孫の受験は代理戦争

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3月の今頃地方では、受験期の子を持つ親の他に、おばあちゃんたちのお茶うけになるのが高校受験の結果漁りです。

あそこの家の子はどこの高校に受かった、あの子はどこ、あの子はどの高校を落ちたと、よく知っている人はいるもので、その噂でもちきりになります。娯楽の少ない地方にとって、公立高校受験の発表は数少ないイベントのひとつなのです。

よって我が子の受験を心配する親の他に、他のおばあちゃんに負けたくないおばあちゃんは、本人が必勝ハチマキをして大漁旗を振りまくります。

親は我が子が行きたいという学校に入れたならそれでいいと思っても、祖父母はそうはいかない。何しろ地元で長年生きている分、あちこちに様々な確執が沢山あります。

「絶対あのばーさんにだけは負けたくない!」というものもある。孫の受験は代理戦争のようなもの。もし不合格になろうものならその怒りは娘や息子に落ちてくる。よって娘や息子は子どもに「おばあちゃんが怒りまくったら手が付けられないから、お願い!がんばって~~~」と後ろから必勝ウチワで扇ぐことになる。

ワンポイントとして書いておきたいのは、これは中学受験でも大学受験でもこの光景はなく、イッパツ公立高校受験のみに起こる現象だということです。前述したとおり中学受験はほんの少数で、大学は東大京大地元の国立大、私立はワセダとケイオーと箱根駅伝に出てくる大学しか知らないので、〇〇大に入学したと言われても、「へー」としか返せない。大学名を言われても、それがどういう大学なのかがわからないのです。

だが高校は違う。高校ランクは頭の出来のランク。こういう特徴があるからこの高校を選ぶわけではない。歴然としてずらっと頭の出来のいい順に並べられる。いわば公開の品評会なのです。

我が子やわが孫がひとつでも高いランクの高校に入るのは、親や祖父母にとってステータスなのです。

秋葉原で起きた大量殺人事件の犯人は青森県の出身でした。青森県で最高ランクの高校を卒業しながら、その後はぱっとしない人生でした。そして、その最高の高校に入学させようとした母親が、壮絶な教育やしつけをしていたことは当時のメディアで散々報道されました。

私は報道を見て、あの母親が特別異常だとは思えませんでした。身につまされるとも思えました。私の住んでいた地方では、あのような母親はいくらでもいました。私の周りで子どもの高校受験を心配するあまり、精神科に入院した人がふたりいます。

それほどまでに、地方では高いランクの高校に入ることが、子どもにとっても親にとっても祖父母にとっても、人生最大とも言っていいほどの大勝負なのです。

地方の受験事情

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私が東京に来たのはもう子どもの受験が終わった後なので、東京の受験事情はそれほど知っているわけではありません。ただ、地方ならば頻繁に親同士で交わされる「あの子どこ?(出身高校)」が東京では聞かれないのです。

今施設に入居している母も首都圏に来て1年半経ちますが「誰かから何かを言われて嫌な思いをしたことは一度もない」と言います。ちょっとしたことでブツブツと文句をいう母がこういうのだから、少なくとも対人関係で嫌な思いはしていないようです。

私も同様に、いろいろな方とお付き合いをしましたが、職場のパワハラ上司を除いて、対人関係で嫌な思いをすることがほとんどありません。すれ違いざまに怒鳴られたとか、そういう密接でない関係でのことはありますが、友人同士で罵り合うとか、陰口を言われたとか、そういう思いをしたことがないのです。ただ、陰口は誰かを介して聞こえてくるものですが、それがないという意味です。たぶんいろいろと言われているだろうとは思う。

さて、入学試験ですが、地方に「塾」というものはありますが、小学校から通っている人はほとんどおらず、大抵中三の部活が終わった後、夏休み前位から始めるのが普通です。大学受験も塾や予備校はありますが、受験する人全員が通うというものでもなく、放課後に学校の方で補習をやって下さるので、それで勉強するのがほとんどです。先生方に負担がかかっているという意味では申し訳なく、ありがたいと思います。

