【再掲】2003.11.24【カルフォルニアとツンドラ】

これはこの「風に吹かれて」第2回に書いたものです。この当時は「モラハラ加害者=自己愛性パーソナリティ障害」と思っていたんですね。

今はいろいろなバリエーションがあることも、サポートもワンパターンではないこともわかっていますが、何しろ駆け出しの頃に書いたものですので、ご容赦ください。

16年前と違って、今はモラハラの認知度は比べ物にならないほどあがりました。それでも、なぜ被害者が辛いのか、なぜ夫を変えようとしないのか、そんなにつらいのならなぜ離れようとしないのかを理解してくれない人は大勢います。

「世間では」とは「普通は」という人は想像力がないし、一般的な考えが正しいと思い込んでいる人たちは、その殻を破ることができません。むしろ、破ることは悪いことだと思っています。

これは、16年前、モラハラがまったく知られていなかった頃に書いたものですが、深層では、今もそれほど変わっていないのかもしれません。

【カルフォルニアとツンドラ】

このサイトを見て、モラル・ハラスメントのことを初めて知ったと言う方が大勢いらっしゃいます。同じ被害者の 方なら共感していただけるのですが、そうでない方はわかっていただけないようです。

「どこの家も同じ」「話し合いなさい」「あなたも悪いところがあるんじゃない?」 モラ夫の全てがそうではありませんが、「自己愛性人格障害者」であることが少なくありません。この障害者(自己愛性変質者とも言う)のことを 知らない人に話しても、なかなかわかっていただけません。

心理学の世界では「精神の吸血鬼」とも 呼ばれています。まさか自分の夫が人格障害だなんて、誰が信じられるでしょうか。でも本当なのです。

人格障害と精神障害は違います。 鬱病やノイローゼといったものは治療で治りますが、専門家でも人格障害を治すことは相当難しいといいます。

モラハラされている人とそうでない人の会話は、ツンドラ地帯に住んでいる人とカルフォルニアの温暖な地域に住んでいる 人が電話でやりとりしているようなものです。


ツ「食べるものがないのよ」
カ「だったら種を蒔かなきゃだめよ。人間働かないで 食べ物を手にするなんてできないのよ」


ツンドラは「そうか」と思いました。種を蒔けばいいんだわ。
ツンドラは一生懸命凍った大地を掘り起こし、種を蒔きました。 でも一向に芽は生えません。


ツ「種を蒔いたけど芽が出ないのよ」
カ「種だけ蒔いてもだめよ。水をあげなきゃ」
ツンドラは 一生懸命水をかけました。水はたちまち氷になってわずかしかない地面を覆いました。


ツ「水をまいたら凍ってしまったわ」
カ「そんな馬鹿なことがあるわけないじゃないの、嘘ばっかり!」

ツンドラもカルフォルニアも嘘は言っていません。 でもお互いの住んでいるところが違うので状況がわからないのです。

カルフォルニアにツンドラの状態をわかってもらうには、ツンドラ地帯に連れてくるのが 一番なのですが、それができなければ写真をみせて「これがツンドラの住んでいる場所よ」と教えてあげれば、心ある人ならばわかって もらえると思います。

心のない人、自分の世界しか信じられない人は。。。相手にしないことです。

私が仕事を辞めなかったわけ

私が結婚をした頃は、住んでいた場所が田舎だったせいもあり、結婚=退職は当たり前でした。実際中学から仲良くしている仲間内でずっと仕事をしていたのは私ももうひとりだけ。彼女はずっと独身ですから、結婚しても同じ場所で働き続けたのは私だけでした。

周りも結婚したら退職して子どもを産んで育てて、子どもが小学生になったら月収7万円程度のパートをするというのが普通でした。私の職場も例外ではなく、寿退社の人たちもいることはいましたが、ちょうど私が結婚をする頃は少し状況が変わってきていました。

職場環境が結婚しても続けられるようなものだったせいもあり、辞める人が激減した時代でした。更に子どもを産んで辞めない永久共働きも普通になりました。田舎で三世代同居が多かったこともあり、「母さんは稼いでこい。私が子どもの面倒を見る」という姑たちの意識変化もあったと思います。

