【再掲】被害者は共依存か

被害者の中には「自分は共依存なのではないか」と悩んでいる方が時々います。共依存とは頼られた相手にとことんつくすことで自分の存在価値を確かめるという ものです。お互いに依存している。だから”共依存”です。

よく例として取り上げられるのは、アル中夫の飲酒を何とか止めさせたいと、かいがいしく世話をする妻という構図です。 自分は共依存ではないかと思う方はおそらく、自分は相手が望むものを常に先読みして行い、相手に心地よい環境を提供しているからと思っているせいではないでしょうか。 ではなぜ先読みをするのでしょう。それをしないと相手が怒るからですよね。


怒鳴るか、黙るか(無視するか)、物を投げるか、ドアを大きな音をたてて閉めるか、子どもたちに八つ当たりするか、嫌みを言うか、 生活費を入れないかなどなど、そのツールは山ほどあります。先読みして、「はい、新聞」、「はい、リモコン」「はい、お箸」と手渡すあなたは 幸せでしょうか。

共依存ならばそうすることで、自分はこの人に無くてはならない人なんだと感じることができるのだから、それは喜びのはずです。 でも、多くの被害者は「はい、リモコン」と夫にリモコンを渡すときの顔は引きつっているか、びくびくしているか、ともかく幸せとはほど遠い顔つきをしています。

被害者はリモコンを渡すとき「今の状況と夫の視線から想像するに、今彼が欲しているのはリモコンであると推察されるが、果たしてこれは正解だろうか」と祈るような気持ちで 手渡しています。オーバーなと思われるかもしれませんが、それは被害者になってみなければわからない感情でしょう。そこまで追い詰められるのです。

もし 間違っていたらあの恐ろしいモラハラが始まるきっかけを作るわけですから、それは必死になります。あなたのために尽くしている私を感じるのが幸せなんて、いったいどこの話かですよ。

被害者の多くは夫が仕事に出て行くとき、「今日、事故で死んでくれないか」と思いながら送り出します。これはモラハラ被害者として、とても一般的な感情です。 もし共依存なら、世話をする相手がいなくなってしまったら自分の生きる価値が無くなってしまうわけですから、そのように考えることはありません。


だからモラハラ被害者は共依存ではないのです。

広告だらけのブログ

私のサイトには広告がありません。これはジオシティーズの頃からずっと続けています。サーバを借りるのもアメーバなどに自分のブログを作るのも、無料の場合は大体広告が表示されると思います。広告を表示したくない場合は料金を支払うのですが、これはみなさまからご協力頂いている、アマゾンと楽天のアフィリエイトの収入があるので広告無しを続けられています。アフィリエイトでいただいたお金はレンタル掲示板(現在4板)やメールフォームの使用料やサーバー利用料に使われています。

アマゾン、楽天、共にサイトでご紹介している書籍だけでなく、どこからでもクリックして入っていただいてお買い物をしていただくだけで、規定のアフィリエイト料金が私に支払われる仕組みになっています。サイトや掲示板を維持していくために年間2万円弱の費用が必要なのですが、今のところこれを維持できるだけの収入があります。収入履歴を見るたびに、みなさんがコツコツとこのサイトを支えて下さっている気持ちが伝わり、「がんばるぞ!」という気持ちになります。

ところで最近知人のブログを見たら、骨盤矯正下着が1秒毎にはみ出したお腹の肉をその下着の中に詰め込んでいく動画が広告に入っていてドン引き。小さな容器に蒟蒻ゼリーをキツキツに詰め込んだら、詰め込みすぎてあふれてしまった状態を逆回転させているみたいに、ぺろんとハミ肉が下着に入っていく。

これ、私が検索した結果で出ているわけじゃないですよ。骨盤矯正下着も、体型矯正下着も検索したことないですから。友人に話したら「この頃良く見る」と言っていましたので、あちこちで流れているみたい。知人はこんな広告が入っているの、知ってるのかな。

昔、サイト運営の足しにしようと、広告をつけてみたのですが、これがとんでもない広告が入り、一瞬で止めました。広告をつけるときはサイトの内容はどのようなものかなどを申告して、それに合わせた広告が入るはずだったのに、申告、意味ないじゃん(ぶー

広告が入っているブログをスマホで見ると、画面の2/3くらいが広告で覆われてしまい、肝心の投稿記事が読めなくなり、広告を指で押しつけながら読まなければならないこともあって。

ああ、広告なしでサイト運営ができるってステキだ。

みなさまのご協力にこの場を借りて感謝いたします!!!


