コロナ隔離のあれこれ

友人の姉弟が愛媛県今治市で濃厚接触になったそうですが、3食お弁当が届くそうです。そのお弁当がそこそこまぁまぁ。普段きちんとした食事をしている方は「えーー」かもしれませんが、これが無料で毎食届くのですよ。私はいいと思うなぁ。ご本人は何も症状がなく、蟄居生活しているそうです。

東京都に住んでいる私ですが、身近でコロナ感染に遭った人は今のところ誰もいません。私だけでなく周りもみなそう。かろうじて「知り合いの知り合いが濃厚接触者になった」「子どもが学校でもらってきた」という話をチラホラ聞く程度です。

昨年の暮れは「孫に会いにサンフランシスコに行ったら、行きは大丈夫だったんだけど、帰ってきたら空港からそのままバスに乗せられて知らないホテルに監禁された」という話を知人から聞きました。

幸いだったのはホテルの部屋が結構広くて、圧迫感がなかったことだそうです。「でも、空港からバスに乗せられた時に『どこに行くんですか』と聞いても教えてくれなくて、どこに連れていかれるかまったくわからず、ちょっとドキドキした」

結局は首都圏のホテルだったそうですが、その時の食事が写真を見ましたが悪くないものでした。

#きっと写真に撮ってインスタにアップする人とかいるんだろうなぁ

彼女はしきりに「国民の税金を使ってこんなことしてもらってごめんねぇ」と繰り返していました。当然ホテル代も食事代も無料だったそうです。でも不思議なのはバスがどこへ行くのかをまったく教えてくれなったこと。教えたら乗客が抵抗すると思ったのか、襲撃されるわけでもなく、なぜホテルに着くまで秘密だったのかがわからないままです。

コロナでホテル隔離になることもなく、3回目の春になりました。もうほうれい線がはっきりでるので、マスクを取るのがちょっと嫌かも。このマスク文化、定着したりして。

証明書・診断書はどこまで有効か

調停や裁判で夫から精神的に虐待された証拠として、公的機関で相談していたとか、うつ病になったなどの証明書を裁判所に提出することがあります。立証が難しいモラハラはこういった証明しかない場合が多く、これを利用する方もいることと思います。

ただ、心療内科の場合「うつ病」と診断書に書いてくれても、その原因が夫であるとまで書いてくれるところは少ないと思います。心の病気は検査をするわけではないので、受診した方の話だけで判断しますから、原因が本当に夫だけなのか、それとも他にもあって複合的なものなのかの判断は、1回受診しただけでは難しいからではないかと思います。

夫からの暴言や生活費をもらえないといった日々のストレスが、うつ病の原因だとはっきりと確証が取れるまで、医師は「夫が原因」とは書いてくれないでしょうし、医療とはそういうものだと私も思います。たった1度受診しただけで「夫の暴言によりうつ病を発症」と書く病院があったら、むしろ私はその病院の姿勢を疑います。

役所にも相談していた記録の開示を求める方がたまにいますが、その方が1回2回ではなく、足繁く何度も相談に来られ、事情をしっかり聞いて、非常に困難な状況にある場合などは喜んで記録開示の仕事をしますし、「何かありましたら協力しますから、ご遠慮なく言ってくださいね」とお声もかけます。

そうではなく、1回だけ来て「相談したという証明書が欲しい」と言われたら、証拠づくりに来たのかと思うし、役所もそういう人を嫌います(と思います)。

初診で「夫からの暴言によりうつ病」と書く病院から診断書をもらったら、証拠としようとした本人の姿勢を疑います。そういうことをする病院、人なんだと。

よく弁護士さんは「診断書はないよりマシという程度」と言いますが、こういった胡散臭い診断書は「ないほうがマシ」です。

モラハラは本当に立証が難しいDVですが、しっかりと思いのたけを「読みやすく←ここ重要」書いたものを持っていけば、変な診断書よりもよっぽど効果があると思います。

「避難応援プロジェクト」終了しました

3月26日、「モラハラからの避難応援プロジェクト〜効率よく安全に別居・離婚するための戦略会議」が行われ、今年度の事業が終了しました。

今回コロナ濃厚者になってしまったため次回へ変更される方がいらっしゃったことは今の時世を反映していました。濃厚接触者も外に出られませんからね。大変です。

さて、プロジェクトですが7人の方が参加されて、種々様々が質問がありました。毎回その回の色が違うというか、特色があるんですね。今回は家のことが多かったように思います。

