チャンスの女神を捕まえて

今あちこちで人気の脳科学者の中野信子さんが、「運のいい人がやっていること」の中に、「チャンスに気づけること」「そしてそれを取りに行けること」を挙げています。

私はずっと「チャンスの女神を逃さないで」と書きづづけてきました。チャンスの女神は前髪をボーボーと流しながら走っています。その前髪を捕まえられるよう、いつでも身構えて待っていなければならない。走ってくるのを見て、やっこらさと立ち上がっても女神はあっという間に通り過ぎてしまう。そして次のチャンスがいつ来るのかはわかりません。

このチャンスの女神は結構走っていて、そこここに沢山あります。小さなものは広告のチラシから、友だちの噂話から、テレビの情報から、とにかく沢山転がっています。これをチャンスだと認識できて、「やってみよう」と腰を上げられるかどうかが運命の分かれ道(大げさな(笑))

私は自他ともに認める運のいい人ですが、たぶんこの「チャンスに気づけて」「取りに行く」ことにかけては自信があります。何しろ好奇心のカタマリなので、なんにでも興味がある。そして「ともかくやってみよう」と思う。

よく人に「すごい行動力ですね」と絶賛(呆れるともいう)されますが、死ぬわけでなし、ともかくやってみればいいじゃんと思う。道に迷ったら人に聞けばいいし、今はネットがあるから情報収集はいくらでもできます。

やる前から諦めて、自分は運に見放されていると嘆くよりより、ともかくやってみる。小さなことから始めてみてはどうでしょう。

ちなみに私は先週友だちがグループlineで送ってきた「駅前商店会のくじ引きで商品券、結構当たるよ」というのに飛びつき、出してみたら大当たり(。・ω・。)ノ♡
3,000円の商品券をゲットしました。

出さなければゼロです。はがきに書いて切手を貼って送るという手間をあるけれど、当たったら儲けもの。どうせ当たらない、はがきを書くのが面倒と気持ちをやらない方に向けるより、64円で3,000円当たったら得だよねと、はがきを出してみる。

ダメで元々、言うだけタダ、聞くだけタダです。

ちなみにもう一つ。

ダロワイヨのサブスク

税込み1,000円を払うと、マカロンが1日1個もらえます。このお店近辺は週に1度は行くから、5個もらえたら元が取れるなと思って行ったら、「12月はクリスマス前後がお店が混むためお渡しできませんので、他の日にその分をお渡しできます」と言われたので、初日に4個ゲット。500円の割引券もいただき、初日で元が取れちゃった。

「そんなマカロン1個もらうために行くなんて恥ずかしい」「結局他の物を買わなければいけないようにできてるんじゃない」と思う方もいるでしょうが、結構次から次へとスタンプカードを持ってきている人がいて、「あまおうください」と品物を指定し、さっさと1個のマカロンを手渡しされて(包まなくていい)帰る人がいました。

みんなで渡れば怖くない(笑

ただ、どうしても「何か買わなければ恥ずかしい」と思う方は止めればいいと思う。とりあえずクリスマスまでは1日目に4個ゲットできますから、それでほぼ元をとったと思えばいいんじゃないかな。

この情報はテレビのお得情報で見ました。見て「ふーん」で終わるか、「マカロンもらいに行こう♪」と立ち上がるか。

マカロンは友人からいただいた「媛まどんな」のお返しにあげました。

みんなで分けたらもっと美味しくなるしね。

あなたのために言っているのよ

さして親しくもない人から「あなたのために言っているのよ」と言われて、気持ちよく「そう、言ってくれてありがとう」と思ったことがありません。なんで親しくもない相手からそんなことを言われるのかと思うばかりです。ただ、これはずーーと昔のことで、今はそんなことを言われることはありません。

言えないだろうな。今の私、怖そうだもん(笑

これを言うのは相手が怒らないだろうと見くびっている時。言われるのは見くびられている時。

親しい相手でも、「少し言葉を選べよ」という時もあります。本当に相手を気遣って、何とかしたいと思うなら、相手に伝わるように言うはずだし、それを感じ取れないほどこちらは鈍感でもない。

だいたいそういう時は「あなたのために言うのよ」ではなく、「気にさわったらごめんね。でもずっと気になっていて」という、相手の気持ちを気遣った言い方をするものです。

結構「あなたのために言っているのよ」というのは相手のためではなく、私憤だったり、嫉妬だったりすることが多いもの。そういえば、数年前に決別した友人が機嫌が悪くなるのはいつも私がラッキーが続いてうまくいくときばかりでした。

