物は捨てずに残しましょう

断捨離がブームになり、コロナで自宅にいることが増え、スッキリと物のない空間に暮らすことがトレンドになってきました。私の母はその先取りのような人で、超がつく潔癖症のこともあり、いつも私の実家に来る人たちの第一声は「きれいな家ですね~」でした。廊下も舐めたようにピカピカで、チリひとつ埃ひとつありません。

ならばその子である私も同様かと言えば全然そうではなく、来客がある時にはとりあえず押し入れに目障りなものを突っ込んでおく派です。そういう娘ですので、母の口癖は「お前はだらしない」。常に「だらしない、だらしない」と言われ続けた子ども時代でした。確かに物は無くすわ、忘れるわ、どうも片づけは苦手で、こんまりさんとは真逆の性格です。

その片付けられない一番の理由は、なかなか物を捨てられないことですが、こんまりさんの「胸に抱いて『今までありがとう』と言ってから捨てる」」ことをしてからかなり片づけが進みました。そして年も取り「私が死んだらどうせ全部捨てられるのだ」と思うことで、捨てられるようにはなりました。

でも、捨てられないことで命拾いしたことも何度もあります。「家庭モラルハラスメント」に書きましたが、調停委員から「家の土地は旦那さんが自分で全額を出したと言っていますから、あなたに権利はないですよ」と言われ、何度も「私も出しました」と言ったのですがまったく元夫の言葉を信じ込み、私の言うことを聞いてくれません。

さらに「あなたも出したというならば、その証拠を出しなさい」と言われました。夫には出しなさいと言わずに私には出せという。私は資金を出しているのだから、夫は証拠を出せるわけがない。夫の言うことは全部正しいと頭から信じている調停委員たち。男だからか、社会的地位が高いからか、見た目が誠実そうだからか。

#何が調停委員は中立だ

ただ、私にはこの時私が資金を出したという証拠を持っていましたので、動ずることはありませんでした。

はるか昔、家を建てることになり、登記は夫がしたのですが、送られてきた登記簿には私の名前がありませんでした。半分ずつの持ち分にすると約束したのに、勝手に自分だけのものにしてしまった元夫が許せなくて、郵便局からおろした払い出し票を取っておいたのです。その払い出しは夫がやったものでした。私は貯金通帳を取り上げられていたので、私は出せません。払い出し票に書かれた私の名前を書いた文字は夫のものでした。うまくいったとばかりに箪笥の上にぽいと置かれたその紙を私は手に取りました。

「いつかこれが私を救ってくれる」。何の保証もなく、クローゼットの中のバッグに密かに隠した数枚の紙。

それから十数年。その時は来ました。調停委員の前に並べた払い出し票。その日付は住宅金融公庫の申し込みの前日でした(詳しくは

ひまわり畑とウクライナ

ウクライナは行きたい場所のひとつでした。行きたいと思ったのはずっとずっと昔。イタリア映画「ひまわり」という映画を見てからです。第二次世界大戦中、新婚カップルのマルチェロ・マストロヤンニが招集され、妻のソフィア・ローレンと離ればなれになってしまいます。戦争が終わっても帰ってこない夫を探しにソ連に行くソフィアでしたが、そこにいたのはその地で新しい家族を作っていた夫の姿でした。

というメロドラマの基本のような映画でした。当時中学生だった私がどこまでこのふたりの心情を理解できていたかは甚だ疑問なのですが、ヘンリー・マンシーニの音楽がいかにも物悲しく、人の心を揺さぶりました。その曲は今でもインストルメンタルの定番曲で、誰もが一度は聞いたことがあるはずです。

ソフィアがソ連で夫を探していくシーンに出たのがひまわり畑でした。今は日本でもひまわり畑は観光用であちこちにありますが、当時はとても珍しい風景でした。地平線の向こうまで続く黄色いひまわり畑。カメラはずっと引きながら、その広大を映していました。

私は当時住んでいた社宅の小さな庭にひまわりの種を植え、「大きくなーれ」と世話をしたら、大木のようになって周りの草木の養分まで吸い取ってしまい、大事な植木を枯らしたと、父から大目玉を食いました。