特に印象にあったのは「単身赴任は別居に入るか」というご質問です。答えは残念ながら別居期間にはなりません。でもこの機会を逃さずに別居の事実を作りたい場合は、「一旦は家を出る」という話になりました。つまり「家の中はからっぽ状態」です。

別に家賃もかかるし、そんなもったいない、という私の心の叫びが聞こえたか、スタッフとして参加しているメンターが「私がそうでした。夫が単身赴任で他県に行ったのですが、離婚するためには別居期間が必要とのことで、弁護士からの指示でいったん家を出ました」という貴重な体験談が出ました。

そこへ知恵袋の弁護士よりの助言で「別居調停」という調停があるとのアドバイスが。円満調停、離婚調停、などに混ざって「別居調停」と言って「別居してしばらく頭を冷やしましょ」というものがあるそうです。

モラハラの場合は危険防止のため相手に知らせずに家を出るのが基本ですが、そうでない場合は別居調停をして正々堂々と別居するのもアリなんですね。

東欧に住む方のロシアへの感情

2019年、私は中欧から東欧へ旅行しました。最初の都市プラハは前から行ってみたかったところ。最後の地はセルビアのベオグラード。利用したのはアエロフロート・ロシア航空(以後SU)です。理由はオープンジョーという、往路と復路が違う都市の場合、他の航空会社では大きく値段が上がるのに、SUはそう大きく変わらないことです。

まず東欧の方々に「SUで来た」というと、「よくあんな危ない飛行機に乗るね」と呆れたり怒ったりする人が多かったのが印象的でした。さらにロシアへの憎悪は隠しません。同年代の方も「子どもの頃はロシア語を習ったけど、もうすっかり忘れた」「ロシアは大嫌い」と言います。

今回ウクライナが侵攻されましたが、昔からヨーロッパの方たちはロシアからの侵攻に対してひどく敏感になっています。実際「プラハの春」という大きな事件もありました。「プラハの春」についてはまた別の機会に書こうと思います。

とにかくロシア以外の国は、いつロシアが何をするかわからないという恐怖の中で暮らしているようです。もし今回ウクライナが征圧されたら、次はポーランド、その次はということになり、易々と「とりあえず降伏したら?後からどうにかするから」というわけにはいかないでしょう。ポーランドも他の国の話とはしていないでしょう。

ヨーロッパは地続きの大きな大陸です。ロシアの大統領がその大陸制覇を考えているという、歴史の中の大きな出来事の中にいる今。へたに動くと核爆弾のスイッチを押してしまう。私の人生の中でこんな大きな出来事が起こるとは思ってもみませんでした。日本も他国のことと考えず、身近な問題として考えなければならないですね。ロシアは海を隔てていますがお隣なのですから。

写真はベオグラード。私が撮ったコソボ紛争でNATOからの爆撃で壊された旧参謀本部です。1999年の出来事です。それをいまだにこうやって残している。テニスのジョコヴィッチは一度爆撃されたところは二度目はないとして、爆撃の間を縫って練習したそうです。

ときにんざぶろう

この間、何気なくYouTubeを見ていたらサイドバーにお勧め動画が出ていて、その中に「ふぞろいの林檎たち」がありました。懐かしい。昔大ヒットしたドラマです。

Fランクの大学に通う男子学生3人組と、看護学校に通う女子ふたり組、そして渡辺直美体形の女子大生の6人の物語です。

#そういえばこの頃、「男女7人夏物語」とか男女のグループのドラマが多かったような気がする

以前ここで書いた「岸辺のアルバム」は登場人物がしゃべる言葉が私たちが普通に使う言葉ではなく、何か違和感があると思っていましたが、この「ふぞろいの林檎たち」も同じ言いまわしなので調べたら、脚本が同じ山田太一さんでした。山田太一節ということなのかな。

さて、このドラマで大学生役をしていたのは中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾でした。私はTBSは放送されない地方に住んでいましたので、リアルタイムには見られず、ずれた時期に見ました。ずれた時期に放送されるのは大抵午後4時からとか、日中働いていたら普通見られないだろうという時間に放送します。

リアルタイムで放送の時は大好評だったのは知っていて、時任三郎という人が人気だというのも知っていましたが、この時任三郎の読み方がわからない。でも、調べようという気まではならずそのままにしていたら、職場で同僚のふたりがおしゃべりしていました。

