ウクライナに千羽鶴を送るって

yahooニュースでウクライナに千羽鶴を折って送るという記事を見つけました。

”鹿児島県喜界町の町母子寡婦福祉会(原田千津江会長、会員126人)は7日、青と黄2色の千羽鶴を完成させた。ロシアの侵攻に苦しむウクライナの人々に寄り添いたいとの思いから、同国の国旗のカラーリングをイメージした。戦争の早期終結と世界の平和を願い、駐日ウクライナ大使館へ送る予定という。”
http://kyodoshi.com/article/11944

今はyahooの記事は無くなりyahooの元記事が残っています。そしてyahooの記事にはこの「平和を願って千羽鶴を送る」ことに批判的なコメントが沢山ついていました。

私は前にも書きましたが

困っている方への支援は祈りや千羽鶴ではなく、もっと生活に必要な物資やお金を送ることが必要だと思っています。さらに千羽鶴は困った贈り物の象徴のようなものです。送られてしかたなく飾って埃をかぶったり、色褪せたりして汚らしくなっても「心をこめて折った」ものを無下に捨てるわけにもいかず、はてさてどうしたものかと困っている方が多いのではないでしょうか。

千羽鶴といえば広島の原爆追悼式でたくさんの千羽鶴が式場に持ち込まれますが、あれは溶かして再生紙として使われます。

https://earth-hiroshima.jp/reorizuru/

広島へ投下された原子爆弾により被災した佐々木禎子さんが亡くなるまで鶴を折り続けたとして、平和への祈りが込められた折り鶴です。

https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/9204.html

これは平和な日本が二度と戦争を起こさないという誓いのために折られたものですが、ウクライナは今ロシアからの侵攻を止めようとしているところです。ウクライナが求めているのはもっと現実的な支援です。

「寄付はした」というならそれで充分。もしどうしても平和を祈りたいのなら写真にあったウクライナカラーの千羽鶴をロシア大使館に送ったら、それもなかなか皮肉が利いていてよいのではないでしょうか。

ネットをググるとこの喜界町の他にいろいろな団体や個人が千羽鶴制作に取り組んでいるもようです。もしモラハラで母子家庭になり「あなたの家が救われるよう心をこめて折りました」という千羽鶴がどっさり届いたらどうでしょう。段ボールにみっちりと詰まった折り鶴よりも、なにかしらの支援物資の方がどんなに助かることか。さらに「心を込めて折ったもの」を狭い部屋の中で、あるいは自分なりにコーディネイトした部屋で、どう飾ったらよいやら困ってしまうかもしれません。

困っている最中の千羽鶴は、自己満足の象徴のようなものかもしれませんね。


ADHDは注意欠陥だから

私が自治体で相談員をしていた時は、東京都や各自治体が主催する研修によく行きました。ありがたいことに私が勤めていた役所は、私が行きたいと言った研修には必ずOKをくれました。他の自治体では「相談員不在は困る」とか「そのために経験者に来てもらっている。研修は不要」というところもあると聞いていましたので、それに比べて私がいた役所はとても相談員育成に理解のあるところでした。

相談員経験者だから研修は不要というのは、かなり相談員の実情を知らない自治体です。相談員は常にスキルをアップグレードしなければなりません。東京都や各自治体が行う研修・講座は、無料なうえにそこまでの交通費を出張費として役所が出してくれます。年に6ー7回くらいは出かけました

その中に発達障がいに関する研修がありました。発達障がいを専門に扱う機関から派遣された方がひととおり発達障がいについて説明をしたのですが、終わりの方になって言いました。

「ADHDの場合よく物を無くすので、使ったら元の場所に戻すよう、置いてある場所を一か所に決めるようにと伝えましょう」

ADHDは注意欠如・多動症といいます。
https://www.ncnp.go.jp/hospital/patient/disease07.html

物を失くす、片づけができない、遅刻が多い、注意が散漫で集中力がないと書いていって、わたし、とってもドキドキします(笑)たぶん私はグレーだろうなという自覚はあります。

さて、講師が「使ったら元の場所に戻すよう、置いてある場所を一か所に決めるようにと伝えましょう」と言った時、隣に座っていた方が「それができないからADHDなんじゃないのよー」と不満そうにいいました。たぶん彼女もグレーのお友達だと思います。

「そーだ、そーだ」と私も大いに同調します。きちんといつも同じ場所に置けたり、切符をいつも同じ場所にしまっておけたり、使ったものをちゃんと元の場所に返せるのならそれはADHDじゃない。それができないから発達障がいなのですよ。

