天寿をまっとうする

私と同年代の友人知人から親の訃報を聞かされる機会が多くなりました。大抵の親は80歳を超えています。中には90歳代もいます。

私の父は86歳で亡くなりました。父が亡くなったと言うと、みんな声を落として「お気の毒に」と言ってくれますが、だいたいこの年代で亡くなると、葬式はそう悲しいものではありません。実際父が亡くなって泣いたのは孫だけでした。

ずっと施設で寝たきりだったので母はほっとし、母からの愚痴を聞かされ続けていた私と弟もほっとしと、一番身近な家族ですらこの状態ですから、親戚も友人も誰も悲しむ人はいませんでした。

友人と言えば3人ほど同年代と思われる方が葬式に来られましたが、後は近所の方と親族だけでした。年齢が高くなると同年代の人はすでに亡くなっているか、葬式にも来られないほど弱っているかのいずれかです。

80歳よりも前に亡くなると、「もう少し生きていてほしかった」の声も聞かれますが、80歳を超えると「天寿をまっとうした」となり、寿命だからねと納得するものなのかもしれません。

昨日も今日も友人宅の訃報の話になり、彼女たちは「最初は悲しかったけど、いろんな人が来て、ごちそうもたくさんあって、最後はまるでお祭りのようだった」と笑顔での報告になりました。

願わくば「やっと死んだか」と言われないよう、83歳程度で天寿をまっとうしたいと思っているモラハラ被害者同盟管理人です。

養育費と婚姻費用

相談員をしていた時によく聞かれたのが「養育費はいくらもらえるでしょうか」でした。これは夫の収入と妻の収入によって導かれる「算定表」が裁判所では用いられます。

ただ、日本の約9割の離婚は協議離婚ですので、話し合いによって離婚した夫婦がどうやって養育費を決めているのかはわかりません。実際に養育費をもらい続けられている人は2割程度と、ずっと前からこの数字は変わっていません。

昔から変わったことと言えば、養育費をもらい続けられるようにと、離婚調停を申し立てるからが多くなったことでしょうか。でも、養育費と同じくらい大切なのは婚姻費用です。

婚姻費用は裁判所に申し立てた月から発生しますので、もし申し立てたのが5月で、調停が始まったのが7月だったとしても5月からの分がもらえます。もし婚姻費用が10 万円ならば5,6,7月の3か月×10万円=30万円になります。

モラ夫は「婚姻費用が高すぎる!」などと言ってなかなか払おうとしない場合がありますが、心配はいりません。ごねた期間の分が積み重なって「未払い婚費」として支払うよう裁判所から言われます。1年間も婚費で争っている場合は12か月×10万円=120万円を支払うように言われます。

もし「お金がない」と言って支払わない場合は分割で支払うように言われます。たとえば未払い分を月々2万円ずつ払うとすると、毎月の婚費10万円+未払い分2万円=12万円が、離婚が決まり、清算が終わるまで続きます。離婚が決まった場合は養育費+2万円が未払いが終わるまで続きます。

つまり妻から離婚を言われた時はゴネゴネしていないでさっさと離婚して、支払うものは溜めずにとっとと支払ってしまった方がいいのです。

憂鬱なアルバム整理

時間があるときにやろうと思っていたアルバムの整理をしました。子どもがふたりで映っているものは、とりあえずメインで映っている方に渡すことにして(丁寧な親はデジタル化してUSBやCDにして渡すんだろうな。時間があるときにそれ、しますから)整理をしていたのですが、なんとも妙な気分になってきました。

本来ならば「ああ、こんな時もあったなぁ」といろいろ楽しいエピソードを思い出しながらの作業なのでしょうが、これが嫌なことしか思い出さない。本当に見事なほど嫌なことしか思い出さない。

これはたぶん写真を撮るということは大体イベントの場合が多く、モラ夫が怒りそうなアクシデントが起きやすい。それは地雷がそこいらじゅうに埋まっているようなもの。この時はこうだった、この時はこうだったと嫌なことばかりが思い出されました。

そしてこの小さかった子どもたちにこんな危険な地雷原で育ててしまったことに対して、詫びようのない申し訳なさが湧いてきます。子どもは詫びられても困るでしょうから詫びませんが(子どもに謝りたいというのは親の自己満足。詫びられても子どもは困ります)、本来ならば楽しい家庭のはずが、ビクビクと両親の顔色を窺う日々でしかなかったことは、子どもたちから貴重な時間を奪ってしまったことに他なりません。

せめてこれから子どもたちが作る家庭がよりよいものになるよう、私が何かとお手伝いするのがお詫び行脚になるかなと思っています。

愛情とお金

モラ夫の場合、自分の好きなことにはお金を惜しまないけれど、妻子のためのお金は極力使いたくないというのがほとんどです。ですので、妻が化粧品や着るものなどにお金を使うなどはもっての他。服は何か言われないように、決まった服しか着ないという方がいました。

