朝日新聞「be on Saturday」にモラハラ記事

昨日朝日新聞の土曜日版「be on Saturday」にモラハラの記事が出ました。私のコメントも載せていただき、記者さんとはZOOMでお話しました。

記者さんからいただいたのはサザエさんの4コママンガを取り上げて、これはモラハラかどうかというお話でした。

本来モラハラはひとつのエピソードを取り上げて「モラハラだ」とか「モラハラではない」と判断するものではありません。なぜならモラハラは関係性の問題だからです。

たとえば「このごろ太ったねと言う」「不用意に体に接触する」といったことはセクハラにあたるかとか、「くどくどと文句を言う」「人のいる前で怒鳴りつける」はパワハラかという個別の事由に対して「それはセクハラにあたる」「パワハラにあたる」ということは可能だと思います。

しかし、モラハラの場合は個別の事由ではなく「この関係はモラハラか」という大きな枠組みでの見方が必要です。


しかし、この4コママンガにはモラハラではないという決定的な場面があったので、フネさんはモラハラの被害者ではないと言いました。

場面とは、結婚式に招待された波平さんとフネさんでしたが、間際に電話がかかってきたり、美容院が混んでいたりしたため遅れそうになりました。

会場に向かうタクシーの中で波平さんはフネさんを「お前がグズグズするから間に合わないじゃないか!」と怒鳴りつけ、いいわけするフネさんに「つべこべ言うな!」とさらに怒鳴りつけます。フネさんはぷんとむくれてあっちを向きます。

この場面があったので記者さんには「本当にモラハラ夫だったら怖くて言い返しなんかできません。フネさんは言えばわかってくれるという成功体験があったので説明しようとしたのです」と言いました。

モラ夫はすべての説明を「オレに対する反抗」ととらえてさらに攻撃が増すとわかっていますので、どんな場面でも説明などはできません。ひたすら謝ることしかしません。それをフネさんはしていない。

だから波平さんはモラ夫ではないのです。怒鳴りつけたのはそれだけ怒っていただろうし、イライラもしていたからでしょう。

人間、どんな場面でもイライラせず、相手に不快感を与えないような言い方ができれば100点ですが、そんなにできた人ばかりではありません。

これがモラハラなら、波平さんがカツオくんを怒鳴ったら児童虐待と言われてしまいます。

モラハラは1つのエピソードだけを取り上げて「これはモラハラだ」「これはモラハラじゃない」と判断するものではありません。本人が相手を恐れていたらそれはモラハラです。怒鳴らなくても静かに話していても、相手を恐れている場合はあります。

行政の相談現場にいて、怒鳴られたからモラハラという方が時々いたのですが、そもそもどういう場面でそうなったのかと深く伺っていくと単なる夫婦喧嘩ということもありました。

「どこどこでモラハラと言われた」という方に、私は違うなと思ったら「私が思っているモラハラとは違っていると思います」と言います。そして「モラハラならば離れた方がいいですよ」と言うと黙ってしまう。

そこから先はその方の生き方の問題なので、それは本人が考えることです。

朝日新聞という大きな媒体に載せていただいたことで、自分はどうなんだろうと考えるきっかけになってくれればいいなと思います。

旅する力ー沢木耕太郎

以前このブログで沢木耕太郎の深夜特急について書いたことがありました。

「深夜特急」は出たばかりの頃に読んでいたのですが、たまたま新たに「旅する力」という本が出ていることを知りました。

「旅する力」をさっそく図書館にリクエストを入れて読んだところ、なぜ「深夜特急」は多くの人たちに支持されたのか、そしてその後の深夜特急の影響などについて書かれていました。

深夜特急が出た後、映像化の話は何度もあったのですが、彼はなかなかYESを言うことができませんでした。それが大沢たかお主演で映画化することになりロケをしていた時、なんとテレビで猿岩石というコンビが、沢木耕太郎と同じようにアジアから旅立ってヨーロッパで到着するという旅をテレビ番組で行い、大反響になりました。

そうか、やっぱりあの猿岩石の「突撃!電波少年」は深夜特急をモチーフにしたのですね。ちなみに諸外国でも若い男性が貧乏旅行をするという番組がいくつも作られているようです。これも深夜特急が元になっているものなのかもしれません。

さて「旅する力」の中で私がとても共感できたのは、その旅をするためにはその年齢であることが必要だという部分です。

沢木耕太郎が深夜特急の旅をしたのは26歳の時でした。26歳の感性は40歳では得られないものです。40歳には40歳の感性があります。そして同じ26歳でもとっさの時にとる行動や得られる感動は26歳になるまでの生き方によって違います。

