「夜に駆ける」と若者たち

通っているジムではいろいろなダンスを踊っていますが、昨年踊ったものに「夜に駆ける」の曲を使いました。インストラクターがこの曲の背景にほれ込み、その解説を長々と毎回するものだから、踊る時間が短くなる(笑)

「夜に駆ける」は大ヒットしましたし、耳障りのよいアップテンポの曲と、ikuraさんの伸びる高音と早口言葉のような歌詞が面白いのでよく聞いていました。

インストラクターはこの歌詞の意味は深いんだと、かなり入れ込んで解説してくれたのですが、その深い言葉の意味を知ったら、私もこの曲をたらーんと聞くことができなくなりました。

原作はネット小説「タナトスの誘惑」です。ショートストーリーですからすぐに読めます。若者の自殺をテーマにしたものですが、私の気持ちが落ち込んだのは、登場する若者がブラック企業に勤めていて、疲れ果ててたところに死への誘いがあるという部分です。

”もう嫌だって疲れたよなんて 本当は僕も言いたいんだ”
”変わらない日々に泣いていた僕を 君は優しく終わりへと誘う”

この物語の主人公と自分の子どもが同じ世代のせいか、ブラック企業で体をすり減らしながら働く若者が、死を願う女の子と共に夜に駆けるというストーリーに暗くなってしまいます。

私たちの世代は、特に大きな野望もなく、淡々と生きていればそれなりの生活ができていました。毎日同じ作業をする工場に勤めたり、買い物にくるお客さんの対応をしたり、高校を卒業したらほとんどの人は働き始めました。進学率は3割程度でした。

人と同じことを淡々としていけば、生活には困らず、定年後は慎ましい年金をもらって穏やかに過ごすことができました。男性は学校を卒業してから勤めた会社にいれば勝手に昇進し、同時に昇給し、家を建てて車を買うものでした。ほとんどの人は少しの差はあっても同様の暮らしができました。

ところが現代はそうはいかない。まず単純労働が外国に行ってしまい、その類の仕事が激減しました。それなりの才能のある人には無限に開かれた世の中になった代わりに、普通の人は長い労働時間を時給という形で受け取り、身を削らなければ生活できなくなりました。ちょうどこの「夜に駆ける」の主人公のように。

”もう嫌だって疲れたよなんて 本当は僕も言いたいんだ”

自分の子どもたちを見ていて、君たちは本当に大変な世の中を生きて行かなきゃいけないんだね、辛いね、大変だねと、よく思っていました。ソコソコに働けばみんなと同じ生活ができていた私たちの時代は、今の若者から見たら羨ましいほど楽な時代だったかもしれません。

「夜に駆ける」と、先の見えない混とんの中に生なければならない今の若者たちに、何ともいえない切ないものを感じています。

壊れた母

長々と書いてきましたが、横暴だった父親が年を取ってから正気になり、定年になる頃はむしろ社会通念を知っていて、働いている子どもと話は合うし、アドバイスや協力もしてくれるようになったという話は時々聞きます。我が家もそうでした。

ところが壊れてしまった母は、もう元には戻らない。社会で生きていくための知識はなく、ひたすら昔の恨み言と父親の愚痴を言い、不満ばかりを垂れ流す困ったちゃんとして家族からも疎まれています。

こんなはずではなかったと思うでしょう。本来ならば自分が耐え忍んで守った家や子どもなのだから、全面的に自分に感謝し、自分の味方として夫と対峙してくれるはずだったのに、なぜか夫と仲良くしている。

面白くない。自分がいなければこの家は成り立たなかった、生活も、経済もすべて自分が耐えて堪えて、必死で守ってきたから今があるのに、なぜか子どもは自分に感謝せず、ひとりで大きくなったような顔をしている。

それでも家事ができている母はまだ家事労働者としての存在感はありましたが、子どもが独立したらそれも無くなって、ただの愚痴垂れ流しマシーンとなってしまいました。

今、モラハラ夫と共存している方に向けてこれを書いています。家や子どもを必死で守り抜いた後、子どもたちがこぞって感謝して今度は自分が守られると思っていると、足をすくわれることになります。

