そもそもなぜ離婚裁判が必要か

離婚裁判は離婚調停で離婚が決まらず、でもどうしても離婚したい場合に申し立てるものです。私はモラハラ家庭の場合、必ず離婚しなければならないとは思っていません。ただ、加害者からは離れる必要はあると思っています。

なぜならモラハラ被害を受けていると必ず心身に影響があるからです。私は職場でパワハラに遭っていた時期が半年ほどありましたが、家庭モラハラの時は低血圧と貧血。職場の時は気管支喘息が止まりませんでした。職場の時は相手がハラッサーだとわかっていたし、自分が悪くないともわかっていたのに症状として出ました。どんなに気を確かに持っていても、どんなに攻撃されないよう細心の注意をはらっていても、攻撃は止まらないし、体は正直ですから「元気はつらつ」とはいきません。

しかも家庭の場合子どもたちはつねに黒いオーラが漂う家の中で生存戦略を屈指して生活しなければならず、これが子どもの健全な成長にどういう悪影響があるかはわかりません。すぐに表れることもあるし、10年後、20年後に現れることもあります。

凛とした母であるためにも、心身ともに健康であるためにも、夫には敢然として立ち向かう必要があります。とはいえ、モラハラ加害者とは話し合いができませんので、離れて今後の生活について折衝する必要があります。だから別居。

加害者更正プログラムを行っている「アウェアさん」ともお話ししましたが、とにかく加害者と離れてしばらくすると、「あれ?一緒にいる必要はないじゃない?」となることが多いのです。夫と一緒に暮らしていると「母子家庭は寂しい」「世間からどう思われるか」「何より経済が不安」「子どもをひとりで育てていけるか」などの不安要素だけが心を占めますが、実際に離れてみたら結構なんとかやって行けるし、夫が帰ってくる足音におびえることもなく、好きなものを食べ、好きな時に寝て、好きな本を読んだりテレビを見たりできる。

特にこの中の「好きな時に寝て」が重要です。夫からの性行為強要から解放されるからです。これはなかなか表に出てきませんが、かなりな苦痛です。拷問と言ってもいい。

離婚裁判を傍聴するには

もし離婚裁判をする予定の方は、一度裁判所に行って実際に裁判を傍聴してみることをお勧めしますが、ただ、「本人尋問」以外は書類の交換や次回の予定の確認という代理人同士のやりとりで、ものの2~3分で終わるので、行っても意味がありません。

また「判決」も裁判官が法廷にやってきて「原告と被告は離婚する」と言うだけなので、これも特に見てどうということもありません。

私は何人かの方の判決文を拝見したことがあるので、その判決文を裁判官が朗々と読み上げるのかと思っていたらそれはないようです。ただ裁判官が「原告と被告は離婚する」とあっさり言ってさっさと法廷から去るだけ。

テレビで見るような原告と被告が法廷で顔を合わせ、それぞれの代理人から質問を受けるという「本人尋問」が一番見たいところだと思いますが、いつその本人尋問があるかは週間スケジュール表があるわけでなし、わからない。

私は今回たまたま裁判所に近くに用事があって、「今日、本人尋問があったらな」とふと思いついて裁判所に入り「今日の日程のノート(開廷表)」のノートを見たら本人尋問があったので偶然に傍聴できました。

この開廷表どこの裁判所でもあると思うのですが、これをマニアのおじさんたちはメモして(写メ不可)あちらの法廷、こちらの法廷とやってくるわけです。

世間を騒がすような刑事事件などには「傍聴希望者が500人」などと報道されますが、この中にはかなりの割合でマスコミが雇ったアルバイトが混じっています。傍聴席の数は限られているので抽選になるため、テレビ局や新聞社などのマスコミがアルバイトを雇って並んでもらい、抽選券を集めるのです。

私もマスコミ関係の知人のお手伝いでアルバイトを集めたりしたことがありますが、一度も当たったことがありません。何しろ衆目を集めるような事件となると百人単位で人が集まりまるのに、席は20とか30とか、その程度の席しかないので、これは大変。そして傍聴しなければ中の様子はわからず、記事が書けない。だからマスコミの方たちは必死。