この発達障がい者の支援センターはどうやってその「使ったものを元にもどす訓練をしているんだろう」と素朴に疑問に思いました。このセンターに来るまでに、ADHDやADDの人は相当苦労をしているはずです。必要なものがいつも見つからない、出かけるたびに持ち物が無くなる、切符を降車地まで持っていることができないなど、社会生活に不便を感じ、自分でもどうにかしようと思っているし、周囲の人も「使った後に元に戻せない人」に対して困ったり、イライラしたりしているはずです。

発達障害専門のこの講師、どうやって使ったものを確実に元にあった場所に返すような訓練をしているのか、もっとじっくりと聞いてみたい気がしましたね。

耳が聞こえづらいのは職業病?

相談員をしていた時、相談は面談と電話で受けていたのですが、電話は左耳にあてるレシーバーを使用していました。仕事を辞める2年位前だったか、職場の健康診断で左耳の聞こえが悪いと言われました。

生活は特に支障なく過ごしているのですが、確かに検査では右では聞こえる音が左では聞こえていない。ちょっとショック。母も70歳を過ぎたころから耳が遠くなっていました。私はまだ生きていた父と「聞こえないっていうけど、自分の悪口は聞こえるんだよな」とコソコソ話をしたりしていました。

右はいいのに左がダメなのはなぜだろう。やはり仕事でレシーバーをかけて酷使しているせいとしか考えられません。しかも聞くのはみんな重い話。ストレスは耳に影響を与え、突発性難聴になったりすることはよく知られています。モラハラでも難聴になってしまった方のお話は聞いたことがあります。

仕事を辞めようと思った時、さるところから電話相談員のお話もいただいたのですが、これ以上耳に負担をかけると本当に聞こえなくなってしまうと困るので、お断りせざるを得ませんでした。

体のどこかを酷使していると、やっぱり弊害は出るものなのかもしれません。健康診断では他に黄信号がついたものがふたつありました。そして仕事を辞めて受けた健康診断ではまったく異常なしになりました。

やっぱりストレスは万病の元。健康を取るか、今の暮らしを取るか、です。

奇妙な「家族団らん写生会」

私が小学4年の頃。父親は月に数回酒を飲んでわめき散らす、母親はそのストレスをまともに子どもにぶつける。家は貧乏、学校へ行けばお金持ち大好きの教員から嫌われるという生活でした。

ある日曜日の朝、突然母が「家族団らんをしよう!」と言い出しました。

今思うと笑えてしまうのですが、家族団らんとは取り立てて始めるイベントではなく、日々が楽しく暮らせていればそれが家族団らんというものではないでしょうか。母が「家族団らんをしよう!」言った瞬間に私は「けっ!」と思いました。小学4年生です。

10歳でもこんな大人の幼稚な取り繕いに気づき、「けっ!」と思う頭は持っています。今10歳以上のお子さんをお持ちの方は子どもは幼いからわからないだろう、気づかないだろう、子どもなんだからと思っていても、子どもは大人が思っているより頭のつくりは大人です。

毎度毎度酒を飲んでわめきちらし、母は子どもに決して言ってはいけないことを叫びちらし、ナニが家族団らんじゃい、笑わせるんじゃねぇと思っていました。

母が思いついた「家族団らんイベント」は写生会でした。こたつの上に花を挿した花瓶を置き、それを4人で写生するというものでした。

母は必死で家族仲良い風景を作りたいと思っていたでしょう。がんばって家族らしいことを「お金をかけずに」やりたいと思っていたでしょう。そのがんばりがミエミエな分、私の頭の中には「浅はか」という文字が浮かびました。

#そんなわざとらしいことをするよりも、子どもたちに毒吐きするな

モラハラ被害者の方の中には「子どもが自分の辛さをわかってくれない」「私の味方をして、一緒に夫の悪口を言って」という方はいますが、これはやめた方がいいでしょう。結婚は夫婦で決めたことで、子どもには関係ないことです。子どもには楽しくのびのびと暮らす権利があります。その権利を守るのは親の役目です。

さて、写生会は終わり、ご丁寧にそれぞれの作品を見せ合いながらの寸評になりました。「お母さんのここがいい」「早智子は色がきれい」などと家族団らんごっこをしてお開きになりました。ありがたいことにこの家族団らん写生会はこれ一度だけで、二度と開かれることはありませんでした。