その撮影地はウクライナ。「ウクライナのひまわり畑を見に行きたい!」とずっと思っていました。

もうひとつは1994年リレハンメルオリンピックフィギュアスケートで優勝したオクサナ・バイウル。独立したばかりのウクライナ代表で出場。当時16歳とはいえ、今の16歳がぴょんぴょんとジャンプを飛ぶのと違い、まるで生のバレエを見ているような優雅な演技で、世界中が魅了されました。エキシビションで同じウクライナのヴィクトール・ペトレンコとペアで演技をしたのも記憶にあります、とこの間友人たちとの会話で言ったら、私もーーーーー!!と友人が共鳴。たぶんこの時、多くの人たちに脳にウクライナの国名が刻まれたことと思います。

さらに私にとっての記憶はリオオリンピック男子体操で、最後の最後まで内村航平選手と個人総合を争ったのがウクライナのオレグ・ベルニャエフ選手。記者会見で「内村選手は審判の同情を買ったのでは?」の質問に「それは無駄な質問だ」と怒りを露わにしたというニュースがありました。「審判の判定に疑問を挟む余地はない」「伝説の男と戦えたなんて最高にクールだ」とも。

東京に来てバレエを見に行くことが時々ありますが、キエフバレエ団の「くるみ割り人形」を見たときは、背景がちょっと寂しくて「お金がないのかな」と思ったりしていました。

「ひまわり」からずっと心にあったウクライナ。とても嬉しいニュースにが出るたびに、「いつか行ってみたい」と思っていました。

ウクライナに行くためのリサーチもしていて、大変物価が安く、旅行者にとって過ごしやすい場所だというのはわかっていました。ただ、物価が安いということは、収入が低いということ。東欧はすべからくみな同じです。

「ひまわり」はヴィットリオ・デ・シーカ監督が、反戦映画として作った作品です。そのロケ地となったウクライナが今戦火にあります。私の心の底にずっとあったウクライナがこのような状態になっているのを見るのは悲しく、プーチンには怒りがあります。

中学生の時、社会科の先生が「攻めるんだ、攻めるんだと言って始める戦争はない。戦争はいつも守るんだ守るんだと言って始まる」と言っていました。私が子どもの頃はまだ戦争の傷跡が色濃く残っており、先生方も戦争があったことを知っている方が多くいました。

テレビの実況でリアルタイムで見る戦火。何回この映像を見なければならないのだろうと、暗澹たる気持ちになります。

ベトナム風春巻きを作ってみる

以前友人が我が家のホームパーティに来た時、困ってしまったのは彼女は肉も魚も食べられない人で、その割にアルコールはイケイケなので、どういう料理を出したらよいのか、はたと困ってしまいました。特に宗教とは関係なく、単なる偏食で、動物性タンパク質は卵と牛乳で取るそうです。

#給食の時にさぞかし困ったでしょうね。

野菜料理をいろいろアレンジしてみましたが、ちょっとパンチ不足。ふと「春巻きを作ってみよう」と思ってライスペーパーを買ってきました。中華の春巻きではなく、ベトナムの春巻きです。この春巻きの具材に、肉も魚も使えないので、さつま揚げを細かく切って入れてみました。他に春雨、シイタケ、カリカリの歯ごたえ用にレンコンもみじん切り。

これをライスペーパーでくるんで揚げ春巻きにしたら、なかなか美味しい。野菜大好きの彼女も「レンコン入ってる!」と大喜びでたいらげてくれました。スィートチリをつけて食べると食卓はもうベトナム気分。

ベトナムとかタイとかではよく練り物を食べてますからイケるはずと思ったのですが、やっぱりビンゴだった。

そして今年のお正月。やはり肉がダメな人がいたので、同じようにさつま揚げ、そして今回は生春巻きにしようと思ったので、皮から透けて見えたときにきれいなカニカマ、そして水菜を外側に敷いてみました。うん、赤と緑がきれいきれい。

安いさつま揚げでできますのでお試しをと言いたいのですが、ライスペーパーを買いに業務スーパーに行ったら「品切れです。注文は出しているのですが、まったく入ってこなくて」。これがもうずっと続いています。コロナの影響で物流が滞っているとは聞いていましたが、ライスペーパーもそれでしょうかね。

もしライスペーパーが手に入りましたらお試しください。ただ、私はとにかく不器用なので、湿らせてもどしたライスペーパーがくっついてしまってダメにすることがよくあります。簡単にライスペーパーをきれいに広げる方法がありましたらぜひお知らせください。

受験は親も子も狂います

以前この記事を書きました。

この時期恒例の受験ネタです。

昨年秋、道で元同僚にばったり会いました。なんとなく立ち話をしていたら、「娘が中学受験。成績が低迷し、思春期も重なって大荒れで手がつけられない」と心底困っているよう。彼女、子どもが生まれたときは「うちは公立一本だから。私立なんか考えてないから」と言い切っていたので、「子どもが希望する場合もあるわよ」と言ったのですが、「うちみたいに低収入(本当は高収入)な家は無理。絶対に受けさせない」。

