衆議院選挙期日前投票終了

投票日に何か用事ができて投票できなくなったら困るので、先日期日前投票をしてきました。

今回初めての経験は「投票入場券が届かないのに投票した」でした。あの家に届く紙を「投票入場券」というのも、投票はあの紙が無くてもできるというのも初めて知りました。

投票所に行って「入場券がありません」と言うと、身分証明書(私は運転免許証)を見せてチェックを受け、小選挙区、比例区、最高裁と投票して終了です。

自分の居住区でなくても、どこでもこれ式ができたらいいのに。

マイナンバーを持っている人は家からでも投票できたらいいのに。何のためのマイナンバーなんだ。個人資産を紐づけして人の資産を管理するためのものか?

選挙の日は27日。自分の声を届けるチャンスなので、投票に行きましょう。

うれしいお土産

先日友人たちと飲み会をして、家に帰ってからだいぶ経った頃、A子さんからLINEグループにメッセがありました。

「私の家の鍵がないんだけど、誰か知らない?」
「さっちーからお土産にもらったキーホルダーがついてるの。このキーホルダー、私のお気に入りなのよ」

はて?鍵は当然知らないのだけど、私がお土産にあげたキーホルダーとは何だっけ?

結局鍵は見つからず、夫さんから玄関を開けてもらって翌日捜索したところ、2軒目に行ったスナックの床に落ちていたとのこと。

「ねぇねぇ、私があげたキーホルダーってどんなの?」とLINEで返信したら画像が送られてきました。ハート型にダイヤのような透明とピンクのガラスがはめ込んである小さめのキーホルダーです。

ああ、あの旅行に行ったときのお土産ねー。そうだそうだ、そういえば買った。

「このキーホルダー、小さくてすっぽり掌に収まって、バッグの中に入れていても邪魔にならないし、第一かわいいし、ずっと使ってたのよ」

あの旅行に行ってからもう8年近く経つのに、その間彼女はずっと使い続けてくれていたんだ。なんだかとっても嬉しい。

旅行のお土産はいろいろ考えます。ちょうどいい値段で、実用的で、持って帰るのにかさばらずというと物は限られます。キーホルダーなんてお土産としてはベタだけど、私はもらって嬉しい。

なかなか自分で買うことがないし、ちょっとした旅のお土産としては最適なのではないかと思います。

#鍵だけでなく、いろんなものにぶら下げられるし

ずっと大事に使っていてくれた彼女にも感謝です。

その他に人にあげて喜ばれたものは大会のグッズです。その大会に出場した知人にもらった一式を進呈したらものすごく喜んでくれました。彼女にとってその大会はとても思い出深いものらしいのです。

あげたものの中にエコバッグがあって、会うといつもそのエコバックを持っていてくれます。

「大のお気に入りなのよ」と言って愛用してくれているそう。私にとってはそれほど思い入れのない大会だったけど、彼女にとっては一生の思い出だったらしくTシャツやジャケットも大事に取っておいてあるそうです。

お土産は旅した本人が楽しんだことのおすそ分けという意味あいですから、「とりあえず何か買っていくか」ではなく、できれば本人が普段使いにしてくれるものを選んでいます。

今年はかわいい小さなピアスボックスをあげた人がとても喜んでくれました。私自身のお土産はほとんどなかったんですけどね。

いいんです。旅の思い出さえあれば、その思い出でいつもほんわか楽しい気分でいられるから。

ちなみに写真は友だちがハワイのお土産に買ってきてくれたクッキー。これ、すごく美味しいんですよー。

独り身が入院治療をするということ

アマゾンが99円でkindle unlimitedを利用させてくれるとのことで(どうも定期的やっているみたい)申し込んで、いつものようにコミックの機関銃読み。

その中の一冊

「痔だと思ったら大腸がんステージ4でした 標準治療を旅と漫画で乗り越えてなんとか経過観察になるまで」

内容はタイトルのままなのですが、以前患った痔だと思って、排便時の出血をそのまま放置していたら、すでにステージ4の大腸がんだったというプロローグです。大腸がんは友人も身近な人も患っている病気なので身を入れて読んでみました。

