恋人同士と夫婦の違い

恋人同士が離れると、離れた方は新しい環境になじんで恋人のことを忘れていき、ふたりの関係は破綻する。

夫婦は離れていると関係が保たれて、ふたりの繋がりは継続する。

恋人は離れてはいけない。夫婦は近づいてはいけない。

慶応高校の優勝でわかった都会のマナー

夏の高校野球甲子園大会は慶応高校の優勝で終わりましたね。何しろ私学のトップ大学の付属高校ですから、入学するのも大変。推薦も他の野球高校と違って「うちに来て」と言われて行くわけではなさそうなので、とにかく学力が高くないと入れない高校だそうです。

決勝戦の時にたまたまジムのスタジオにいて、野球も気になるしと合間合間にスマホを見ていたら、「うちの娘も大学が慶応だから応援するけど」とか「子どもが高校生の時に吹奏楽部で応援に行ってたっけ」など、という話が続々と出てきました。

ジムでおそらく10年以上おつきあいしてきましたが、そういう話を聞いたのは初めてでした。慶応大学を卒業したなら、ブイブイと自慢してもいいようなものなのですが、東京ではとんとそういう話をする人がいません。

地方では久しぶりに会うなり「あんたの子はどこの高校?(大学と言わないところが笑える)」と聞いてくる人もいて、ともかく相手のプライバシーにずかずかと入ってくるのです。

どこの高校に合格し、どこに勤めてと一通り詮索してからマウントを取ったりもします。故郷は大好きだけど、こういうところが嫌だな~と思います。

人の悪口三昧の母ですら「こっちにきてから嫌なことを言われたことがない」と言います。たまに頑固な入居者のご老人もいるみたいですが、施設の人たちはみんな優しくて、田舎にいた時のようなひどい言われ方をしたことはないそうです。

都会は人との境界をしっかりと守るので、人づきあいがスマートです。もしかすると慶応大学を卒業したことはそれほど自慢になるとは思っていないのかもしれないし、なにしろすごい人たちがそこいらじゅうにいるので、何が自慢になるのかが定まっていないのかもしれません。

そもそも長々と話される人の自慢話くらい聞いていて辛いものはありません。とりあえず関係を壊したくない場合は「これもお仕事」と思って「すごいねー」「立派だねー」と相槌をうっていますが、もうおつきあいをしたくなくなったらさらっと離れることにしています。

モラ夫の毎日の自慢話や人の悪口に晒されている方は本当にお気の毒です。これから離れるだけでもストレスから解放されますよ。

アマゾンプライムで「Plan75」を見た

アマゾンセールに乗っかるために入ったアマゾンプライムですが、早速プライム会員限定の映画「Plan75」を見ました。

日本で75歳になったら自分で死を選べる制度ができたという、近未来の話です。私がこの映画が話題になった時に真っ先に思い出したのは「ソイレント・グリーン」というアメリカ映画でした。人口増加で食料が無くなった世界の話ですが、なんとこの設定を2022年としています。

この映画と「Plan75」の違いは、「ソイレント・グリーン」が「人口増加による食糧難」というのに対して、「Plan75」は少子高齢化による政府の政策にしているところです。

1975年は全世界でベビーブームになり、人口が爆発的に増えた時代でした。よもやその40年後に、産まれる子どもの数が激減するとは予想されていなかったのかもしれません。

「ソイレント・グリーン」が死を選び、ホーム(=公営安楽死施設)に行くのと同様に、「Plan75」も75歳になったら安楽死できる制度を利用することができるという設定です。

この「Plan75」は役所の担当課が行っており、安楽死制度を利用すると10万円の給付や、1回15分の傾聴を毎日受けることができます。

映画の中ではこの制度を利用するのは経済的に行き詰った高齢者で、登場する人物はみなひとり暮らしをしています。安楽死施設のベッドに横たわる人たちからは「もう、生きるのに疲れたよ」というつぶやきが聞こえて来そうです。

