すぐ死ぬんだから

こちらからの続きです

今BSNHKで「すぐ死ぬんだから」というドラマが放映されていますが、内館牧子さんの原作を読んだこともあり、毎週録画で見ています。

https://www.nhk.jp/p/ts/MKQG8VMRZ3/

この原作を読んだとき、ドキッとしたのが「老人たちが身に着けるのは流行遅れか安い服」「リュクを背負って帽子をかぶり、ウォーキングシューズを履いている」

う。。私、そのままっす。日焼けしたくないから帽子必須。荷物は二つ持つとひとつはどこかに忘れるか落とすかするので、ひとつにしたい。手に持つと重いので自然とリュックになりました。私はなりませんが、50肩の方たちもそうみたいですよ。足元はNBのスニーカーです。これが一番歩きやすい。夏はアシックスのサンダルを履いてます。ウォーキングシューズ並みに歩きやすいので。足元は歩きやすいのが一番です。

私はファッションセンスはあると思う。ただ身に着ける物にお金を使おうと思わないの。お金は有限だから、必要なものにはドンと使うけど、必要ない物には使わない。ファッションは優先順位がずっと下なのです。

いつの頃か忘れましたが、とても体が疲れる日があり、どうしてなのかと考えてみたら、デニムを穿いた日(ジーンズと言ってはいけないらしい)がそうであることに気付き、デニムを止めました。重いのと、体を締め付けるのが良くないらしい。老いは知らず知らずのうちにしっかりと体に入ってきています。

ともあれ、内館さん的老人像としては、私はしっかり老人ですっ。いいですよ、もう老人で。私は年に抗わないことにしたので。

後残り少ない年月を、静かに穏やかに生きていければいいなぁと思っています。何しろ人生のほとんどが苦難や波乱万丈だったりしたので、もう老後くらいおとなしくしていたい。

老人たちは「すぐ死ぬんだから」と言いながらテレビCMに流れてくる健康食品を「今から30分以内なら半額」の声にフリーダイヤルのコールセンターへ電話し、健康体操を欠かさず、テレビの「血圧を下げる食品特集」に食いつく。

私の母は腰も曲がらず、頭もはっきりとし、とても元気です。

ただ、母は生きていることが幸せそうではない。口から出るのは愚痴と不満。どうも不幸そうです。生きているのが辛いのであれば、早めに父のところへ行った方が本人も楽なのではと思います。とは言え、これは本人の意思ではどうにもできないこと。

「すぐ死ぬんだから」「もう長くないんだから」と言いながら我が母、そろそろ90歳を超えようとしています。私は母が長く生きていることに特段何も思っていません。ただ、幸せな気持ちで生きていて欲しい。彼女の幸せとは家族がみんな彼女の生活を心配し、彼女に感謝し、彼女を第一に考え、週末にはこぞって施設にやってきて褒め称えることです。何より私が母と一緒に暮らすことです。それができないのは、それは彼女がそういう生き方をしてこなかったからです。ツケは最後にやってくる。

去年の参議院選で「安楽死制度を考える会」という政党があるのを見た時、心が動きました。そう思ったのは私だけではなかったようで、同僚が「私、入れたわ」と言っていました。死ぬ時を選べたらいいのになぁ。死ぬ前に全部整理して、心おきなく死ねたらいいなぁ。

次回の選挙にこの党が出たら、考えてもいいなぁ。

長生きはリスク

月曜は敬老の日でしたが、なんだか報道が「祝う」よりも「憂う」雰囲気の方が強くなっているような気がします。団塊の世代が全員70歳を超えたこともあるでしょう。本当に団塊の世代の方々は、自分で選んだわけでもないのに、いつも時代のトラブルの元になっているような気がします。

知り合いが小学校へ入学する時は校舎が無くて、隣の小学校の古い校舎を使っていたとか、教室に入りきれずにミチミチだったとか、とにかくいつも競争だったとか、団塊ジュニアの子どもたちは大学入試の競争率がものすごく上がってしまい、苦労したとか。

そして「長寿おめでとう」よりも「えー、まだ生きるの。。」というため息のようなものが聞こえる原因は当然「年金と医療費」が膨大になっているから。

年を取れば体がさび付いて、あちこち悪くなるのは当たり前ですから、健康保険組合からの支払いが多くなるのは当然です。コロナが始まって「感染を懸念した人たちが病院に行かなくなったから病院経営が厳しくなった」という報道もありましたが、コロナが怖いから病院に行かない人たちは元々特に急いでいない方たちなのでは?もしくは行く必要のない方たちなのでは?