でも、自分が納得するものには大盤振る舞いします。我が家は親戚大好きの人だったので、親戚が来た時は「なんでも注文していいから」と札びらを切ったものです。

それはプーチンスカヤ(母)も同じ。とにかくお金を出したくない。ただ、彼女の場合は年齢(91歳)のせいか、お金がたっぷりないと安心できない症候群になっていて、「お土産」と言って渡されるお菓子は全部100均。

持ってくるだけいいじゃないと言われそうですが、彼女はこれで返礼を求めるので、いわばエビで鯛を釣ろうとしているだけです。だからウクライナの平和を祈りはするけれど、寄付なんかは絶対にしない。「こっちだって大変なんだから」と言っているのが見えるようです。

「モラ夫って本当にケチだよね」と友だちと話をしていたら、彼女がひとこと

”他人の為にお金を使えない人は、他人のために愛情も使えない人なんだよね~”

愛情があるならお金は使えるはずだと。使えない(使わない)のは愛情がない証拠だと。

モラ夫は親戚には愛情があったけど、妻子にはなかったってことですね。

夫がケチモラな方はこれを読んで「悲しい」なとどは思わずに、「そーだったんだ!」と目を覚ましましょう。

2022年避難応援プロジェクト日程発表

今年度の避難応援プロジェクトの日程が決まりました。

7月2日(土)、10月29日(土)時間はいずれも午後2時~4時、場所は東京都内。3回開催にしたかったのですが、2021年度はコロナウィルスのため日程を変更しなければならなくなってしまい、会場手配や参加できなくなってしまう方がいらっしゃったりと、いろいろとバタバタしてしまいましたので、今年はとりあえず2回を予定しました。

内容の詳細につきましてはこちらから

毎回モラハラ家から脱出し離婚も終わっているメンターから体験談を伺う時間を設けていますが、何しろ本当にあったことを本人がお話されるので、大変臨場感あふれるエピソードが伺えます。参加されている方が涙されたり、アドバイザーからも「感動した」の声がしきりです。

一口に避難と言っても様々な形態があります。毎回違う方からのお話なのですが、シェルターを利用された方はあまりおらず、独自で家を探して避難してという方がほとんどです。

その家探しも「ラーメン屋さんが『ここで働いてくれたら部屋を貸してあげる』と言ってくれた」など、なんだか小説になりそうな話題もたくさんありました。その方たちも全員今は穏やかに暮らしています。

前を行く人を参考にして、追いかけてくださればいいなと思っています。そしていつの日か、このメンターの側になって、このプロジェクトに参加していただければいいなと思います。

女は縁の下の力持ち

山口県阿武町で給付金4,630万円が誤送金された件。これは役場の新人職員(役所に入ってまだ8日目!)がミスってしまったということなのですが、私はこの新人を責めるのは違うのではないかと思います。お金を使ってしまった人が一番悪いのは当然ですが、次に責められるとしたら、このセクションの責任者です。役所なら課長クラス。

大体仕事は決裁がなければできないもの。ミスはそこで発見しなければならないもの。この部署は3月末までベテランの女性職員がいたそうです。たぶん仕事の全部を彼女が掌握していて、まかせっきりだったのでしょう。

上司もよい言葉で言えば「信頼していた」。悪く言えば何もせずに判子を押すだけマシーンになっていたんだろうなと思います。

職場にはよくこういう女性がいます。長くその部署にいて、責任感があって几帳面で仕事がでいるので「彼女に任せてるから心配ない」という方。ただ、いつまでもその部署に居させるわけにはいかないということで、異動させ、新人を配属したのだろうと思います。

#大きな組織ではやたら異動する人と、本来なら5年程度で異動するのに長~くその場にいる方がいます。今回の方のように仕事ができるため、その職場に無くてはならないので異動させられない場合と、行く先がない(仕事ができない、問題があるため引き取り手がない)ために長~くいる場合とに分けられます。どちらかは見ればすぐわかる。

「仕事ができるので長くその場にいる」というのは男性ではあまり見かけないですね。できる男性はポンポンと短期で異動を繰り返して昇進していきます。反対にできる女性は割と長く同じところにいますね。

もし上を目指すなら異動はした方がいいですが、本人が「異動はストレスなのでしたくない。ここがいい。上は目指さない。給料がもらえればいい」となれば長~く同じところにいることになります。

ともかく、この女性の仕事は新人でも務まると思っての異動だったのでしょう。でも実はものすごく神経を使う専門的なものだったということに役場は初めて気づいたでしょう。彼女だったからできていた。もしかしたら、彼女は2人分働いていたかもしれません。そういう人、いるいる。