東京に来て、お隣の方のお子さんがちょうど中三、高三で、立ち話をしていたら「塾代、毎月10万かかるのよ」と仰るのを聞いてびっくりしました。それも三年生だからというわけではなく、小学校の時からその状態だったそう。

子どもの塾代に毎月ひとり5万円もかかったら、ご飯は味噌つけて食べなきゃいけないじゃんと思っていたら、「毎月だけじゃなく、夏季、冬季講習はそれ以上にかかるのよ」と言われました。

私の住居はごくごく庶民が住むような集合住宅ですから、生活水準は高いわけではありません。その後、いろいろ話を聞いていくと、お隣の方は特別教育にお金をかけているわけではなく、都会ではごく普通のことであることがわりました。

午後9時過ぎ、駅前の進学塾からぞろぞろと小学生の子どもたちが出てきて、コンビニで食べ物を買い、駅に向かっていく風景。これは都会では普通のことです。

これがいいか悪いかと言われたら、いいわけはないがみんなそうしているから、自分の子どもだけ何もしないわけにはいかないということなのでしょう。

つくづく地方で子どもを育ててよかったなぁと思います。

ただ、地方にはへばりついている「高校名による差別」に関しては、これは東京の方にはわかってもらえないかもしれません。

入学試験は親も子も試練

3月になり、合格発表も出そろいつつありますね。入学試験は本当に親も子も試練の時です。中には「受けるのは子どもなんだから、私は関係なかったわ」という人もいて、それはとてもうらやましい方です。

子どもが入試の方のご相談はだいたい11月頃から始まります。内容はほぼすべて同じ。

「入試まで目前なのに勉強しない」

「親や先生がいくら言っても机に向かおうとしない」

「やればできる子なのに、このまま努力せずに終わるはもったいないと先生に言われた」

「第一志望の学校の偏差値まであと少しなのに、がんばろうとしない」

つまり、「がんばってもできないならば諦めもつくが、がんばろうとしないのが腹が立つ」ということです。

私も相談を受けていて、同じ道を通ったので、保護者の方の怒りがものすごくよくわかります。我が子の時は私も相談者の方と同じように歯噛みをし、きーーーーーーーー!!!!っとなったものでした。だから「試験は本人が受けるのだから、私は関係ない」と言える方は本当にうらやましい。

ここで書いておきたいのは、よく「先生から『お宅のお子さんはやればできる子です』と言われた」と仰る方が大勢いることです。私も同じように言われました。どうやら先生方、ほとんど全部の親に同じことを仰っているのではないかと思います。だって「お宅のお子さんはどうやら勉強してもできない子ですね」とは言わないでしょう。だから「やればできる子」とハンコのように同じ言葉を言う。

私が長年子育て生活を通してわかったのは、世の中の子どもの8割は「やればできる子」です。後の1割は「やらなくてもできる子」、残りの1割は「どうやってもできない子」です。たとえばLD(学習障害)の子は学校の勉強はいくらやってもできません。たぶん授業中は苦痛でしかないでしょう。何もわからない呪文のような英単語や割り算の仕方を聞いても、泥の中で泳いでいる気分だと思います。

その反面、まったく勉強なんかしなくてもできる子はいる。←もうはっきり言う

これはもう努力がどうのこうのと言う話ではなく、脳がそういう作りでできて生まれてきているのだから仕方がないとしか言いようがない。

でも、ほどんどの子は多勢の8割、「やればできる子」なのだから、せめて努力して上を目指してもらえないかと親は思うものです。私は子どもの学校名をブイブイ言って見栄を張りたいとか、そういうものはありませんでした。ただ、子どもの将来選ぶ選択肢を増やすには、上位校の方が幅が広がる。そう思っていました。

子どもにはよい環境で勉強して欲しい。よい影響を与えてくれる学友に巡り合って欲しい。その気持ちでした。そして悲しいかな地方は都会と違って、高校名で辛い思いをしたり、進路が阻まれることが多いのです。