もちろん苦労した母を思い、その苦労に感謝し、定年後家にいてまだ横暴の限りを尽くしている父親から母を守っている子どもはとても沢山います。では、どこが違うのか。

守られる母は愚痴の垂れ流しなどはしません。ひたすら不満ばかり言い続けたりしません。精一杯自分の人生を生きようとしている母だから、かばいもするし感謝もする。義母がそうでした。

私の母よりもよっぽど苦労していましたが、その昔話はたまに聞くことはあっても頻繁ではない。いつも私のことを気遣ってくれて、何も言わなくても助けてくれました。もし義母が生きていたならば、介護もしたかもしれません。でも、義母は介護を望みはしなかったでしょう。そういう人だから感謝もできるし心からのいたわりもする。

そこが違うのだと思います。

不要な争いはしない

いつだったか、講座の前振りでした話です。

「今日、ここに来るときに駅まで自転車で行ったんですが、途中、前からおっさんが乗っている自転車が来たんです。こちらは左側を走っているのだから相手が悪い。でも、おっさんはどんどこ走ってくる。

本来ならば、おっさんが危険な車道に寄って、私に道を開けるのが当然と思うのですが、おっさんは避ける素振りもなく、真っすぐこちらに向かってくる。左側を走っている私は、この位置をキープし、安全に走行できる権利があるのですが、実際は違法なおっさんに安全な道を譲り、私が車道に出ました」

ここで聴衆の方から「えーーー」っと声にならない、残念だなぁといいたげなムードになりました。

正義のクマガイならば、当然おっさんに道を譲るよう抗議するものだと思っていたのかもしれません。

でもね、相手はおっさんですよ、定年退職したおっさん。これが小中学生だったら、いったん自転車を止めて「右側を走るのは危ないよ」とでも声をかけるかもしれませんが、なにしろおっさん。

おっさんに真正面から正論をぶつけたところで聞くはずがない。いつぞや、歩いている時体がふれそうになったので、すれ違う時に「すみません」と頭を下げたら

  「クソババア!!!!!!!!」と返ってきました。

私よりも20歳は年上のクソジジイからクソババアと怒鳴られ、はぁ~??という感じでしたが、これ東京では普通の光景。

というわけで、このお年頃のジジイとは関わり合いにならないのが一番なので、私が避けました。無用な争いはしないに限る。

熊谷さんならきちんと自分の権利を主張すると思ったと期待される方には申し訳ないですが、ほとんど〇チ〇イのような人をまともに相手をしちゃいけません。結局理不尽な思いをしなければならないのは自分なのだから。

ただ、結婚した相手と争いを避けたいから自分の権利を譲るというのは止めた方がいいです。最初にそれをすると、相手は譲られて当然、妻に権利なんか最初からないと決めつけられますから、ここは絶対に譲ってはダメ。めんどくさかろうが、どうしようが、権利を放棄すると、相手がモラハラ化してしまいますので、やめましょう。

ただ、本物のモラ夫には何を言っても通じません。奴隷女が何をなまいきな事を言うのかと火に油を注ぐことになりますから、さっさと離れる対策にシフトしましょう。

がまんは何のため

被害者の方は「自分さえ我慢すれば」と仰る方がとても多くいます。「私がわがままなのかな」「自分さえがまんすればいいのに、我慢が足りないのだろうだろうか」と仰います。

我慢するというのは、大きな甘い果実を手に入れるためにするものです。嫌な気分のままモラハラ夫と我慢して一緒に暮らし、手に入れられるのは夫が定年退職して一日中家の中に居る家での二人暮らしです。気分は嫌なまま、さらに経済的な締め付けはひどくなります。

昼間、町には老人たちが沢山いますが、不思議と男性は図書館、公民館などに集まります。図書館では新聞を読みながら居眠りをする、公民館では無料のコンサートを聞きながら寝ている。

女性は公民館のサークル活動やジムに沢山います。ジムでは体を動かすより口を動かす方が一生懸命。あちこちで2、3人固まってのおしゃべりで日がな過ごしています。男性もいるにはいますが、圧倒的に女性が多い。

どちらにしろ、持て余した時間を潰すのに毎日あちこち出歩いている方が大勢います。

これはむしろいいことで、老人がふたりで家の中にいると辛気臭くてよろしくないし、夫婦のどちらも「相方が家を出て行ってくれればいいなぁ」と思っていますから、どちらかが家を出ることになります。そしてその方が夫婦関係がうまくいく。

もちろん夫から離れて一人暮らしをすれば同じような老後にはなりますが、同じ家にこういう夫はいませんから、自分のことだけ考えればいい。老後の経済が不安なのは、夫がいてもいなくても同じです。夫がいる人は悠々と暮らしていますか?

