母の誤算

昨年我が母は老人施設に入りました。実家のあるところではなく首都圏の施設ですから、会いに行こうと思えばそれほどがんばらなくても行けます。

最初に面会に行った時に肩を落として悲しそうに母が言いました。「ここの人たちがみんな言うんだよ。ここは家族から捨てられた人たちが来るところだって」

はい、そうですけど、それが何か。

「捨てられた」は人聞きが悪いから言葉を変えますが、ここは「子どもたちに迷惑をかけるから、ここでひとりで暮らす」または

「嫁姑とか、家族のごたごたは真っ平。ひとりで悠々と暮らしたい」または

「親と一緒に暮らしたいけれど、住居環境や家庭の環境が老人と一緒に住むようにはできていないので、ここで暮らしてね」または

「あなたと暮らすとこちらがストレスフルになるから無理。ここでひとりで自由に暮らしてね」

そういった理由で老人施設に入居した、または入居させられたのです。我が家の場合は一番最後の理由になります。

母は施設に来る前、よく「こんなことになるとは思わなかった」と言って忌々しそうにため息をついていました。母の母、私にとって祖母はお小遣いを沢山くれ、美味しいものを沢山食べさせてくれる、とてもいいおばあちゃんでしたが、嫁いできた叔母は大変苦労したそうです。それは従妹から聞きました。

死ぬまで女帝として家に君臨し、嫁をあごで使っていた祖母が亡くなった時、従妹は「死んだときには遠くにいたけど、死に目に会いたいとも思わなかった。泣くこともなかったし、葬式には一応出てやったという気持ち」だったそうです。

女帝として一家を仕切り、嫁を労働力として使っていた祖母を見て、自分もそうなると思っていた単純な母は、よもや子どもたちがそっぽを向き、施設に入ることになるとは夢にも思っていなかったでしょう。子どもが自分を捨てる(捨ててませんよ!)なんて、太陽が西から昇るようなことと同様に、あり得ないと思っていたでしょう。

今、「常識」と思っていることが、20年後、30年後も常識と思っていたら、思わぬことになる可能性が高いです。20年前、30年前を考えてみたらわかるはず。それを「こんなことになるとは思わなかった」と畳をかきむしるよりも、世の中に適応し、柔軟な生き方を選んだ方が後から後悔することは少ないだろうなと思います。

我慢は何のため?

被害者の方の多くが「私が我慢すればいいのかなと思うんです」と言います。もう、ほとんどの方が言うと言ってもいいです。

我慢と言うのは「その先にいいことがある」時にするものです。誰かとケンカをしそうになった、でもぐっとこらえて冷静さを保った。「あの時に言わなくてよかったな」と思うことは山ほどあります。

「今は貧乏だけど、でも絶対に今やっている仕事を成功させる。その後はお金持ちになれるから、今は買いたいものがあっても我慢する」は生きた我慢です。

でも、「夫はモラ夫だけど、経済力がないから生活のために我慢する」はどうでしょうか。その後にいい事があるのでしょうか。子どもたちは自立して家からいなくなり、夫婦ふたりだけになって幸せになるのでしょうか。このモラ夫と。

我慢は何のためにするのか。我慢した末に何があるのか。

そして誰のために我慢するのか。

その理由として子どもに「あんたたちのために我慢した」とだけは言わないで欲しい。別の理由を考えておいて欲しい、と思う。

電話相談の内容をちょっと変更

電話相談期間が終了しました。今回のご相談はモラハラ以外のものが結構ありまして、今まで夫婦関係のモラハラのみに特化して行ってきましたが、これからは枠を取り払い「なんでも相談」にしようかなと思っています。今までなぜそれをしてこなかったかと言うと、ご自分で答えを見つけるお手伝いをする、いわゆるカウンセリングの場合は、たいていとても時間がかかるからです。1回で終わることはほとんどありません。

何度もリピートしていただく必要があるのですが、ここの相談自体、年3~4回ほど、期間を設けて行うものなので、継続の方には使い勝手が悪い状態でした。それならば、私ではなく、他の継続可能なカウンセリング機関に行っていただいた方がよいと思ったので、そうしてきました。