私のメモの取り方

以前はメモをとるのが苦手でした。人の話を聞きながらそれを手で書くという、ふたつのことが同時にできず、他の人がせっせとメモを取るのを横目で見ながらまったくメモはしていないことが多かったものです。

しかしながら相談員になるとメモをしないわけにはいかず、メモを取りながらお話を伺うということをしていたら、自然に会話とメモを同時にとることができるようになりました。

私のメモを取り方は

◎大きな紙に書く
小さなメモ帳に書くと大抵いっぱいになるし、小さな紙はどこかへ行ってしまうことが多いのA4の紙を使います。

◎お気に入りのボールペンを使う
ボールペンの先って、本当にいろいろな種類があって、先が細いと紙に筆圧が食い込み、まるで彫刻刀で掘っているようになります。また細い先はインクが薄く出るので、一見字がきれいに見えますが、私は好きではありませんが、きれいな筆跡を残したいときはいいかもしれません。私はボールペンを買うことがなく、全部啓発物品や販促品のようないただきものです。その中のお気に入りばかりを使うので、1本全部インクを使い切ることも多いです

#ボールペンってたいてい失くしたり、インクが出なくなってしまったりすることが多く、1本使い切るってなかなかないと思いませんか?

◎いらなくなった紙などを目玉クリップを使って綴じておき、いつもそばに置いてあります。

◎やっぱりスクショも便利よね(笑)
教員をしている友人から「この頃の子はメモを取らず、全部スクショ(スクリーンショット)やスマホのメモに残すから、手でメモるということができない」と聞きました。時代はそのように動いていますね。私も外での掲示物や時刻表はスクショです。やっぱり便利です。

ここからは仕事のメモの取り方↓

◎重要な部分はアンダーラインを引いたり、〇で囲む
メモはたくさん書きますが、重要な部分だけ囲っておけば後から見直したときにそこだけ見ればいいようになっています。

◎関係性などは図式化する
家族関係は伺いながらささっとジェノグラムを作りますージェノグラムについてはこちらを参照ください。

家族以外でもいろんなものを図式化するとぱっと見てわかります。

◎住所や電話番号などの個人情報は一番上に書く
後から見たときに探さなくても済むように、お話の後から出てきても個人情報は一番上です。そのため最初から上の方は空けておきます。

◎お話が飛ぶときは矢印線を多用
多くの相談者の方は話が飛びます。「その時にそう仰ったんですか?」と伺うと「あ、それはこの時ではなく、もっとずっと前。5年前くらいです」といったようにかなり自制があちこちです。相談員はこのあちこちの自制に慣れていますから、思い出す順に話していただいて大丈夫です。同様に主語が抜ける場合というのがあります。「って言ったんですよ」「誰が?夫が」「いえ、そうではなくてー」とじれったそうにお話になるのですが、お話される方は主語が抜けることが多くて、本人は相手もわかっているつもりでお話されていますので、じれったくなるようです。

#講座のチラシを作っていて、「若い人たちはスマホでQRコードを読み取って後から見る」という話がスタッフからあり、チラシにQRコードを付けていました。QRコードの作り方はこちら。
右クリックしてコピペして必要なところに張り付ければOK。

これはあくまでも私のやり方ですが、とにかくメモは大きな紙に割と大きめの字で書いていきます。昔一緒に仕事をした年下の若い同僚がこの方式で、とてもよく仕事のできる人だったのでまねてみました。

目の前で見る戦争

両親からは戦争のことは本当に耳にタコができるほど聞きました。ただ、戦闘機からの爆撃や、極度の食糧難を経験している母と、農家だったこともあり、あまり食べ物に不自由したことのない父では語る内容も違います。

ウクライナの戦争はこれまでと違い、市民が自ら撮影したものをネットに投稿するといった、情報を拡散させることが武器をひとつになっています。

考えてみたら、自分の周辺で起きていることをwebで公開することをしたのがモラハラが大きく広がっていった理由のひとつだったと思います。今までは親や友だちに愚痴っては「あなたにも悪いところがあるのでは」「どこも同じ」と言われて終わっていたのが、自分に起こっていることをネットのあちこちに披露したら「うちも」「うちも」という大きな賛同の波がこのモラハラの広がりに繋がったと私は思っています。