映画の冒頭に、なぜこの「Plan75」ができたのかというくだりがありました。増え続ける高齢者を支えるために、若者たちがギリギリの生活を強いられている現実に抗議するため、高齢者を襲撃するという事件が相次いだのです。

高齢になって税金が払わなくなり、年金は受け取るといった、社会的にみれば負の存在になった時、高齢者が大きなお荷物になってしまうというのは、私も高齢者のひとりとして考えさせられました。

特に冒頭の「若者の貧困の原因のひとつになっている、増えすぎた高齢者をどうにかしなければ」というのは、もしかしたら本当に政府は心のどこかで必要な制度だと思っているかもしれません。

たとえば高額な薬は〇歳以上の人には使わないとか、健康保険制度のパンクを防ぐために実施されています。健康保険制度の維持のためにはそうしなければ制度を維持できないところまで来ていると、医師たちからの声として伝わっています。

もし私が80歳を超えていたら、お金はこれからの人たちのために使って欲しいと思うので、もしその高額医薬品を使うことによって命が数年延びたとしても、私はお断りしたいかなぁと思います。

寿命が延び、高齢者が増え続けることで若者に負担が行ってしまうのを防ぐため、考え出されたPLAN75。寿命は延びだけれど死ぬまで働き続けなければならず、働く場が無くなった時にこのPLANを選ばなければならない貧困老人たち。

空想の話とはいえ、とても現実に沿ったストーリー展開でした。

りゅうちぇるさんが亡くなったことについて

タレントのryuchell(りゅうちぇる)さんが亡くなったことは、私の周りでも衝撃のLINEメッセが飛び交いました。

私の中ではryuchellさんはLGBTQの方だという認識しかなく、ほとんんど興味もないままに過ごしていて、この記事を出すことに疑問が無くはないのですが、書いておきたいことがあるので記そうと思います。

女性センターに勤務していて、LGBTQについての研修などはひととおり受けていて、虹色の集まりにも参加させていただき、サポートの方々とも顔見知りの方がいます。

とても奥の深いことですので、うわっつらの聞いた、読んだ程度のものでは語れないので、ほんのさわりの部分だけ書いておこうと思います。

今回の事件でLGBTQと死因について直接的に結び付けるのはそういう要因のない人でも自死する人はいますので、どうかなとは思います。

とは言え、私が受けた研修の中では、LGBTQの方の自死はそうでない方のものに比べて比率が高いとのことでした。やはり性自認が世の中の動きと違う場合、生活の隅々で不便や葛藤があるのかもしれません。

ただ、追記事で、元パートナーのpekoさんとの間のお子さんをとてもかわいがっていて、お子さんもりゅうちぇるさんが大好きでということ。親が自死したというのは、子どもにとってとても辛いことだと思います。

私の周りでもいろんな人が自死されました。理由はいろいろあるとは思うし、それだけ辛かったのだろうとも思いますが、自分が亡くなった後、悲しむ人がいることをもう一度思い出してもらえたらなぁと思います。

内田也哉子とみっつの種

先日たまたまついていたテレビに樹木希林が映っていました。日テレで放送された「ザ!世界仰天ニュース 秘蔵映像!内田裕也&樹木希林!娘が語った超キテレツ夫婦の真実」です。

https://tver.jp/episodes/epe0vuznjo

↑番組VTR 消される前にお早めに

私は途中から見たので、たぶん内田裕也と樹木希林の変わった夫婦生活をドキュメント化して、おもしろおかしく放送したのだと思っていましたが、番組の最後の方で、娘の也哉子さんが半年ずれて亡くなったふたりの葬式で読んだ謝辞の映像が流れました。

私は内田也哉子とは樹木希林の娘としか知らず、結局何をしている人なのかも知らなかったのですが、その謝辞の言葉の選択に度肝を抜かれました。言葉を操る天才としか思えない、まるで広い宇宙からひとつずつ集めてきたかのような言葉選びのセンス、絶対に他の人には真似のできない熟成された、それでいて斬新な、流れるような言葉運び。