さらに年を取ると「ケアマネさん」とか「デイサービス」などという言葉が出てくる。そういう年になっても、モラ夫の場合は小言が絶えません。一日中小言です。何しろ妻しか当たる先がないのですから。

さすがに大きな音をたてるなどは無くなりますが、ブツブツと文句を言う、何か言えば怒鳴りつけるは相変わらず。

がまんはその先にいい事があるときにするもの。

がまんの方向を見間違わないようにしましょう。

経済観念は変えられるか

経済観念は今までずっと生きてきた中で培われるものなので、変えるのは相当難しいと思います。モラ夫が妻子にお金を使いたくない、妻の化粧品、子どもの洋服は(もらいものがあるだろう!)自分には不要なものですから、ここにお金を使うとかなりゴネる可能性が大です。なぜなら自分が損をするから。

彼のお金は使っていないし、自分のお金で買うんだと言っても承知しない。この家に「妻のお金は存在しない」のです。自分のものは自分のもの、妻の物も自分のお金なので、俺の金を減らすのは許さん!です。

彼はそういう経済観念の持ち主なのです。これは変えられない。もしこの家で共存しようとするならば、彼の経済観念に合わせるしかありません。とにかく彼が怒りそうな出費は避ける、目に入って怒られるようなものは買わない。買おうかどうしようか迷ったら買わない。

これがモラハラ家庭で生き延びるコツです。

#私は「かわいいな~」と思って買ってきた風鈴が夫の逆鱗に触れ、長期無視の刑に処されました。

#フルタイムで働いていて、風鈴1個買えない。→だから離婚しました~~~

お金に対する考え方は変えられません。それは彼の性格の根幹にもなる事柄だからです。それは貧しい家に育った場合もあるし、お金はあるけどその使い道はきっちりはっきりしているという家もあります。

教育や教養には惜しまないけれど、食費や衣料にはまったく使わない家があります。ここまでするかというくらい、ギリギリにきりつめます。まさに「ボロは着てても心は錦」。

もしこういう家で育った人と結婚したならば、この家の色に染まらなければならない。教育や自己研鑽には惜しまないという信念は一般受けしますので、それのどこが悪いのかと言われてしまって、これは手強い。

本当に、お金に対する価値観はいろいろです。

経済観念はいろいろ

沢山の方とお話しさせていただいて、いつも思うのは「経済に関する話に普通はない」ということです。

お話の中で、ほぼ全員の方「普通はこうでしょう」と仰いますが、モラ夫が思う普通とあなたが思う普通は違うのです。これを「価値観の相違」と言います。

経済に特化して書きますが、消費するものにお金を使いたい人、物に使いたい人、子どもには惜しげもなく使いたい人、そこそこでいい人、親きょうだいに使いたい人、自分たちの生活を大事にしたい人、ひとつずつ取り上げてもお金に対する価値観は本当に人それぞれです。

実際お話しを伺っていても、私の価値観とモラ夫の価値観の方が、お話しくださる方の価値観よりも合っていることがあります。それをケチだと言われたら、私はケチだと思います。でも今までどうしようもなくお金がなかったことはなかったし、何とか暮らしてこれたのは、身の丈にあったつつましやかな生活を実践してきたからだと思います。

前にもご紹介したことのある「リベラル・アーツ大学」の両学長ですが、超がつく富裕層ですが、その暮らしぶりはそれほど豪華なわけではありません。彼は必要なことにはお金を惜しみませんが、不要なものは排除します。徹底的に排除ではない。80%程度ゆるく排除します。このあたりが私の経済観念と同じなのです。

#昨日も駅前のお菓子屋で、お饅頭3個セット買っちゃったよ~。特売だったんだもん

私は家賃など家にかかる経費を除いたら、たぶん10万円で暮らせるんじゃないかな~。そして100万円の特別収入があっても変わらない。それは貯金する。←多くの日本人はこのタイプだと思いますけど。