ともあれ、これは大きな刑事事件の話。私が傍聴したいのは離婚裁判なので、開廷表の中の「人訴」のページを探します。これでたまたま私が行った日に「本人尋問」があったので傍聴できただけの話です。もしなかったら、空戻り。

東京は離婚裁判が多いかもしれませんね。私がまだ地方に住んでいた時に有給をとって裁判所に行ってみたら、例の「代理人による書類のやりとり」のみで、ものの2分で終わってしまいました。はい、空戻り。

以前応援傍聴をした時のように、本人や代理人や支援団体からの情報で「応援傍聴」する以外に、確実にその日に「本人尋問」があるかわかる方法はないのではないでしょうか。

離婚裁判を傍聴してみた

私は離婚裁判を経験した方たちから沢山のお話を伺ってきましたが、さて、実際の離婚裁判の傍聴は、私が東京に来る前に、被害者の方の応援として傍聴席に座ったことがあるだけでしたが、それは本当に「テレビで見る裁判みたい」でした。

妻側の弁護士が(代理人ともいう)、「ここにスーパーのレシートがあります。この時刻は〇月〇日。原告(訴えた側。今回は妻)がこの時間このスーパーの行っていた証拠です!」

高らかにレシートを掲げる弁護士に、「あ、あのスーパー、うちの近く。金曜は2時からタイムセールがあるのよ!だからその時間に行ったんだわ!」とは私の隣に座って、やはり一緒に被害者の方の応援で座っていた友人の小声話。

近所のスーパーだの、タイムセールが証拠になるなんて、なんかとってもお茶の間的。

テレビのドラマで見る裁判は大抵刑事事件で、当事者たちのプライベートな生活がこれでもかとあからさまになりますが、離婚裁判も同じです。そして傍聴人がいるのも同じ。どこの誰だかわからない人の離婚裁判なんて人は興味ないだろうと思っていたら、今回私が傍聴した離婚裁判は満席で、席に座ることができずに帰った方もいました。

どう見ても関係者や親戚ではない、裁判傍聴マニアがいるのだそうです(汗

大抵定年退職後で暇しているおじさんたちです。

そういえば以前犯罪被害者の支援のため裁判傍聴に行ったことがありましたが、私の隣に座ったのがどうやらこの「マニアのおじさん」で、手に持ったメモ帳には「〇時〇分 〇号室」「△時△分 △号室」という、どうやらおじさんが聞きたいと思っている本日の裁判の日程がぎっしり。

おじさんだけでなく、私の同僚にも女性ですがマニアがいました。有休休暇をとって裁判傍聴に行くという熱の入れよう。彼女の場合「ラストで主人公が不幸になる映画が好き」という趣味の持ち主でしたので、心に何か屈折したものを抱えていたのかもしれません。

猟奇的な殺人事件の記事を読むのも好きで、よく事件のことを知っていました。

たぶん、人の不幸が好きな人だったんだろうと思います。周りからは「底抜けに明るい人」という評価でしたが、何か闇の部分があったのかもしれません。

ともかく、離婚という、究極にプライベートな部分を裁判の担当者だけでなく、傍聴人にもつまびらかにしなければならないという部分で、やはり裁判を起こすとなると気が重くなります。

ロジハラとモラハラ

あまりSNSを見ることがないので、世の中に「ロジハラ」という言葉が出回っているのを今日「モーニングショー」を見て知りました。世の中の動きに気付くのが遅くてすみません。

ロジハラとは「Logic Harassment」のことで「正論を並べて相手を言い負かす」ことです。

なんだ、これってモラハラの極意じゃんと思ったな。東大話法とも一緒でしょ。

マスク警察や自粛警察も同じ。正論を振りかざして相手を攻撃し、自分優位を築き、相手に詫びさせて優越感に浸るやり方です。

「モーニングショー」では家庭内を例にとって説明していました。

夫:この料理、まずい。ちゃんと分量とか計ったの?

