モラル・ハラスメントとは

「モラル・ハラスメント」があちこちで使われ始め(最近は織田君)、いろいろな解説やら解釈やら、もう、どうしようかというくらい、ぐちゃぐちゃになってしまいました。特に「は?」と思うのは、「モラル・ハラスメントのモラルとは英語で倫理のことです」と書いてあるものがすごく多いことです。

最初に「モラル・ハラスメント」という本を出版されたイルゴイエンヌさんはフランス人ですので、「英語でモラルとは」にはならないのです。フランス語で「モラル」は「精神的な」という意味です。だから原題の 「Harcelement moral (アルセルマン・モラール)」を日本語に直訳すると「精神的な嫌がらせ」ということになります。

このあたりは「モラル・ハラスメント」を翻訳された高野先生がしっかりと私のインタビューにお答えくださっているので、こちらをご覧ください

また、フランス語でも「モラル」」は「倫理」という意味もありますので、「倫理に反する精神的な嫌がらせ」ということになるかと思います。

このインタビュー記事はモラハラ被害者同盟ができた何年後かに作ったものだと思いますが(もはや覚えていない)、私は今でも迷ったときはこの記事を読み返します。高野先生の言葉はモラハラを扱う時の原点であり、これがすべてだと思っています。

インタビューから特に印象的な部分を抜粋します。

“まずはモラハラという言葉が広まって、恐ろしい暴力が認識されることが大切だと考えます。もちろん、言葉が広まっていけば、さまざま混乱が生じるでしょうが、それはあとから整理していけぱいいと思います。大切なのは被害者の方がまず被害に気づいて、現在の苦しい状態から抜けだすことだと思います。”

” 前にも述べたとおり、被害者の方の言葉で印象に残ったのは、「自分が受けていたのはモラル・ハラスメントなんだ。自分の苦しみには名前があったんだ。それがわかったことによって、救われた」ということです。そして、もしそうなら、この言葉を広めていくのが訳者としての責任だと思いました。

被害者の方が自分の体験をお話しなさって、それによって「自分だけが特別に苦しんでいるわけではないんだ」という形で救われる方がいる。それは素晴らしいことだと思いました。また、そういった形で「モラル・ハラスメント」という言葉が広がっていき、また救われる人が出てくる。それも素晴らしいことだと感じました。日本においては、「モラル・ハラスメント」という言葉を広めたのは、被害者の方々だと思います。その意味で、「モラル・ハラスメント」という言葉は、被害者の方々のものです。”

”モラル・ハラスメントというのは、被害者を救うためにある言葉だと思います。「それはモラル・ハラスメントだ」と言って、誰かを責めるための言葉ではありません。「モラル・ハラスメント」という言葉に出会って、自分が受けていた苦しみの実体がわかり、自分が悪いわけではなかったんだ、努力が足りなかったわけではないんだと思って、この状態から一刻も早く脱出する――そういう形で被害者が救われるための言葉だと思います。

そういった意味から、モラル・ハラスメントの被害を訴える人には、この言葉の間口を広げてもよいと思っています。その反対に、「それはモラル・ハラスメントだ」、「あなたはモラル・ハラスメントの加害者だ」、「あの人はモラル・ハラスメントの加害者だ」と声高に誰かを非難する言葉には、少し距離を置きたいと思っています。「モラル・ハラスメント」だと言って人を非難すれば、それ自体がモラル・ハラスメントになる恐れが大きいからです。

といっても、もちろん、医学的な診断を下したり、裁判などではこの言葉の定義をきちんとしていかなければなりません。そこでは、何がモラル・ハラスメントで何がそうではないのか、専門的な見地からの判断が必要でしょう。でも、それ以外の場合は、第三者による二次加害を防ぐためにも、モラル・ハラスメントの被害を訴える人の言葉は、まずはそのまま受け取りたいと思っています。

もうひとつ、ある人が誰かの精神的な暴力に苦しんでいるなら、それがモラル・ハラスメントであろうが、パワー・ハラスメントであろうが、精神的なDVだろうが、その苦しみに変わりありません。そういった状況では、言葉によってどんな名前がついているかより、その苦しみをやわらげ、そこから逃れる(第三者はその手伝いをする)ことが大切だと思います。その意味では、「モラル・ハラスメント」という言葉にこだわりすぎないことも重要だと考えます。”

この記事はまだそれほどモラハラが一般に流通していなかった頃に作ったものですが、「モラハラが誤解されること」「二次加害の恐れがあること」「モラハラかどうかにこだわること」などの今日わやわやになっている問題点を、高野先生がずっと前から指摘して下さっていた、画期的な記事だと思っています。