「不揃いの林檎たちのときにんざぶろうさー」

「それ、ときにんざぶろうじゃなくて、ときとうさぶろうって読むんだよ」

「えーーー、ときにんざぶろうだと思ってたーー」

「そうだよねー、普通そう読むよねーーー」

と二人で大笑いをしていました。

時任三郎という人がいて、どこまで姓でどこから名前なのかわからなくて、さて??と考えて、「とき にんざぶろう」とするか、「ときにん さぶろう」とするか。私も「どう読むのだろう」と真剣に考えていたら「ときにんざぶろう」にしたと思います。ただ、どう読むかというところまで興味がなかったから、深く考えもしませんでしたが。

日本語で名前は姓と名の間にスペースを空けるのが一般的ですが、姓3文字、名3文字の場合はスペースなしになります。姓4文字(たまにいる)、名2文字の人がいたら、どう読むのか考えますよね。

昔名簿を作る仕事をしていた時、7文字以上の人が来ないよう祈っていましたね。

死ぬわけじゃない

私が何かアクシデントがあった時、確かにその瞬間は「こりゃー大変だ、どうしよう!」と思います。「どうしよう、どうしよう、どうしよう」と部屋の中をウロウロするときもあります。そういう時は取り合えず時間をおいてからじっくりと考えることにしています。

そうすると「こうしたらどうだろう」「こういうこともできるんじゃないか」とアイディアが出てきます。アイディアが出てくるとなんとなく解決の方向が見えてきます。そうしたら後はやるだけですが、どうしてもできないこともあります。そんな時に思うのは

#これで死ぬわけじゃない

大きな損害は被ったけれど、これで死ぬわけじゃない

いやいや、死んだ方がマシという人もいますけれど、じゃ、死にますかと言ったらそうは言わないでしょう、普通。死んだ方がマシというフレーズを出しているだけで、本当に死のうとは思っていないはず。死んだら楽かもしれませんが、大抵は何とか乗り越えるものです。

こんな時に役に立つのは経験則です。私の年になればいろいろな経験則があります。過去に起きた出来事が私を救ってくれる。だからいっぱいいろんなことをして、いっぱい失敗した方がいい。道に迷った時も、いつか同じ道を通るから「あの時はこちらに行って失敗したから、こちらはダメ。こっちにしよう」という考えが出ます。

私はウロウロと知らない道に行くのが好きですが、不思議なことに後からその道に出くわし、しかも時間がなくて急いでいるということがよくあります。でも、前にその道は行ったことがありますから、見覚えのある建物や看板を目印に目的地にたどり着くということが数限りなくありました。

この急いでいるときに私を助けるため、過去の私が迷ったのだと思います。時間のある時に迷っておけば、いざというときに過去の私が助けてくれる。

どんなことでも最後の出てくるのは「これで死ぬわけじゃない」。死ぬのはもう少し先でいい、って思います。

オリパラのカチューシャ

私がオリパラでボランティアをしていた時、練習場でロシアチームと接することがありました。練習場は本番の会場と違ってそれほどピリピリした感じでもなく、選手や関係者は気軽に声をかけてきたりしました。

ロシアの若い通訳の女性(他はどうか知りませんが、通訳さんはみんな英語でした)が、ボランティア数名とちょっと雑談めいた話を始めたとき、ふと私はロシア民謡の「カチューシャ」を口ずさみました。

後から考えたら、「一週間」でも「トロイカ」でも「ポーリュシカ・ポーレ」でもよかったのですが、その時はこれしか思い浮かばず、とりあえず彼女に親しみの意味で歌いかけました。当然日本語です。

「うんうん」と聞いていた彼女は少し離れたところにいた年配の男性(コーチかな?)を連れてきて、私の歌を聴くように言うと、男性も「うんうん」と言って一緒にカチューシャを歌い始めました。

どうやらカチューシャは、ロシアの若い人たちの間では「聞いたことはあるけど歌詞がわからない」という感じのようなのです。

#私たちの世代は教科書にもあったせいか、まず全員歌えるけどね

それは日本の若い人たちも同様で、やはりハミングはできるけど歌詞がわからないようで、楽しそうに手拍子はするけれど歌えないのです。

通訳の方に「私たちの世代は学校でこの歌を習ったから、全員歌える。もしこの会場に『コロブチカ』が流れたら、私たちは完璧に踊ることができる」と言いました。

通訳さんはこれほどロシアの曲が日本人に知られていることを知って驚き、大変喜んでいました。何しろ他の国のチームもいるので、あまり大げさにはできなかったのですが、ちょっとした国際交流になりました。