ただ、私が仕事を辞めなかったのはそれだけではありません。

よく私がモラハラ離婚した時に「熊谷さんは仕事を持っていてよかったね」と言われますが、夫は快く働かせてくれたわけではありません。そりゃぁものすごい嫌がらせは山程されました。

元夫は嫌がらせをして、私を退職に追い込み、収入源を絶ち、家庭内に閉じ込めようと企んだのです。その最たるものは、結婚1ヶ月目から渡される生活費ゼロ。なんで収入のあるお前に金を渡さなきゃいけないんだと言われました。その謀略も乗り越えて働き続けたのは、子ども時代、父からずっと「誰のおかげでメシが食えると思っているんだ」と言われ続けていたからです。

父はもう亡くなりましたし、離婚の時は大活躍してくれましたので、もう水に流していますが、あの「誰のおかげでメシを~」は、言い返せない分、キツイ言葉でした。「誰のおかげで~」と言われることの惨めさをとことん思い知った子ども時代でした。「もう二度と『誰のおかげでメシが食えると思っているんだ』と言われたくない。だから元夫からどんな嫌がらせをされても働き続けたのです。

主のいないFacebook その3

詳しい事情は控えますが、カスミちゃん家族は夫から避難してある場所に住んでいました。その場所は生活に余裕のない方たちが住む場所でしたので、カスミちゃんもそうなのだろうとは思っていました。ただ、私の住んでいた地域ではそれだからと言ってその場所に住んでいる子どもたちをいじめるとか、陰口を叩くとか、そのようなことは一切ありませんでした。思えば「子どもをみんなで守ろう」という意識の高い地域だったのだろうと思います。いい場所で子育てできたことは、私にとってとてもラッキーなことでした。

今、南青山に児童相談所を作ることに反対している人たちが反対活動を行っているようですが、私のモラハラ活動で関わった方の中には超がつく高級住宅地に住んでいた方もいます。金持ちだったら児童虐待をしないかといったらとんでもない!救急に携わる方に「家の中で暴れているという通報で出動すると、大きな家であることが多い」という話を聞いたことがあります。

DVと貧富は関係ありません。どうも貧乏な家庭で、父親が酒を飲んで暴れて、母親に殴る蹴るして、子どもたちはいつも汚い格好をしているというのがDV家庭だと思われている方がいるようですが、本当にマジ関係ない。父親の職業を陳列できないのが残念なのですが、DVに貧富はまったく関係ありません。

そしてカスミちゃんも、そのような逆境に負けず、明るくて、正義感がたっぷりの子でした。個人特定されたくないので、エピソードが書けないのが残念なのですが、きっと大きくなったら子どもの頃と同じように、いつも輪の中心にいるようなステキな人になったのではないかと思います。

そんなカスミちゃんが居なくなったのは突然でした。


魔の10日間の必需品

ページトップの写真が、桜から藤の花になりました。以前外国人の方に「桜が終わったら、次はウイステリアね」と言われて、なんのこっちゃと思って調べてみたら、藤の花でした。

その方が見せてくれたのは、あしかがフラワーパークの藤棚の写真でした。私が知っている藤棚とは全然違う、ほとんど芸術品のような写真がたくさん並んでいました。あしかがフラワーパークは、日本人の方でも知っている方はそう多くないのではないでしょうか。今は外国人の方がInstagramなどを見て行かれるようです。私もいつかはこのあしかがフラワーパークでウィステリアを見たいと思っています。

さて、あと数日でゴールデンウィーク中に突入いたします。毎年ゴールデンウィークが終わるまで、夫の機嫌をがどうなるか、祈るような気持ちで過ごしている方が多いと思いますが、何せ今度は10日間。かなり心を引き締めて臨む必要がありそうです。

そこでオススメなのがこの本です。

「心の傷を癒やすカウンセリング366日」

1年366日。毎日ひとつずつ短い内容のアドバイスが書いてあります。提言だったり、慰めだったり、共感だったり、その日によって違います。これを毎日1つずつ読むだけで「ああ、そうだよね」と心の成長ができそうなことがたくさん書いてあります。366日が終わったら、また1から読み直してしまいそうです。ぜひ1冊手元に置いて、心のよりどころを作ってください。