10万円あったら暮らせる人と、100万円あっても足りない人がいる。このふたりが結婚したら、それは毎日バトルなのは当然でしょう。

「家族のゆくえは金次第」というのは、信田さよ子さんが書かれた本ですが、相談に来られる方の多くはお金にまつわるものがほとんどと言っていいほどです。これは夫に限らず、親、きょうだい、子どももそうです。お金の問題さえ解決すれば、どうにか暮らせる夫婦は多いものです。

私の場合、お金に関する価値観は夫とぴったんこでした。価値観同じ。旅行など、残らないものにお金を使う、物にあまり執着しない。ただ、夫はモラ夫なので、私が必要なもので、自分は必要としないもの、例えば私の着るもの、使うもの、化粧品などは自分は必要ないので排除対象。

これがモラ夫はケチ夫と言われるゆえんです。

OGのお仕事紹介ーDV 相談員編

OGのお仕事紹介にmangoさんからの寄稿で「DV相談員になるには」が入荷しました。

無事に離婚された方からは、本当に多く「今苦しんでいる方の支援をしたい」という声が聞かれます。大抵はそれを仕事にというよりも、現在の仕事をしながら空いている時間でお手伝いをしたいという方です。

ブログを書いたり、ネットで困っている方にアドバイスをしたり、もちろんモラハラ被害者同盟の掲示板に書き込んでくださるのも被害者の方にとって大きな力になります。

mangoさんは今あるDV被害者団体で支援をされていますが、このルートの何がいいかと言えば、

〇団体に所属すると研修の場があること。

〇メンター(先輩)から指導を受けられること。

〇ひとりではなく、他の方たちと活動することで知識が深まり、ミスのない支援ができて経験値が上がることが挙げられます。

このところネットでモラハラのカウンセリングをする方が多く見受けられるようになりましたが、その方たちはどのように勉強してカウンセリングをしているのか、大変気になるところです。

ちなみに私の場合、役所が募集していた相談員に応募し、採用していただいたという経緯です。役所に所属すると研修の機会が大変多く、更に自分でも沢山の講座を受けたので、勉強しながら支援ができるという、とてもよいルートに乗ったと思っています。

実際、役所や団体で相談員をしている方には元被害者が少なくありません。現在mangoさんは他のお仕事をされながら支援をされていますが、もしどこかの機関で相談員募集があったら、団体に所属して支援をしていたという経歴はとても有利です。

残念ながら「ネットで相談を受けていました」では職歴になりにくく、なかなか辛いものがあります。特に役所は身元がしっかりしているかを重要視し、前職やきちんとした団体に所属しているかを判断材料にしますから、個人ではなく、どこかのサポート団体で相談スキルを上げるというのが良いように思います。

更に団体に所属していると、委託派遣されて役所の支援員になることもあります。

元被害者だったというのは、DV被害者に最初から100%共感できますし、今何に困っていて、これから何が起こるか、何が必要かを読めますので、大変良い立場です。

副業としても悪くないと思います。DV支援をしていたというスキルが役にたつ職場もありますので、まずは支援の場に飛び込んでみてはいかがでしょうか。

婚活焦らずにと思ったけれど

GWの真っただ中、夫と一緒に暮らしている方々は大丈夫でしょうか。今年はうまくやり過ごせそうでしょうか。とにかく少しでも平穏な時間が長く続きますように。

さて、沢山の被害者の方のお話を伺ってきましたが、結構多かったのが結婚年齢のプレッシャーに押されての結婚です。昔は女性をクリスマスケーキに例えて25(日)を過ぎると残り物と言われたものですが、さすがにこれはこの頃は無くなりつつあります。

その代わり多いのは、28~29歳、35歳前後の方です。30歳になる前に結婚したいとか、昔でいうマル高になる前に子どもを作りたいという方たちです。現在は40歳を過ぎても出産する方も珍しくありませんが、できれば35歳前までにと思って追われるように結婚し、実はモラハラ夫でした、という場合が少なくありません。