子どもはこう育てるんだ、こうするんだとかなり理想の子育てをしていましたが、どうやら思いと実際は違ったようで。

#育児書どおりに育ったら、こんなに育児書が流行るわけない。みんな思った通りにできないから本に飛びつく

一応アドバイスをして、「受験は親も子も狂うのよ」と言ったら、道の真ん中で身もだえし、「狂いますよねーーー、狂いますよねーーー、そうなんだーーー、みんな狂うんだーーーー!!」と大絶叫しました。

#相当まいっていたみたい

私も通った道だから本当によくわかる。あの時期は自分はどうかしていたと思うほど、試験に落ちたらどうしようかと、そればかり考えていました。地方は高校名で一生が決まるというほど高校が大事。高校名を告げたら就職は門前払い、交際していた相手から結婚をお断りされ、結婚するとあからさまに相手の家から蔑まされ話の中にも入れてもらえない。「お正月は私だけキッチンで料理の上げ下げしてるのよ」と聞いたことがあります。高校名を偽って結婚した人もいます。

この差別をまともに受けるのは女性よりも男性の方が大きく、それゆえ受験に熱心なのは母よりも父の方が強かったりします。社会の中で高校名で差別されるのがどれほど辛いことか、身をもって知っているからです。

これくらいのあからさまな差別のある高校名。高校受験は一発勝負。地方は公高私低。公立高校受験に落ちたら辛い人生が待っていると思うと、正気の状態ではいられません。そのため、中学浪人をする人がとても多いという現実があります。この話を東京でしたら「中学浪人なんて考えられない」とびっくりされました。私の頃は裕福な家は公立高校に落ちたら、他県の私立高校に進学する人もいました。

埼玉でこの話をしたら、「埼玉もそうですよー。あからさまですよー」と言われました。首都圏の埼玉でもそうなのか。うちの子と同期の子の母親で精神科に入院した人がふたりいました。

高校で一生が決まるわけではないというのは事情を知らない人の言うこと。一生が決まることもあります。

「後からなぜあの時あんなに思いつめたんだろうって思うんだけどね」と彼女に言うと、泣きながらうんうんと頷いて、「やっぱり同じ経験をした人の話は説得力がありますー。同じ思いをしないとこの気持ちはわかってもらえませんもん」

「子どもの力を信じて」「これで一生が決まるわけじゃない」と聞いたようなことを言われても、狂った親や子には届かないのです。

圧巻と絶望のボレロ

ラヴェルの「ボレロ」は、同じ旋律を異なった楽器が繰り返すという単調な曲ですが、聴いた人の耳のどこかに残る曲でもあります。

最初に聞いたのはサラエボオリンピック、アイスダンスフリーでイギリスのトービル・ディーン組が使用した時でした。アイスダンスはオリンピックの中でそれほど長い歴史があるわけでもなく、「ペアとどう違うの?」という素朴な疑問がある中で、私たちの記憶にもオリンピック競技の記録にも残ったのが、この曲を使用したペアでした。

見終わった時はまさに圧巻。数分の中で文字にならないペアの物語が繰り広げられ、観客は総立ち、テレビの前の人たちも茫然の演技でした。その演技の凄さに、この「ボレロ」という曲はそれを聴いただけでこの演技と重ね合わせてしまうためか、長い間誰も使用することがなく、フィギュア界で封印されたような形になっていました。

年月が経ち、その記憶が薄れ、ポツポツとこの曲を使用する選手が出てきました。宇野選手も今回のフリーで使用していましたね。なんだかこの曲は「勝負曲」としての位置にあるような気がします。だからエテリコーチも、天才ワリエワの勝負曲として選んだのかもしれません。

一昨日のフィギュア女子フリーは友だちとLINEを交換しながら、さながら「みんなで応援している」ような状態での観戦です。

「新葉ちゃん、中学生の時から見てた」「香織ちゃんがんばれ!」のLINEが飛びあう中、ワリエワ選手の演技になりました。私の予想は3位までロシア、4位に坂本選手、でもドーピングでワリエワ選手は失格となり3位に繰り上がりというものでした。

そのワリエワ選手の演技。もうドラマの筋立てのような展開で、「もう見ていられない」「かわいそうすぎる」のLINEが飛び交います。たぶん世界中で同じような言葉が交わされたことでしょう。それくらい、15歳の天才少女は痛々しくリンクに沈んでいました。