妻:計ってない。。

夫:なんで計らないで作るの?もう、マズいから外で食べてくる。この料理全部お前が食べろよ、自分で作ったんだから、自己責任だろ。

↑ これはもう、モラハラの王道です。毎日作る家庭料理を大さじ小さじで計る人はあんまりいないと思う。計ったら計ったで「何年主婦やってるんだ。計らないと料理も作れないのか」って言うくせに。

ロジハラとモラハラの違いは、ひとえにこれを言う人が気づくか気づかないかの差です。「モーニングショー」でもコメンテーターの二人が自分もやっていたと言いました。そして私もやったことがあります。ただ、コメンテーターも私も同じなのは「私は何のために相手にこのようなことを言っているのだろうか」とある時に気づいたことです。

相手に何かを言うのは問題を解決するためで、相手を責めるためではありません。モラハラ加害者はひたすら相手を攻撃する材料としてロジカルな話をしていきますが、「なんのための言葉なのか」に気づいた人は、相手にこれをわかってもらうためにはどう言うべきかを考えます。

これ、特に子どもに対する小言の時に特に気をつけました。相手を委縮させてはならず、責めてもならず、でも理解力に乏しい子どもに対しては、順々に時間をかけて言わなければならない。そして子どもには逃げ道を作っておくことです。

「これはうっかりしたんだよね。人はうっかりすることは誰にでもあること。だから誰でもすることをあなたはしたので、うっかり屋が悪いわけではない」

「でも、これで困った人、傷ついた人はいるので、それはごめんねって言おうね」

「そして『もうしません。気をつけます』って言おうね」

「これをしないと、ずっとこのまま引きづってしまってお友だちを無くすよ。そしたら嫌でしょ」

うっかり屋が悪いわけではないという逃げ道で、大人だって救われるんだから、子どもは救われます。そしてまた同じうっかりをしちゃうのよね(笑、  人間だから(笑

それでもいいんじゃないかなと思います。一歩ずつでも前に進めたらいいんじゃないかな。

これができないのがモラハラ加害者。「自分は悪くない」という自分に甘い思考癖を覚えてしまった人が加害者になります。

ロジハラねぇ。モラハラが世に出た時「何でもハラハラと言うな」と言われたものだけど、ロジハラも広辞苑に載るようになるのかな。そしたら用語解説で「マスク警察など」と入ったりして。その頃には毎日マスクをしなくてもいい生活になっていればいいな。

DVについての信田さよ子さんのインタビュー記事です

「東洋経済オンライン」に掲載されている信田さよ子さんの記事です。

https://toyokeizai.net/articles/-/377854

記事の中で「警視庁は全国の警察に比べても進んでいます。DV被害者からの通報があると、(刑法の暴行罪や傷害罪などの容疑での)逮捕を厭わない方針になってきました。これは、すごいこと」とありますが、それは私も感じます。もう、電話1本で複数台のパトカーが警察官を乗せてやってきます。

これは信田さんがおっしゃっているとおり、家庭内の問題が殺人事件になり、世論が警察の落ち度を責めることで、やっと警察が本気で取り組むようになったからと思います。これはストーカー事案も同じ。

ただこれは「警視庁」、東京都の警察の話。地方ではどうなのかが気になります。

守ってあげたい

時々「夫から守ってもらえなかった」という方がいます。「結婚とは男性が女性を守る」ことというセオリーがあるのかもしれません。それに異を唱える方もそれほどいないでしょうし、活動写真では縄でグルグル巻きをされたメリーさんが線路に置かれて、足をバタバタさせて助けを求める活動写真の時代から(いつだろう?)、女性は守られるべき存在と言う「常識」が世の中に浸透していたと思います。

この常識を思いっきり覆したのは「エイリアン2」ではないでしょうか。私の中ではそうです。

https://cinemore.jp/jp/erudition/385/article_386_p1.html

これをリンクして気づきました。あらら、これも「ターミーネーター」と同じ監督のジェームス・キャメロンだったんだわ!つまり彼は常に戦う女性を主人公にしていたんだわ。ほほー。