筆者のガンは手術が不可能なため、抗がん剤でしか治療できないとのこと。昨年亡くなったマリコさんの闘病を知っているだけに、身につまされました。

「マリコの駆け込み寺」

マリコさんが化学療法を受けている時は、本当に辛そうでした。

そしてふと、マリコさんは夫さんや妹さんが身近にいて、入院の時はいつもそばにつきそっておいででした。この作者の方も同じで、夫さんや実家のご両親、義父母がサポートされていました。

ふと、さて、私だったらどうなるんだろう。

全身麻酔をする手術を受けた時の同意書は子どもその2に書いてもらいました。「手術の付き添いの方は?」と医師に聞かれたときは「誰もいません。ひとりで大丈夫です」と答えたところ、全身麻酔をする時は身内のつきそいが必要だと言われ、しかたなくまた2に頼みました。

近所に住んでいる友人だったら何人でもお願いできる人はいるけれど、ちょっと離れている子どもに「付き添って」とはあまり言いたくない。

でも、頼める身内がいない人はどうするんでしょう?

退院の時は「誰かご家族の方は来られますか?」と言われましたが、ひとりで清算を済ませ、荷物を持ってひとりで帰りました。なんだか同室の方たちはご家族が迎えに来ていたようですが、自分でできることなので特に問題ありません。

それはかわいそうだと思う方がいるかもしれませんが、先日入院した友人は

10日間入院したけれど、夫さんが来たのは入退院と(全身麻酔のため)手術につきそった時だけで、後は1日も来なかったそうです。

「ダンナが来ても別に話すこともないし、めんどくさいだけ」と、お見舞いに持って行ったプリンを一緒に食べながら彼女は語っていました。

#まぁ、モラ夫なら来てほしくないわなぁ。ここの家はモラ夫じゃないけど

#子どもでも同じですね。

家族がいようがいまいが、入院の準備や闘病はひとりでできますよ。みじめだと思わなきゃいいだけです。

あちらでもこちらでも骨折

たまたまネットを見ていて見つけた記事。

“若貴の母・藤田紀子 東京駅で転倒し救急搬送 座骨骨折で1週間の入院”

https://www.daily.co.jp/general/2024/10/03/0018189766.shtml

コメント欄に「高齢者は転ぶとすぐに骨折する」とありますが、ここ1カ月で知り合いが2人骨折しました。ひとりはそばにいた私が救急車を呼び、私も救急車に乗って夜のERに行きました。転んで手をついたのですが、手のつき方が悪く、複雑骨折の診断で金属プレートを埋める手術になりました。

転んで足を折った、自転車で転んで鎖骨を折ったに続いて手を折ったです。みんな転んで怪我をしています。自転車の人は別にして、みんな日常生活の中でさもないところで転んで骨折です。以前も書きました。

私も転ぶ時はあるのですが、体が柔らかいのか転び方がうまいのか、幸い大けがを負うことはありません。

#ただし、いつもあちこちに痣ができている

おっちょこちょいなので私が死ぬときはきっと病気ではなく怪我だろうなと思い、医療保険はいらないけれど、傷害保険はかけようかと思ったことはあります。

今回手を折った友人は幸い傷害保険に入っていたので保険金が出るそうです。友人が入っていた保険はこれ↓「新コープのケガ保険」

https://coopkyosai.coop/sp/dantai/lp/kega.html

彼女は骨折が2回目で、1回目の骨折の後に入ったそう。

1,000円未満で入れるし、お手軽なので、骨折しそうな方はどうぞ。

ちなみに前に足を骨折した友人は骨粗しょう症だったそうで、カルシウム注射に通っています。今回の友人は検査の結果「りっぱな骨」とのことで、別に骨がもろくて骨折したわけではなかったらしい。

救急車に乗った時に救急隊員の方から「高齢の方でよく折るのは大腿部ですね」というのを伺いました。「こんな太い所の骨が折れるんですか?」と聞くと「はい、簡単に折れますよ。私たちはもう200人も300人も見ています」とのこと。

#どこをどうしたらこの太い所の骨が折れるんだろうか。

ちなみになかなか行く病院が決まらないので「時間がかかるんですね」と言ったところ、「救急医療はもう崩壊してるんで」とのことでした。救急車は本当に救急だった場合は無料ですが、そうでなかった時は7,700円の有料になるそうです。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240604/k10014466921000.html