そしてこの本なら、もし万が一モラ夫に見つかっても大丈夫だと思いますよ。

【再掲】被害者は共依存か

被害者の中には「自分は共依存なのではないか」と悩んでいる方が時々います。共依存とは頼られた相手にとことんつくすことで自分の存在価値を確かめるという ものです。お互いに依存している。だから”共依存”です。

よく例として取り上げられるのは、アル中夫の飲酒を何とか止めさせたいと、かいがいしく世話をする妻という構図です。 自分は共依存ではないかと思う方はおそらく、自分は相手が望むものを常に先読みして行い、相手に心地よい環境を提供しているからと思っているせいではないでしょうか。 ではなぜ先読みをするのでしょう。それをしないと相手が怒るからですよね。


怒鳴るか、黙るか(無視するか)、物を投げるか、ドアを大きな音をたてて閉めるか、子どもたちに八つ当たりするか、嫌みを言うか、 生活費を入れないかなどなど、そのツールは山ほどあります。先読みして、「はい、新聞」、「はい、リモコン」「はい、お箸」と手渡すあなたは 幸せでしょうか。

共依存ならばそうすることで、自分はこの人に無くてはならない人なんだと感じることができるのだから、それは喜びのはずです。 でも、多くの被害者は「はい、リモコン」と夫にリモコンを渡すときの顔は引きつっているか、びくびくしているか、ともかく幸せとはほど遠い顔つきをしています。

被害者はリモコンを渡すとき「今の状況と夫の視線から想像するに、今彼が欲しているのはリモコンであると推察されるが、果たしてこれは正解だろうか」と祈るような気持ちで 手渡しています。オーバーなと思われるかもしれませんが、それは被害者になってみなければわからない感情でしょう。そこまで追い詰められるのです。

もし 間違っていたらあの恐ろしいモラハラが始まるきっかけを作るわけですから、それは必死になります。あなたのために尽くしている私を感じるのが幸せなんて、いったいどこの話かですよ。

被害者の多くは夫が仕事に出て行くとき、「今日、事故で死んでくれないか」と思いながら送り出します。これはモラハラ被害者として、とても一般的な感情です。 もし共依存なら、世話をする相手がいなくなってしまったら自分の生きる価値が無くなってしまうわけですから、そのように考えることはありません。


だからモラハラ被害者は共依存ではないのです。

いなばのしろうさぎさん

お引越しの時にいろいろなファイルを開けていたら、リンクのページに「いなばのしろうさぎ」さんがあることに気がつきました。いなばさんのホームページはジオシティーズにあります。今この時点でお引越しされていないということは、もうホームページを続けないおつもりなのかもしれません。

惜しいなぁ、いなばさんのサイト。出版もされていて、被害者支援もされていたのに。

私がモラハラ被害者同盟を作った初期の頃に、いなばさんのホームページを見つけました。かわいらしいうさぎのアイコンをクリックすると、そこにあったのは、ワニに食われるよりも恐ろしい現実でした。「モノローグ」をクリックすると、いなばさんのメッセージになります。いなばさんは身体的暴力の被害者でしたから、夫からの暴力について書かれていますが、それ以上に恐ろしいのは、いなばさんを守ろうとしていた子どもたちが、父親と同様にいなばさんに暴力をふるうようになるくだりです

転載禁止なのでここにコピーできないのが残念なのですが、子どもたちは小さな手を広げて暴力をふるおうとする父親の前にたちはだかり、いなばさんを守ろうとします。そんな子どもたちの姿の記憶を、いなばさんは宝物として大切にとってあります。後に成長した兄弟がふたりして、母の体のどこを狙って殴ろうかと話し合うことになるのに。殴るのに缶詰を使うのは痛すぎるから止めてほしいと書いているのに。

号泣

その映像を私も想像できるだけに、ただ、号泣。

いなばさんは、いつか夫は変わってくれると思っていたけれど、夫の変化を待つうちに子どもたちが父親のようになってしまったと書いています。私も子どもたちが父とそっくりになり、母が家の中で孤立してしまった例をたくさん見てきました。年老いた母をこき使う子どもたち、罵声を浴びせる子どもたちの例を、たくさんたくさん見てきました。

