結局平均値に落ち着く

たまたまある友人から「Aさんちが大変なことになっている」と聞いたのはつい最近のことでした。Aさんは事業や投資で成功し、50歳を前にして仕事を引退。今は趣味の世界で悠々自適の毎日でした。

子どもは有名私立大学の医学部を卒業して医師になり、幸福を絵に描いたような一家でした。そのAさんの家が「大変なことになっている」とは。

医師になった息子の配偶者が「かなり変な人で、実家との交流を切らせてしまった」とのこと。実家だけでなく友人関係など仕事以外の繋がりを絶たせてしまったそうなのです。

「生まれた子の性別も名前も教えてもらえない。今どこに住んでいるかもわからない」と本人の口からききました。私が彼と知り合ってから10年以上。順風満帆だったAさんに降ってわいた突然の不幸話。

うんうんと話を聞きましたが、もうこの状態は2年以上続いていて腹も座ったせいか、「本人が気づくしかない。遺産は息子にはやらない。法的処置をとる」とのこと。つまり、カンカンに怒っているということです。

人の一生は様々で、いろいろな幸不幸はあるけれど、結局一生を平均してみたらみんな同じなのかもしれない。誰かがダントツに幸福で、ダントツに不幸ということはないのかもしれない。

たまたま今は不幸でも、昔や未来は幸福なのかもしれない。私は子どもの頃も大人になってからも割と不運や不幸が多かったけれど、今はそれを取り返すように幸運がやってきます。

人はどこかに不運の重荷を持っているのかもしれませんが、みんなそれは隠して生きています。相談員だった頃、相談をされる方が決まって言うのは

「みんな幸せそうですね。こんな不幸なのは私だけでしょうね」でした。

みんな判で押したように同じことを言っていました。人は幸福そうに見えても、意外と爆弾を抱えていたりします。そして一生のうちに幸せと不幸せが平均して終わるのでしょう。みんなと同じように。

できればアベレージを上げたいので、徳貯金を積むことにします。小さな徳貯金の積み重ねが平均値をあげると信じてます。