結婚を急がないで、無理に結婚しようとしないでと注意喚起しますが、どうしても結婚したい方は視野狭窄になっていて、届かないようです。

結婚しない選択もあるよねと言うのは、結婚を急ぐ方たちにとっては「余裕ぶっこいての発言」に聞こえるらしいです。最近たまたま婚活コンサルタントの方と知り合ったのですが(私は婚活してません。たまたまですよ、たまたま)、情け容赦のないお言葉がありました。

「婚活するならすましてたってダメ。どう自分を売り込むか、相手に選んでもらうか、それをとことん考えて」だそうです。そんな奴隷市場じゃないんだから、フィーリングが合えばいいんじゃないの?と思ったのですが、「結婚市場はまず検索から来る。女性が相手に求めるのはまず収入。男性は年齢。億単位のお金を持っていれば、50歳の人でも20代の人と結婚できる。女性が相手に一番に収入を求めたら、2番目のものには目をつぶる」のだそうです。

3高を選ぶなら、相手もあなたに3高を求めるというシビアな世界。横澤夏子さんは21歳から100回以上の婚活パーティに出席したそうです。

https://otekomachi.yomiuri.co.jp/enta/20180720-OKT8T91978/

どうしても結婚したいと思うなら、若ければ若いほど有利になり、30歳を過ぎたら、相手に求めるものは低くする、とにかく自分をアピールして選んでもらうようにするのが大事なのだそうです。

「下手に結構モテる人だと自分に価値があると思い込み、遅くなりがちなんだよね~」「結果、結婚できずにどんどん年齢が上がり、お相手の年代も上がる。50代でも30代以下の女性を求めるのよね。」

なんかサ、外国ではシワの数が多いほど美しく年を重ねた印っていうけどサ、婚活市場ではそんなものは見向きもされないよう。選んでもらえないことが続くと、本当に自己肯定感が低くなってしまうのだそう。

結婚はしなくてもいいけど、子どもは欲しいと、結婚しないで40歳を過ぎた方々は仰るけれど、そこに行くまでもかなり大変みたいです。

リベラル・アーツ大学でお金を貯める

「モラニゲ」や、モラハラ禍から抜け出した方の書かれたものを読むと、「経済の自立無くしては脱出はできない」とあります。もちろんギリギリまでがまんして、どうしようもなくなってから着の身着のままという場合もあり得ますが、これをしても必ず「経済の自立」は必須になります。

自由な時間が増えて、今まで音楽を聴くところだと思っていたYouTubeに、いろいろな情報や知識が落ちていることがわかりました。最近お気に入りで見ているひとつは「リベラル・アーツ大学」

発信しているのは「両学長」という30代の男性です。私は最初「両学長」だからふたりいるのだと思ってました(苦笑

ともかくお金に対する考え方が私と同じなので、まったく違和感がない。その考え方の上にお金を作る、貯める、増やすのハウツーが乗っかるので、とても興味深いです。お金の貯め方だけではなく、人生論も私と割と似た考え方なので「そうだよなー」と思います。

ただ、彼はミニマリスト。私は愛着のあるものに囲まれて暮らしたい派なので、捨てられない性分の私とは違う部分もあります。合理的にリンスを使わずリンスインシャンプーを使うというのもダメ。あれを使うと1回で髪がパサパサになる。

でも単なるケチじゃなくて、移動を快適にするため海外旅行にはファーストクラスで行く。

ともかく、「お金は使うために貯める」という考え方が一緒ですので、何の違和感もなく学長の講義を伺っています。

両学長がYouTubeに配信しているのは金もうけではなく、日本人に「お金に関する教育プログラム」を根付かせたいとの思いからだそうです。彼はもう超がつく富裕層の方で(資産5億円以上)他に従業員を抱える事業も行っていますので、YouTubeやブログやセミナーでチマチマお金を稼ぐ必要もない。

お金に余裕ができると仕事を選べる。自分のやりたいことだけできる。やりたいこととはお金儲けではない。若くして事業に成功して早期リタイアする人たち(「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」が面白そうなこととは、美女を侍らせて豪遊することではなく、社会貢献や次世代のための育成だったりする。