この映画、本来なら「助けてー!」と叫ぶのがリプリーで、勇敢に救うのがヒックスのはずなのに、ヒックスは本当にもう、判断力はないし、足でまといでしかない!さっさと逃げろというところで転んだり、怪我したりしてイライラさせられどおしです。そののろま加減にお前なんか死んでしまえ!と叫びたくなるほど。

足手まといのこの野郎なヒックスをこれでもかと助けるのがリプリーで、いやー、かっこよかった。「ターミネーター2」のサラコナーもめちゃカッコよかったと私の深い記憶に残っているということは、私とキャメロン監督の信号が一致しているということかしら。

そういえばの話になりますが、私は記憶の中で「誰かに守って欲しい」という思いが無かったような気がします。子どもを守りたいとか、仕事を守りたいとか、そういったことはあるけれど、誰かに守られたいと思ったことがない。守ってくれる人がいたら便利だろうなとは思うけど。

親は守ってくれるどころか常に「育ててやった恩を返せ」というばかりだし、子どもの頃助けて欲しくても、そう希望通りのことはしてくれないし、してくれても怒鳴り声と一緒だし、いつも見返りを要求するし、いつまでもそのことを持ち出して恩に着せるし、それが面倒だからもう何かしてもらおうという気すら無くなっていました。

ただ、友人から助けてもらうことは多々ありました。本当に沢山ありました。「これ、頼めるかな」とお願いすれば「いいよー」とふたつ返事で引き受けてくれる。でもこれは「守って欲しい」とは別のものですよね。

子どもは守ってあげたいと思いはとても強くあります。命に代えてでも守りたいと思います。でも、誰かに守られたいとは思わない。これは守られたという経験がないからなのかしらん。たぶんそんなに信頼して頼り切った人が急にいなくなったらとても困って落ち込んでしまうという、防御のためかもしれません。だから最初から守って欲しいという気持ちを持たない。

そういう気持を持たなければ「夫が守ってくれない」と落ち込むこともない。でもそう言うと「それはとても悲しいこと」とか言う人が絶対にいるんですよ。依存する先がないのは悲しい事ではなく、人間ってそもそもそういうもんだと思うのです。依存する相手がいたら、それはそれでかまわないし、いなくても特に不都合なこともない。人から「悲しい」だの「気の毒」だの「寂しい」だのと言われる筋合いはない。なぜ自分の価値観に人を引っ張り込むのだ。

依存する人がいなくても、特に困りませんよ。いつ居なくなるか、気が変わるかわからない依存先がひとりいるよりも、助けてくれる人が50人いた方がいいと思うのだ、私は。

電話相談の内容をちょっと変更

電話相談期間が終了しました。今回のご相談はモラハラ以外のものが結構ありまして、今まで夫婦関係のモラハラのみに特化して行ってきましたが、これからは枠を取り払い「なんでも相談」にしようかなと思っています。今までなぜそれをしてこなかったかと言うと、ご自分で答えを見つけるお手伝いをする、いわゆるカウンセリングの場合は、たいていとても時間がかかるからです。1回で終わることはほとんどありません。

何度もリピートしていただく必要があるのですが、ここの相談自体、年3~4回ほど、期間を設けて行うものなので、継続の方には使い勝手が悪い状態でした。それならば、私ではなく、他の継続可能なカウンセリング機関に行っていただいた方がよいと思ったので、そうしてきました。

ただ、いろいろな方のお話を伺うと、モラハラ家庭からの避難はソーシャルワークが主ですが、こころのケアや、自分を見つめなおすお手伝いもそれと同じように重要だと思うようになりました。実際私は男女参画センターの相談員を10年勤めましたので、この「自分を見つめなおす方のお手伝い」は沢山やってきました。それならば、ご要望があればやらせていただいてもいいなと思うようになりました。

同じ空間を共有しないでお話を伺いますので限度はありますが、相談に来られる方が「モラハラを知っている人と話をしたい」と仰ることが多いので、私でよければお受けいたします。