友人は幸い?にも後日になりますが入院になったので無料に。

よく「救急車を呼ぶ前に#7119に電話するように」とさかんに宣伝していますが、友人が電話したところお話し中で、「お急ぎの場合は119に電話してください」というテープが流れたそうです。

#意味ないじゃん、というかそちらの方も崩壊しているのかも

私はよく救急車を呼ぶ場面に出くわすので救急車の呼び方について。

まず住所を聞かれます。〇〇スーパーの前ではだめ。何丁目何番地まで言う。住所は電信柱に書いてあることがあるので、電信柱を探す。もし電信柱がなければ、近くのお店に飛び込んで住所を聞く。次にどういう具合なのか、頭を打っているかいないかを聞かれます。頭を打っている場合はその治療ができる病院を探さなければならないので重要です。

私はいつも路上で倒れている人ばかりを救急搬送しているので、病気の場合はわかりません。この頃多いのは熱中症ですね。みんな80歳以上のお年寄りばかりです。

それから救急車はすぐには来ません。20分以上かかると思っていた方がよいです。たまたま車庫が近ければ別ですが。

グッドごはん ひとり親家庭に食品の贈り物を

私は20年以上、もしかしたら30年くらいユニセフに毎月寄付をしてきましたが、この度寄付先を変えることにしました。

グットネーバーズという団体が行っている 国内ひとり親家庭のフードバンク【グッドごはん】です。

昨日、タブレットをつけたまま寝ていてふと起きると、ひとり親家庭に食料を届ける活動【グッドごはん】のCMが流れていました。このCMです↓

今、スーパーの米の棚には何もなかった先月と違いお米の袋がつみ重なっていますが、値段が5キロ3,600円もします。10キロの間違いじゃないかと二度見しましたが、間違いなく5キロ。3,000円以下の棚はからっぽ。

5キロのお米が3,000円以上もしたら、食べ盛りの子どもがいる家庭、特にひとり親家庭はどうしているんだろうと胸を痛めていたところでした。

そういう人がいたらせめてお米を買ってあげたいなーと思っていたところにこのCM。1家庭に1万円以上の食料を現物支援しているそうです。

ユニセフとこちらの両方に寄付ができればいいのですが、何分限られたお金で暮らしているのでそれは無理。ユニセフは世界中から寄付が集まるので、自分が何に寄付しているのか目に見える形に現れる方にお金を入れることにしました。

いろいろと寄付金を募るところはありますが、自分のお金が何に使われているのかはっきりとわかる方がやりがいがあります。それにはクラウドファンディングが一番なのですが、以前かなり疑問符がつくクラファンに大金を出してしまったことがあり(後からわかりました)、寄付先には慎重になっています。

私も子ども達を育てている時に「食べ盛りの子がいるんだから大変だろう」と、農家の友人が安くお米を分けてくれたりしました。

ここに書きましたが、困った時に頼りになったのは親や親類ではなく、近くの友人でした。

元ひとり親が今ひとり親を支援しないでどうする!

ということで、寄付先をユニセフからグッドごはんに替えることにしました。私が普段困らずに暮らせていることの、せめてものお礼かもしれません。

保険証は忘れたらイカン

私は難病指定の病気で、3カ月に1度お薬をもらいに遠くの総合病院に行きます。暑い夏のある日、予約している時間に行くと、なんとお財布を忘れてきたことに気づきました。保険証や診察券は財布の中なので、お金も保険証もないという状況です。

クレジット機能付きのSuicaは持っていたので、今日は全額クレカで支払って、後から払い戻しをしてもらおうと受付の方に事情を説明すると、「全額支払っていただくととても面倒な手続きになるので、あとから払いに来ていただくことにしましょう。支払い期限はちょっと長めに2週間取りますね」と言ってくださいました。

遠い病院なので、ささっと帰って戻るというわけにもいかず、翌週用事でその辺りに行くので一緒に片づけてしまおうと思いました。

病院の後に他にも予約してあるところに行かなければならないので、保険証を取りに戻るという手間が省け、やれ助かったとその時は思いました。

診察が済み、処方箋をいただき、お薬はまだ残っているので翌日薬局に行くことにして、その日は予約の場所へ行きました。

スマホがあればマイナ保険証が使えると思ったら、なんとマイナ保険証はマイナンバーカードがなければログインできない仕組み。当然マイナンバーカードもないから

#意味ないじゃん

翌日処方箋を持って薬局へ行くと、「この処方箋は自由診療の処方箋なので全額いただきます」と言われてびっくり!