特に旅はその時の瞬間の思い付きによって大きく左右されます。お金の苦労を知らず、誰かがいつも助けてくれるという人生を送ってきた人には、おそらくそうでない人に比べて経験則が非常に足りないだろうと思われます。

旅をするといろいろなところで判断決断をしなければならないことが多々出てきます。一人旅ならなおさらです。誰かに責任を押し付けることはできません。全部ひとりで決断しなければなりません。

その決断に至るまでに必要なものは、それまで自分で蓄えた知識や情報収集能力だったりします。

それまで多くの経験をしてきた人と、そうではない人の結果は歴然とします。だから私は多くのことにチャレンジし、自分の引き出しにしたいのです。

面倒くさいからとか、お金がないからとか、体力がないとか、時間がないとか、理由は色々あるかもしれませんが、できない理由を考えるより、どうしたらできるかを考えた方が自分のためになると思いうのです。

専業主婦で落ち着いて子育てをして、ママ友とおしゃべりして終わるのも、働きながら子どもを育てるのとどちらが多くの経験を積むことができるか。子育てだって立派な経験だと言われるかもしれませんが、やはり社会の中で働くということは並大抵のことではありません。

専業主婦の方たちは「働くのが嫌なのではない。働くのが怖いのだ」と言ってモラハラ夫から逃れることをためらっていたのではないでしょうか。できるだけ経験を積んで自分の肥やしとして次に活かす。そうやって人間は大きくなれるのだと思います。

支援をしすぎないのが正しい支援

以前相談員をしていた頃、先輩の方からの助言がありました。

「支援はしすぎないのが正しい支援」というものです。魚をあげるか魚の釣り方を教えるのか、どちらが正しいやりかたかということです。

被害者の方は初めてのことでわからないことだらけなので、最初はこちらから「これいりますよね」とそろえてあげますが、一通りのことが終ると、後は自分で探したり調べたりできるようにします。

自分でできそうなことに手を出すと、その方の自立を妨げることになります。「みんな被害に遭って力を削がれてしまい、本当はちゃんと力があるのにぺしゃんこになってしまっている。支援員がすべきなのは、そのぺしゃんこになった力を、元通りにする手助けをすること」なのだそうです。

何もかも手を出してやってしまうと、自分でやらなければならないのだという気持ちが失せてしまいますし、やってもらって当然、やってもらえないと「助けてくれない」と不平を言うようになります。

ただ、相手によりけりなので、「この人は力がある」と思ったら、「自分で調べてみて」「やってみてわからなかったら聞いてね」と言います。

以前PTG(Post Traumatic Growth 被害に遭った後、以前よりも人間として成長すること)」について書いたことがありましたが、ぺちゃんこになった人が「あれは自分の成長に必要なできごとだった」と思うことができるようになるまで、そばでお手伝いすることが”必要な支援”なのだと思います。

一寸先にある不幸

このところどうしたことか無くしものが多くて、そのたびにあちこちに連絡したり、探しに行ったりすることが続き、いいかげん嫌になってきていました。

なんなんだろう、痴呆なのか年なのかとも思ったりしていましたが、この失くしものについては今始まったことではないので、きっとこれはたぶんそういう運気の乱れなのかと思っていました。

そんな時にいきなり舞い込んだ大情報。知人宅に大きな出来事があり、今その家はクリスマスどころではなく、降ってわいた不幸に、どうしたらよいのかわからない状況になっていると思います。

世の中は不幸と隣り合わせになっていて、薄紙一枚のところに不幸はあるのかもしれない。たまたま今まですり抜けていただけで、明日は我が身かもしれないとつくづく思いました。

人と自分の不幸を比べて「私はまだ恵まれている」と思うのは人を貶めることになるのではと思っていましたが、今の自分の幸運を再確認することになるので、悪いことではないような気がします。

本当に人生は何が起こるかわからない。でもそれを考えてくよくよしても始まらないので、とにかく”今日何事のなく過ごせた”幸運に感謝しようと思います。

この家族も、その日の朝まで普通に過ごしていたはずだから。

浦島太郎とAC

信田さよ子さんが書かれた初期の本の中にAC(アダルトチルドレン)について書かれたものが数点あります。その中の記述に「ACの人は若く見える」というのがあったと思います。ACの人はそうでない人と違った時間の過ごし方をする(時間が経つのが遅いという意味だったかも)、だから若く見えるのだという内容だった気がします。

今それを確認することはできないので申し訳ないのですが、「アダルトチルドレン」「若く見える」で検索すると様々な解釈でいろいろと書かれています。

私が信田さんの本を読んで「あっ」と思ったのは、昔から私も若く見られたからです。小柄で丸顔のせいだと思っていたのですが、ACだからという説がなんとなく納得できました。いまだに若く見られます。

