思い出が終わる時

東京に来たのは2009年の3月からですが、その前に準備のために何度か訪れていました。2月のある暖かな日、自転車10分ほどのところにあるパン屋さんに行きました。たくさん種類があって、トレイに自分の好きなパンを置いて会計する形式のパン屋さんです。

そのパン屋さんの出入り口はテラスになっていて、買ったパンをそこで食べることができ、50円ほどの安い値段でちゃんと抽出されたコーヒーも飲めます。

ぽかぽかと暖かな昼下がり、サンシェードにうすぼんやりと映ったお日様を見上げ、「幸せだなぁ」とつぶやきました。

故郷は今頃小雪がちらついているか吹雪か、毎日グレーの空の下でみんな「さむさむ~」と言いながら過ごしているだろうに、私はこんなにさんさんと太陽の下でアンドーナツを食べている。

「幸せだなぁ」とひとかじりしたアンドーナツは私の好きな粒あんではなくこしあんだけど、からりと揚がった皮にまとわりついたグラニュー糖が、じゃりじゃりと口の中で擦れ合いながら、アンコと皮と混じり合いながら喉を下っていく。

そのパン屋さんが日曜で閉店になりました。コロナ以降、あちこち閉店になることが多くなりましたが、松屋とこのパン屋さんは私の「東京への第一歩」の象徴のようなものでしたから、寂しいものがあります。

こうやって時が過ぎ、いろいろなものが変わっていくんだ。それは仕方のないことなんだ。

そうは思っても、思い出フェチの私としては、またあの時と同じようにアンドーナツを買って、テラスに腰掛け、あの時のことを思いながら、グラニュー糖まみれのアンドーナツにかじりつくのです。