ワリエワ選手の悲劇的な結果もそうですが、1位、2位の選手たちもまるで鉛筆のように細い体で氷の上を飛んでいました。肉がほとんど見えず、まるで摂食障害の人のようですが、ワリエワ選手はそれほどではなく、ほどほどに肉がついていて、健康的な痩せ方のように以前から見えていました。手足が長く、かわいらしい顔と絶対のプロポーションに天才的なジャンプを飛び、身のこなしも優雅。北京の女王はワリエワ選手と誰もが思っていました。

そしてこの結末。エテリコーチに育てられた少女たちは4年ごとに顔ぶれを変え、10代で現役を引退していきます。「ワリエワ選手はまだ15歳、次のオリンピックもあるから」とは事情の知らない人。次のオリンピックに出場するのは今ロシアで4回転を普通に飛んでいる、10代前半の子どもたちです。この子どもたちに追い出されるように20歳を前にオリンピックの金メダリストたちは消えていくのです。

こうやって棒切れのように細くて全身バネのような少女たちに曲芸を仕込み、そして使い捨てる。

「ソチオリンピックで金メダルだったのは誰か知ってる?」LINEを送った私に答えが言えたのは誰もいませんでした。みんな「真央ちゃん奇跡の4分間」で浅田選手がソチ五輪に出場していたのは知っていますが、その時の1位が誰だったか、誰も知らないのです。

1位だったソトニコワ選手は五輪後、怪我が続き引退、当時私の一押しだったリプニツカヤも摂食障害ですでに引退。平昌のザギトワとメドベージェワも消えた。今回1位2位だったふたりもすぐに下からの突き上げで現役から退場となり、「北京の優勝者は?」と聞かれても、難解なロシア名のせいもあり「ロシアの誰か」としか誰も覚えていません。

イタリアのコストナー選手、カナダのロシェット選手、アメリカのコーエン選手など、何度もオリンピックや世界大会に出場すれば名前も顔も覚えますが、賞味期限が4年未満となると、覚える前に次の少女がやってくる。

ドーピングチェックは選手を責めるものではなく、守るものです。能力以上のものを出そうとして薬に頼る日常を送ると、いつの日か体がボロボロになる。今回のボレロの曲はサラエボの感動ではなく、使い捨て少女たちの悲劇を象徴するような、絶望の旋律となりました。サラエボの時に封印されたボレロは、また別の意味で閉じた箱に入れられるのかもしれません。

今回のことをきっかけにして、何か新しい動きにつながればいいなと思います。

ROCの選手にあげたピンバッジ

フィギュアスケートのワリエワ選手がドーピング問題で問題になっていますが、「風邪薬を摂取するのもためらう」選手からドーピング薬物が検出されたのは、もうツミでしょう。オリンピックの時に出なかったからよい、と言う話ではない。

もともと国ぐるみでドーピングを隠しをしていたから、ロシアという国名では出場できず「ROC(ロシアオリンピック委員会)」という、モヤモヤした団体名での出場です。世の中の人はROCはロシアだと読み替えていると思いますけど。

ただ、私が昨年東京パラリンピックでボランティアをした時に体験したある出来事は、選手たちにとっては同じではないのだと思わせるものがありました。

選手は本番前に練習場で練習をしています。大会会場はセキュリティも厳しく、何より選手本人は試合前ですから緊張で張りつめていますが、練習場ではそうでもない。時には笑顔を見せながら練習し、談笑したりしています。

ふと気づいたのは、首から下げているアクレディテーションカードのストラップ(ランヤード)が寂しい。大抵選手は各国の選手同士でピンバッジ(ピンズ)を交換し、それをストラップにつけています。磁石があったら体ごと吸い付くだろうよというくらい、ジャラジャラとたくさんつけている人もいます(このピンズがユニフォームの生地に引っかかるから、ボランティアの多くはウェアの糸が出ている)。

ところがロシアチームだけはストラップに何もついていない。ピンズの交換も禁止されているのかしらと、ボランティア仲間に聞いてみたところ、「ROCはピンズがないのよ。国じゃないから」とのこと。

「他の国は国がピンズを作って選手に配るの。選手はそれをあちこちの国のピンズと交換してコレクションするのよ。でもロシアが配ったのはピンズじゃなくてステッカー。ステッカーじゃね」