次回の相談は11月頃に行う予定ですので、もしよろしければその頃にご連絡下さい。

伊勢谷友介と嫌われ松子

俳優の伊勢谷友介が大麻取締法違反の疑いで昨日逮捕されました。沢尻エリカの時もそうだったけど、「ああ、ありっぽそ」と思うのは、そういった匂いがしていたから。

伊勢谷友介をちゃんと意識したのは「嫌われ松子の一生」です。松子が教師をしていた時の教え子が成長して、ある日突然松子の前に現れる。よく聞く印象的な音楽(この曲名教えて!)とともに、長身の体を壁から離してふらっと登場するシーンはとても印象的でした。

ヤクザの役なのでそういう印象を持ったのかもしれませんが、その後に出てくるDV疑惑は、彼の内側の役作りに役立ったのかしらんと思っていました。

https://bunshun.jp/articles/-/40149

「悪役専門だけど実はいい人」という人は沢山いますが、なんだかこの人は屈折していて、とっても奥深そうな印象があります。DVをするのは強そうに見えて実はとっても弱い人です。弱いのに強く見せようと思うからそこでDVが発生する。弱い者しか相手にできないから相手が下になるような構図を作る。

経済だったり、「子どもを片親にする気か」という脅しだったり、「お前がダメだから」という貶めだったり、とにかく自分が相手よりも上であり、自分からは離れられないことを徹底的に相手に植え付ける。時には「俺はお前がいないとだめなんだ」と相手の情を揺さぶる。「嫌われ松子」もそうでした。「嫌われ松子」を見ると、DV男というものが本当に良くわかる。

そしてこうやって「ダメな男から離れられない人」も時々みかけます。いわゆる「ダメンズ」。これは境界線がゆるゆるだから起きることなので、人と付き合う時は境界線を意識しましょうというのは別の時に。

演技は結構重要

東京に来た年は派遣仕事を転々としていました。その中のひとつに書類整理がありました。大勢の派遣社員が机の上に積まれた書類を整理し、次のセクションに回す仕事です。簡単楽ちんな仕事ですが、給料は都の最低賃金でした。実は雇用者側は最低賃金よりも500円高い給料を出していて、派遣会社を通さないで来た大学生などはウハウハの人気の高い仕事だということは後で知りました。

書類整理は慣れていますから、黙々とこなしていたある日、書類が1枚ありません。書類にはナンバリングが打たれているので、番号は続いていなければならないのに1つ飛んでいる。私がやり終えた後にチェックをして見つけたものだから、最初はあったはずです。

やり終えた後の書類を全部見直してみてもありません。仕方がないのでチーフに「書類が1枚見当たりません」と報告しました。チーフは「変ですね。どこかに紛れたのかな。少し時間を置いてみましょう」と言って次の作業をするよう言われたので、言われたとおり、次の書類の山に取り掛かりました。

誰も出入りのない場所で書類が消えるわけがない。おそらくどこかに紛れてしまったのだろうと、私も思いました。こういう時は必死で探して時間を無駄にするよりも、みんなが同じ作業をしているわけだから、誰かのところからひょいっと出てくるであろう、というのは長年仕事をしていれば経験上わかっています。

だからチーフに言われた通り仕事を続けたのですが、向こうの方で2、3人の人たちが「呆れたわねぇ」「平気な顔をしているわよ」とチラチラこちらを見ながら話をしています。

う~ん、困ったな。前線で長い間仕事をしていましたから、卒倒したくなるようなアクシデントは山ほど経験しました。眠れぬ夜も何百回とありました。死んでお詫びをしなければならないような出来事もありました。そんな経験を吐くほどしてきた身としては、書類1枚が無くなった程度でアタフタなんかするわけがない。