びくびくビリー

絵本は時として、ぶ厚い哲学書より深い気づきを与えてくれます。本の売れ行きは右肩下がりですが、絵本や児童書は変わらず売れ続けているそうです。「我が子に本好きになって欲しい」は、どこの親も同じなのでしょう。

「びくびくビリー」はたまたま何かで紹介されていた本です。

ビリーは怖がり屋。いつも何かに怯えていて、夜眠れません。そんなビリーにおばあちゃんは「心配引き受け人形」を与えます。心配ごとは全部この人形が引き受けてくれるよとおばあちゃんから教えてもらい、ビリーは半信半疑でその人形を枕の下に入れてベッドに入ったのですが・・・

この「心配ごと引受人形」はグアテマラで古くから伝わるもので、実際に今も使われているそうです、と思ってアマゾンを見たら、ある。

さすがアマゾンと言っていいのか、あるのよー(笑
この分だともしかして「呪いのブードゥ人形」もあるかなと思って探してみたらあった(笑。よく見ると「心配ごと引受人形」ような「看護師人形」とか「家庭円満人形」とかいろいろありました。これはもう「開運・厄除けお守り」ですね。

大の大人だってお守り握りしめて祈るんだから、世の中のしくみがよくわかっていない子どもなら、なおさらでしょう。依頼心が強くなるとか言う人もいるかもしれませんが、子どもに精神安定剤を飲ませるわけにもいきません。眠れない子どもには、この「心配ごと引受人形」をもたせて安心させるというのもひとつの手だなと思います。


娘に準強制性交で起訴の父に無罪 「抵抗不能」認定できず

「つぶやき」掲示板に投稿されたものです。投稿者:くろすけさんの許可を得て転載します。

娘に準強制性交で起訴の父に無罪 「抵抗不能」認定できず
https://www.sankei.com/affairs/news/190404/afr1904040036-n1.html
(公開期間がすぎると削除されてしまいます)

余りの怒りで吐き出したくこの場をお借り致します。
言葉遣いは汚いのでご注意下さい。

判決文を読んでないがこの裁判の焦点は「強姦」か否かだったのだろう。

しかし「意に反するもので、抵抗する意志や意欲を奪われた状態だった」としながらも「拒んだ際受けた暴力は恐怖心を抱くようなものではなく、暴力を恐れ、拒めなかったとは認められない」とはどういう意味なのか?

被害者が生死を彷徨うような暴力でなければ暴力ではないのか?

この裁判官を餓えたライオンの檻に入れてやれ!
自分より遥かに大きく強い者の前で自分がどれだけの事が出来るか体験させてやれ!
檻に入れられた時点で恐怖で足が竦むだろうよ。
そして抵抗すればするほど相手の凶暴性は増すんだ。
抵抗するのを止めるのは抵抗が虚しいものだと解るからだ。
だから君も大人しく食われれば良い。

「監護者わいせつ罪」(刑法第179条第1項)及び「監護者性交等罪」(同条第2項)では18歳未満の規定がある。
今回は19歳で該当しなかったというのもあるだろう。
だが彼女は中学2年生の時から蹂躙され続けてきた。
その事実をどう考えたらなかった事に出来るのか?
全く理解出来ない。

この判決はこの国に正義はどこにもない事を証明した。
腹が立ってしょうがない。

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私は娘が何歳であろうと、父が実娘と性交渉をした時点で重罪だと思います。

春は人事異動 その2

人が知らない情報を自分だけが知っているとしたら、こんなに愉快なことはないかもしれません。しかも話の相手は知りたくてウズウズしているし。「あいつもあの課に何年いたっけ、長いよな」「えっ、あいつ異動なのか!ど、どこへ?!」「いや~、あいつの能力でやってけるかなぁ」「ってことは○○課?それとも△△事業部?」「さぁね~」 焦らし、焦らししながらチラチラ知りたくてたまらない相手の顔を見ることの楽しさったら!