このカチューシャやコロブチカを今聞くと、あの選手たちや通訳さんは今どうしているのかとあの時の情景が思い出されて涙が出ます。そういえばウクライナの選手もいました。

たった半年前に「平和の祭典」があったばかりなのに今は戦禍にある。

本当に切ない思い出です。

幸せは腹八分目

私が離婚したとき、たくさんの人たちが応援してくれました。ただ、日が経つとちらっ、ほらっとそうでもない言葉やら出来事やらが出てきました。気にしてないけどね。

なぜそういう言葉や出来事が出てくるかというと、離婚しても我が家は安泰だったからです。シングルマザー、母子家庭ではありましたが、ボロにくるまってモヤシを食べている家庭ではなく、ごく普通の生活を維持していました。これは私がずっと仕事を続けていて、それなりの収入があったからです。

それが気にいらない、という人種がいるのです、悲しいことに。

離婚したら不幸そうにしていなきゃダメなのよ、贅沢なんかしちゃだめよ、やっかまれるわよとは友だちからも言われていました。だって、車を替えたのは壊れたからだし、外壁はもう寿命でボロボロだったから工事したし、するならちょっときれいな色にしたいじゃない、よね。

それが気にいらない。離婚した人は不幸で貧乏暮らしをしないと気に食わない。

だから気をつけてましたよ。実際働き手は私しかいないし、子どもはお金がかかる最盛期だったし、車は地方では必需品だから車式の古い軽自動車にしました。

プーチンスカヤ(母)もそうでした。娘が自分より幸せになると面白くない。といってものすごく不幸だとやはり心配。娘は少し不幸なのがちょうどいい。人の不幸は蜜の味と言いますが、そう思う人は今の自分の状態が満足ではないからです。だから自分よりお不幸な人を探しにいって溜飲を下ろす。

人の不幸を探しに行く人は、まず自分が幸福に思えるような考え方を身につけたらいい。本当はそこそこ幸福なのに、それに気づかないだけだったりします。腹八分目の幸せが一番いいところじゃないかなぁ。常に満腹は健康にもよくないように、常に幸せいっぱいもまずないし、そこから少しだけ悪いことがあったら落ち込んでしまう。

すごい幸せもないかわりにすごく不幸もないという暮らしが一番いいんだって、と言ったスピリチュアルな友人がいました。それなりな苦難があった身としては本当に平凡にあこがれますね。

電話相談&避難応援プロジェクト追加募集

3月分の電話相談の受付を開始しました。今回は3月18日~28日の間に行います。
詳しくはこちらからどうぞ。21時までのご相談を受けています。

https://morahara.cocoon.jp/denwasoudan.html

いつもご電話相談を受けていて思うのですが、夫が家にいるとか、いつ帰ってくるかわからないなどの理由で車の中や公園からなど家の外からかけられている方がとても多く、状況の切迫感が伝わってきます。

モラハラあるあるなのですが、話をしている途中で「誰か来たので」と、ぷっつり切れたり、開始の時間に「なぜかいつもだったら仕事に出るのに、今日はまだいるんです」というメールをいただいたりします。

開始が遅れた場合は時間や日程をずらすなどして対応させていただいておりますので、安心してお申込みください。私もみなさんの生のお声にふれることができる貴重な機会で、毎回とても楽しみです。

また、「避難応援プロジェクト」も追加募集しております。今回個人面談を予約されていた方が日程をずらされましたので、個人面談枠も空いています。土曜日に経験豊富なDV相談員と弁護士を独り占めして相談できる貴重な機会です。

電話相談・避難応援プロジェクト、両方ともお申込みはこちらから
https://morahara.cocoon.jp/form.php

ありがたい無料相談

実家の相続のことで(プーチンスカヤ(母)はまだ死んでない)不動産の法的手続きについて知りたいことがあったので、区役所の無料登記相談に行きました。これは本来であれば法務局に行って尋ねればいいことなのですが、現在、法務局はコロナ対応のため、対面での相談を行っておらず、予約をとっての電話相談になります。

聞きたいことは「ここは手書きですか?印字でも大丈夫ですか?」みたいな簡単なことなのですが、電話に出る職員の方はまず「法務局のHPを見てください」から始まる。「見てもわからないので教えてください」と言うと「では予約を」となります。手探りの状況なので、疑問点が出たらすぐに聞きたいのですが、なにせ「予約を」と言われる。

予約を入れて相談すると「それは私の預かり知らないことです(←本当にこういう)」とそっけない。おそらく私の質問は税に関することで、法務局の管轄ではないのでしょう。でも、これがどちらの管轄なのかがわからないので聞くと「それは私の預かり知らないことです」を連発される。