血圧の薬など、いつも飲んでいる薬だったら、電話で処方箋を出してもらうこともできるようなので、それができれば仕事を休み、痛む体で病院に行く人たちが短い待ち時間で診察を受けることができます。コロナのための一時的な処置でなく、これからもそうすればいいのに。でもそうしたら、お年寄りの時間つぶしや生きがいが無くなってしまうか。

ポテトサラダじじぃがそうでしたが、キレる老人が増えています。何しろ団塊の世代の人数が多いので、それに比例して困った老人が増えるのは当然のこと。社会がなんたらとか、その世代がかんたらよりも、絶対数が多いんだから当然なんだってば。

2025問題とは団塊の世代の全員が後期高齢者になるということ。この世代、小学校に入学するのも大変だったけど、老人施設に入所するのも一苦労の世代になりそうです。

すべて戦争が作った現象なのだけど。そのツケが75年後に来るとはね。

守ってあげたい

時々「夫から守ってもらえなかった」という方がいます。「結婚とは男性が女性を守る」ことというセオリーがあるのかもしれません。それに異を唱える方もそれほどいないでしょうし、活動写真では縄でグルグル巻きをされたメリーさんが線路に置かれて、足をバタバタさせて助けを求める活動写真の時代から(いつだろう?)、女性は守られるべき存在と言う「常識」が世の中に浸透していたと思います。

この常識を思いっきり覆したのは「エイリアン2」ではないでしょうか。私の中ではそうです。

https://cinemore.jp/jp/erudition/385/article_386_p1.html

これをリンクして気づきました。あらら、これも「ターミーネーター」と同じ監督のジェームス・キャメロンだったんだわ!つまり彼は常に戦う女性を主人公にしていたんだわ。ほほー。

この映画、本来なら「助けてー!」と叫ぶのがリプリーで、勇敢に救うのがヒックスのはずなのに、ヒックスは本当にもう、判断力はないし、足でまといでしかない!さっさと逃げろというところで転んだり、怪我したりしてイライラさせられどおしです。そののろま加減にお前なんか死んでしまえ!と叫びたくなるほど。

足手まといのこの野郎なヒックスをこれでもかと助けるのがリプリーで、いやー、かっこよかった。「ターミネーター2」のサラコナーもめちゃカッコよかったと私の深い記憶に残っているということは、私とキャメロン監督の信号が一致しているということかしら。

そういえばの話になりますが、私は記憶の中で「誰かに守って欲しい」という思いが無かったような気がします。子どもを守りたいとか、仕事を守りたいとか、そういったことはあるけれど、誰かに守られたいと思ったことがない。守ってくれる人がいたら便利だろうなとは思うけど。

親は守ってくれるどころか常に「育ててやった恩を返せ」というばかりだし、子どもの頃助けて欲しくても、そう希望通りのことはしてくれないし、してくれても怒鳴り声と一緒だし、いつも見返りを要求するし、いつまでもそのことを持ち出して恩に着せるし、それが面倒だからもう何かしてもらおうという気すら無くなっていました。

ただ、友人から助けてもらうことは多々ありました。本当に沢山ありました。「これ、頼めるかな」とお願いすれば「いいよー」とふたつ返事で引き受けてくれる。でもこれは「守って欲しい」とは別のものですよね。

子どもは守ってあげたいと思いはとても強くあります。命に代えてでも守りたいと思います。でも、誰かに守られたいとは思わない。これは守られたという経験がないからなのかしらん。たぶんそんなに信頼して頼り切った人が急にいなくなったらとても困って落ち込んでしまうという、防御のためかもしれません。だから最初から守って欲しいという気持ちを持たない。

そういう気持を持たなければ「夫が守ってくれない」と落ち込むこともない。でもそう言うと「それはとても悲しいこと」とか言う人が絶対にいるんですよ。依存する先がないのは悲しい事ではなく、人間ってそもそもそういうもんだと思うのです。依存する相手がいたら、それはそれでかまわないし、いなくても特に不都合なこともない。人から「悲しい」だの「気の毒」だの「寂しい」だのと言われる筋合いはない。なぜ自分の価値観に人を引っ張り込むのだ。