女性はひまわりのように大輪で目立つわけではないけれど、しっかりと根を張って地面を支えている。そういう人は職場には欠かせないということを、世の中の人には気づいてほしいと思います。

子どもを使って見返してやる

子どもを連れて離婚した場合、注意をしなければならないのは、子どもを使って評価を上げようとすることです。夫や周囲の人に「だから離婚した女は」と言われないように、子どもにプレッシャーをかける。

子どもを連れて離婚すると、やはり世間の目は厳しくなります。何か事件があると「〇〇は母子家庭で」「親が離婚して」と、ことさらこのことを強調するような報道の仕方をします。だから「離婚すると子どもがグレる」と、なかなか離婚へ踏み出せない方がいまだに大勢います。

母子家庭の子=複雑な家庭の子=性格が歪んでいると見る人たちはいまだにいます。

#両親がいても歪んでいる子は山ほどいるけど。仮面夫婦の家庭内別居の家から「歪んでいる」なんて言われたら、目くそから笑われた鼻くその気分(-_-メ;)

人からなんと言われようと気にしない、我が家には我が家の幸せがあると心の根本から思わないと、人の言葉に引きずられ、結局は誰も幸せにならないということになります。人の家のことをあれこれ言って優越感に浸っている人は、必ずどこかに劣等感を抱いています。劣等感を持たなければ優越感もない。

たおやかに生きていくには人と比べないこと。自分が気持ちよく生きられる生き方はどこにあるか。割と近くにそれは転がっている気がします。

どうしても手のかかる子

私は長い間働いていましたが、その中で思うことがありました。

「世の中には手のかかる人が1割いる」

例えば役所を考えてみましょう。ほとんどの人はお役所とは生まれた時と死ぬときに行くものですが、これは本人は行かず(行けず)他の方が行きます。その他に必要なのは引っ越した時、住民票が必要な時、課税証明書などの証明書が必要な時、保険や年金の手続き、それくらいではないでしょうか。

小中学校へ入学するときは自動的に役所から通知が来ますので自分から行くことはありません。後は保育園の申し込み、老年期になってから施設の申し込みなどでしょうか。

正確に数えたわけではない肌感覚ですが、世の中の9割の方はまずほとんど役所に来ることなく、役所の人間が自動的に働いて世の中を回しています。ところが産まれてからずっと役所とつながり続けないと生きていけない方もいます。DV被害者や生活保護の方、障害のある方など、ずっと役所と関わり続けなければならない方は一定数います。

役所以外でも、お店で「これをください」とさっさと買って帰る人もいれば、「これはどんなものですか?」と説明を求める人、「これは思っていたものと違うから取り替えてください」と言う人、クレームをつける人などなど手のかかる人もやっぱり一定数います。もしみんなが何もなく自分の欲しいものをさっと買っていくだけだったら商品知識もいらないし、面倒なカード払いの払い戻しやり方を覚える必要も、クレーム対応研修もいりません。店員さんの数は半分で済むでしょう。こういったイレギュラーな人がいるために、店員の数を減らすわけにはいかないのです。

どの世界でも「手のかかる人」は一定数います。

前置きが長くなりましたが、子どもも同じです。手のかかる子どももいれば、放っておいても勝手に自分でやっていく子どももいます。きょうだいで下は手がかからないけど、上は手がかかる場合があります。同じきょうだいで同じ人(親)が育てたのにやっぱり違います。それは「個性」というものだと思います。

その子にはその子の個性があります。遺伝的なものもあれば、先に生まれた、後に生まれたによっても違いますし、たまたまそういう環境で育った場合もあります。つまり子どもはみんな違います。

我が家は生まれたときは上が手がかからず、下は手がかかる子でした。特に夜泣きがひどく、私も子どももよく生きていられたものだと思います。成長すると上は手がかかる子、下は手がかからない子になりました。下は勝手に自分でなんでもやっていきますから、いわゆる放任野放し状態でOK。ところが上はとても繊細な心を持っているので、注意深く見守らなければなりませんでした。

世の中には子育て本がたくさんあり、その多くに「子どもは指図はするな、見守れ」とあります。私も基本的な部分は賛成ですが、中には手間をかけることが必要な子どももいます。言わなくてもわかる子、言ってもわからない子、どうやってもわからない子は一定数います。飲み込みの悪い子は手取り足取りしなければ理解できません。

母親に十分な時間や忍耐力があればニコニコと見守って「できるまでがんばろうね」と言えますが、仕事、家事子育てと分単位で追いまくられている母親に「見守ろう」はかなりハードルが高いだろうな、見守りのできない母親は失格と言われている気がするのではないでしょうか。

子どもがひとりならまだ何とかなる。でも、二人、三人になると、今度は子どもたちの関係性が出てきます。子どもが二人になると手間が2倍になるのではありません。上と下の子の個性と関係性に目を配らなければならないので4倍になるのです。それが三人になれば9倍です。

