周りが次々と骨折していく

いつもお伺いしている「お茶のいっぷく」さんが、1カ月ほど前に右手を骨折されました。毎日のブログは音声入力されているそうで、闘病記が痛々しい。マンションの前で転んでしまったそうです。

https://mihomiho0109.com/2023/10/11/%e6%82%b2%e5%a0%b1%e3%80%81%e5%8f%b3%e8%85%95%e9%aa%a8%e6%8a%98%e3%81%97%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f/

骨折も痛々しいですが、右手の骨折なので、お仕事を休まねばならず、その間収入が途絶えててしまう不安と、おひとり暮らしなので生活にとても不自由されていました。

と思ったら、今度は同じく訪問させていただいているショコラさんも骨折。

https://lee3900777.muragon.com/entry/2551.html

私の友人はそれほど高くないヒールだったのに、足を捻っただけで(よくあるある)骨折。

あちらでもこちらでも転んで骨折の人ばかり。

実は私も先週、思いっきり道路で転んでしまい、足ではなく顔を地面に打ち付け、下手をすると歯が折れていてもおかしくないくらい強打だったのですが、幸いなことに1週間程度口が痛いだけで済みました。

あわて者なので、いつの間にかどこにぶつけたのか、足や手が青あざになっているのは日常茶飯事。

ショコラさんもいっぷくさんも骨密度を気にされていましたが、以前ジムで測ってもらったら30代と言われて気をよくしてから数年経ちました。この年になると怪我から復帰する時間が若い頃の何倍もかかるし、私も独り暮らしなので、不自由な生活になるでしょう。

転んだりぶつけたりというのは気をつけても避けようがないので、後は何かの時に来てくれる友人の確保でしょうかね。

捨てる基準の変更

先週長く使っていた折り畳みパイプ椅子を廃棄ゴミに出しました。ゴミ処理券を貼ったその椅子を集積所に持っていって置くと、なんとまぁボロボロなこと。

いつも家の中に普通にあったので気づかなかったけれど、こうやってお日様の前に出して周囲の目に晒されると、今までよく使っていたと思うくらいボロボロです。

今回は椅子の足をつないでいたビスが取れてしまい、使用不能になったので処分したものですが、本当はこうなる前に捨てるべき状態なんだろうと思います。

物に愛着を持つタイプなので、なかなか物が捨てられない。よくないなぁと思っていましたが、ある日、お金持ちの友人宅に行くと、ずいぶんとレトロな扇風機が置いてありました。

「あ、そのつまみ取れそうだから、強く動かさないでね。」

「この扇風機、いったいいつの?」と聞くと「さぁ?」と笑いながら、「私、家電品は徹底的に使うタイプなのよ」と申される。

確かに以前テレビでYouTubeが見たいというので、私が設定したテレビも韓国製の安いもので、新しくはありませんでした(だからそのテレビでYouTubeを見るためには何やら部品が必要で、「これを買ってきてね」と言ったものでした。)

彼女はお金持ちだし、節約するタイプでもありません。ただ「電化製品は壊れるまで使う」がモットーなのだそうです。

確かに扇風機などは風が来ればいいだけなので、羽とモーターがあればいい。小さな卓上扇風機の黄色い羽根がレトロで、むしろインテリア的にいい感じ。たぶん確実に30年以上前のもののようです。

さてこうなると、彼女の「使えるものは徹底的に使う」は、私の「ボロボロになるまで使わないようにしよう」を凌駕してしまいそうです。

でもあの捨てたパイプ椅子はあちこちガムテープで補修してあって、見るからに見すぼらしかったのに比べ、この30年以上前の扇風機はかわいらしくてきれい。

つまりきれいに大事に使うかどうかが決め手なのかもしれません。大事にきれいに使う。きれいで無くなったら捨てる。

これからこれを価値基準にしようか。

「みじかくも美しく燃え」は悲惨な末路

どこかで見たことのある画面はどこで見たのかとつらつら考えたら、「ポン!(ふるっ」

「ルノワールの絵だ!」

そうだ、印象派と呼ばれる人たちの絵とタッチが同じなのです。

最初にはたと気づいたときは「ルノワール」と思いましたが、タッチの感じはむしろモネ。(絵の知識は学校の美術で習っただけのものですが(^^;)

映画のポスター

制作者は印象派の画像にモーツァルトの音楽を載せたかったのではないかしらん。先にこの構想があって、このストーリーに巡り合ったのか、ストーリーが先で後から印象派の画面を思いついたのかわかりませんが、ともかくこのクラシカルな融合により、「不倫カップルの逃走劇」というおどろおどろしいテーマが「みじかくも美しく燃え」になりました。

逃走が長くなり、ふたりが愛を交わすシーンは次第に所持金が尽きて売り食いが始まり、ついにはエルヴィラがお金のために体を晒す(膝小僧を見せるだけ)シーンに変わります。そしてそれを責めるスパーレ中尉はプライドが高くて働かない。