依存する人がいなくても、特に困りませんよ。いつ居なくなるか、気が変わるかわからない依存先がひとりいるよりも、助けてくれる人が50人いた方がいいと思うのだ、私は。

未来を読む

今年のお正月が終わった頃、友人から聞いた話です。

職場で数は少ないものの、パートの方の雇用が打ち切られることになった。理由は今までハンコを使ってしていた仕事がPCを使うことになり、PCが使えない人たちは再契約ができないことになったとのことでした。

今時ハンコを使ってする仕事があったというのも驚きでしたが、雇用打ち切りの人たちは、勝手な理由をつけたリストラだと言って、組合にかけこんだとのこと。でも、それを教えてくれた友人も私も、「同情できないよね」

世の中をぐるりと見渡せば、このハンコを使ってする仕事は遠からぬ将来無くなるのはわかっていなければならなかったはず。それなのにPCスキルを身につける努力もせず、明日は今日と同じ、明後日も今日と同じ、10年後も今日と同じと思っている方がおかしい。こういうのを楽天主義と言うのだそうです。

楽観主義と楽天主義の違い

http://bcaweb.bai.ne.jp/~aik28501/custom1362.html

私はめちゃめちゃポジティブ思考ですが、未来は絶対に明るいとも思っていません。明るくするには明かりを作る、もしくは借りる算段をするか、明るい所に移動するか、ともかく準備のシュミレーションはします。そうしないと不安で仕方がない。

未来なんて何が起こるかわからない、不安がったって無意味という方は楽天主義なのか、もしくはちゃんと準備ができている楽観主義なのかどっちなんだろう。

母の誤算

昨年我が母は老人施設に入りました。実家のあるところではなく首都圏の施設ですから、会いに行こうと思えばそれほどがんばらなくても行けます。

最初に面会に行った時に肩を落として悲しそうに母が言いました。「ここの人たちがみんな言うんだよ。ここは家族から捨てられた人たちが来るところだって」

はい、そうですけど、それが何か。

「捨てられた」は人聞きが悪いから言葉を変えますが、ここは「子どもたちに迷惑をかけるから、ここでひとりで暮らす」または

「嫁姑とか、家族のごたごたは真っ平。ひとりで悠々と暮らしたい」または

「親と一緒に暮らしたいけれど、住居環境や家庭の環境が老人と一緒に住むようにはできていないので、ここで暮らしてね」または

「あなたと暮らすとこちらがストレスフルになるから無理。ここでひとりで自由に暮らしてね」

そういった理由で老人施設に入居した、または入居させられたのです。我が家の場合は一番最後の理由になります。

母は施設に来る前、よく「こんなことになるとは思わなかった」と言って忌々しそうにため息をついていました。母の母、私にとって祖母はお小遣いを沢山くれ、美味しいものを沢山食べさせてくれる、とてもいいおばあちゃんでしたが、嫁いできた叔母は大変苦労したそうです。それは従妹から聞きました。

死ぬまで女帝として家に君臨し、嫁をあごで使っていた祖母が亡くなった時、従妹は「死んだときには遠くにいたけど、死に目に会いたいとも思わなかった。泣くこともなかったし、葬式には一応出てやったという気持ち」だったそうです。

女帝として一家を仕切り、嫁を労働力として使っていた祖母を見て、自分もそうなると思っていた単純な母は、よもや子どもたちがそっぽを向き、施設に入ることになるとは夢にも思っていなかったでしょう。子どもが自分を捨てる(捨ててませんよ!)なんて、太陽が西から昇るようなことと同様に、あり得ないと思っていたでしょう。

今、「常識」と思っていることが、20年後、30年後も常識と思っていたら、思わぬことになる可能性が高いです。20年前、30年前を考えてみたらわかるはず。それを「こんなことになるとは思わなかった」と畳をかきむしるよりも、世の中に適応し、柔軟な生き方を選んだ方が後から後悔することは少ないだろうなと思います。

電話相談の内容をちょっと変更

電話相談期間が終了しました。今回のご相談はモラハラ以外のものが結構ありまして、今まで夫婦関係のモラハラのみに特化して行ってきましたが、これからは枠を取り払い「なんでも相談」にしようかなと思っています。今までなぜそれをしてこなかったかと言うと、ご自分で答えを見つけるお手伝いをする、いわゆるカウンセリングの場合は、たいていとても時間がかかるからです。1回で終わることはほとんどありません。

何度もリピートしていただく必要があるのですが、ここの相談自体、年3~4回ほど、期間を設けて行うものなので、継続の方には使い勝手が悪い状態でした。それならば、私ではなく、他の継続可能なカウンセリング機関に行っていただいた方がよいと思ったので、そうしてきました。