だんだん怒りっぽくなってきて「あんたのために言っているのよ」とは言うけれど、それ、そのままあなたに返したいと思うようなことばかりでした。幸いきっぱりと縁が切れてよかったわ。彼女は私以外の人にも「あんたのために言っているのよ」と言っているんだろうか。

私が決して怒ることはないとでも思っていたのでしょうか。

あまーい。

2時間コースの方

私はモラハラに限らず、沢山の方のお話を伺ってきました。本当にバラエティに富んだお話を伺いましたが、その中でぴったりと同じ種類に分類される方々がおりました。その方々はこの記事は絶対に読まないだろうし、自分のこととは思わないだろうから書きます。

その方たちの年の頃は70代以降。とてもなめらか饒舌ですが、何と言ってもその特徴は

登場人物全員の学歴と職業を語らないと次に進まない、です。

それも「夫は〇〇大を卒業して、〇〇会社勤務です」だけなら簡単なのですが、「息子はね、〇〇大の〇学部を卒業したの。××先生の研究室にいてね、そりゃあ××先生にかわがっていただいたのよ。あなた、××先生ご存じ?あら、ご存じないの。××先生ってね、その方面では知らない人がいないくらいで、あのノーベル賞を取った△さんと同期で、ずっと同じ研究室にいたのよ。その時にはあの□□さんも一緒だったって聞いているわ。□□さんの奥様っていうのがとってもおきれいな方でね、染め物をやってらして、京都の有名な染め物職人で人間国宝の・・・」

こういう話が延々と続きます。こちらはひたすらうなづきマシーンとなっていますが、たぶんこのタイプはこちらが聞いていてもいなくても、しゃべり続けるんだろうなと思います。話の本題に入るまでに1時間くらいかかります。

こういう方は大体家族との関係が悩みで来られます。

ああ、この人の家族は苦労しているだろうなと思います。ちなみに私の母もこのタイプです。物品販売に家に来た人から、ちょっとした自分との関係を見つけると目がきら~ん☆玄関先では足りずに、家に上げ、茶菓子を次々と出して接待し、何時間でも話を続けます。

オレオレ詐欺に遭うのは家族がいなくて寂しいからだ、誰か周りの人が注意を払うべきだという声がありますが、いやいや、どんなに家族がいても、一日中おしゃべりをしていないとダメなのですよ。口の筋肉が心臓や胃の筋肉と同じものでできているから、止まるのは死ぬ時です。

話したいのは自分のことで、人のことはどうでもいいので、せっせと自分の生い立ちから自分の周りの自慢話がしたい、したい、えーーーーーい、ずーーーと誰かに自分の自慢話を聞いて欲しい、という方々です。

こういう方は劣等感のカタマリなので、そのように対応します。職業で聞く分にはそういうものだと思って聞きます。家族や周りの方はうんざりだろうと思いますが、よくできたことに、この母の欠点を良く知って、うまくつきあっている夫や子どもを持っている方も多いです。

うまくできているもんだなぁ。

衣食足りて

コロナで家にいることが多くなり、食事もほとんど自炊かテイクアウトになりました時間もたっぷりあり、そうするとなんとなく食事にも気を使うようになりました。

世の中健康オタクというか、なんでも健康法や体にいいという流行りのものに飛びつく人がいますが、あの方たちはたぶん時間とお金に余裕があるのだと思います。この二つに余裕がなければ、「あれが健康にいい。この運動がいい」とはならないもの。

健康オタクの代表は年配者ですか、高齢になると大体加齢のための病気や症状をひとつやふたつは抱えているもの。そして時間はたっぷりあるし、働かなくてもいいくらいの収入や蓄えもある。だから健康オタクになるのはわかる。

年配者でない場合、家族がいれば子どもや夫の健康に気をつかいますが、独り者でひたすら健康志向で「あれがいい、これがいい」と健康オタクなのは、たぶん、お金も時間も余裕なんだろうな。

健康Youtuberは商売だから熱心なのよね。

行く道が決まるとき

何か新しい道ができるときは、不思議なことにすべての事柄がそれに向かって開き始めます。自分で作ると言うよりは「開く」。そちらにしか進めないようにできているみたいです。だとしたら、無理して流れに逆らうよりも、流れに乗って前に進んだ方がいい。

リピーターの方から相談を受けていると、「あ、流れがきたね」と感じるときが少なくありません。流れがそちらの方へそちらの方へと追いやっていく。ご本人もそれを感じるようで、不思議がるのですが、そう不思議がらなくても世の中ってそういう風に動くものと思って、そのままに動いた方がいいのです。