いったいこの人は何なんだと、必死でググりました。肩書はエッセイストとあったので、どうりで言葉選びが洗練されているはずだと思いました。

YouTubeにはインタビュー映像などもあって、それを見ると樹木希林・内田裕也夫妻の子どもで生まれたばかりにかなり変わった子ども時代を過ごされたようです。

彼女にとって最大の幸運はシブがき隊のもっくんと結婚したことでしょう。もっくんは内田家の婿になり、内田雅弘になっています。15歳だった也哉子さんを「その存在感に惹かれた」というもっくんが樹木希林に請われて内田家の婿養子になったのも、もっくんの人間性と度量の大きさならではでしょう。

樹木希林・内田裕也という類まれな才能からたったひとりだけ生まれた也哉子さんですが、もっくんとの間に3人の子どもをもうけます。一粒だった種が、みっつの種を世に送り出しました。

私が度肝を抜かれた謝辞の中で也哉子さんはこう語っています。

”まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく…。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか面白いものです!”

遺伝子は次の時代へと確かに引き継がれ、また次の世代への架け橋になる。

肉体が滅びても、DNAは受け継がれる。みっつの種を撒いた也哉子さんは、やっぱり素晴らしい。そして、その也哉子さんを世に送り出した内田夫婦もまた、偉大でした。

グレースの履歴

「グレースの履歴」はただいまNHKプレミアムで放送中のドラマです。その前に放送されていた林真理子さん原作の老人施設を舞台にしたドラマを見続けていたのですが、そのドラマが終了後、予約していた時間にブルーレイが録画し続けてくれていたこのドラマを何気なく見ていたら、これが面白いのです。

40代の東京に住むとても仲のいい夫婦の妻が、ある日突然外国で事故に遭い亡くなってしまいます。彼女の残した遺品の中に「グレース」と名付けられた赤いスポーツカーがありました。実在するホンダS800です。

ドラマの最後にはこのグレースに乗って、長い並木道を運転する妻の姿が流されます。

https://www.nhk.jp/p/ts/88ZGN5PJ1Q/

グレースのカーナビに残されていた履歴のとおりに、夫は東京から西へ旅をします。

第6回では夫は30年前に生き別れた弟と母に出会うことになります。妻はカーナビの目的地を滋賀県にして、夫の母と弟を訪ねて行ったのです。

夫の浮気を許せずに、離婚して遠方の行くことを決めた母は、小学生の二人兄弟を一緒に連れて行こうとしますが、「お父さんがひとりになってかわいそうだから」と、夫は母についていきませんでした。

その後母は再婚しますが、一緒に暮らすことができなかった長男(夫)をずっと想い続けていました。夫はグレースの履歴に導かれて弟に会い、母の住む家を訪れますが、認知症が始まっていた母は、一緒に住む孫を「希久夫(夫の名)」と呼んでいました。

そして夫は幼い頃母についていかなかったことを「母を裏切ってしまった」と、30年間自分を責めながら過ごしていたのです。

夫は妻が探し出した母と30年ぶりに再会するのですが、抱き合うわけでも名を呼び合うわけでもなく、ただ、茫然と淡々と言葉もなく終わりました。ただ、母と息子は失った時間をこれから再び繋げるであろうことを予想させる設定でした。

別居、離婚で子どもと離れてしまう方もおられると思います。ドラマのようなことを実際に体験される方もいらっしゃると思います。

その時に一旦離れても、時間が経てば変わる状況も感情もあります。いつかその日まで、望みを捨てず、生きていって欲しいと思います。

考え方をちょっとひねってみる

子どもから教育に関するちょっと厳しい金額の要求があった時、少し愚痴っぽく心理職の友人にこぼしたことがあります。

「出して出せないわけじゃないけどさぁ、今、厳しいんだよね」(私)

「子どもの将来に関わることに(お金を)だせる親であるって素敵なことね」(友人)

