわかりました。

もしバージョンアップに失敗しても、すぐに元に戻せる。

使用しているプラグインもテーマも全部更新した。後はWord Press本体だけ。

でも、もし失敗したらどうしようと、なかなか更新ボタンが押せません。

準備は全部できた。失敗したときの対処法も大体わかった。後は押すだけの押すだけができない。

#ロケット打ち上げもこんな感じなんでしょうかね。

今日やらなくても明日でもいいんじゃね?と、お茶を淹れたりみかんを食べたりしながら現実逃避するする。

そしてふと、「取りあえずこの『更新』ボタンを押せば次の画面になるだろうから、それから考えよう」とポチ。

あれ?何かしてる、動いてる。

もしかしたら

「更新作業しちゃってる?!」

ブログが真っ白になったり、レイアウトがガタガタになったり大騒動になる!?

「やば!!」とストップさせて「ほーっ」一息つき、Word Pressのバージョン情報をクリックしたら、あらびっくり。

更新しちゃってる。

あわててこの編集画面を開いたり、あちこち見たけど全部セーフ。

できちゃった。3日間、必死でググりながら調べて調べてを繰り返した「更新」があっと言う間にできちゃった。

「ふ~~~~」と一息ついて、「これって還暦過ぎた孫のいるおばあちゃんのやる仕事じゃないよね」

エンジニアでもちゃんと勉強したわけでもない普通のおばあちゃんが20年前からずっとこうやってサイトを作ってきましたが、PC本体側で作るものと違って、サーバ側を動かすものは意味がわからず、もうそろそろ限界かしらと思っていました。ま、とりあえずなんとかバージョンアップが完了いたしました。

ある日突然サイトやブログが消えたら、何かやらかしたと思ってください。

自虐歌

お正月につけっぱなしのテレビを見ていたら、研ナオコさんが出ていました。

「老けたな~」と自分を棚に上げて番組を見ていると「『愚図』は阿木燿子・宇崎竜童夫妻が初めてふたりで作って私にくれたのがこの曲なんです」とコメントしました。

ふ~ん、そうなんだ~。百恵ちゃんよりこちらの方が先だったんだ~と思いながら、「ところで「愚図」ってどんな曲だっけ」とYouTubeをググりました。

この頃とにかく固有名詞が出てこなくなり、「あれ、あれ、あれ、誰だっけ、何だっけ」と焦るよりもとにかく関連しそうなワードでググることにしています。

ありがたいことに2,3ワードで大体出てきます。世の中が進歩してくれたおかげで「出てこない固有名詞をいつまでも頭の中で探す作業」がかなり大幅に減って大助かりしています。

さて、探し出した「愚図」はこんな曲でした。

ああ、そうだった、こんな曲だったとあの頃にタイムスリップしながら聞き続け「夏をあきらめて」「あばよ」「かもめはかもめ」まで来たら、なんだか変な気分になってきました。

♪何もあの人だけが世界中で一番優しい人だと限るわけじゃあるまいし
たとえばとなりの町ならとなりなりにやさしい男はいくらでもいるもんさ

明日も今日も留守なんて 見えすいた手口使われるほど
嫌われたならしょうがない
笑ってあばよと気取ってみるさ(あばよ:中島みゆき)

あいたたたた、ふと林真理子さんの「死ぬほど好き」を思い出しましたね。とっくに飽きられているのに「彼はなにか誤解しているんだわ」とストーカーする女性の話。勤め先に何度も電話をしたり(ケータイがない時代)、家まで押しかけたり。じゃけんにされても「一緒に食事をして話をすればまた仲直りできるわ」とスカーレットオハラのように「明日また連絡してみよう」とする女。

♪あきらめました あなたのことはもう電話もかけない

あなたの側に誰がいても うらやむだけかなしい

かもめはかもめ 孔雀や鳩やましてや

おんなにはなれない(かもめはかもめ:中島みゆき)

♪おんながひとりきりで踊ってると不自然
そんな言葉 もう聞かないわ
今夜から利口になるの

おんなが連れもなしに店にいてもいいでしょう
あの人は忙しそうよ 恋人とあっているから

だからひとり 今日はひとり
踊りたいの あの人を恨みながら(ひとりぽっちで躍らせて:中島みゆき)

怖~~~~~~ 怖くないですか?