ただ、いろいろな方のお話を伺うと、モラハラ家庭からの避難はソーシャルワークが主ですが、こころのケアや、自分を見つめなおすお手伝いもそれと同じように重要だと思うようになりました。実際私は男女参画センターの相談員を10年勤めましたので、この「自分を見つめなおす方のお手伝い」は沢山やってきました。それならば、ご要望があればやらせていただいてもいいなと思うようになりました。

同じ空間を共有しないでお話を伺いますので限度はありますが、相談に来られる方が「モラハラを知っている人と話をしたい」と仰ることが多いので、私でよければお受けいたします。

次回の相談は11月頃に行う予定ですので、もしよろしければその頃にご連絡下さい。

電話相談受付しています

サイトでご連絡していました通り、9月分の電話相談の受付を開始しました。受付することをもっと早く告知していればよかった。。。ごめんなさい。予約希望の方からのメールがもはや入っています。

私は10年間自治体男女参画センターで相談員をしていました。DV相談がメインですが、さすがに10年やると、ありとあらゆる相談を受けました。相談を受けるために必要な研修も多分100回以上受けているんじゃないかな。そのほか、弁護士会や警察、行政間とのやりとりなども職務としてあり、会合などにも出席していました。SSW(スクールソーシャルワーカー)、SC(スクールカウンセラー)とも密接に連携していました。

その他犯罪被害者等支援員も兼ねていたので、こちらの関係でも警察、支援団体、病院、その他支援団体の構成メンバーとして勉強会にも参加していました。

おかげで増えたのが人脈です。人脈は宝だと本当に思います。

電話相談は主にモラハラがメインですが、私としては力を入れていきたいのは、「自分らしく生きるにはどうしたらよいか」というものです。世の中には自己啓発関連の書籍があふれていますが、見てみると「なんだ、とっくに知ってるわ」と思うものばかりです。

人間アラカンまで生きると、その人生のいろいろな場面で「世の中こうなってる」ということに気づきます。本で知識を得るよりも、何しろ実体験で悟りましたから、自分で体得したものの方が強いに決まっています。

電話相談では、そういった話も雑談を交えながらしていけたらいいなと思います。電話相談に限らず、友人関係でも「あなたと話すと元気が出る」と言っていただけます。私、お笑い系なんで。

みなさまのお申込みをお待ちしております。お申込みはこちら↓

https://morahara.cocoon.jp/form.php

半沢直樹~みんな復讐が好き 2

「半沢直樹」がまた放送されていますが、視聴率は好調のようです。なぜみんな「半沢直樹」が好きなのか。それはもちろん「やられたらやりかえす。百倍返しだ!」があるからです。

このセリフと水戸黄門の印籠出しは、テレビの2大決まり画面かもしれません。

虐められ、貶められ、視聴者がイライラジリジリとしている時にパッと出てくる印籠や倍返し。でも、最初から印籠を旗に吊るして歩けば、事件も起こらないのではないかと思ったりもする(・_・?)

ともかく、視聴者はそれぞれ自分がやりたくてもやれない復讐願望を持っています。その怨念を半沢直樹が代わってやってくれているようで、スカッとします。

#余談ではございますが、このドラマには歌舞伎役者さんが重要人物をされているせいか、セリフを言うたびに大見得を切っているように見えるのは私の気のせいだろうか。。芝居が大げさすぎやしないか?

さて、半沢直樹は大物に対して最初から「倍返しだ!」と宣言しますが、これはハラッサーにはやらない方がよいのは当然です。油断させてスキを作らせ、そこを突くのが定石だからです。そして(家庭モラハラはできませんが)自分が報復したのだとは気づかせないようにするのも大事です。半沢直樹はテレビだからこれで終わっていますが、本来ならば百倍返しのさらに百倍返しで返って来てもいいケースです。

そんなことできるの?と思われる方は、知恵をめぐらせましょう。小さなひとりでもできることはあるものです。ただし、私利私欲によるものだったり、勝手な逆恨みだったりした場合はうまくいかないかもしれません。

世の中って、そういう風にできているものなのよ。不思議ね。

「復讐なんてそんな悪いことはできない」と思う方もいるでしょう。そういう方は復讐なんか考えずに、潔く清廉潔白に生きたらいい。でも、だったらなぜ半沢直樹を見るのでしょうか。