「ホテル」の話

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すごい勢いでIT化が進み、最初に入ってきたのは「ワープロ」でした。それまでは「タイピスト」と呼ばれる人が、和文タイプで打ったものを正式な書類として使用していましたが、私の職場ではタイピストがひとりしかいなかったので、いつも順番待ち。彼女の机の上には貢物のお菓子がいつも山のように積まれ、夜のご接待も頻繁にあったようです。

時は流れ、ワープロが数台入ってきてワープロ室なるものができ、書類はタイピストではなく各課がそれぞれ作るようになり、私も上司に頼まれたものをよく作っていました。

最初にワープロの前に座って戸惑うのはキーボードの位置がわからないことです。みんなこれでとても苦労して、いわゆる「一本指打法」で打ち込んでいましたが、私は前の仕事で英文と和文簡易タイプライターを使っていたのでキーボード操作は慣れていますから、あとはワープロの機能だけ覚えれば良い。1日で覚えました。

何でも少しでもやっておくものです。ただ、「クマガイに頼むと早い」と言うことになり、仕事量は増えました。早く仕上げるには他の仕事は後回しになりますから、上司の方で計らってくれ、キーボードに向かう時間が多くなりました。

#打てば打つほどタッチは早くなる。機能も裏技もどんどん覚える。

ワープロの次にパソコンが入ってきて、ひとり1台ノートパソコンが机の上に置かれるようになり、「書類は人に頼まず、自分で作ること。課長職も同様」のおふれが出た時、不思議なものを見ました。

「ホテル」と呼ばれる課長がいました。この呼び名はある日、ホテルが血相を変えて入口のドアにすっ飛んで行ったと思うと、うやうやしく90度のおじぎをした相手はナンバーツーの上司。その血相の変え方と、90度のおじぎがまるでホテルマンのようだったことから「ホテル」と呼ばれていました。上には90度のおじぎ、下には横柄で高圧的な上司でした。

ふと覗いたホテルの部署で、ホテルが両手を白い包帯でグルグル巻きにしています。

「ホテル、どしたの?」と同僚に聞くと

「金属アレルギーなんだって。医者から絶対パソコンに触れないようにって言われたんだって」

「金属アレルギーって、手に触る所はプラスチックじゃん」

「ホテルの肌はすごく敏感で、少しでも金属イオンを感じるとアレルギー反応が出るんだって」

ぷぷっと同僚は笑って、「だからワープロ打ちのものは私がやることになってんの」

「ホテル、文系だからねー」

私たちだって文系だけどねー、やれと言われたらやるよねーと再度ぷぷっと笑いあいました。

それから数か月後のこと。職場にLANが引かれ、インターネットが導入されました。最初は一部だったインターネットはすぐに全員の机の上にあるパソコンで利用できるようになりました。

そしてある日、ホテルの部署を覗くと、白い包帯を巻いたホテルがマウスに手を置き、PCのモニターを凝視しています。

「ホテル、金属アレルギーはどしたの?」
「ネットはいいみたいなのよ」おかしくて仕方がないといった表情の同僚が言いました。

「ネットの見方を教えたら面白くて仕方がないみたいで、金属アレルギー、忘れたみたいなのよね」

その後、ホテルに抗体がついたか、包帯無しでPCに触れるようになり、一本指打法ではありますが、キーボードに触れるようになりました(あれ?