「保険証は今持ってます!」と言っても、「この処方箋では自由診療でしかお薬を出せません」と言うではないか。

私の薬はちょっと値が張る薬で、しかも3か月分だから自由診療だと数万になります。しかもその日は金曜日。処方箋の有効期限は4日間だから日曜には切れてしまいます。

とりあえず病院に連絡をして処方箋の再発行はしてもらえるかと聞くと「再発行は可能だが、それも自由診療の処方箋になる」とのこと。つまりは保険適用の処方箋をもらうには再度受診しなければならないということ?!そんなバカな。

病院側の説明では「病院としての仕事はここまで。薬局の中には保険証を見せれば『いいですよ』と保険適用をしてくれるところもあれば、受診料を支払ったという領収書を見せればいいというところもある。自分でそういう薬局を探してください」とのこと。

1軒目の薬局は「あくまで全額」だったので、2軒目にあたります。そこで「病院にお金を支払ったという領収書を見せれば保険適用します」と言われ、翌日は土曜日なので残された時間はあと3時間。ダッシュで病院に行ってお金を支払い領収書を薬局に持っていきました。

#支払い期限は2週間後にしましょうね、と言ってくださってもこれじゃ意味がない

ぐちぐちと書きましたが、保険証を忘れるなんてことは今までなかったけど、世間的には結構よくあることだと思うのです。よもや保険証がなければここまで面倒なことになるとは思いませんでした。

ちなみにもしクレカで全額支払ったら、病院にレセプトを請求し、そのレセプトが届くのは10日後くらいで、それを病院に取りに行って市役所の保険課に提出すると1カ月後くらいにお金が振り込まれるのだそうです。ツケにしてもらえば病院には2度行くことになるけれど、役所には行かなくてもいい。確かにこちらの方が楽。

何にせよ、保険証は忘れないようにしましょう。

それよりも、マイナポータル、マイナンバーカードが無くてもログインできるようにして!

風邪と喉の痛みにはハニージンジャー

3連休は夏風邪で寝込んでいました。寒気がして「こりゃ熱が上がる」と思い、一番先にしたのは「コロナ検査キットを買ってくる」でした。ともかくコロナでなければ家から出られないということにはならないので、一番重要でした。

自転車を飛ばして一番近い薬局に行ったら、春に同じように熱が出た時に買った同じキットが1,680円。あれ?前回は確か1,250円だったはず。400円も高い!

「キットはこれですね」と出してくれた薬局の方に「すみません、いいです」と押し返し、怪訝そうな顔をする店員さんの後にして店を出ました。

100円の違いなら「まぁ、いいか」で済みますが、400円も違うとなれば2分と違わないそちらの薬局から当然買う。

無事にキットを買ってきて、綿棒でぐりぐりし、陰性の検査結果が出たのでこれは夏風邪と断定。この時土曜日の夜。連休の3日間は39度近い熱と断続的に続く咳で夜も眠れず、でも休日なのでそこは気を楽にして、ここぞとばかりに寝込んでHULUでトルコドラマ三昧しました。

幸い食料は買ってあったので、それを食べて過ごしました。ひとり者が病気になると心配になるとか気が弱くなるとかいいますが、昔々から病気はひとりでやり過ごしてきたので、看病がなくても平気というか介護された経験あまりなし。

むしろ一晩中ゲホゲホとする咳を家族に気をつかいながらするよりも、盛大に大声で咳をしまくることができるのが独り身のいいところです。家族にうつす心配もない。

ところが盛大に咳をしまくったせいで喉が腫れあがり、熱が下がっても喉の痛みで声が干からびてしまいました。今年春に咽頭炎をした時にもらったトローチをなめまくっていましたが、ふと「生姜がいっぱいあるから生姜湯でも作るか」と思いつきました。

「小さな頃熱を出すと母が生姜湯を作ってくれてね」という話はよく聞きますが、ついぞ私はそのようなものは飲んだことはありません。ただ、「桃の缶詰」は食べさせてもらいました。私の病気フードは「桃の缶詰」です。

気になったのは生姜の刺激とハチミツの甘さが腫れあがった喉にささらないかということでした。カップを傾け、おそるおそる飲んでみたら、温かな甘い生姜湯がまろやか~に、腫れた喉を包み込むように、咽頭を通り過ぎ、食道を下り、胃に到達しました。

このハニージンジャー、美味しいじゃん!