そんなこんなの手続き作業もやっと終わりが見えて、集大成として作った書類の総点検をしていただこうと2週間後の区役所の登記相談に申し込みました。

予約の時間に書類を持って部屋に入ると、若い、スーツを着たきりっとした女性が座っていました。ふと、「あらー、私は相談員をしていたときにどうでもいい格好をしていたなー。ちゃんとした服を着るべきだったかも」とちょっと反省しました。やっぱり服装は大事。

書類を見せて「ここはこれで大丈夫ですか?」と確認を取りながら進めていくと、「ちょっと待ってください」と言って戸籍謄本を見て、「これ、全部じゃないですね。一部です」と言いました。相続登記には亡くなった父の全戸籍が必要なので、役所には「全部の戸籍を」と申請書に添付した手紙に書いたのですが、どうも全部ではないらしい。

「全部の戸籍とはお父さんが産まれてから死ぬまでの戸籍が必要です。産まれたときの戸籍がありません」

「へ?!」

ここで私は思い出ました。どうやら故郷には戻らず、東京で生涯暮らすことになりそうだから本籍を移そうかと思って戸籍係の方に相談したら「本籍はめったやたらに移すと後から追いかける時にすごく苦労するから、動かさない方がいい」と言われたのです。その「後から追うのに苦労するから」の意味はわからなかったのですが、言われた通り本籍は元居た住所に残したままでした。パスポートを取るときなど、戸籍謄本をいちいち郵送で取るのが面倒くさいのですが、元居た場所と縁を切りたくないというのもあり、残したままでした。

戸籍謄本は本籍がある場所のものしか取れず、本籍を動かすとその場所を管轄する役所に取り寄せ依頼をしなければならないのです。

つまりA県A市で生まれて、親が本籍を動かしてB県B市に行くと、A県A市とB県B市の両方に戸籍が分散してあるのです。B県B市の戸籍には「A県A市から転籍」が最初にありますから、A県A市にも取り寄せの申請が必要とわかります。

本人が生きてれば「最初はA市、次にB市、次にC市」と言ってもらえるので最初からそれぞれの役所に申請しますが、何しろ亡くなっているので、戸籍を取り寄せて産まれた発着点にたどり着くまで捜査をしなければなりません。プーチンスカヤに聞いても「結婚前のことなんか知らない」なので、地道に探索するしかありません。

おそらく父は産まれてから転籍を1度しかしていないと思われるので(まだ探索途中)、2市だけで済みそうですが、これが私の場合だと、もっと多くなります、というか女性は転籍が多くなりがちです。

1 産まれた場所 2 親が家を建てたのでそこに転籍 3 結婚して夫の実家の籍に移る ←これはたぶん今もあると思いますが、女性は結婚すると「相手の家に入る」という風習があり、夫の実家の戸籍に入ることが少なくないと思います。私もわけもわからずそうしていました。 4 家を建てたのでそこを本籍とする。モラハラも離婚もなければそこで終結だったと思いますが、私は離婚をして自分で戸籍を作っていますので(5)がありますが、同じ市内で作っていますので、取り寄せの時は1か所で済むのではないかと思います。

子どもが結婚をする時に戸籍を動かす話になった時にこの話をしました。「本籍はなるべく動かさない方がいいって役所の人が言ってた」と言うと息子は「じゃ、4↑の場所、つまり自分の本籍へ妻を異動させよう」と言ったのですが、そこで私とハナコさん(仮名)が反発。「じゃあんたがハナコさん(仮名)の本籍に移ればばいいじゃん。一緒じゃん」。

息子、不本意の表情。

#なんだよ、相手が自分の戸籍に入るのはいいけど、自分が相手の戸籍に異動するのは嫌なのか?

ハナコさん別の意味で反対。「戸籍を取るときにお義父さんに頼めばいいっていうけど、それは気兼する」

ハナコさんは「私が私が」というタイプではなく、夫の姓にするこを何の疑問もなく同意したくらい普通の女の子なのですが、始終会っている私ならいいけど、会ったこともない(その時は会っていなかった)夫の父親は煙たいよう。

結局話し合って、「ふたりが最初に住んだ街を本籍にする」ことで合意。

#よかったよかった、大団円

とまぁ長くなりましたが、戸籍は離婚するときにぶち当たる問題ですので、離婚を考えている方はよーーく調べて対応してくださいね。

ともかく今回は区の無料相談に行って大変貴重なアドバイスをいただけたので、ちゃんと税金を払っててよかったなの巻でした。これが司法書士さんの有料相談に行くと30分5千円ですからね。

区役所や市役所無料相談はいろいろ沢山あります。タダより安いものはありません。ぜひご利用くださいね!男女参画センターの無料相談もありますよーーー。モラハラ相談できますよーーー!!