子育てはいいとこどり

離婚した後、面会交流をしている人の中で「元夫に面会交流させてるけど、たまに会ってニコニコしながら美味しいものを食べさせて、欲しいものを買ってあげるあちらはそりゃー好かれるでしょうよ。こっちは毎日子どもの世話で自分の時間なんかない。経済的にも大変。向こうはいいとこどりをしている。腹が立つ」という方がいます。

確かに子育ては1分1秒が積み重ね。子どもが小さいとトイレにさえ行くこともできず、泣きだしたら止まらない赤子を相手に一緒に泣くか、必死に怒鳴るのを抑えるか、いらいらしっぱなしが毎日続く。

どこに行くのも連れて行かねばならず、洋服の試着もできず、ぐずりだしたら買い物の途中でも帰らなければならない。熱を出したら「今日もお休みで、すみません」とスマホと一緒にペコペコ頭を下げる。

大きくなった子どもは「誰のおかげで飯が食えていると思うんだ」と言いたくなるほど横柄でいつも仏頂面して「メシ、フロ、カネ」しか言わない。LINEの既読もつかず、いつ帰ってくるのかもわからない。

もしくは何か注意するたびに「うっせーなー、ばばー」と怒鳴り散らし、パンツが見えそうなスカートをはいて出ていく。いったいどこへ行くのやら。高校を卒業したらいったいどうするのやら。

それなのに、別れたあちらは好き勝手放題。少ない養育費を支払っているだけで大きな顔をして子どもに会う。ほんとに「いいとこどり」だと思います。

でも、子どもが小さかった頃、初めてたっちができた時、入園式の時、運動会の時、歯が抜けた時、満点を取った時、母の日にプレゼントをくれた時、高校の合格発表を一緒に見た時。いつも母は全部一緒に過ごしていたんです。いい時も悪い時も、悲しい時も、一緒にいられたんです。ちゃんと「いいとこどり」してたんです。

一緒に暮らしていない相手は、その劇的瞬間を知らない。子どもと共有できていない。ちょっとした時間だけ一緒にいても、肝心な時に一緒にいられなかったのです。これはもう子育てをしたとは言えません。

ずっと子どもと時間が共有できること。相手が欲しくても叶わない、いいところをとることはできていると思ったりします。

#でも愚痴りたい気持ちはよーーーーーーくわかりますよーーー。