親が亡くなった時に起こる遺産相続を巡る争いの根源は、この関係性に帰することが多いのです。何十年たっても「お兄ちゃんにしてくれたことを私にしてくれなかった」と言って骨肉の争いになるのはよくあるケースです。きょうだいは他人の始まりです。

子どもにはその子の個性に合わせた育て方が必要だと思います。ふたりの子どもを30歳過ぎまで育てた私の実感です。

担当さんへの手土産

今は「取引をする相手へ手土産を渡す」というのはどうなっているのでしょうか。もうそういう時代ではないのかもしれませんが、私が知人から聞いて実行している方法をお伝えします。ちやみに役所はいっさいの手土産はいただきません。相談者の方から「お礼に」と品物を持ってくる方もいらっしゃいましたが、全部丁重にお断りしました。「せめて庭に生ったみかんくらいは」と仰る方もいらっしゃいましたが、それもお断りでした。

さて、手土産ですが、知人から伝授されたのは「担当さんにはふたつ渡す。ひとつは会社用、もうひとつは『ご自宅へお持ちください』と言って渡す」でした。当然会社用はばらまきですので、個包装で日持ちのするもの、担当さんへはちょっと高価なものを渡します。

たいていお土産は全部社員のみなさんに分けられてしまいます。がんばってもらうのは担当さんですので、ここは担当さんとの絆を強めるため、「よろしく!!」と念を込めて渡します。

それが「贈与」になるかどうかは相手の会社の指針ですので、もし担当さんが独り占めできないと思ったら分けるでしょうし、そうでなかったらこちらの意を汲んで家に持って帰るでしょう。大抵後者です。一般の会社は役所のようにキチキチとはしていませんので、そこはフレキシブルな対応を取られます。

私の知人がお世話になったお金持ちの方に何を贈ればいいのかと悩み、手に入れるのは至難の業という羊羹を贈りました。入手先はメルカリです。

どういうルートを使うのかはわかりませんが、ともかく入手困難の羊羹がメルカリで売られていました。

ビジネスシーンで利用できるちょっとした裏技でした。

久々に夫に腹をたてる

よく講座での質問で「元夫は今、何をしていますか?」と聞かれることがありますが、答えはいつも「知りません」です。元夫とは物理的距離も心理的距離も1億キロメートルほど離れていますので、彼が何をしているかの興味もない。いつも書きますが、初恋の人の面影の方がよっぽど私の中で生きています。

離婚して夫と関わらなくなってもよくなりましたが、唯一関わらずを得ないのが子どもの結婚です。結婚式の時はどうしよーと思いましたが、幸いコロナ禍で結婚式は今はやらず、両家が東京に集まり、祝いの席を設けることになりました。

私はその前にLINEビデオでご挨拶していますので、最初のご挨拶は済んでいます。

コロナ禍になり、この方式のご挨拶が増えているそうです。私がこの方式を採用したのも、知り合いの男性が「相手の親御さんとはZOOMで挨拶しただけ」という話を聞いたからです。手を抜いているわけではなく、相手が東京に来るのも、東京からふたりが行くのも、ご両親にもご両親が住む地域の方の不安もありますから、これがいらぬ心配の元を作らない一番の方法だと私も思います。

私は聞かされていなかったのですが、私がご両親とお会いし、酒宴の席でご挨拶した翌日、夫が遠方からやってきて、同じように祝いの席が設けられたとのことでした。私に気を使ってくれたふたりと、二回に分けなければならないというややこしい家の事情を汲んでくださった相手のご両親には大変感謝しています。

パートナーのご両親は遠方から来られますから、交通費の出費が大きいし、ふたりはそれほど裕福な新婚生活を送っているわけでもありませんので、この席は私が負担することにして、子どもにお金を渡しました。

当然夫も同様にすると思っていました。元夫はケチですが、こと冠婚葬祭などの決め事にはきちんとする人なので、それなりのものを包むと思っていました。

「お父さんからいくらかもらったよね」

「まんじゅう、ひと箱」

「だけ?」

「だけ」

はぁ~?!まんじゅうひと箱でタダ飯食ってったぁ~~~?

思わず声に出ました。

「結婚式の時にやるからなって」

だ~か~ら~、結婚式はコロナでいつできるかわからないってばっ

式ができなくても結婚届を出して、ちゃんと二人で記念写真撮って、こうやって両家を呼んでの会食の場をセッティングしたんだってばっ

こういうことをするのはお金がかかるんだってばっ

なんで結婚式にこだわるんだろう。わけわからん。

よかったよ。やっぱり。わけのわからん生き物と離れられて本当によかった。

久々の意味不明なモラハラルールとの再会でした。