これが優越感でなくてなんなんだ(笑
優越感は劣等感の裏返しです。手のひらの裏と表のように必ず両者は併せ持ちます。優越感をむき出しにする人は劣等感を隠したいから。そう思いながら人間観察をしてみてください。優越感むき出しの人って、嫌~な感じですよね。でもそういう人は必ずどこかに劣等感も持っているとしたらどうでしょう。

「いやぁ、もう自信満々で、劣等感なんか全然ないよ」と思われる場合もあるでしょう。でも、きっと何かあるはずです。 いつも誰かの悪口を言っている人はどこかに劣等感を持っています。 常に自分を上に置いておきたいから人を下に引きずり下ろします。いつも人の欠点を探し、悪口を言います。 この人たちが幸福を感じることはありません。 一時、人事異動の結果を知りたくて必死に食い下がる同僚の顔を見るときだけは恍惚感があるかもしれませんが。 劣等感も優越感もない人は、自分と他者を比べません。だからいつも幸せです。

じゃ、お前は比べないのかと言われたら、比べないかなぁ。人と比べていいことがひとつもないとわかっているし、第一比べる必要なんてないもの。必要の無いことはしません。
アンパン食べられて幸せだなぁとか、今年の桜を見られて幸せだなぁとか、幸せのことだけを考えてみましょうよ。

昨日新元号が発表されましたが、これが始まるのは5月1日から。そんなの知ってるよと言われるかもしれませんが、どこかのお知らせで「○○の受付は平成31年6月1日から平成32年3月末日までです」というのを見ても「あ、間違えてる!」って指を差しちゃだめよ。後からその指、自分に向いちゃうよ。
発表が4月30日までなら、この表記ありです。ちゃんと儀式が終わるまで、令和はあくまで予定なのだから。


春は人事異動

日本は4月が年度の始めなので、多くの会社が4月前に異動の発表があります。これ、お役所が異動するから一緒に異動なんでしょうか。それとも学校の始めが4月だからそれに合わせてなのか。ともあれ今年は明日新しい元号の発表があるので、ちょっと盛り上がっていますね。

さて、私の職場でも人事異動の発表がありました。年に1度の大イベント。これで人生が大きく変わる人が出てくるので、それは大変です。
私は以前いわゆる「人事課」という所に属していたことがありました。ちょっと驚きだったのは、異動が発表になって、私が人事課に行くことが決まるやいなや、今まで全く見向きもしなかった人たちが親しげに寄ってきたのです。

確かに人事を扱う部署はいろいろなことを知ることができます。全員の給料額、賞罰、時には家庭の事情まで知ってしまうことになります。大体人事異動そのものも事前に知ります。これはある意味権力を持つに等しい立場かもしれません。だって、人の秘密を握るんだから。私にすり寄ってきた人たちはその権力の分前が欲しくてすり寄ってきたのでしょう。「ねぇ、あの人なんであそこに行ったか教えて」とか、「家庭の事情」とか、とにかくみなさん知りたいようです。じゃ、お前は知りたくないのかと言われれば、それは知りたいけど、誰かにすりよって聞き出すなんてことをしてまで知りたくないかなぁ。他にやることがないんだろうか。

先日テレビでマスコミが新しい元号をリークするのにやっきという話になって、学者の方が「時間がくればわかることなのに、なんで1秒早く知ることにそんなに必死になるのか不思議です」とコメントしていました。マスコミはスクープが勲章だから必死になるのでしょうが、なぜ普通の人たちは人よりも早く知りたがるのでしょうか。

いなばのしろうさぎさん

お引越しの時にいろいろなファイルを開けていたら、リンクのページに「いなばのしろうさぎ」さんがあることに気がつきました。いなばさんのホームページはジオシティーズにあります。今この時点でお引越しされていないということは、もうホームページを続けないおつもりなのかもしれません。