とまぁ、もう夢の国のような話ですが、とにかくお金に関する知識はこの両学長の運営するリベラル・アーツ大学だけでいいような気がします。

私が好きなのはオリラジ中田さんが両学長に「海外に住みたいと思いませんか」という質問を投げたのに対して、「コミュニティが大事だから日本に住みます」と答えたこと。

昨今、ブログなどのネットで情報を発信し生活費の安い海外に住み、時々セミナーや講演会のためにLCCで帰って来て(彼らは合理的なので、飛行機は移動手段。よってLCCで良い)、安いカプセルホテルやゲストハウスに泊まり(合理主義だからホテルは寝れれば良い)、ひと稼ぎしたらまた海外に戻る。海外も一か所ではなく転々と変えるといったやり方が流行っていますが、安心で和やかなコミュニティの中で暮らすことはとっても大事だと思うのです。

「今日、駅前の肉屋でコロッケ50円の特売!」「行く行く!」というような、日本語で会話ができるコミュニティは心の平穏のためには欠かせません。どんなに語学ができても、心からの悩みを母国語以外で話をするのは難しい。「コロッケ50円!」という会話ができるまでその国の言葉を会得し、文化を学び、関係性を築くって、それはそれは大変だと思うんですよね。

両学長は30代ながらいろいろな経験をしてきて、この動画で語られるのはハウツー本や自己啓発本からの知識ではなく、自分の経験から話をしています。経験から得たものは、その人の個性と混ざり合って自分なりのリテラシーになると思うのです。

このリベラル・アーツ大学、サイトや本もあって、動画が見られない方はそちらでもいいですね。このリベラル・アーツ大学にはコミュニティがあって、

  1. 経済的に豊かになり
  2. 今よりも一歩自由な生活を手に入れること

が、理念だそうです。お金を貯めるということは、自由に一歩近づくということですね。

ちなみに私は1.5か1.25倍で見ています。時間は有限です。有効に使いましょう。

高校入試と男女差別

地方は都会と違って小学校受験も中学校受験もほぼありません。唯一あるのはその地域にある国立大学教育学部付属小学校や中学校の試験です。時には付属幼稚園もの時もあります。

東京に転居して、たまたま青山あたりを歩いていたら、子どもと一緒に歩いてくる若いお母様方の服装が揃えたように同じ、紺色のスーツなのです。それもリクルートスーツとは違う、明らかに上質でお高そうなスーツ。

ははー、これがいわゆるお母様用お受験ルックというやつかーと思いました。

#ホントに実在するんだね

地方には幼稚園受験というものはなく、願書をもらってきて記入するだけ。幼稚園は近場のところです。小学校は公立で中学は前に書いた教育大付属をねらうか、お嬢様が行くミッション系の中学へ行くかですが、もうほとんどは公立中学校です。

だから地方の場合、15の春が己が学力によって選別されるという、初めての試練になります。

みんな手を取り合って仲良く一緒には15歳まで。それ以降はたった1度の試験によって選別され、それぞれのルートの道を歩み始めます。

しかし!ここにしっかりと書いておきますが、私が高校受験をした時には、「女子の合格点」「男子の合格点」というものが存在していて、志望校を書くと、担任からは「お前が男子だったら合格だけど、女子なので難しい」と言われたことです。

40年以上前のことと言ってしまえば終わりですが、平然と女子と男子では差別があり、それが世の中では当たり前のことで、私自身も「こんなことで差別されるなんておかしい」とも思わず、当然として受け入れていました。

でも、もしこれが当然として世にあるならば、税金の支払いも男女差をつけて欲しい。公立高校入試の点は男子が有利で、税金は同じというのはおかしい。女性の場合安くするべきだろうと今は思いますが、当時は男女に差があることをごく普通のことと思っていました。

後年、学校関係者にこの差別について聞いたところ「男子は卒業後大学へ行く。女子は進学する子が少数で、それも地元の短大や専門学校で、進学率を上げられない。さらに、男子は就職して偉くなり、卒業生として学校の運営に力を貸してくれるが、女子はそれがない。だから男子を取りたいのは当然」と言われました。

何しろ40年以上前の、「女の子はいいお嫁さんになるのが幸せ」がまかり通っていた時代の話なので、時代背景もあるのだろうけれど、なんだかどうしようもない時代で生きていたんだなぁ。