「全員ワープロができるように」とお達しが出た時に修練を積めば、後々まで酒飲みのネタにされるようなことはなかっただろうに、ね。

メーガン妃は女優

イギリスのメーガン妃がアメリカのテレビのインタビューで、人種差別的発言をされた他、さまざまな嫌がらせにあっていると告白。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fcee29d27f7be1ddc552ac2567fd0ace5a9f08b4

そのインタビュー放送に、ビヨンセやら、沢山の著名人が「勇気ある行動」と褒め称えているそう。さらに、彼女をこきおろしたテレビ司会者は降板させられたそう。

そのインタビューで「自殺も考えた」と発言していますが、なぜメーガン妃はその人種差別発言を聞いた時にその時に言わなかったんだろうか。なぜ今まで温めていたんだろうか。あれだけバリバリと物を言う人が、飲み込んだとは思えないのだけど。飲み込めるような内容ではないと思うのだけど。

なぜ今改めて場所を設定して言うのだろうか。

そして、内容をはっきりと言わない。どうにでもとれそうな発言の仕方は本当によろしくない。表情を作るのは女優さんだからお手のものでしょう。

女王を悪く言わないのは、国民から敬愛される女王を悪く言えば、国民の反発があるから。エリザベス女王も、90過ぎてこんな身内のゴタゴタの始末をしなければならないのは本当にお疲れ様だと思う。

ヘンリー、目を覚ませ!って、同僚とよく言ったものです。

英国王室もエライもんを身内にしてしまったね。これはずっと長く続きますよ。それぞれの子どもたちが成長すると、更に泥沼化すると予言。

いろいろとスキャンダラスな英国王室の歴史に、また追加されそうですね。

チキンレースに負けるな

以前も書きましたが、毎日のように「離婚だ、出ていけ」と言っていた夫が、いざ妻が家を出て離婚調停となると「悪かった、もうしない」「反省している。やりなおしたい」と言って離婚を避けるのかは、本当に七不思議のように思えます。

理由のひとつは、元々「離婚だ」は脅しで、「離婚だ」と言えば妻は怯えて言うことを聞くからがあります。簡単ですね。

「り   こ   ん  だ」

この4文字で妻はなんでも言いなりになります。今モラハラ禍の中で夫からの「離婚だ」に怯えている方は大変多くいると思いますが、モラハラから脱したいと思うなら、それが離婚するかしないかに関わらず、離婚してもいいという腹づもりが必要です。

「離婚なんて、簡単に言わないでよ。できるわけないじゃない」と思われる方は大勢いると思いますが、これをしないとこの状態からは出られません。夫は何度でも、何年でも「り こ ん だ」と言ってくるでしょう。この悪魔の呪文を唱えさえすれば、妻はなんでも言うことをきくとわかったら、何かあるたびに「離婚だ」を繰り返すでしょう。

前に離婚するかしないかに関わらずと書きました。もしこの夫は真正モラハラ夫ではなく、「離婚だ」と言いさえすれば妻が言うことを発見し、これはしめしめとその上に乗っかっているだけだったら少しは脈があります。

それならば「離婚だ」が効き目がなく、そして妻は離婚してもいいわよと応戦したら、もしかしたらハラスメントの度合いが小さくなるかもしれません。うまくすれば、逆転の可能性もあります。

ただ、「いいわよ」が口先だけで本当は離婚したくない場合。「よし、離婚だな。いいんだな」「これからお前がひとりで子どもを育てるんだな。俺は知らないぞ。全部責任はお前が負うんだな」と言われて、「え、え、え。。そ、そんな、無理。。できない。。」とおろおろしてしまったら、これはもう夫の勝ち。これまで以上に夫の攻撃は多く、激しくなります。なぜなら妻の「いいわよ。離婚するわよ」というのが口先だけだと言うことがバレてしまったからです。

これはもうどちらが先に降りるかのチキンレースです。そしてこのレースに勝つには、本当に離婚してもいいと腹を括ること。そのために離婚した時の準備を固めておくことです。いつ離婚しても大丈夫という状態を作っておいてからレースをすることです。マラソンだって試走して道の高低や風の吹き方、道路の曲がり具合をちゃんと確かめるでしょう。いきなり初めて走って勝てるわけがない。

その後、本当に離婚になったら、それは最初から腹づもりをしていたのだから、問題はないはずです。チキンレース必勝法は離婚に限らずどの場面でも使えますが、ダメで元々くらいの気持ちで始めることです。