誰も、交換してくれないか。ステッカーじゃね。

どの国の選手も嬉しそうにピンズトレーディングをしているのに、ロシアの選手はないのか。ドーピングは選手だけのせいではないのに、かわいそうに。

私が配置された出入り口にひとりで立っていると、帰りのバスに乗る選手がぞろぞろとやってきました。「ダスビダーニャ」と言いながら手を振ってお見送り。知ってるロシア語はこれと「ハラショー」だけだ(笑)

バスに乗る人が途切れ、ぽつぽとと選手やコーチなどの関係者がやってきたのでそのたびごとに「ダスビダーニャ」と声をかけましたが、ひとり、ももから下が義足の方が松葉杖を使いながら歩いてきました。外は霧雨。バスは近くだからあまり濡れないで行けるかなと思いながら手を振ってお見送りをしましたが、ふと、彼女に私のピンズをあげたくなりました。東京の思い出になったらいいなと思いつき、後を追いました。「ちょっと待って」と言って彼女のストラップを手に取り、私のピンズを付けました。彼女は「O..O..No・・」と言いましたが、選手は英語はできません。でも、私がピンズをつけて「Good!!」と言ってポンと叩くと彼女はピンズを見て、小さく「Thank you」と。

小さくお辞儀を繰り返しながら、松葉杖をついて雨の中を歩いていきました。

バスの中でみんなに自慢してくれるといいな。国に帰って、Tokyo 2020と書かれたピンズを見て、東京に来たことを思い出してくれるといいな。

Fall in love

とあるところに20~30代の女性がおりました。古い言葉でいうなら「結婚適齢期」です。本人も結婚したい、でもなかなか希望に叶う相手が出てきません。そのうち彼女の年齢が上がってきて、早くしないと彼女の希望グレードを落とさなければならなくなりました。

それを見ていた親戚が、「あの人ならぴったり!」という相手を探してきました。その男性も早く結婚したいと思っているのを知り、男性の知人に「彼に彼女を紹介して、恋に落として」と言いました。でも、その言葉に違和感を覚えたその人は言いました。

”恋は落とすものではなく、落ちるものよ”

今日はバレンタインデー。すでに昨日までに沢山友チョコをもらった、ハッピーピンクの管理人です。でもモラハラ関係者の間では、むしろ嫌な過去が思い出される日かもしれません。

努力は報われないか

昨日のフィギュアスケート男子、良かったですね。以前は「ひたすら氷の上で飛んでるだけ」の印象だったネイサン選手も、ちゃんと見られるようになりました。

羽生選手が当時絶対王者だったパトリック・チャン選手からその地位を奪ったのは、8年前のソチオリンピック。思わず昨日「パリの散歩道」をプレイバックしてしまいました。

初々しい。今の鍵山選手に重なります。人はまだちょっと青い、これから成長する楽しみのある者に惹かれるものなのかもしれません。

「努力って、報われないもんなんだな」って、終わった後絶望の中から絞り出すように言った羽生選手ですが、その時の彼の正直な気持ちだったことでしょう。あのショートの「穴のボコっ」が無かったらと、ずっと思っていたかもしれません。

ショート当日の試合前、たまたまテレビのワイドショーでフィギュアスケート解説の佐野稔さんが「選手が飛んだり回ったりする場所は決まっているので、練習ではそこに穴を作らないようにその場所では飛びません。その穴の場所は個々で違います」と言っていました。

まさにその予言通りというか、羽生選手は誰かが作った穴にはまってしまった。ネットでは「飛ぶ場所は決まっている。誰かがわざと穴を作ったのではないか」犯人捜しの大騒ぎになっていたとか。誰もわざと穴を掘るわけではないでしょうに。

さて、「努力は報われないか」ですが、報われる時もあれば報われない時もあるでしょう。今回は運が悪かった。努力の報いは運不運によることがものすごく多いので、神様に愛されるよう日々精進しましょうとしか私は言えません。

後はその目標が射程圏内にあるか、どう頑張ったって無理だろうということに力を使っていないか、そこは冷静に見極める必要はあると思います。目標のちょっと上くらいの場所を目指すのが、努力が報われるコツかなと思います。

毒は吐き出さないと死ぬ

モラハラ家庭で暮らしていると、それはもう筆舌に尽くし難い様々な夫からの嫌がらせがあります。そのひとつひとつは些細なことで、家庭生活をしていればどこにでもあるようなことかもしれませんが、夫が自分を嫌っている、妻のしたことをあげつらってはお前はダメだ、死んでしまえ、出て行けと言い続けられると、どうしてこんな不幸な目に遭うのかと床に座り込んでは茫然としてしまいます。