惜しいなぁ、いなばさんのサイト。出版もされていて、被害者支援もされていたのに。

私がモラハラ被害者同盟を作った初期の頃に、いなばさんのホームページを見つけました。かわいらしいうさぎのアイコンをクリックすると、そこにあったのは、ワニに食われるよりも恐ろしい現実でした。「モノローグ」をクリックすると、いなばさんのメッセージになります。いなばさんは身体的暴力の被害者でしたから、夫からの暴力について書かれていますが、それ以上に恐ろしいのは、いなばさんを守ろうとしていた子どもたちが、父親と同様にいなばさんに暴力をふるうようになるくだりです

転載禁止なのでここにコピーできないのが残念なのですが、子どもたちは小さな手を広げて暴力をふるおうとする父親の前にたちはだかり、いなばさんを守ろうとします。そんな子どもたちの姿の記憶を、いなばさんは宝物として大切にとってあります。後に成長した兄弟がふたりして、母の体のどこを狙って殴ろうかと話し合うことになるのに。殴るのに缶詰を使うのは痛すぎるから止めてほしいと書いているのに。

号泣

その映像を私も想像できるだけに、ただ、号泣。

いなばさんは、いつか夫は変わってくれると思っていたけれど、夫の変化を待つうちに子どもたちが父親のようになってしまったと書いています。私も子どもたちが父とそっくりになり、母が家の中で孤立してしまった例をたくさん見てきました。年老いた母をこき使う子どもたち、罵声を浴びせる子どもたちの例を、たくさんたくさん見てきました。

あと4日でいなばさんのホームページはすべて無くなりますので、私は保存しておこうと思っています。必要と思われる方はご一緒にどうぞ。

夢見る時

「幸せ!ボンビーガール」のページで紹介されているゆうさんもそうでしたが、上京ガールたちの夢は「シンガーソングライターになりたい」「芸能マネージャーになりたい」「コスメショップの店員になりたい」など、キラキラの夢を持っています。この番組の始めでは、ボンビーだったけど今は成功している芸能人が紹介されます。それは「今にきっとあなたも夢が叶うよ」とメッセージを送りたいのだろうけれど、たぶん多くのガールたちは夢破れるのだろうなと、テレビを見ている人のほとんどは思うでしょう。

旧windに書きましたが、私の子がまだ高校生の頃、見果てぬ夢ばかりみているのにイラついて、心理学の研究者の方へ愚痴をこぼしに行ったことがあります。先生は「子どもだから夢を見るんです。それが無理だと気がついたら、また別の夢を見る。そうやって子どもたちは、現実とすり合わせることを覚えていくんです」

そうだな。上京ガールたちもきっと夢から実現までは遠いことに、いつか気づく時がくるだろう。そうしたらまた別の夢をみたらいい。でもその時に、自分がコテンコテンになるほどの傷を負わなければいいなと思います。若い人の無防備な一筋さは、怖いほど危うい。立ち上がれない程の傷を負わないよう、この道しかないという鋼の意思のそばに、ふわっとした逃げ場も用意しておいてほしい。

いや、もしかしたらそんなおばちゃんの心配なんか吹っ飛ぶほど、今のガールたちは結構したたかかもしれない。そうであってほしい。

いつだったか、上京ガールたちのその後を追った回がありました。その中のひとりは、やはり夢破れて東京を離れていました。でも「東京を甘く見ていました。でも、もう一度リベンジします」というガール。次は用意周到にね。

3月のせいか、大型キャリーを引いて歩く人が多く見られます。私は11年めの東京生活になります。

幸せ!ボンビーガール

鍋料理用になるような野菜が余ったので、お鍋にしようとスーパーに行き、「お鍋の素」を買おうとしたら、ない。何もない。

お鍋は季節商品なのね。3月になったら、見事に棚から消えてしまった。何かでダシをとったらと言われても、あるのは野菜だけなので、何か味付けがほしい。特に冷凍うどんが残っているのでこれを処理せねばならない(理由は後ほど)。しかたがないので味覇(ウェイパー) を使うことにしました。私はつい最近この中華味の素 味覇(ウェイパー) を知ったのですが、職場の人たちはみんな知ってました(遅)。