「しくじり先生」でモラハラ

7日放送『しくじり先生 俺みたいになるな!』(テレビ朝日系)で家庭内のモラハラをとりあげていたそうで、いろいろな方からお知らせをいただきました。

#あらー、残念でしたー。見たかったなぁ。

番組はこのような感じだったそうです。

https://twitter.com/oubaitouri111/status/1368575153177645056
https://twitter.com/oubaitouri111/status/1368578249815588868

また、この中で取り上げられていたパンサー尾形さんについての記事はこちら

反省できたのなら、それはモラハラじゃないです。反省したふりをしたのなら、モラハラかもしれませんね。

ただいま楽天半額セール中

ただいま楽天市場で半額セールが開催されています。このバナー↓から入ってお買い物をしていただくと、モラハラ被害者同盟への寄付になります。サイト運営にはお金がかかりますので、ご支援のほど、よろしくお願いします。

いつもセールの時にまとめて買いますが、今回はマスク、ナッツ、タオルを購入。本当に外に出る機会が無くなったので、衣服を買う機会が無くなりましたね。化粧品も基礎化粧品しか使わない。ファンデ、リップはまったく使わない。私の人生史上、これだけメイクをしなかった期間は無かったと思います。

資生堂がシャンプーなどのパーソナルケア部門を売却したとのこと。きっと私と同じように「上半分化粧しても大して変わんないや」と、メイクを全放棄した人もいるんじゃないかな。

そして目しかない顔だと、個人特定がなかなか難しいという新たな発見がありました。マスクと目だけだと、知り合いによく似た人が沢山いて、人の顔の区別って顔下半分なのだとわかりました。下半分が隠れていると、年齢もよくわからない←これはいいことだ(嬉

ZOOMで人と話す機会が増えましたが、何しろそのためにメイクをするのが面倒なものだから、ビデオフィルターのスタジオエフェクト機能を使って、バーチャル眉にしています。使ったことのない方のために説明すると、モニターに映る自分に眉やリップを描くことができるという機能です。ちゃんと本人と一緒に動くし、表情と一緒に眉も動くスグレもの。良くできてるわぁ。

#こうやって人間は怠惰になっていく。。

コロナ禍が終わったら、元のようにメイクをするようになるんだろうか。いや、ならないような気がする。若い女性たちはするかもしれないけど、私らおばさんはこの手抜き放題の生活様式に慣れたら、もう戻れないような気がするなぁ。。

人生は思い通りにいかないもの

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私がいたところは、会社の名前を言うと「わぁ、いいところに勤めていますね」と言われるような大きな組織で、福利厚生も退職金制度もしっかりとしていました。定年退職まで勤めたら、充分な退職金と年金で、趣味三昧の悠々自適な生活ができると思っていました。なぜなら先輩たちがそうだったから。

ところがいきなりやってきた社会変化に翻弄され、働き方も、収入も、大きく変わっていきました。それについていけない人は自ら辞めるか、辞めさせられる方に持って行かれました。いつもいつも誰かが辞めていく。

青春時代、花の〇期女子と仲よく遊んだ友人たちが、青白い顔をして、「この先、どうしようか」とため息をつく。

とはいえ、女性は生活をどうしようかという危機感は男性に比べてなかったと思います。なにしろPCを覚えるよりも退職を選ぶような安定した収入が夫にあるのでしょうから、それほどせっぱつまったものではなかったのでしょう。

配偶者が看護師や美容師などの資格を持っている男性は、他の男性陣から「いいなぁ」と言われていました。

女性たちは「嫌になったら辞める」「どっかでパートでもする」というのがランチでこの話題が出た時のいつもの締めくくりの言葉でした。

それもなんだか深窓の奥様方の、世間を知らない言葉のように思えました。私のママ友はみんな必死で夜昼働いています。夜9時過ぎにどこかの事務所の掃除に行く人。コンビニのお弁当を流れ作業で作っている人。ホテルのベッドメイキングをしている人はいつも腰痛に悩まされている。この職場がいかに恵まれているか、わかっているのかなと思いました。