あ、そうか。ちょっと厳しいけれど出せないわけではない。子どものためにお金を出せる親であることに誇りを持っていいんだ。子どもが頼れる親であることに自信を持っていいんだ。

そういえば学校を卒業してから子どもからは遊ぶお金をせびられたことはありません。学校にいるときも必要経費は要求したけれど、それ以外を要求されることはありませんでした。

おそらく子どもたちは周りの人たちから「母子家庭でお母さんは大変なんだから」と言われていたと思います。遊ぶお金の無心ではなく、自分の将来のために勉強するお金ですから、私は喜んでお金を出そうと思いました。

物は考えようです。渋々「あー、また節約生活をするのかー」と思うより、がんばって働いて子どもがそのお金で勉強できるなら、その力を持っている私は素敵なことなんだろうなと思うのです。

自己肯定感と楽な生き方

「自己肯定感」とは理想の自分という円と、現実の自分という円の2つがどの程度重なっているかで決まります。円の重なる部分の面積が大きいほど自己肯定感が高くなります。

なりたい自分と現実の自分の隔たりが大きいと円の重なりは小さくなり、自己肯定感は低くなり、「自分はダメな人間だ」ということになります。もちろんこういう自分になりたいと理想を高く持つことは悪いことではありませんが、非現実的な高すぎる理想を持つと生きづらくなります。

理想を下げることによって生きやすくなるなら、そちらの方がお手軽に楽に生きられますね。

というと「それでいいのか!?」と、まじめな自分から叱られそうですが、いいの。もう後平均寿命まで20年とかになると、大体てきとーでいいが身についてしまっているから。そもそも理想の自分なんてものはありませんから。

ひとつの扉を閉めたとき、新しい扉が開く

物を増やさないよう、ひとつ買ったら必ずひとつ捨てることにしているという人はいますが、私はどうしてもこれができません。物に愛着を持ってしまうので、「これはあそこに行った時に買ったもの」「まだ使えるからもったいない」と物を増やしてしまいます。

ひとつ捨てなければ、新しいものは買わないとしてしまえば、物が捨てられるようになるのでしょうか。

「神はひとつの扉を閉めるとき、もうひとつの扉をひらく」というのは聖書だったかと思っていましたが、ブラジルの格言だそうです。

今いる扉を閉めなければ、次の扉は開くことはない。

断捨離はともかく、今あるものを捨てなければ新しい生活は手に入りません。新しい生活を手にしようと思うなら、古い生活と決別しなければなりません。両方は手にはいらないのです。

古い生活に愛着を持つのは当然ですし、新しい未知の世界が見えない以上、とりあえず持っておこうとすることもわからないわけではありません。

私は物は捨てられないのですが、ライフチェンジは物を捨てるよりは容易に決断できたように思います。何かに押されるように、次に行かなければ何も生まれないという経験則があるからかもしれません。

ヘレンケラーは「ひとつの幸せのドアが閉じる時、もうひとつのドアが開く。しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気付かない」という言葉を残しています。

これは得たものよりも失ったものの方が大きな損失と考える、人間の損失回避性という心理傾向のせいかもしれません。

失ったものに目を奪われず、残されたもの、次に現れる(かもしれない)ものに目を向ける。

明日から令和5年度が始まりますが、来年の今日のために心しておきたいことです。

ダーウィンの言葉に深く共感する

ダーウィンと言えば進化論。また、ビーグル号で南半球を航海し、ガラパゴス諸島を訪れた経験などをもとに「種の起源」を書き上げました。

そのダーウィンの残した言葉に深く共感しました。

「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。」

この世を生き延びるには変化が必要。昔はこれでよかったことも、今では通用しないことも多い。昔はよかったと嘆息するよりも、とにかく変化に柔軟に対応することが必要です。

世の中の変化は予想を超え、速さが尋常で無くなってきています。本当に困った世の中になったもんです。

あ~あ、年をとったら友だちとお茶飲みながら日向ぼっこできた昔が恋しい。

いっそ山奥のぽつんと一軒家にでも移り住んだ方が、精神的にいいかもしれません。