半沢直樹~みんな復讐が好き 2

「半沢直樹」がまた放送されていますが、視聴率は好調のようです。なぜみんな「半沢直樹」が好きなのか。それはもちろん「やられたらやりかえす。百倍返しだ!」があるからです。

このセリフと水戸黄門の印籠出しは、テレビの2大決まり画面かもしれません。

虐められ、貶められ、視聴者がイライラジリジリとしている時にパッと出てくる印籠や倍返し。でも、最初から印籠を旗に吊るして歩けば、事件も起こらないのではないかと思ったりもする(・_・?)

ともかく、視聴者はそれぞれ自分がやりたくてもやれない復讐願望を持っています。その怨念を半沢直樹が代わってやってくれているようで、スカッとします。

#余談ではございますが、このドラマには歌舞伎役者さんが重要人物をされているせいか、セリフを言うたびに大見得を切っているように見えるのは私の気のせいだろうか。。芝居が大げさすぎやしないか?

さて、半沢直樹は大物に対して最初から「倍返しだ!」と宣言しますが、これはハラッサーにはやらない方がよいのは当然です。油断させてスキを作らせ、そこを突くのが定石だからです。そして(家庭モラハラはできませんが)自分が報復したのだとは気づかせないようにするのも大事です。半沢直樹はテレビだからこれで終わっていますが、本来ならば百倍返しのさらに百倍返しで返って来てもいいケースです。

そんなことできるの?と思われる方は、知恵をめぐらせましょう。小さなひとりでもできることはあるものです。ただし、私利私欲によるものだったり、勝手な逆恨みだったりした場合はうまくいかないかもしれません。

世の中って、そういう風にできているものなのよ。不思議ね。

「復讐なんてそんな悪いことはできない」と思う方もいるでしょう。そういう方は復讐なんか考えずに、潔く清廉潔白に生きたらいい。でも、だったらなぜ半沢直樹を見るのでしょうか。

以前「返報性の法則」について書きました。

人は相手から何かしてもらったらお返しをしなければならないと考える生き物です。これはしてもらったものが厚意でも悪意でも変わりなく、人間の心理に組み込まれたものだからです。

だから「倍返しだ!」は当然の行動です。でもなぜ「復讐は良くない」と考えるのでしょうか。もちろん「テロにはテロを」といった争いの場合は人の命がかかっているし、実際そういう場合の報復はエスカレートするだけで何も残りません。だからやるべきではないと思う。でも、モラ夫から何かされたら、「倍返し」はあっていいと私は思う。それでスカッとするならやった方がいい。

私はモラハラ禍からの脱出には「勝利感」が不可欠だと思っています。この勝利感が無くやられっぱなしで終わったら、お返しは心理による正常反応なのでいつまでもモヤモヤが残ってしまいます。ただ何をもって勝利と思うかは人それぞれです。

以前掲示板に笹ベアさんが書いて下さいました。

”モラからの和解金は、生活費には使いませんでした。
和解金は、シミ取りレザーやネイルジェル、ライブ代に充てました。
モラは、私の美と楽しみのために15年間働いたのです。
私の腹の虫には”ザマーミロ”が必要でした。”

勝利感とはザマーミロです。

半沢直樹は日本中の人にザマーミロという、自分にはできない報復を小気味よく見せているから、喝さいを浴びるのです。