私は現在東京に住んでいますが、別に東京にあこがれたわけでも、何かしたかったわけでもありません。どうしても東京に来なければならないような流れがあったのです。私は故郷にずっと住んで、幼馴染や同級生やママ友と平穏に静かに暮らすつもりでした。多少の不満はあっても田舎のおばちゃんで満足していました。東京に来たきっかけは東京からの1本の電話でした。

しばらく連絡していなかった方に電話をして、ぐつぐつと愚痴をこぼしていたら、「だったら東京に来ればいいじゃない」と一言。

晴天の霹靂。

東京へ来ればいいじゃない。

自分では考えつかなかった解決策をいともあっさりと口にして彼女は続けました。「東京は働くところなんて、沢山あるわよ」

実際はそう簡単にはいかなかったのですが、その時の状況はそれがベストの道だと思えました。そして運命は東京へ行けとばかりに流れが速くなり、すべての条件がしだいに整えられてきました。

木の葉にのった一寸法師のように、流れにのって現在があります。まるで最初から道ができていたかのように。

流れは自分で作るのではなく、自分がこうなりたいと思ったら自然にできてきます。もしできなかったら、まだその時ではないか、気がついていないか、どちらかだと思います。

心からの感謝

こちらからの続きです。ほとんどの自己啓発本には「感謝をしよう」と書いてあります。「あなた生きていられるのはすべて何かからいただいたものなのだから、それに感謝しよう」というものです。

幸せになるための黄金律というものもあります。わかりやすく書いたものがあるのでリンクしますね。私がモラハラに気づいてから離婚し、このサイトを開き、沢山の方と交流をするようになってから、もう血液を全交換したように変わりました。

昔は科学ですべてを説明できると思っていましたし、成功しない人は努力しないからで、すべて効率第一主義でした。これが全部ひっくり返りました。ひっくり返してくれたのは、私の周りにいる方たちの沢山の愛でした。

2003年に私が「モラハラとは」に書きました。

”沢山の人が私の手を握り、肩を抱き、一緒に涙を流し、がんばってねと励ましてくれました。そしてある日、私の中に変化が起こりました。 「世の中のすべてのものを愛したい」「すべてのものを慈しみたい」「すべてのものに感謝したい」そんな感情が湧き上がったと同時に、明るい太陽がさんさんと降り注いできたのです。 「罪を憎んで人を憎まず」を私は今まで理解できませんでした。でも今はできます。前の私は「罪と犯した人」はイコールでしたが、 今は「罪と人」は別々です。夫に対しても憎しみはまったくありません。”

2003年の、なんてピュアな私(笑)

今はちょっと濁ってるな(笑)

2003年ははつらつとしていますね。たぶん血液も勢いよく流れて循環し、すごく健康だったと思う。血液がきれいに循環すると肌もつやつやだし、やる気十分だし、どんなにハードな仕事をして疲れても翌日はばしっと起きられる。

この中で「すべてのものに感謝したい」と書いています。私は自己啓発本の類は読みませんので、自然に沸き上がった感情です。沢山の方の善意に触れると、感謝の心というのは自然に沸き上がるものです。もしそうならなければ、この後の幸せはない。

「成功は俺様の実力(←モラ夫が言いそう)」という方向に行くと、幸せを掴めない生き方をしていると思います。

ただ、前に書いた

「私はちょっと気になることがあります」ですが、ネットを見渡すと、「感謝します」「感謝しかありません」というフレーズが沢山出回っていますが、この方たちは黄金律に「感謝しよう」と書いてあるからそう言っているのか、本当に自身の心からそう思っているのか、リターン狙いの「感謝しかありません」なのか、どっちなのだろうと思われるものがあります。

大抵自己啓発本を読んでいそうな方がそう言っているので、特にそう思うのかもしれません。

でも、感謝の心というのは、その気持ちになれば自然に湧いてくるもので、方程式ではありません。「感謝しかありません」という言葉が方程式がそうなっているからと口にしたのであれば、なんだか気持ちがよくない。何か違うなぁと思います。

感謝は感謝したいと思うようなことに出会うと自然に湧いてくるものです。特別大きなことでなくてもいい。私は探し物が見つかった時に「ああ、あった!神様ありがとう!!」ともう声に出していいます。

こんなものでいいんじゃないかな。感謝は次の感謝を連れてくるものだもの。

何があっても驚かない

今年はコロナに始まってコロナに終わりそうです。2009年の新型インフルエンザの時は、世の中大騒ぎをしていたけれど、結局そう大事にもならずに終わったので、今回もそれかと思っていました。が、そうではなかった。

だいたいマスコミが騒ぐときは肩透かしで終わることが多いので、自分の身に降りかかってくるとは全然思いませんでした。

でも、世の中は不思議な必然であふれている。

池江璃花子選手が白血病を発病したのはオリンピックの前年。このタイミングでの発病は悲劇としか言いようがない、と思ったら、コロナでオリンピックは延期。私は水泳競技のことはよくわかりませんが、東京オリンピックもアリなのでは?奇跡の璃花子さんならやっちゃうんじゃ?