新聞に載り、手配書がまわり、追われたふたりは森に入り、花や木の実や野草を食べて嘔吐するまでになります。

なんだかこのあたりは「フレンズ」を思い出しましたね。15歳のポールが仕事を見つけて2人の(後に3人の)生活を築くようになるのに比べ、貴族のせいか、伯爵ふがいない。

1967年の映画ですが、画像は瑞々しく、スエーデンの風景や言葉も珍しい。もしお時間があってアマゾンプライム会員でしたら一見の価値はあると思いますのでどうぞ。

一度見てみたいと思っていて偶然見つけた映画ですが、死ぬ前に見られてよかったです。アマゾンプライムありがとう!もうすぐブラックフライデーなので、その時にまた入会するからね。

「みじかくも美しく燃え」をやっと見ました

その昔、映画音楽のスタンダード曲がオムニバスで入ったLPレコードを買ったことがありました。平成、令和の若者はLPレコードなんて知らないだろうなぁ。

SPレコードというのもあって、これはいわゆるシングル盤。A面とB面の(裏表、と書いておかないとわからないかも)2曲が入っているレコードのこと。LP(long play)レコードはシングル盤に合わせて「アルバム」と言われていました。

その映画音楽のアルバムには大ヒットした曲ばかりが収められているのですが、中に私の知らない曲がありました。

「みじかくも美しく燃え」

何このセンチメンタルなタイトルは?

聞くと美しい曲ですし、アルバムの説明文には(昔のアルバムには必ず曲の説明を書いた冊子が入っていた)19世紀のスウェーデンで実際に起った事件を映画化。既婚者の伯爵で軍人の男性ととサーカスの美しい綱渡りスター芸人。恋に落ちた2人は、駆け落ちをします。逃亡生活の末、所持金が尽きてしまった彼らは、ある決断をします。

というお話でした。

何より初めて聞いたその曲はこのストーリーにふさわしく、流れるように美しい。原曲はモーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番 第2楽章」。

どなたも1度は聞いたことのある定番のイージーリスニングで、日曜の朝などに聞きたくなるようなしっとりとした心地よさがあります。

この曲とストーリーに興味があり、昔レンタルDVD店などを探してみたのですが、見つけることができないまま21世紀になってしまいました。もう探すこともないままにしていたら、先日無料で入ったアマゾンプライムのビデオでひょっこりと姿を現しました。

「お!」

「『みじかくも美しく燃え』じゃん!」(このタイトル言いにくいですねぇ(^^;

長いこと探していて、とっくに諦めていた映画を偶然に見ることができるという、現代ならではのめぐりあわせ的な出来事。

さっそく見てみると、なんだか不思議な気がしてきました。

「この画像、どこかで見たことがある」

再任用のおっさんと免許更新

日免許更新に行ったのですが、毎度思うのはどうしてあの自動車免許の写真は前科3犯のように写るのだろうかということです。写真付きの証明書を求められるといつも自動車免許証を出しますが、その度に前科3犯の写真を出さなければなりません。

誰に聞いても免許証の写真が嫌と言います。免許証の写真は持参してもよいのですが、とっておきの盛りに盛った写真では自分でも気恥ずかしい気がするので(実は前回やった)、今回は美容院に行った後に行きました。

#ここまで気合を入れるかと自分でも思う

#だって前科3犯写真、嫌なんだもん

日差しが強い夏には外に出る時は襟付きのポロが一番首を隠すのでご愛用なのですが、免許証の写真がポロではちょっとと思ったので、万難を排してハイネックのノースリーブを着て、カメラの前に立ちました。

すると、カメラの隣にいた老年の男性担当者が「日焼け止め取って」

は?

確かに日焼け止めは塗ってきたけれど、洗顔フォームなんて持ってきてないし、そもそもなぜ証明書の写真を写すときに顔を洗わなければならないのだろうか。日焼け止めをつけていると写真機になにか写ったりするんだろうか。うろたえていたら、

「あ、日焼け止めとったのか」

担当の方が言っている日焼け止めとは、アームカバーのことでありました(笑)

カメラの前に立ったときにはもうはずしていたのですが、並んでいた時につけていたので「こやつに言ってやらねば」と待ち構えていたらしい。

見渡せば、この免許更新の場所にいる担当者は老年の男性ばかり。警察の再任用者かしらん。どうも再任用の老年男性は、すきあらば注意をしたくてたまらない風体なので苦手なのです。

ファックスないけど大丈夫!ーネットでファックス送れます

果物が美味しいこの季節。とある農園にブドウ狩りに行ったらそれはそれは美味しい<シャインマスカット>に巡り合いました。喉元までシャインマスカットを入れて大満足していた余韻を楽しんでいたら、「そうだ、これをU子ちゃんへ送ろう」と、今日思いつきました。