あと4日でいなばさんのホームページはすべて無くなりますので、私は保存しておこうと思っています。必要と思われる方はご一緒にどうぞ。

主のいないfacebook その2

ひとりは闘病後、遺児を残して亡くなりました。あとの二人は自死でした。これは私だけなのか、みなさんもそうなのかはわかりませんが、私の周りには自死した方が結構多く居て、数を挙げれば両手でも足りないくらいです。大体親戚筋もいるし、直接の友人もいるしで、自死は私にとってそれほど遠くない出来事なのです。

みんなそれぞれに事情を抱えていて、その事情を聞けば「そこまで落ち詰められていたんだ」とか「え!そんなことになってたの?」とか思いはいろいろありますが、何にせよ、まだ20代の自死というのは痛ましいものがあります。

突然ある日、ママ友の子が亡くなったということを子どもから聞きました。「え!」と驚いて別のママ友Aに連絡を取ると詳しい事情を教えてくれました。自死している子どもを発見したのはママ友本人でした。その時の光景を想像すると、これはママ友の心が壊れてしまうと思いましたので、あらゆるつてをたどってグリーフケアをしてくれる団体を探し、ママ友Aに伝えました。その時私は団体の責任者の方と電話で話をしましたが、子どもを自死で亡くした方のケアは非常に難しく、長い月日が必要となること、現在も同団体で子どもを自死で亡くされた方のグリーフケアを続けている方がいるとのことでした。

主がいなくなって更新されることがなくなったその子のfacebookを読むと、亡くなる前に何度も「故郷(地元名)に帰りたい、帰りたい」と書いてありました。私の子も「帰りたい」と言いますので、彼らにとって故郷は本当に蜜のような甘くて心地よい場所なのだと思います。

でも私の子どもが「帰りたい、でも帰れない」というように、故郷にはもう、若い世代を受け入れる体力がありません。働く場所もない、子どもが産まれても、その子を消滅可能都市で育てるのが果たして正しいのだろうか、今のうちに大都会へ移った方がよいのではと、子どもは相談を受けるそうです。

エリートになりたいとか、ガンガンお金を稼ぎたいとか、彼らはそんなことは望んでいません。工場のラインに並んだり、スーパーの品出しをしたり、保育士さんになったり、そして家庭を築き自分が学んだ小学校へ子どもを入れる、たったそれだけのことが今は難しくなっています。

もうひとりの子、カスミちゃんについては、細かく書けば短編小説ができるほどの思い出があります。その当時はわからなかったけど、カスミちゃんのお母さんは多分DV被害者だったのだろうと思います。

主がいないfacebook

よく何か事件があると、メディアの方たちは真っ先に名前をググってfacebookやtwitterの記事を探すようです。SNSに住所や電話番号を入れている人もいて(海外の人に多い) 私は「よく怖くないな」と思います。ネット黎明期、メルマガに投稿をした人のドメインが出ていて、それが勤め先からの投稿だったりして、その勤務先に「お宅の社員はこのような発言をしている」と電話が入る、ということもありました。何しろセキュリティなんかない時代、私もお昼休みに同僚とネットゲームをしていたこともあります(ああ、古き良き時代かな)

2年前、友人が「てるみくらぶ」の被害に遭い、あまりネットに詳しくない彼女に代わって、私が情報を集めたことがありました。すると、同じように被害に遭った人たちが書いたtwitterだったかfacebookに「○○テレビです。ぜひお話を聞かせてください!」「朝のワイドショーです。ぜひお話を」というのがずらずらあって、「なるほど、メディアの人たちはこうやって取材する対象を探しているのか、と思いました。

私はほとんどfacebookやtwitterを使わないのですが、3人、もう書き手がいなくなったfacebookのアドレスを持っています。3人とも20代で亡くなりました。もう書き手がいなくなったのに、ネットには生きていた頃のままの記事が載っています。3人とも、私の子どもの友人でした。