ただ、いろいろな方のお話を伺うと、モラハラ家庭からの避難はソーシャルワークが主ですが、こころのケアや、自分を見つめなおすお手伝いもそれと同じように重要だと思うようになりました。実際私は男女参画センターの相談員を10年勤めましたので、この「自分を見つめなおす方のお手伝い」は沢山やってきました。それならば、ご要望があればやらせていただいてもいいなと思うようになりました。

同じ空間を共有しないでお話を伺いますので限度はありますが、相談に来られる方が「モラハラを知っている人と話をしたい」と仰ることが多いので、私でよければお受けいたします。

次回の相談は11月頃に行う予定ですので、もしよろしければその頃にご連絡下さい。

日本は災害列島

巨大な台風10号が近づいています。上陸が予想されている九州で、島にお住いの方は消防団員などの方を除き、全員フェリーやヘリコプターで避難されたとか。もう「過去にないほどの災害」の言葉を何度聞いたことか。コロナといい災害といい、地球は次の時代に入ったんじゃないか。

元々日本は災害の多い国です。

地震はある、津波が押し寄せる、火山は噴火する、台風は来る、高波が来る、大雨土砂災害がある、川が氾濫する、大雪が降る、雪崩が起きる、etc

ドイツ人のYOUから「あんなに災害のある国によく住んでいるよね」と言われたことがあります。そういえばヨーロッパってイタリアあたりだと火山があったり地震があったりするけど、それ以外は天災ってあまり見ないなぁ。

あちらの家の中の飾りつけを見ても、棚の上にお皿が立てて飾ったりしていて、「地震が来たら落ちるんじゃないか」とハラハラしますが、「そうか、地震がないから関係ないんだ」。耐震基準なんかなかったであろう100年前、200年前の建物が、今でも普通に住居として使われています。これも地震がないから。

災害がある地域にお住いの方のニュースなどを見ると、「こんな危ない所に住まず、安全なところに引っ越したらいいのに」と思ったりもしますが、海外から見ると「こんな危ない国に住まず、別の安全な国に引っ越したらいいのに」と思われているかもしれません。そう簡単には行かないわよ。。それは国内も同じよね。ごめんなさい。

だったら、災害を最小限にする準備をしましょう。私はなにせ準備が好きなので、持ち出し用品、備蓄品は常日頃備えています。

以前ここでご紹介したのが水で戻るおにぎり。海外旅行の必需品でもあります。

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5年間保存できるハンバーグなんかもある。

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https://a.r10.to/hzztJF

ラジオや懐中電灯にもなる手回し充電器。充電するには結構回さないといけないので手が疲れますけど、でも、今はとても心強い。バッテリー開発している友人曰く「電気は腐る。非常時は蓄電よりも発電だ」

今の時代、停電でテレビや冷蔵庫が使えなくなっても、ラジオやネットがあれば情報収集には困りません。非常時に限らず、情報収集は何てったって最重要です。

あまりにも災害が多いので、昨年火災保険の保険料が上がりました。これからもっと上がるかもしれません。災害列島に住むリスクをひしひしと感じます。

今日から楽天半額セール

今日から楽天で半額セールが始まります。↑から入ってお買い物をしていただくと、モラハラ被害者同盟への支援になります。お買い物はなんでもかまいません。私は半額セールの度にフェイスパックを買いだめします。

私はジムに通っていて、エクササイズをするときにマスクが必要なのですが、何しろ息苦しくて、まず不織布マスクでは無理です。かいた汗でべっとりと鼻と唇に張り付き、息を吸った時に張り付いて息ができません。

ユニクロなど、各メーカーからいろいろなマスクが出ていますが、使った人の感想は芳しくない。何かいいものはないかと楽天を探してみて、

フェイスカバー 冷感 ひんやり マスク UVカット 吸汗速乾 メッシュ 通気性 顔 防塵 花粉症 紫外線対策 日焼け防止 熱中症対策 メガネが曇らない 息苦しくない 洗える 装着便利 夏 ネックガード レディース ランニング メール便送料無料
価格:600円(税込、送料無料) (2020/9/3時点)楽天で購入
私が買った時は660円だった。。(悲)