味覇(ウェイパー) を知ったのは「幸せ!ボンビーガール」です。若くて一生懸命がんばっているボンビーな上京ガールたちが、ボンビーな料理を披露するコーナーがあり、それで知りました。私は人工的なチキンブイヨンの味があまり好きではないので、友人に頼んでベトナムから「フォースープキューブ」を買ってきてもらって、それを刻んで使っていたのです。これはビーフ味より海鮮味の方が好き。

私はこの番組を見ていると、「ああ、自分もこうだったなぁ」としみじみ思いだします(私もボンビーな時はあったさ。思い起こせばボンビーな時の方が長い)。一番好きなのは「部屋探しコーナー」。地方から上京してきたガールが、放送局の人と一緒に不動産屋さんをめぐって部屋探しをするコーナーです。大体みんなの予算は5万円前後で、

「希望する場所は渋谷」

トカ、仰います。 ぜってー無理!

この番組を見ていて、不動産屋の手が大体わかってきましたよ。まず、安くて汚い部屋を見せる。それからちょっとずつ値をあげていい物件を見せていく。差が2千円とか3千円だったら、こっちの方がいいでしょうって、ガールならみんな思うよね。でも、放送局のカメラがついていく時点でもう反則でしょー。そのお店にある、特上の物件をだすわよね。

この番組を見ていると、狭いワンルームで一生懸命生きているガールたちが、たくさん東京にはいるんだな、って改めて思います。ただ、気になることがひとつ。

主のいないfacebook その2

ひとりは闘病後、遺児を残して亡くなりました。あとの二人は自死でした。これは私だけなのか、みなさんもそうなのかはわかりませんが、私の周りには自死した方が結構多く居て、数を挙げれば両手でも足りないくらいです。大体親戚筋もいるし、直接の友人もいるしで、自死は私にとってそれほど遠くない出来事なのです。

みんなそれぞれに事情を抱えていて、その事情を聞けば「そこまで落ち詰められていたんだ」とか「え!そんなことになってたの?」とか思いはいろいろありますが、何にせよ、まだ20代の自死というのは痛ましいものがあります。

突然ある日、ママ友の子が亡くなったということを子どもから聞きました。「え!」と驚いて別のママ友Aに連絡を取ると詳しい事情を教えてくれました。自死している子どもを発見したのはママ友本人でした。その時の光景を想像すると、これはママ友の心が壊れてしまうと思いましたので、あらゆるつてをたどってグリーフケアをしてくれる団体を探し、ママ友Aに伝えました。その時私は団体の責任者の方と電話で話をしましたが、子どもを自死で亡くした方のケアは非常に難しく、長い月日が必要となること、現在も同団体で子どもを自死で亡くされた方のグリーフケアを続けている方がいるとのことでした。

主がいなくなって更新されることがなくなったその子のfacebookを読むと、亡くなる前に何度も「故郷(地元名)に帰りたい、帰りたい」と書いてありました。私の子も「帰りたい」と言いますので、彼らにとって故郷は本当に蜜のような甘くて心地よい場所なのだと思います。

でも私の子どもが「帰りたい、でも帰れない」というように、故郷にはもう、若い世代を受け入れる体力がありません。働く場所もない、子どもが産まれても、その子を消滅可能都市で育てるのが果たして正しいのだろうか、今のうちに大都会へ移った方がよいのではと、子どもは相談を受けるそうです。

エリートになりたいとか、ガンガンお金を稼ぎたいとか、彼らはそんなことは望んでいません。工場のラインに並んだり、スーパーの品出しをしたり、保育士さんになったり、そして家庭を築き自分が学んだ小学校へ子どもを入れる、たったそれだけのことが今は難しくなっています。

もうひとりの子、カスミちゃんについては、細かく書けば短編小説ができるほどの思い出があります。その当時はわからなかったけど、カスミちゃんのお母さんは多分DV被害者だったのだろうと思います。