ゆっくりゆっくりと喉に流し込み、体も暖かくなりました。今回は3連休のため病院がお休みだったので、普段だったら病院に行くところですが結局行かずじまいで、春にもらった薬の残りを飲み、自力で治しました。

#熱が出たからって医者に行く必要ないなぁ

夏風邪は疲れもあるので、自分を甘やかし、ゆっくり休養とハニージンジャーで自力回復できますよー。

母のリップサービスは立派

施設にいる母とはできるだけ会わないようにしていますが、片道2時間と、行って行けない距離ではないので、2、3カ月に1度程度は行っています。以前は月イチでしたが、今年のお正月にバトルをしたため期間延長になりました。

いつもは母のお気に入りのサイゼリアで食事をするのですが、ひどい暑さなので私がミニキッチンのある母の部屋に行き、ちゃちゃっと料理をして一緒に食事をしました。

目新しい話題と言えば、弟一家がコロナになったということ。私は一昨年コロナ罹患。母はまだです。弟一家のコロナが心配だというので「普通の風邪と変わりないよ」と言うと「お前の時は熱はでたのかい?」と聞く。

「出たよ、3日くらい」「3日も!そんなに!大変だったねぇ。私がこんなんでなかったら看病しに行けるのにねぇ。。」

# あのーー、私、小さい頃は別にして、中学生以降あなたに看病してもらった経験、ないんですけど。

母は「言うだけタダ」とばかりに「沢山お金をあげたいけどお金がない」「看病してあげたいけど今は無理」と「口だけサービス」の人です。

生まれが商家の娘のせいか、おせじが上手。大きな声で高らかに「まぁ~~~~、どこの女優さんかと思ったら娘さん?!!ま~~~、きれいだこと~~~~!!!」

「〇ちゃんは子どもの時から頭が良かったものね~~。ちょっと他の子とは違うと思ってたのよ~~!」

などということを次から次へと心にもないことが口をついて出ます。そしてその当人と離れた後、「ああ言っとけば親だって面白いだろ。まさか本当のこと言えないじゃないか」とあっち向いてほい。

もちろん言ってはいけない本当のことはありますし、彼女のヨイショはむしろ人間関係を円滑にするよい習性だと思っています。あちこちで毒を吐くおばあさんより100倍優秀。

ただ、この裏表ある習性を小さな頃から見ている私は、人とは二面性を持つものだとしっかりと心に刻んでしまいました。だからそんな母にたまに褒められても「何か魂胆がある」と思ってしまいます。

#だってそういう人だもの

イエの財産は家のもの

こちらの続きです。

相続についてのご相談を受けている中で、考えさせられるものがありました。今回、この話題を長々と続けてきましたが、究極に私がお伝えしたかったのはこれです。

あるご相談で夫が長い闘病生活の後亡くなったが、夫の名義だった土地が夫のきょうだいの名前に変わっていたというのがありました。夫が亡くなるのを知って、きょうだいたちが「この土地は元々は〇〇家のもの。嫁には渡したくない」と名義を変えたようです。

確かにその土地は夫の親が亡くなって相続したものでした。ご相談者が住んでいるというわけではなく、遠く離れた場所にある土地だったのはまだ救いがあります。

この「〇〇家の土地を血の繋がらない嫁に渡したくない」という夫の実家一族の熱量は並々ならぬものがあったと言います。

ここで昭和22年に「妻にも財産分与を」という法律ができ、さらに世の中の変化により昭和55年に1/3から1/2に法改正されました。今、これを更に進めてもっと多くの財産を妻が受け取れるようにするという考え方があるそうです。

その考え方とは「夫婦の財産とは妻と夫で半分ずつ。1/2は元々ある妻の取り分にすぎない。財産分与をするのなら、残った1/2を子どもと妻で分けるべき」というものだそうです。

これを聞いたときに私は「ほほーーー、なるほどーー。確かにー、賢い人ってすごいなー」と思いました。

ところがこの案は世の中のコンセンサスが得られず、現在のところ実現ができていないそうです。この「世の中のコンセンサス」とは、イエの一員である私と嫁である私で立場が違い、イエの一員であるこっち側の私として考えると理解できます。