ACは苦労ばかりしますが、若く見えるというのは唯一の利点かもしれません。

私が最初に「AC 若く見える」で検索したその昔、浦島太郎AC説というのがずらずらずらーと出てきました。浦島太郎は実はACで、だから年を取らず、玉手箱の中に年齢が入っていたのだと。開けてしまったから一気に年を取ってしまったということのようです。

ただ、私が今一番「これかな」と思っているのは、「トラウマを受けた人は若く見える」という説です。犯罪被害のような大きなショックを受けると、実年齢よりとても若く見えると言います。感情が動かないせいでしょうか、肌が透き通るように白くて皺もない。

ところがトラウマ治療をして回復していくとだんだん実年齢に近づいて、年相応の顔になるそうで、若くは見られたいけれど、心の傷は癒したいという両方を叶えるのは難しいようです。でも、大きなショックを受けたら一晩で髪が真っ白になったとか、一気に老けたという話も聞きます。これはどういうことでしょうか。

私は両方あるだと思っています。老け込む人と、まったく変わらない人。そして若く見えるようになる人に分かれるのだと思います。

注意しておきたいのは、「若くなるのではなく、若く見えるようになる」ということ。健康的な若さではなく、被害ゆえの若見えですから、決して体が良い状態ではないのだろうとは思います。

ショックによって老け込むというのはなんとなく医学的なものと理解できるのですが、若く見えるというのは精神医学的なものがからむのかなと思います。

私の知識ではこれが限界。ともかくACの中には実年齢より若く見える人がいるというのは多くのACをカウンセリングしてきた信田さよ子さんならではの見識であり、私も含めた沢山のACが納得していることなのは確かです。

私は女の味方ではありません

NHKの朝ドラ「虎に翼」の中で、寅子は女性初の裁判官としてラジオのレギュラーも持つようになり、とても有名になります。特に女性の間では「女性の味方」として絶大な人気を誇るようになりました。

そんな時、浮気をした妻と離婚しようとした夫が調停を申し立て、寅子の担当になります。妻は「ちょっとくらいいいじゃない、女は寂しくなる時だってあるのよ」「あなたは女の味方でしょ」と言います。

寅子は「不貞行為に男らしいも女らしいもありません」と夫に謝るようにいいますが、逆切れした妻が調停室を出ていきます。

私もモラハラに女だから男だからはないと思っています。加害者が男だろうが女だろうが許せないものは許したくありません。ただ、やっぱり女性は社会的に弱者の立場であることが多いので、そのあたりはそれを含んで考えていきたいとは思っています。

世の中には妻が浮気をした場合、夫から出ていけと言われたら、子どもを連れて出ていくでしょう。離婚になったらそれまで築いた財産は半分になります。もらえるかどうかわからない退職金さえその時にいくらもらえるかで換算し、半分妻に渡さなければなりません。

財産は半分になり、子どもとは引き離されるという苦難の道がありますから、離婚を言い出さない(言い出せない)夫は沢山います。妻が精神的に不安定な場合も、妻が連れて出た後の子どものことを考えると離婚をしない(できない)夫はたくさんいます。

妻が精神的に不安定なのは夫のモラハラのせいということも多いでしょうが、妻が元々持っていた気質によるものも少なくありません。

実際私の母が偏った思想や被害者意識満々でいまだに生きているのは不幸な生き方でしかないと思っています。私が女である母の味方をしないのは共感できないからです。

母はとても狭い領域の考え方しかできなかった。「昔の人はみんなそうだった」といいますが、「みんな」「そう」でしょうか?そうではない人も沢山いるではありませんか。

味方をするとかしないとか性別で区別するのではなく、寅子も言っているように「弱い人、困っている人の味方」でありたいと私も思っています。

ただ、ドラマに時々登場しますが、嘘をついて同情をかったり、女を売りにする人たちとは距離を置きたいと思います。

夫はATMだと思うことにします

先日「自分はATMにされている」というネット記事を見つけました。これは妻に去られた夫たちも「元妻からの連絡は全部金の要求。子どもの様子を知らせるとか、そういうことは何もなく、ただ金寄こせだけだ」と言います。

夫をATMとしか思っていない妻たちはたぶん日本の家庭ではかなりの数を占めると思います。ATM以外に使えるのは運転手や家電の設置、大工仕事でしょうか。

若い世代では抱っこひもで子どもを抱え、両手にスーパーのレジ袋を持っている人もたまにいます。ただ、それも「そのようになってきている流れ」といった状態で、地方では車で移動するので、こういう光景はないでしょう。