早速ネットをググって農園の電話番号に電話をすると、郵送はもちろんするのだけど、受付はファックスのみとのこと。

独り暮らしの我が家に固定電話は必要ないので、ファックスもポイしている。

「コンビニとかから送れませんか?」と仰られても、一旦家で腰を下ろすと上がるまでに相当の意思が必要になる。

そういえばと思い出したのは、かなり昔になりますが、確かネットからファックスが送れたはず。大昔でもできたんだから、今でもできるはずと、ググってみました。

とりあえずこの中の

https://03plus.net/03fax/

「03FAX」というのをやってみたら、身分証明書を送れとか、本人確認とかシチめんどくさいので、

https://www.fax.plus/ja/pricing

というのを使ってみました。メールアドレスの認証をSMSで受ければもう使えます。

あっという間に送信できました。便利だなー。1日10枚送れるそうです。受信は有料契約になります。コンビニに行かなくても家からファックスが送れますので、どうぞお試しください。

シャインマスカットはやっぱり高級果物

ニュースではシャインマスカットが大量に作られたこと、暑い日が長い間続いて一気に実ったことなどをあげて、「シャインマスカットが大幅値崩れ」と報じています。

テレビに映るどこぞの八百屋さんでは398円の値札がついていますが、私が行くスーパーではそんなことはなく、業務スーパーだって980円(税込み1,058円)から下がる気配はありません。

モーニングショーコメンテーターでAERAの編集長だった浜田敬子さんが「シャインマスカットを買うときは勇気がいるんですが」とコメントしていたのを聞いて、ああ、このような高給取りの人だってやっぱり1,000円以上の果物を買うのは躊躇するんだと親近感がわきました。

たまには果物が食べたいなと思っても、桃もブドウもスイカもメロンも500円以下はなく、あの、昔は一山200円だったデラウェアですら700円もする。

果物は嗜好品のようなものですから、無ければないで済むもの。それに千円札を飛ばすのは本当に勇気がいります。家族がいれば「今日はちょっと奮発して」と買うかもしれませんが、独り住まいでは自分一人のためにはなかなか手は出ません。

私が最初にシャインマスカットを食べたのはたぶん7~8年くらい前だったと思います。職場の同僚から「長野の田舎から送ってきたのでおすそ分け」と、一房いただきました。「このブドウは皮も食べられるんだよ」と言われ、「ふうん、外国のブドウみたいだな」と思いました。

外国映画では俳優が果物を盛り合わせた籠からひょいとブドウを一粒とって、そのまま食べているシーンを何度も見たことがあります。あれが不思議でした。

外国のブドウは皮や種はどうなっているのだろうか。もしくは外人は一度口の中に入れたものを出すのはマナー違反としているので、皮も種も出す習慣がないのだろうかとなんとなく真偽がわからないままになっています。

そして友人からいただいた薄緑色のブドウは冷蔵庫で冷やし、一粒とって食べたら

うんめ~~~~♪

こんなに美味しいブドウは初めて食べたと、一粒が大きいこともあり、「1回3粒まで」と決め、大事に大事に食べました。

同僚は言いませんでしたが、たぶんあれは私が初めて食べたシャインマスカットだったのだと思います。

先週お彼岸で母のところに持っていく供物の中にオーケー(関東圏では有名な激安スーパー)でシャインマスカットを1300円(税込み)で買い、母のところに持っていき、母と一緒に食べたのが今年の初(たぶん終わり、というかいまだかつてシャインマスカットを買ったことがなかった)シャインマスカットになることでしょう。

糖度が高いので、喉に甘みが刺さって、老人ふたりがゲホゲホ言いながらシャインマスカットを食べました。

シャインマスカットやピオーネ、巨砲といった大粒のブドウは4~5粒で桃を1個食べた感があります。食べ応えがあるので千円札を飛ばした罪悪感は十分に払拭されます。

人間だんだん贅沢になっていくものだなぁ、これはよろしくないという気持ちと、後何年生きられるわけでなし、今まで散々苦労をしてきたのだから、これくらいの贅沢は大目に見ようというせめぎあいの中で、いつもスーパーのブドウコーナーの前で悶々と悩んでいる今日この頃です。

お彼岸には萬壽釈迦

お彼岸になってやっと涼しくなりました。暑さを理由に母の施設に行くのをさぼっていましたが、ほぼ2か月ぶりで会いに行きました。お彼岸だし、お赤飯やおはぎや父への供物の果物など、いろいろと買い込んでいきました。