バトミントンの桃田選手はリオオリンピックに不祥事で出場できませんでした。さぞかしクサっていると思っていたら、見事に復活。東京オリンピックへの出場が確実となっていたら、今年交通事故で目を負傷。これはまずいと思っていたら、オリンピックが延期。

こういうのはこのふたりだけではないんだろうなぁ。コロナはいろいろな人に最高の幸福と、最悪の不幸をばらまいています。

トランプ大統領がコロナに感染。「あんなの風邪だ」と言っていた人は、今病院のベッドで何を思うのでしょうか。簡単に済めば「ほぉら、言ったとおりだろう」とか言いそうで面白くないよなぁ。

テレビの「世にも奇妙な物語」秋編に出てきそうな結末があってもいいんじゃないかと思う秋の夜。

人生は運しだい

タイトルのとおりです(笑 。自分は運が悪いと思っている方にとっては絶望かもしれませんね。これは、私が長い間生きてきて、自分の人生を振り返った時、私の周りを見渡した時、沢山の方のお話を伺ってきたこと(モラハラに限りません)を総合すると、やっぱり「人生は運しだい」だと。

モラハラの相談を受けていると、「そんなのおかしいじゃないですか!」「法律ではそうなっていないじゃないですか!」と言われることが度々あります。法律を持ち出すなら、

”日本国憲法第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別を受けない。”

もはや絵空事でしかない。世の中理不尽なことであふれているのです。調停も裁判も、「運ですね」としか言いようがありません。ご相談を受けると「運しかないので、祈って下さい」とお伝えします。

がっくりしている方にひとつだけ言うとしたら、「運しだい」と言うのはあなたにとっても相手にとっても同じだということです。そこは平等。ではどうやって運を引き寄せるかという話は、もう世の中に散々出回っています。いわゆる「運を引き寄せる術」の類です。もうもうもう山ほどある。よく数珠のような「ラッキーストーン」の腕輪をつけた方がいますが、さすがにそれははめようとは思いません。ただ、運の引き寄せについてはあるよなぁと思っています。

私は「後ろめたいことはしない」というのが第一です。たぶん今の時点で後ろめたいことはしていないので、お尻がむずむずしませんが、紙くずひとつ落としたままにしただけで、お尻がむずむずします。「あー、やっちゃいけないよなー」って。で、一生懸命紙くずを拾います。

ウソは基本つかないです。ただ、人間社会において、ウソが必要な場合もありますから、それはケースバイケース。

それから、人の喜んでくれるようなことをします。よく「エレベーターのボタンを押すだけでも親切になる」と言いますが、本当にそう。小さな善行はこちらの心もほっこり温かくなって、気持ちがいい。

ただこれ、以前も書きましたが、リターン狙いは本当にダメです。だいたいそういうのは心が卑しい人がやるもの。そんなことをするなら、何もしない方がまだまし。

まぁ、こういった「運を引き寄せる方法」は本当に沢山出回っていますが、私はちょっと気になることがあります。

すぐ死ぬんだから

こちらからの続きです

今BSNHKで「すぐ死ぬんだから」というドラマが放映されていますが、内館牧子さんの原作を読んだこともあり、毎週録画で見ています。

https://www.nhk.jp/p/ts/MKQG8VMRZ3/

この原作を読んだとき、ドキッとしたのが「老人たちが身に着けるのは流行遅れか安い服」「リュクを背負って帽子をかぶり、ウォーキングシューズを履いている」

う。。私、そのままっす。日焼けしたくないから帽子必須。荷物は二つ持つとひとつはどこかに忘れるか落とすかするので、ひとつにしたい。手に持つと重いので自然とリュックになりました。私はなりませんが、50肩の方たちもそうみたいですよ。足元はNBのスニーカーです。これが一番歩きやすい。夏はアシックスのサンダルを履いてます。ウォーキングシューズ並みに歩きやすいので。足元は歩きやすいのが一番です。

