■ ACとわたし ■ |
私がこのモラハラについて調べていくうちに、ある重要なことを発見しました。それは私がACだったいう事実です。「あった」と過去形にしたのは、知らぬ間にACから脱していたからです。
ACというものがこの世にあることも知らず、自分が生きやすい方向に進んだら、そこに脱ACがあったのです。これはかなり幸運な部類に入ります。ACの特徴のひとつに「自分を犠牲にしても相手につくしてしまう」という
共依存があげられますが、共依存かどうかをチェックするサイトがあります。
http://www.family21.jp/
私はモラハラを知る前にそのチェックをしたことがあります。結果は「あなたは共依存傾向があります」でした。今、何度やっても「共依存はありません」
になります。今私は自分がやりたいことをしていますし、他人に振り回されることもありません。どうやって脱ACをしたかと言えば、私がネットを始めてまもなく入ったML(メーリングリスト)がそのきっかけを作ったと思います。
今はなくなった女性だけのML。そこでは毎日多くの人たちからの投稿がありました。そして私が持っていた常識を覆すような書き込みが多く寄せられていたのです。
「自分の人生は自分のもの。誰かのために生きるなんて考えられない」「私は自分のしたいことをする」「私は自分が好きなように生きている夫が好き。夫も好きなように生きている私が好きだといいます」
私の頭のコペルニクスが転回しました。私の中では「結婚とは我慢し、妥協をし、年をとったら『お父さんも昔はひどかったけど、今はいい人になった』と縁側でひなたぼっこをするもの」だったからです。
だから夫が少々ワガママを言っても、それはどこにでもある結婚の風景でしかなかったのです。しかしそこにいる人たちは「今、自分の好きなことをしたい」「今、夫とわかりあいたい」と言います。
「我慢は解決にならない、徹底的に夫とぶつかってわかりあわなければ本当の夫婦関係なんて築けない」「夫が理解してくれないので
子供と家を出ました」等々、私の周りには決して出てこない話が次々と出てくるのです。私は最初それを「ワガママな人たち」と思っていました。
生きていくこととは他人と意見を摺り合わせ、妥協し、相手に合わせていくものという価値観がガッチリ私の頭にあったからです。
しかし、3年の(!)間、親しい人もでき、オフでの行き来も始まり、「自分の好きなように生きている人たち」は周りに迷惑をかけることもなく、
楽しげに暮らしていたのです。誕生日には夫や子供からプレゼントをもらい、出かけるときには「気をつけて」と見送ってもらえ、
「こんなことがあったのよ」と話せば「よかったねぇ」と目を細めてくれる。これが「家庭」というものなのだと私は初めて気づきました。
そこからが問題でした。私の夫は「話し合おう」としてもまったく相手にしてくれないのです。話しあっても夫は「それはお前の
意見でオレは違う」というばかり。そして無視・無言を長期間始めるのです。私の話の持って行き方が悪いのだと、下手にでたり
「お願い」してみたりするのですが、「いやなら出ていけ」。ここで私は行き詰まってしまいました。
しかし、家の外では無意識に「私の好きなように生きる」ことは実践されていきました。面白いもので私を軽く扱っていた
人たちは、私が「私はこう思う」とはっきり言うと、認めてくれるようになり、意見の多くは仕事にも取り入れてもらえるように
なりました。ひとつうまくいくと「あなたの意見は?」と向こうから聞いてくるようになり、仕事にも自信がつき始めるように
なったのです。ただし、この素地はそれよりずっと前からありました。何が原因かは忘れてしまったのですが、ある日突然「so what?(
だから?)」と開き直ったのです。「あなたって小心よね」「so what?」
小心だからなんなのよ、だからどうだっていうのよ、何が悪いのよと開き直ったのです。今までの私だったら「小心と言われてしまった。
私は小心な女なんだ。どうしよう」とウジウジ悩んでいたのに、開き直った人というものは強いものです。
大体親しくもないのに他人をつかまえて、「あなたは小心者」という人は常識のない人なのです。ですから今回「自分はAC」とわかっても
「へぇ〜、私ってACだったんだぁ〜」と思い悩むことなく受け入れることができました。
ACならACでいいじゃないか。なっちゃったんだもん。しょうがないじゃない。 全く悩みませんでした。
夫との離婚は「戦争」でした。宣戦布告を相手に突きつける前、私は地固めをしました。周囲の人たちにわかってもらうため、
モラハラについて書かれたものを渡し、実情を話しました。今回の離婚で一番活躍したのは父でした。私がACになった原因は酒乱だった父では
ありません。パーソナリティ障害(人格障害)に近い性格を持った母が私をACにしたのです。元酒乱の父は現在では仏様のようになっていますが、何しろ
「元酒乱」ですから家庭内での地位はかなり低いのです(笑)。その父が怒鳴ることも怒りを夫や夫の親族にぶつけることなく、
淡々と離婚の話し合いを進めてくれたのです。その結果父の株もぐっとあがり(笑)、家庭内での父は一目置かれるようになりました。
沢山の人が私の手を握り、肩を抱き、一緒に涙を流し、がんばってねと励ましてくれました。そしてある日、私の中に変化が起こりました。
「世の中のすべてのものを愛したい」「すべてのものを慈しみたい」「すべてのものに感謝したい」そんな感情が湧き上がったと同時に、明るい太陽がさんさんと降り注いできたのです。
「罪を憎んで人を憎まず」を私は今まで理解できませんでした。でも今はできます。前の私は「罪と犯した人」はイコールでしたが、
今は「罪と人」は別々です。夫に対しても憎しみはまったくありません。
同じように暖かい家庭を知らずに育ったふたりが、片方は
加害者となり、もう片方は被害者になってしまった。それはまるで宇宙の法則のようにも見えます。 でも今私は思います。私たちは自分の意志で動いているように見えるけれど、本当は神様が操り人形のように操っているのではないのかと。でも操っているのが神様である以上、そこに待っているのはきっと幸せのはずだ。
そんな気がします。
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