離婚の時に「同居してから別居するまでの間に築いた財産は1/2にする」というのが当然ですが、その財産を築くことができたのは、元々育った家のおかげでもあります。

例えば両親が苦労して息子の教育費を作り、医学部に進学して医者になり、大金を得るようになった。そして結婚したとします。医者になれたのは実家と本人の努力です。

ある日突然現れた女と結婚して子どもができたが、事故で亡くなった。その時に「半分は私のもの。残りの半分の半分も私のもの」と言われたら、なんだか疑問が残ります。なぜならその財産を築くことができたのは、実家の努力もあったからです。

子どもはどうかと言えばここで書いた通り

血が繋がった子どもはこの家の血筋がある、この一族の一員。だからいいけれど、ヨメはよそから来たよそ者。

ここで妻と夫の実家がとっても仲良しで、まるで本当の親子のように日々一緒に生活しているような関係だったらこの「半分の半分も私のもの」と言っても、「〇子さんのこれからの生活があるからどーぞどーぞ。これからも仲良くしましょうね」というかもしれません。

ただ、今の世の中でそれほど夫の実家と妻が濃い関係を築くとは考えにくいです。夫が死亡し、その後次第に、もしくは亡くなるとすぐに夫の実家とは疎遠になっていくのが普通ではないかと思います。せいぜい孫がたまに会いに来るとか。

その後妻は亡き夫とその実家が作った財産を持って再婚するかもしれません。もちろんこの逆もあります。妻とその実家の努力によってつくられた財産が、妻の死亡によって夫とその子が分ける。夫が「半分の半分も僕のもの」と言ったとする。

そして夫は再婚して別の家庭を作り、妻の実家とは縁が切れる。妻の実家はなんだか釈然としないのではないでしょうか。新しい妻は「私と結婚したのに亡くなった奥さんの実家にいりびたる夫」なんて嫌でしょう。←あんまり考えられないシチュエーション。

イエ制度は無くなりましたが、その人を育てたのがイエであり、そのイエの関係者が生存している以上、「世の中のコンセンサス」は得られないだろうねと友人と話した結論でした。

大人の仲良し

職場の友人たちと一緒にファミレスに行き、デキャンタの白ワインなどを飲みながらひとしきりおしゃべりをした時、A子さんが「あたしね、高校生みたいにべたべたしたつきあいをするのは嫌なのよ」と言い出しました。

「B絵さんて、とっても一生懸命みんなの間をとりもとうとしているけど、ああいうのは嫌なの。職場の人とは表面的に仲良しでいいのよ」

長い間専業主婦だったB絵さんは、60代で社会復帰して始めた仕事が楽しいらしく、まだ「職場の友だち」という関係が物珍しく、いろいろと世話を焼いたりイベントを企画したりしていました。

「若い頃の同僚ならいざしらず、それぞれに家庭があるわけでしょ?その時間だけ職場にいる人と濃いつきあい方はしたくないのよね」

「その家庭事情も様々だから、そこに入ってこられるのも嫌。なんで私の家の事情を話さなければいけないわけ?私の交友関係のことを話さなければいけないわけ?私は職場の同僚にそういうことは求めてないのよ」

それは私も同感。私やA子さんやその他の人たちとファミレスに行ったのは、職場での情報交換をしたいからです。その場では話せないことを共有しあい、仕事に役立てたかったからです。

お互いの生い立ちから家族までしっかりと知っていて何かの時には助けてくれたり、愚痴をきいてくれたり聞いてあげたりする人はいますが、それは還暦を過ぎてぽっと入った職場で見つけるものではないと思うのです。

還暦を過ぎてから勤めるところでは、薄い繋がりで結構。それまでに培ってきた経験を生かしての仕事だし、それを求められての採用だから自分に与えられたことを全うすればよい。ただ、何分仕事をするうえで、いろいろな知っておいた方がいい情報というものはあります。

だから「ちょっとお茶でも」と言って職場から離れたところで情報交換会をしましょうということです。そこで「お子さんは?」「お孫さんは?」と突っ込んで話すものでもないし、聞く必要もないことです。

高校生のような「あたしたち、なんでも知ってる友だちだから!」というのを求めている方は相手も同じなのかを確かめてから身上調査をしないとかえって嫌われる元です。