私はファッションセンスはあると思う。ただ身に着ける物にお金を使おうと思わないの。お金は有限だから、必要なものにはドンと使うけど、必要ない物には使わない。ファッションは優先順位がずっと下なのです。

いつの頃か忘れましたが、とても体が疲れる日があり、どうしてなのかと考えてみたら、デニムを穿いた日(ジーンズと言ってはいけないらしい)がそうであることに気付き、デニムを止めました。重いのと、体を締め付けるのが良くないらしい。老いは知らず知らずのうちにしっかりと体に入ってきています。

ともあれ、内館さん的老人像としては、私はしっかり老人ですっ。いいですよ、もう老人で。私は年に抗わないことにしたので。

後残り少ない年月を、静かに穏やかに生きていければいいなぁと思っています。何しろ人生のほとんどが苦難や波乱万丈だったりしたので、もう老後くらいおとなしくしていたい。

老人たちは「すぐ死ぬんだから」と言いながらテレビCMに流れてくる健康食品を「今から30分以内なら半額」の声にフリーダイヤルのコールセンターへ電話し、健康体操を欠かさず、テレビの「血圧を下げる食品特集」に食いつく。

私の母は腰も曲がらず、頭もはっきりとし、とても元気です。

ただ、母は生きていることが幸せそうではない。口から出るのは愚痴と不満。どうも不幸そうです。生きているのが辛いのであれば、早めに父のところへ行った方が本人も楽なのではと思います。とは言え、これは本人の意思ではどうにもできないこと。

「すぐ死ぬんだから」「もう長くないんだから」と言いながら我が母、そろそろ90歳を超えようとしています。私は母が長く生きていることに特段何も思っていません。ただ、幸せな気持ちで生きていて欲しい。彼女の幸せとは家族がみんな彼女の生活を心配し、彼女に感謝し、彼女を第一に考え、週末にはこぞって施設にやってきて褒め称えることです。何より私が母と一緒に暮らすことです。それができないのは、それは彼女がそういう生き方をしてこなかったからです。ツケは最後にやってくる。

去年の参議院選で「安楽死制度を考える会」という政党があるのを見た時、心が動きました。そう思ったのは私だけではなかったようで、同僚が「私、入れたわ」と言っていました。死ぬ時を選べたらいいのになぁ。死ぬ前に全部整理して、心おきなく死ねたらいいなぁ。

次回の選挙にこの党が出たら、考えてもいいなぁ。

長生きはリスク

月曜は敬老の日でしたが、なんだか報道が「祝う」よりも「憂う」雰囲気の方が強くなっているような気がします。団塊の世代が全員70歳を超えたこともあるでしょう。本当に団塊の世代の方々は、自分で選んだわけでもないのに、いつも時代のトラブルの元になっているような気がします。

知り合いが小学校へ入学する時は校舎が無くて、隣の小学校の古い校舎を使っていたとか、教室に入りきれずにミチミチだったとか、とにかくいつも競争だったとか、団塊ジュニアの子どもたちは大学入試の競争率がものすごく上がってしまい、苦労したとか。

そして「長寿おめでとう」よりも「えー、まだ生きるの。。」というため息のようなものが聞こえる原因は当然「年金と医療費」が膨大になっているから。

年を取れば体がさび付いて、あちこち悪くなるのは当たり前ですから、健康保険組合からの支払いが多くなるのは当然です。コロナが始まって「感染を懸念した人たちが病院に行かなくなったから病院経営が厳しくなった」という報道もありましたが、コロナが怖いから病院に行かない人たちは元々特に急いでいない方たちなのでは?もしくは行く必要のない方たちなのでは?

血圧の薬など、いつも飲んでいる薬だったら、電話で処方箋を出してもらうこともできるようなので、それができれば仕事を休み、痛む体で病院に行く人たちが短い待ち時間で診察を受けることができます。コロナのための一時的な処置でなく、これからもそうすればいいのに。でもそうしたら、お年寄りの時間つぶしや生きがいが無くなってしまうか。

ポテトサラダじじぃがそうでしたが、キレる老人が増えています。何しろ団塊の世代の人数が多いので、それに比例して困った老人が増えるのは当然のこと。社会がなんたらとか、その世代がかんたらよりも、絶対数が多いんだから当然なんだってば。

2025問題とは団塊の世代の全員が後期高齢者になるということ。この世代、小学校に入学するのも大変だったけど、老人施設に入所するのも一苦労の世代になりそうです。

すべて戦争が作った現象なのだけど。そのツケが75年後に来るとはね。