地方では女性もほとんど免許を持っていますから特に男性の力は必要ない(いればそれなりに労働力になりますが)。最後に残るのはATM機能ということになります。

ただ、男性たちが「毎日必死で働いている夫をATMとしか思っていないなんて、嘆かわしいことだ」と言っているのを見ると、それはちょっと違うのかなと思います。

妻だって夫と愛し愛され、慈しみあいたいと思って結婚したのに、ワンオペ育児と家事でへとへとになり、会話もない夫の存在価値はもはやATM機能しかないのだからそう言っているだけだろうと思います。堂々と威張って「ATMだと思ってるのよ」というわけではなく、「ATMだと思うしかないじゃない」と諦めと悲しみの吐露なんだと思います。

もっとも夫も妻は家政婦機能の存在だけだと思っているかもしれませんが。

思っても言わないのは思っていないと同じ

わが母は思ったことを全部口に出す人です。

そもそも僻みっぽく、被害者意識が強く、勝ち気で負けず嫌いの母ですから、言いたいことが言える相手には容赦はありません。

それなりに社会性はあるので、出してはいけない相手には出しませんが、身内のものには思ったことを全部口にします。

ふと今年のお正月に「あの時こういうことを言われた」と言ったところ、「そんなことは言っていない!」と断固否定。

昔言われたその言葉は今も私の心にぐさぐさと刺さったままなので、母の顔を見ると出てくるのですが、93歳の彼女は認知症でもとぼけているわけでもなく、完全に自分が言ったことを忘れ去っています。

「思ってもいないことを口にしてしまった」とは言いますが、思っていないことは口には出ないでしょう。思っているから口にでる。

正確に言えば「マナーとして口にしてはいけなかったことだが、つい口がすべってしまった」ということかもしれません。

思っていてもそれに相手が気づかなければ思っていないのと同じです。普通に生きている人たちが思っていることを全部口にしたら、もはやこの世はおしまいです。コミュニケーションも何もあったものじゃない。

思っていても口に出さなければ思っていないのと同じ。

世の中は平和に過ごせます。

離婚理由は「夫の介護をしたくないから」

50代以降の方のお話を伺うと、多く出てくるのが「モラ夫の介護はしたくない」です。モラハラでなくても介護をしたくないから離婚するという方もいます。

今まで散々家の中で帝王のような暮らしをしてきた人たちは、介護が必要になったら当然妻がするものと思っています。

ただ、私の周りではこの頃妻が介護が必要になった方が続いています。アルツハイマーになった、病気がきっかけで寝たきりになったなど、風邪の介護レベルではないものがあります。

夫たちは夫婦の介護と言えば自分が介護されるとばかり思っているようですが、実際はそうでもありません。ですが、モラ夫を介護するのも嫌だけど、されるのはもっと嫌という方も多いでしょう。

本当に介護が必要な状態になったら、お金がなくても行政が面倒を見てくれます。遠慮しながらモラ夫から介護されるよりも、頭を下げて他人から面倒をみてもらった方がいいと私も思います。

アスペルガーアラウンドのSORAさんがご夫婦で登場

「うちの夫はモラハラで」と仰る方の中で、夫がASDの場合が非常に多いと感じています。

ASDと一緒の空間で暮らすとモラハラ被害者と同じような症状になります。ASDは人の気持ちを汲み取るということができませんので、見える部分では「人の話を聞かない」「自分の意見を押し付ける」「相手を尊重しない」「自己中」、経済観念がありませんので「自分の好きなものにはお金を使うが、家族のためにお金を使わない」といったモラ夫現象がでてきます。

とてもこういった人と一緒に暮らすのは困難です。そして周りが被害者の言うことを信じてくれないということから、ギリシャ神話の予言者「カッサンドラー」から名前をとって「カサンドラ症候群」と呼ばれるようになりました。

外面のいいモラ夫に周りがみんな騙され、妻の言うことを信じてくれないのと同じです。

そのASDの夫とご夫婦のSORAさんは、カサンドラから脱出するためにはどうしたらよいかというサイトを立ち上げたのが「アスペルガー・アラウンド」です。

今はご夫婦とも中年期を過ぎてらぶらぶのお二人ですが、そうなるまでには壮絶な戦いがあったとのこと。

おふたりのトークイベントなどにも参加させていただいておりましたので、事情の方は大体知っていましたが、心が通じ合わなくても生活することはできるというお手本のようなおふたりです。

特に興味をひいたのは、SORAさんが相手に何も求めていないこと、幸也さんの愛はないけど好きですという感覚。

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ASD夫との特別な関係が書かれています。ご一読くださいませ。