このタイトルのようなことは生活しているとあちこちであります。子どもは勉強しなくてはならないと思ってはいるけれど、しない。子どもを動かすには義務ではなく感情を動かさなければならない。
ただ、子どものちょっとしたプライドをくすぐる「おだてあげ作戦」は、きくのはせいぜい小学生まで。中学生になると「おだててものらないよ」と鼻の先で笑われます。
ともかく、この「人が義務では動かないが感情を揺さぶられると動く」というのは、たとえば「能登半島地震の被災者のために寄付を!」と言われたら、毎日流れる悲惨なニュースを見れば誰しも寄付をしたいという気持ちになります。
それが「人なら寄付をするのが当たり前だよ」と言われると、なんだか押し付けられているような気がして動きたくない気持ちになったりするものです。
離婚した後、養育費は子どもと暮らしていない方が暮らしている方へ払うものですが、これをきちんともらっている方は3割弱だそうです(令和3年厚労省調べ)
残りの7割強はもらっていない、つまり元夫は支払っていないということです。
支払わない理由はいろいろあるでしょう。
〇新しい家庭ができた
〇経済的に余裕がない
〇妻に対して怒りがある
こんなところでしょう。モラハラ離婚の場合は「勝手に妻が子どもを連れて家を出て子どもから強引に引き離されたのに金を寄こせとは泥棒に追い銭」という感情があるのだと思います。
もちろん元妻が子自分の子を養育しているわけですから、養育費を支払うのは義務であり当然なのですが、ここで出てくるのが「人は義務では動かない。感情で動く」なのです。
怒りの感情があるままでは人は動きません。
だから、裁判所で決めましょうという話になります。少なくともどこかの会社に勤めている場合は裁判所が金額や支払い方法を決めてくれますし、強制執行もできますので支払いは続きやすいです。ただ、裁判所、調停という場を通さないとこれはできません。
「子から強引に引き離された」という怒りの感情がある人から養育費を取り立てるのは容易ではありません。だから、養育費は個人から個人へ支払うものではなく、行政から個人へ支払うシステムにしなければならないのです。
法務省・厚生労働省不払い養育費の確保のための支援に関するタスクフォース
ここに書かれているものを読むと、それを可能にするにはたくさんの法整備が必要になるということがわかります。Aという法律とBという法律は矛盾しないか。いろいろな立場、状態の人たちがいる中で不公平にならないかなど、超えていかなければならない壁がたくさんあって、それは大変だろうなとは思います。
ただ、海外ではやられていることだから日本でやれないことはないとは思いますので、なんとか法整備を進めて欲しいものです。