「モラハラ被害者同盟」が始まったばかりの頃、掲示板に投稿されたひとつに私の目が釘付けになりました。

「また始まった。今度は何なんだ」という投稿です。

ああ、私と同じだ。夫が急に口をきかず、不機嫌になった時にいつも思うことでした。

「今度は何なんだ」

不機嫌になった理由がわからない。その前に何があったのか、思い返してもわからない。「今度は」というからには何度も繰り返されていることを意味しています。私と同じ思いをしている人が同じ日本にいたんだ。これは大きな発見でした。

夫と同じ人がこの日本にいるんだ。それも結構たくさん。

同じようにウクライナの戦争は、市民ひとりひとりが自分の目の前で起っている出来事をネットに送っていることが今までの戦争と違っています。

オリパラの時にしつこく言われたのが「SNSに投稿しないでください」でした。記念写真の撮り方という指導もありました。写真は映りこんだ人がネットに公開されたくない場合もありますので当然かと思いますが、結構いろいろな(オリパラ委員会にとっては困った)情報がTwitterに投稿され、(私のとっては)とても役にたったこともありました。

その投稿を見た人と見なかった人の間には「すごく得をした人」人と「損をした人」に分かれました。後から「知らなかった」「見た人だけが得をするなんて不公平だ」という声がネットに投稿されました。私は得をした方でした。

情報はとにかく取る。片側だけでなくあらゆる方向から取る。それを自分なりに精査して動く。動かなければ取らないのと同じ。

太平洋戦争の時、市民が生きるためには口コミという方法で情報を取り、人知恵を駆使して暮らしていました。

村上春樹ー「ハナレイ・ベイ」

村上春樹は読書の好きな方なら当然のように読んでいるでしょうが、私は小説よりもノンフィクションなどのジャンルが好きなもので、手にとる機会がありませんでした。超ベストセラー「ノルウェイの森」もしかり。「1Q84」はDVを扱った小説だと聞き、読んでみようかと図書館に行くと、1巻が薄汚れていているのに比べ、3巻はそれほどでもない。司書をしていた同僚に聞いたら「みんな途中で挫折するから、3巻までたどりつかないのよ」と。

そうか、みんな挫折するのか。だったら当然私も挫折するであろうといまだに手にとっていません。時間ができたら読もうと思っている本のリストに入れておく、と。

長編は無理でも短編ならと図書館で手にとったのが「東京奇譚集」でした。「ハナレイ・ベイ」はその中のひとつです。他のものはみんな忘れてしまったのですが、これだけは強烈な印象がありました。

と思ったら、世の人みんながそう思ったのか、映画化されていました。

https://sheage.jp/article/41007

このお話に惹かれたのは、主人公のシングルマザー、サチは自分の子どもが嫌いだったということ。自分で育てたわけだから、いくばくかは自分にも責任があるとはいえ、息子の生き方、人格がとても好きにはなれないこと。

その息子がハワイの「ハナレイ・ベイ」でサメに襲われ、片足を食いちぎられて亡くなってしまいます。そんな息子の幽霊が出ると聞き、彼女は命日の度にハナレイ・ベイにやってくるのですが、自分には見えません。なぜ他の人には見えるのに、自分には見えないのか。

なぜ、嫌いな息子の亡霊が見たいのか。

じれったいほどに死んだ息子に会いたい母親。大嫌いだったのに会いたい母親。

私も母親のひとりですから、この気持ちがすごくよくわかって、忘れられないお話になりました。短編ですのですぐに読めます。よろしければどうぞ。

コロナ隔離のあれこれ

友人の姉弟が愛媛県今治市で濃厚接触になったそうですが、3食お弁当が届くそうです。そのお弁当がそこそこまぁまぁ。普段きちんとした食事をしている方は「えーー」かもしれませんが、これが無料で毎食届くのですよ。私はいいと思うなぁ。ご本人は何も症状がなく、蟄居生活しているそうです。

東京都に住んでいる私ですが、身近でコロナ感染に遭った人は今のところ誰もいません。私だけでなく周りもみなそう。かろうじて「知り合いの知り合いが濃厚接触者になった」「子どもが学校でもらってきた」という話をチラホラ聞く程度です。

昨年の暮れは「孫に会いにサンフランシスコに行ったら、行きは大丈夫だったんだけど、帰ってきたら空港からそのままバスに乗せられて知らないホテルに監禁された」という話を知人から聞きました。

幸いだったのはホテルの部屋が結構広くて、圧迫感がなかったことだそうです。「でも、空港からバスに乗せられた時に『どこに行くんですか』と聞いても教えてくれなくて、どこに連れていかれるかまったくわからず、ちょっとドキドキした」