以前「返報性の法則」について書きました。

人は相手から何かしてもらったらお返しをしなければならないと考える生き物です。これはしてもらったものが厚意でも悪意でも変わりなく、人間の心理に組み込まれたものだからです。

だから「倍返しだ!」は当然の行動です。でもなぜ「復讐は良くない」と考えるのでしょうか。もちろん「テロにはテロを」といった争いの場合は人の命がかかっているし、実際そういう場合の報復はエスカレートするだけで何も残りません。だからやるべきではないと思う。でも、モラ夫から何かされたら、「倍返し」はあっていいと私は思う。それでスカッとするならやった方がいい。

私はモラハラ禍からの脱出には「勝利感」が不可欠だと思っています。この勝利感が無くやられっぱなしで終わったら、お返しは心理による正常反応なのでいつまでもモヤモヤが残ってしまいます。ただ何をもって勝利と思うかは人それぞれです。

以前掲示板に笹ベアさんが書いて下さいました。

”モラからの和解金は、生活費には使いませんでした。
和解金は、シミ取りレザーやネイルジェル、ライブ代に充てました。
モラは、私の美と楽しみのために15年間働いたのです。
私の腹の虫には”ザマーミロ”が必要でした。”

勝利感とはザマーミロです。

半沢直樹は日本中の人にザマーミロという、自分にはできない報復を小気味よく見せているから、喝さいを浴びるのです。

銀の匙を咥えた娘

当然エクササイズプロ30年のアラカン母の方が断然上手い

ネットをググってみると、まりなさんは秋田から大学進学のために上京し、卒業後日本生命に入社。営業成績上々で2年後すぐに人事部で就職セミナーで学生たちを前に会社説明を行うようになりと順風満帆。

大手の会社に勤務する日系アメリカ人の夫と結婚し、彼の影響を受けて自分の可能性を探すべくインドに行ってヨガ講師の資格をとりロスへ。夫は快く送り出してくれ、動画を始めると家事を担い、疲れて弱音を吐くとしっかりと支えてくれる。

YouTubeで動画配信をしてみたら1年程度で100万フォロワー突破。英語でのチャンネルも作って世界進出。

生まれた秋田では両親から溺愛され、祖母を「あっちゃん」と呼び、実家へ帰ると一緒に居酒屋で大ジョッキのビールをあおる。こういった風景は惜しげもなくYouTubeにのせる商売上手。

祖母の「あっちゃん」は「亡くなったじいちゃんはいい人だった。あっちゃんはじいちゃんが大好きだ。生まれ変わってもじいちゃんとまた一緒に結婚したい」という。

エクササイズコーチのアラカン母と娘が自慢でたまらない父とは地元のラーメン屋で芸能人顔負けの食レポを披露しながらラーメンをすする。YouTubeを見る限りは仲良し夫婦の中に生まれたかわいくてたまらない自慢の娘なのだろうと思います。

「銀の匙を咥えて生まれる」とは、裕福な家に生まれた人のことを言いますが、私はこういう人も銀の匙を咥えてきたのではないかと思います。

もちろん彼女が努力家で、人目につかないところで沢山の努力を積んでいるだろうことはわかります。でも世の中、努力だけではどうしようもないことがある。努力してもしても報われないことの方が多い。

ちなみに地方から東京の大学へ進学するには学費の他に生活費もかかります。地方の一般家庭で娘を東京の大学へ進ませるほどの収入がある家は、そう沢山ではありません。「学費は奨学金を利用して」と何百万もの奨学金を借りて、自己破産する人もいます。

地方から東京の大学への進学ができて、大企業に勤め、心優しい大企業勤務の夫と結婚し、見た目麗しく、朗らかで、アクティブで、NYに住み(現在は高知)、肩書は「起業家」。

その彼女が6月25日にliveで「痩せるダンス」を行いました。私は録画のものを見ながらいつものとおり一緒にダンスをしていましたが、最後に「私がなぜこのダンスをしているかというと、みんなに自己肯定感を持って欲しいからなのよ!」と繰り返し言っているのを聞いて、「え?」と思いました。

私がヒネテいるのかもしれませんが、銀の匙を咥えたような30歳の人から「みんな自己肯定感を持って!」と言われると、マリーアントワネットから「パンが無かったらお菓子を食べたら」と言われたような気になりました。