でも、責任感あふるる方たちはそうは考えないようです。こちらをチラチラみながら仕事を続ける彼女たちは、時折顔を見合わせては口に出さない相槌を打っています。

「熊谷さん!あったわよ!」

声を出してくれたのは仲の良いスタッフのひとり。

「えーー!ほんとーーー!!!助かったーーー!!ありがとーーー!!」

これはホント。探し物が見つかった時は本当に嬉しい。

「あの時紛れたんだね」と言いながら書類を揃えましたが、私は反省しきり。

こういう時は演技でも心配で死にそうなフリをした方がいいようだ。

何かアクシデントがあった時は、あわてず騒がず、大したことではないフリをしてみんなを落ち着かせ、次にどういう手を打つかクルクル頭を廻らせるのが仕事だったから今回もそうしたのですが、それはこういう場合はダメなのでした。責任感を持って仕事をしている証として、書類1枚が無くなったことで青ざめておろおろせねばならなかったのです。書類を無くした犯人が気も狂わんばかりに探し回っていれば彼女たちも溜飲を下げるのですが、平気な顔をしていたので、彼女たちの責任感に火をつけてしまったらしい。

あー、めんどくさ。

元夫と暮らしていた時、子どもが病気の時やケガをした時に、私が「大したことないわよ」というと夫は怒り狂うので、「大変だわ、どうしよう」とおろおろして見せると満足げに「大した事ないだろう」と言いいます。

母ならば子どもが病気をしたら寝ずの看病をして、ケガをしたらつきっきりで介護するものだと思い込んでいる夫です。子どもが第一。子どもを何よりも愛している母親でなければ夫は満足しません。もちろん子どもは大事だし看病もするけど、風邪ごときで髪を振り乱してまでするほどのもんではなかろうが。

人間関係をスムーズにするためには、アホらしい演技でもした方がよいようです。

いたらない母

私の母はただいま施設に入っていますが、時々手紙を寄こします。ちなみに私が母に手紙を書くことはなく、2週間に1度程度、1分ほどの電話をします。コロナの前は1~2か月に1度程度面会に行ったりしていたのですが、コロナのため、年配者と会うのは相手を危険に晒すと知事も仰っておりますので、今年の2月に会ったきりです。その代わり、電話の回数を10日に1回ほどに増やしました。

#世の中には毎日離れて暮らしている親に電話をする人がいるらしい。
#うーん、見上げたものだ。きっと大切に育ててもらったんだろうなぁ。

その母から先日手紙が来ました。数行の文章の最後に「”いたらない母”より」と締めくくっていました。

なんて脅迫的な(笑

こうやって人をコントロールするのですよ。本人は自分をいたらない母とは思っていないですから。「そんなこと言わないで。沢山やってもらって感謝しているのよ」と言ってもらいたくて書いている匂いが紙面から立ち昇る。

ちなみに「私、デブでブスだから」と言う人も、「そんなことないよ、かわいいよ」と言ってもらいたくて言ってます。

この手法はミエミエで使い古されているから、もう若い人たちは使わないかな。それとも時代を越えて利用されるのだろうか。

相手からこう言って欲しいから自分を卑下してみせるというやり方は、姑息で見え透いていて、それでいて強引で、その人の人柄が見えます。

”いたらない母”を” ”で括って書くのも、「をいをい」と思う。もう寿命がそれほど残っていないんだから、優しくしてあげたっていいじゃないと思われる方もおられるかもしれませんが、この蟻の一穴から、貞子のように穴から這い出して、グレードを上げてくるのが彼女のいつもの手。

とは言え、うつにでもなられたらめんどくさいので、バーゲンしている「しまむら」から、洋服を2着、お菓子と一緒に送っておきました。この服を着て施設で「娘が送ってきたの」「娘が送ってきたの」と言って回るのだろうな。子どもの頃「子どもが入賞して」「子どもが褒められて」と言いふらしてまわったように。子どもの栄誉を全部自分の手柄にしてしまう人。

子どもの頃「金食い虫」と言われながら育てられた娘の、ほんのささやかな”親孝行”です。母が境界を守ることができる人ならば別の展開もあるのですが、なにしろ人の領地にズカズカと入ってくる人なので、メキシコの壁のような鉄壁のものを築く必要があるのです。

相談を受けていると、この「境界を守れない方」が時々おられます。この話はまた別の所で。