結局は首都圏のホテルだったそうですが、その時の食事が写真を見ましたが悪くないものでした。

#きっと写真に撮ってインスタにアップする人とかいるんだろうなぁ

彼女はしきりに「国民の税金を使ってこんなことしてもらってごめんねぇ」と繰り返していました。当然ホテル代も食事代も無料だったそうです。でも不思議なのはバスがどこへ行くのかをまったく教えてくれなったこと。教えたら乗客が抵抗すると思ったのか、襲撃されるわけでもなく、なぜホテルに着くまで秘密だったのかがわからないままです。

コロナでホテル隔離になることもなく、3回目の春になりました。もうほうれい線がはっきりでるので、マスクを取るのがちょっと嫌かも。このマスク文化、定着したりして。

証明書・診断書はどこまで有効か

調停や裁判で夫から精神的に虐待された証拠として、公的機関で相談していたとか、うつ病になったなどの証明書を裁判所に提出することがあります。立証が難しいモラハラはこういった証明しかない場合が多く、これを利用する方もいることと思います。

ただ、心療内科の場合「うつ病」と診断書に書いてくれても、その原因が夫であるとまで書いてくれるところは少ないと思います。心の病気は検査をするわけではないので、受診した方の話だけで判断しますから、原因が本当に夫だけなのか、それとも他にもあって複合的なものなのかの判断は、1回受診しただけでは難しいからではないかと思います。

夫からの暴言や生活費をもらえないといった日々のストレスが、うつ病の原因だとはっきりと確証が取れるまで、医師は「夫が原因」とは書いてくれないでしょうし、医療とはそういうものだと私も思います。たった1度受診しただけで「夫の暴言によりうつ病を発症」と書く病院があったら、むしろ私はその病院の姿勢を疑います。

役所にも相談していた記録の開示を求める方がたまにいますが、その方が1回2回ではなく、足繁く何度も相談に来られ、事情をしっかり聞いて、非常に困難な状況にある場合などは喜んで記録開示の仕事をしますし、「何かありましたら協力しますから、ご遠慮なく言ってくださいね」とお声もかけます。

そうではなく、1回だけ来て「相談したという証明書が欲しい」と言われたら、証拠づくりに来たのかと思うし、役所もそういう人を嫌います(と思います)。

初診で「夫からの暴言によりうつ病」と書く病院から診断書をもらったら、証拠としようとした本人の姿勢を疑います。そういうことをする病院、人なんだと。

よく弁護士さんは「診断書はないよりマシという程度」と言いますが、こういった胡散臭い診断書は「ないほうがマシ」です。

モラハラは本当に立証が難しいDVですが、しっかりと思いのたけを「読みやすく←ここ重要」書いたものを持っていけば、変な診断書よりもよっぽど効果があると思います。

「避難応援プロジェクト」終了しました

3月26日、「モラハラからの避難応援プロジェクト〜効率よく安全に別居・離婚するための戦略会議」が行われ、今年度の事業が終了しました。

今回コロナ濃厚者になってしまったため次回へ変更される方がいらっしゃったことは今の時世を反映していました。濃厚接触者も外に出られませんからね。大変です。

さて、プロジェクトですが7人の方が参加されて、種々様々が質問がありました。毎回その回の色が違うというか、特色があるんですね。今回は家のことが多かったように思います。

特に印象にあったのは「単身赴任は別居に入るか」というご質問です。答えは残念ながら別居期間にはなりません。でもこの機会を逃さずに別居の事実を作りたい場合は、「一旦は家を出る」という話になりました。つまり「家の中はからっぽ状態」です。

別に家賃もかかるし、そんなもったいない、という私の心の叫びが聞こえたか、スタッフとして参加しているメンターが「私がそうでした。夫が単身赴任で他県に行ったのですが、離婚するためには別居期間が必要とのことで、弁護士からの指示でいったん家を出ました」という貴重な体験談が出ました。

そこへ知恵袋の弁護士よりの助言で「別居調停」という調停があるとのアドバイスが。円満調停、離婚調停、などに混ざって「別居調停」と言って「別居してしばらく頭を冷やしましょ」というものがあるそうです。

モラハラの場合は危険防止のため相手に知らせずに家を出るのが基本ですが、そうでない場合は別居調停をして正々堂々と別居するのもアリなんですね。