歌詞は全部中島みゆきですが、全編ふられた女の恨み節が漂っています。こんな自虐歌がヒットしていたということは、こういうのが当時の女性の共感を得たのでしょう。

今はどうなんでしょうか。紅白歌合戦で次々と出てくる初見のガールズ&ボーイズグループの歌はもはや歌詞が聞き取れない(聞き取る気もない)

中島みゆき:歌詞 研ナオコ:歌 コンビで知っているものは全部「どうせ私は○○だから、振られて当然よね」「私なんかあなたのそばに行けるような女じゃないのよ」「あの子の方がきれいだから比べたってしょうがない」

あ~~~、もうイライラするくらい自虐だ~。も少しプライド持てよーー。

「笑ってあばよと気取ってみる」と言いつつ、未練たらたらだし、そんなんじゃいい運も回ってくるわけがない。

この源流は何かと考えてみれば「演歌」です。「艶歌」とか「怨歌」などとも書かれますが、研ナオコは「怨歌」です。恨み節です。

こわ~~~~。

怨歌はずっと「男は旅をして、女は帰りを待っている」路線です。そしてその頂点は「着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて編んでます」

こわ~~~~~~。

そんな恨みを編みこんだセーター、怖くて着られない。

恋愛をしている女性は「相手が自分をどう思っているか」「自分よりいい人があらわれるのではないか」「その女に彼を盗られるのではないか」「いつか自分はひとりぼっちになるのではないか」という不安や恐怖があります。

それを「どうせ私なんか」と自虐の方へ走るより、ひとりでも生きられる思考を身につけたほうが断然生きやすいです。そしてそちらの方が断然かっこよくて魅力的に見えるのです。

LonelinessじゃなくてIndependence

どちらもひとりだけど、全然違う。自虐で半分白目をして下から見上げられたら、怖くて誰も寄ってきません。今年は目指せIndependenceと手帳に書いておくって、どうですか?

謹賀新年-今年もよろしく

三が日は子どもたちが家に来ていたので、わいわいの賑やかなお正月でした。3日まで我が家で寝泊まりしていた子がいたので、昨日全員帰ったとたん、いつものものをいつもの場所に戻す作業やら、布団を再度圧縮して押し入れにしまう作業やら、冷蔵庫の整理やらで疲れ果てました。

今年は孫も加わっていたため、目離しできなかったり、ぐずって泣き出したら全員であやしたり(かえって大泣きになる)と、人数が増えると、なにかと勝手が違っていました。

この中でたぶんこの先一番長く生きるであろう赤子には、孫が自分で模索しながら満足する人生であってほしいとも思います。

子どものパートナーの実家は地方のごく普通のお宅です。穏やかなお父様と明るいお母様の家で育った彼女と巡り合ったことは「でかした!息子!」でありました。

私も元夫も機能不全の家庭、そのふたりが作った家はモラハラ家庭と、2代続いた円満ではない家庭に、初めて普通の家庭で育った方が加入されたことで、我が家系はやっと軌道修正ができそうです。

パートナーのご両親は「孫には何事もなく、良いレールにのって幸せに生きて欲しいと願っています」と仰るのですが、それにブンブンと首を振ったのが息子と私。

「この子にはこの子が選ぶ生き方があります。それが傍から見て安全ではなさそうと思えても、子どもが選んだなら行ったらいい。私たち大人は援護できるものであればすればいいと思います。小さな頃の躓きはむしろいい肥料になります。転びながら、挫折しながら、何が自分のやりたいことなのかを模索してほしいと思います」

普段は何かと意見の相違がある我が親子でありますが、ここは一致しています。

ご両親は「何事もないことがいいと思うんですけどね」と不思議そうにされるのですが、そこは穏やかな方たちなので、ここで論争とはなりません。

「大事なのはレジリエンシー、復元力です。転んでも自分で起き上がる力です」

さて、息子よ。正月我が家にいた時に、赤子の取り扱い方を見ていたけど、丁寧とは言い難かった。普段あまりやっていないでしょー。哺乳瓶の取り付け方もぎこちない。こういうのは離婚の時に「子どもを乱暴に取り扱う」と離婚原因のひとつになるんだから、心して子育てするように。

さて、2023年は共同親権の正念場の年です。

こちらをご覧になって、ぜひ法務省にパブコメを送ってください。共同親権になってワクチンも子どもの進路も何もかも、モラ元夫が嫌がらせをしてきます。今回はコビトさんは何もしてくれません。王子さまは向こうから来てくれません。

安全安心は自分の手でつかみましょう。

今年もお世話になりました

2022年もあとわずかになりました。年を取ると時の流れが速くなりますが、本当に昨日お雑煮を食べたような気がします。ブルーレイに録画した「2021年今年の出来事」が見終わることができず、まだ未視聴の印がついています。

コロナはいまだに生活の一部になり、マスクなしの顔しか知らない方も増えてきました。

著名な方が次々と亡くなり、どんどん昭和が遠くなる。来年もまたこのブログを書いているかどうかわかりません。

ウクライナの戦争もまだ終わる気配がありません。

地道に一歩一歩足元を見つめながら、また来年、ここでお会いできたらと思います。

2023年がみなさまにとってよい年になりますように。

何しろ共同親権反対のパブコメを送ってくださいね。