母は夏風邪をひいたままのせいか、夏の暑さのせいなのか、何しろ90歳を過ぎているのでそうぴんしゃんは無理とは思いますが、「体調悪いわ~」とのこと。

それでもタブレットで父と母の実家のお墓をgoogle mapで出し、そこでお墓参り。

#なんて現代的なんだ(笑)
#これで充分。気持ちよ、気持ち

彼岸花は萬壽釈迦とも呼ばれ、その一風変わった花びらのせいでほかの愛らしい花と違う奇妙なフォルムが何かあの世を思わせます。

#あの世に行くときは、この萬壽釈迦の花道を通っていくんだろうか。あの世への道端に咲くにふさわしい姿形です。

私たちの世代は萬壽釈迦といえば百恵ちゃんの歌。

すべてのことはメッセージ ー ユーミンの原風景

友人から勧められて「小説ユーミン すべてのことはメッセージ」を読みました。

ユーミンの自叙伝的なものはいくつも読んだし、友人の語る「ユーミンって不良だったのよ」というのもとうに知っていましたから特に期待もせずに読んだのですが、意外や今まで読んできたものの中になかったものが沢山ありました。

八王子の大きな呉服店のお嬢様である由実ちゃんは、仕事で忙しい実母ではなく、姉やさん的なお手伝いさんの秀ちゃんに育てられます。冒頭はその秀ちゃんの実家での由実ちゃんの様子が語られます。

秀ちゃんが山形の実家に帰る時には「由実ちゃんも行く~~~」と言って泣くし、秀ちゃんも娘のようにかわいがっていたので、一緒に連れてきたそうです。

山形の左沢(あたらざわ)での由実ちゃんの夏休みは、たぶんたくさんの日本人が持っている原風景と同じものです。

田んぼのあぜ道を歩くと聞こえる葉のざわめきや蛙の鳴き声、小川のせせらぎ、流れに逆らって泳ぐ小魚の震える背びれと川底の不揃いな丸い小石の色合いなどは、誰もが小さな頃に体験したものです。

ユーミンと言えば大都会やリゾートといった風景が似合う人ですが、彼女の書く曲の中に、時々日本の原風景が映し出されることがあります。

ユーミンの「晩夏(ひとりの季節)」を聞く時、私が小さな頃、母の実家でいとこたちと遊びまわった風景がいつも脳裏に浮かびます。

以前この曲は秋田県横手市に行った時に書いたものだと聞いたことがありますが、横手の風景と、秀ちゃんの実家との風景が重なって、この曲が生まれたのかなと思ったりします。

小さな頃体験した原風景は、生涯生きていく中でいつもどこか心の中にあるような気がします。

この小説は秀ちゃんの実家に行った時から始まり、長い時を経て、生まれて初めてのレコード録音が終わって帰ってきたユーミンを、秀ちゃんが「由実ちゃん、何が食べたい?」と聞くところで終わります。

洗練された曲とかっこいい遊び方で常に音楽界をリードしてきたユーミンは今年50周年。その原点は秀ちゃんと歩いた浅川(八王子を流れる川)や、秀ちゃんの実家のある左沢だったのだと、この本を読んで知りました。

また、この小説の中には、ユーミンの曲を連想させるワードがTDLのミッキーのように散りばめられています。

米軍基地のそばに住んでいたマギーの家に行く時に通る「ランドリーゲイト」は「紅雀」の中にある「Laundry -Gateの思い出」だし、有名な「山手のドルフィン」も登場する。

ある女性がビルから飛び降りたという逸話は「Olive」の中の「ツバメのように」「12階のこいびと」だし、オリンピックで変わっていく東京は「未来は霧のように」だしという具合に、作者はそこかしこにユーミンの曲を隠しています。

ユーミンがプロコルハルムが大好きで、熱望し続けてジョイントコンサートを行ったのは知っていましたが、なぜにそこまでにプロコルハルムを?と不思議に思っていました。このプロコルハルムの「青い影」が作曲への道を開いた稲妻だったとは知りませんでした。

懐かしいGSや70年代の洋楽もたくさん登場し、私も「あのころにもどり」ました。読了後は同じく洋楽好きの友人にこの本を勧めました(というか、あの頃はみんなJ-Popを聞くように洋楽を聞いたものなのだよ)

「晩夏」の割には暑すぎる9月ですが、同じ年代を生きてきた方に懐かしく読んでいただける本です。

そういえば「晩夏(ひとりの季節)」はNHKが放送していた「銀河テレビ小説」の主題歌でした。嫁が来ない農家のコメディドラマ。私が家に帰るとこの「晩夏(ひとりの季節)」が流れていて、ドラマを見ていたのを思い出します。

それもまた昔懐かしい、ある年の夏の風景だったりします。

恋人同士と夫婦の違い

恋人同士が離れると、離れた方は新しい環境になじんで恋人のことを忘れていき、ふたりの関係は破綻する。

夫婦は離れていると関係が保たれて、ふたりの繋がりは継続する。

恋人は離れてはいけない。夫婦は近づいてはいけない。