何より私は子どもを育てていかなければならない。主生計者として生活費を稼ぎ、子どもの学費を何としても稼がなければならない。年齢も高くなり、東京と違って働くところがない地方で、今と同じ条件の職場があるとは到底思えませんでした。

意外だったのは、遠くに飛ばされた人たちで、男性は当然のように単身赴任をしていましたが、女性も同様に現地に部屋を借りて単身で暮らした人が多かったことです。あんなに簡単に辞めるわと言った人たちが単身赴任をしたのは、子どもが成人だったこと(いかに就業年齢が高かったかわかりますよね。辞めさせたくなるわけだ)があります。

しかしそれも長く続く人はおらず、結局キレて辞めていきました。

あの80年代、きゃぴきゃぴと楽しく働き、将来の不安なんかなかった時代。そのころに思い描いていた人生の終末期を送っている人は誰もいません。誰ひとりとしてこの未来を予測できた人はいません。もちろん私も。

思い通りの人生なんかありません。10年後も20年後もわかりません。だから不安と不安と唱えるよりも、その不安に対してどうするかを考えた方が、ストレスが減ります。それが生きるかどうかはわからない。でも、大抵やったことが全部無駄にはならないことは、今までの経験でわかっています。

そして避けきれないものは受け止めるしかないこともわかっています。

そういうもんなんだなぁとわかっただけでも、年をとったかいがありました。

先のことは考えない

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この中にあるように、私にはいつリストラ対象になるかもしれないという不安がいつもありました。上層部に「コネ」のある人はその不安はないでしょうが、元々そんなものはない、その他大勢のひとり。とても不安でした。

ところが同僚たちにその不安の話をしても、あまりピンと来ていません。「辞めさせるときに遠方に転勤させるのは常套手段なんだよ」と言っても、「まっさかぁ」とまったく現実感がない。

新聞やネットには絶対に通勤不可能な場所に転勤をさせられたという話はごまんとあるのに、「そんなひどいことするわけがない」と言う。あったとしてもそれはオトコにやることで、オンナにやるわけがないと思っている。

なぜそう楽観的に「あり得ない」と言うのか、本当に不思議でした。私が心配性すぎるのかもしれないけれど、とにかくその時のための準備はしておこうと思っていました。

そして月日は流れ、職場も昔のようなのんびりしたものではなく、効率優先、成果至上主義があっという間に入ってきました。その間10年ほど。10年間で職場の雰囲気はまるで変ってしまいました。

日中ゆったりと仕事をして、残業代を稼ぐというようなことはできなくなりました。私は元々18時30分にはテーブルにごちそうを並べておかなければならない生活でしたから、残業はありません。前任者が「繁忙期には24時を回らなければ帰れない」という内容の仕事も、PCをフル活動させて定時に帰っていました。

職場にはPCを使わなければならない仕事がものすごい勢いで増えていきました。「PCを覚えないと後で困るよ」と言い続けていた私に「その時になったらやるから」と嫌な顔をしていた人たちはPCを使いこなすことができず、結局次々と辞めていきました。

PCを覚えるより辞める方を選ぶという、配偶者にも自分にも余裕のある奥様たちが多かったということです。私にはそんな選択肢はない。とにかく働き続けること、何としてもこの職を追われないようにすること、そして追われた時のために資格を取ろうかと考えていました。

そして私の心配通り、上層部は辞めさせたい人たちを遠方に飛ばし始めました。小さな子どもがいる女性も対象になりました。予想は当たり、「夫が大きな会社や公務員で生活が安定している人」が優先的に選ばれて飛ばされました。優秀であろうがなかろうが、ともかく人員整理をしたかったようです。

ところが幸か不幸か、その時私はすでに離婚をしていたので、この優先順位からははずれることになりました。さすがにシングルマザーを遠方に飛ばして辞めさせるのは人道的ではないと思ったのかもしれません。