同じアラサーで親から愛されず、顔立ちは残念で、能力があっても進学できず、周囲にも認められず、夫はモラハラでという人は多いと思う。みんな苦しみながら必死で生きていると思う。自己肯定感って、自分はこれでいいのか、いつも模索しながら、もだえ苦しみながら、悩みながら、もしかしたらアラカンを過ぎる頃にやっと手に入るものだと思う。

銀の匙を咥えた30歳の人から「自己肯定感をみんなも持って!」と言われて、モニターの前で立ちすくみました。

自己肯定感を持つことを100としたら、彼女の環境はプラス50からのスタート。マイナス100や200からのスタート人は山ほどいる。生まれた時からプラス50をもらって生きてきた人から「みんな自己肯定感を持って!」って、なぁ。

とは言え、私はまりなさんのダンスが好きだし、特に同年代の「おかん」のファンです。もっとおかんのダンスが見たいし、「おとん」のしゃべりが好きです(多分本人は訛っていないつもりだと思う)。

まりなさんはただのYoutuberで終わる人ではなさそうで、7/4(土)23:00-23:30放送予定のマツコ会議にも出演するそうです。でも、彼女の目指すものは、もっとずっと壮大なもののような気がします。

YouTuberに未来を見る

自粛期間中、テレビもつまらないのでもっぱら見ていたのはYouTubeでした。今思えば正解だったのですが、最初に見たのは「お部屋の片づけYouTube」

この他片づけグッズ動画がいっぱい

緊急事態の自粛で時間はたっぷりあるので、この類の動画を見て片っ端から片付けていきました。このお宅、猫を3匹飼っているのですが、動物を飼うとどうしても毛が飛んだり、床が猫トイレのチップだらけになったり、棚に物は置けないと、動物と暮らすと部屋の片づけは無理と思っていましたが、とってもきれいに暮らしています。

このご夫婦、お掃除は大好きのようですが、食事が「朝はシリアル、昼は直前にインスタントカレールーを溶いたカレー、夜は野菜を切ったのにマヨネーズつけて食べる」と、あまり食べ物には興味がないよう。

昔「私の部屋」という雑誌を見ていたものですが(あまりにも現実感のない部屋で、無理。眺めるだけ)、今の時代は「動く『私の部屋』」がYouTubeに出るのですね。無印良品のモデルハウスみたいな感じ。

でも、いろいろなアイディアのおかげで部屋は片付き、今は清々と暮らせています。次にはまったのは「お料理YouTube」

このはるあんさん、ごま油メーカーとコラボしたり、農林水産省とタッグしたりと、もはやアマチュアではない。顔を見せず、声も出さずにひたすら料理する他の料理チューバーとはちょっと違うYouTuber。

自粛前は時間がなかったので、YouTubeで見るのは旅行関連や、買ったけど使い方がよくわからないサプライの使用法だったり、どちらもオタッキーな男子がMCのようにコメントしているものばかりだったので、私はYouTuberとはこういうオタッキーな人のことだと思っていました。

違うのね。

そして毎日見ていたのはエクササイズ動画です。私は体を動かさないと息が止まってしまうイルカ体質なので、毎日見ながらやってます(進行形だよー)。毎日バレトンやビリー隊長のエクササイズをやっていましたが、友人が教えてくれたのはこちら。

これは19分サイズですが、60分サイズもあってこれが好き

痩せるダンスとありますが、たぶん私はこれでは痩せない。体重は標準値なので痩せる必要もないのですが、汗をぐっしょりかいて「やった感」があるエクササイズが好き。

そしてこの竹脇まりなさんはフォロワーが100万人以上いる人気YouTuber。動画だけでなく、その生き方が同年代のアラサーの方々のあこがれになっているようで、いろいろなメディアで取り上げられています。

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E5%93%A1%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%A8%E3%82%AC%E8%AC%9B%E5%B8%AB%E3%80%81%E8%B5%B7%E6%A5%AD%E5%AE%B6%E3%81%B8%E3%80%8C%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E8%87%AA%E5%88%86%E3%82%92%E5%8F%B6%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E7%AA%81%E3%81%8D%E9%80%B2%E3%82%80%E3%80%8D%E7%AB%B9%E8%84%87%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E8%BB%A2%E8%BA%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC/ar-AAJmSb0

↑このURL短縮できない(泣

この記事を読むと、華があってどこでも成功できる方のようですね。健康的な食事紹介も含めてこれからが楽しみです。

でもその華を作ったのはどうやら生まれたお家のよう。 続く