少し元気のある人ならば、友人に愚痴として話すことで、わずかではありますが気持ちの荷物を下ろすことができますが、友人がいなかったり、親きょうだいともうまくいっていない場合は誰にも話すことができません。

そうしているうちに、夫から吐き出された毒は体中に回り、やがて死んでしまいます。どこかで毒は吐き出さなければなりません。

「毒を吐く」とは夫から受けたものを外に出すこと、誰かに話すことです。言葉を変えれば「愚痴を言う」ということになるかもしれません。ですが、「愚痴を言う」ことと「吐き出しをする」ことは別です。吐き出しは文字通り受けた毒を吐き出すことですので、同じ行為でもポジティブです。これは絶対にしなければならないことです。

気を付けなければならないのは、毒を吐き出す相手はひとりではいけないということです。あまりみっとも良いことではないし、できれば隠しておきたいとなると「言う人を限定して」と思われるかもしれませんが、毎度同じ吐き出しを聞かされる方は気が重くなります。あなたにとっては「吐き出し」でも、吐き出しを受ける方はそれを飲み込むわけですから、決して易しいことではありません。だからカウンセリングは料金が高いのです。

一度や二度なら「うんうん」と優しく聞いてくれても、同じような話を毎度聞かされるとだんだん重くなって嫌になります。嫌になるとあなたから離れていこうとします。聞かされるのが「たまに」なら身を入れて聞きますが、「しょっちゅう」なら「えーまた旦那の愚痴?さっさと離婚すればいいのに」となります。

吐き出す相手を複数名にすると、その恐れは数段少なくなりますから、ローテーションでも組んでいろんな人に聞いてもらいましょう。そんな友だちはいないというなら、区役所や無料で話を聞いてくれるようなところを探しましょう。

私が相談員をしていた時に「初めてです」と言って何度も電話をかけてくる人がいました。人の声や話し方は結構特徴があって、「この人、前にもかけてきたな」と気づくものです。どうやらあちこちの無料相談電話にかけているので、自分がどこにかけたのか覚えていないらしい。

そんな感じに無料で吐き出しができる場はありますので、探して利用してみてはいかがでしょうか。

コロナワクチン3回目終了

オリボラ友グループに、開会式の感想などを書いてLINEしたら、翌日「今日までオリンピックが始まっているのを知らなかった」、「子どもと寝落ちしてかけらも見なかった」と返事がありました。

やっぱり一度オリンピックに参加した人は、もう参加しないオリンピックは興味がないのね。その気持ち、わからないでもない。

さて、私は3回目のコロナワクチンを受けました。周りではいつも私が最初です。1回目はとにかく私はオリンピックのボランティアがあるので開会式前までには終わらせたくて、役所から接種券が届いたら、すぐに予約を入れました。私の住んでいるところは個々が病院に予約を取るシステムです。

特設サイトには20か所以上の病院があって、ひとつずつ開けていくと予約可能日時が書いてあります。それをひとつひとつ開けていくのですが、どれも1か月以上先。それではオリンピックに間に合わない。

それでも根気よく開けていくと、一か所だけ、3日後でも予約が取れる病院がありました。薮で有名なポンポコ病院です。薮だろうがなんだろうが打つのは同じ薬なんだから、注射ぐらいできるでしょうよとさっさと最短でできるそこを予約しました。

その後、友だちと「どこ、予約した?」の話になると「ポンポコ病院だよ。すぐに打てるよ」と言うと、「え?あのポンポコ?」とは言うものの、「見立てるわけじゃないから。注射はどこも同じ。何か異変があったら救急車」ということで、みんな右にならえ。

というわけで私は周辺の同年代で1回目、2回目を早く打ち終えたので、3回目も早いのです。そして気になる副反応は、周辺のリサーチによると私が一番重い。3回とも当然のように2晩発熱。腕、あがりません。薬品はFFMです。

みんなに「若いからよ」とからかわれながら、今回も解熱剤と湿布のお世話になりました。湿布は打ち終わった直後に湿布を貼ると、かなり腫れが抑えられます。

2回目は熱が引かないままボランティアの研修に行ったっけな。検温があったらどうしようかと思ったっけな。

その夏季オリンピックが終わり、冬季オリンピックが始まりました。またオリンピックが始まるとコロナが流行し、終わると熱が冷めるようにさーーっと流行が終わるのかしらね。