首から下まであるので、コロナが終わっても日焼け防止用になっていいかなと思い買ってみました。

これをジムで使っていたら「何それ、かわいいーーー!」と群がって来られ、「どこで買ったの?いくら?」となんだか大騒ぎになって。

「楽天で買ったんだよん」と商品URLをlineで送ったら、誰かまとめて共同購入したようで、今はいろんな人がこのマスクです。ジムで使う時は首の部分を折って使います(暑いから)。鼻を布が覆っているように見えて、実は塞いでないので吸う息が楽なのです。水を飲むときは下の部分をぐいっと下げればマスクをはずさなくても飲めます。

新品の時は布に張りがあるので、横から見ると鼻の部分がとがって見えて鳥のようですが、洗っているうちに張りが無くなっていくのでそう変ではなくなります。

半額セールは予約も受け付けているので、もう予約したものもあります。餃子100個!これは子どもと分ける予定。

演技は結構重要

東京に来た年は派遣仕事を転々としていました。その中のひとつに書類整理がありました。大勢の派遣社員が机の上に積まれた書類を整理し、次のセクションに回す仕事です。簡単楽ちんな仕事ですが、給料は都の最低賃金でした。実は雇用者側は最低賃金よりも500円高い給料を出していて、派遣会社を通さないで来た大学生などはウハウハの人気の高い仕事だということは後で知りました。

書類整理は慣れていますから、黙々とこなしていたある日、書類が1枚ありません。書類にはナンバリングが打たれているので、番号は続いていなければならないのに1つ飛んでいる。私がやり終えた後にチェックをして見つけたものだから、最初はあったはずです。

やり終えた後の書類を全部見直してみてもありません。仕方がないのでチーフに「書類が1枚見当たりません」と報告しました。チーフは「変ですね。どこかに紛れたのかな。少し時間を置いてみましょう」と言って次の作業をするよう言われたので、言われたとおり、次の書類の山に取り掛かりました。

誰も出入りのない場所で書類が消えるわけがない。おそらくどこかに紛れてしまったのだろうと、私も思いました。こういう時は必死で探して時間を無駄にするよりも、みんなが同じ作業をしているわけだから、誰かのところからひょいっと出てくるであろう、というのは長年仕事をしていれば経験上わかっています。

だからチーフに言われた通り仕事を続けたのですが、向こうの方で2、3人の人たちが「呆れたわねぇ」「平気な顔をしているわよ」とチラチラこちらを見ながら話をしています。

う~ん、困ったな。前線で長い間仕事をしていましたから、卒倒したくなるようなアクシデントは山ほど経験しました。眠れぬ夜も何百回とありました。死んでお詫びをしなければならないような出来事もありました。そんな経験を吐くほどしてきた身としては、書類1枚が無くなった程度でアタフタなんかするわけがない。

でも、責任感あふるる方たちはそうは考えないようです。こちらをチラチラみながら仕事を続ける彼女たちは、時折顔を見合わせては口に出さない相槌を打っています。

「熊谷さん!あったわよ!」

声を出してくれたのは仲の良いスタッフのひとり。

「えーー!ほんとーーー!!!助かったーーー!!ありがとーーー!!」

これはホント。探し物が見つかった時は本当に嬉しい。

「あの時紛れたんだね」と言いながら書類を揃えましたが、私は反省しきり。

こういう時は演技でも心配で死にそうなフリをした方がいいようだ。

何かアクシデントがあった時は、あわてず騒がず、大したことではないフリをしてみんなを落ち着かせ、次にどういう手を打つかクルクル頭を廻らせるのが仕事だったから今回もそうしたのですが、それはこういう場合はダメなのでした。責任感を持って仕事をしている証として、書類1枚が無くなったことで青ざめておろおろせねばならなかったのです。書類を無くした犯人が気も狂わんばかりに探し回っていれば彼女たちも溜飲を下げるのですが、平気な顔をしていたので、彼女たちの責任感に火をつけてしまったらしい。

あー、めんどくさ。

元夫と暮らしていた時、子どもが病気の時やケガをした時に、私が「大したことないわよ」というと夫は怒り狂うので、「大変だわ、どうしよう」とおろおろして見せると満足げに「大した事ないだろう」と言いいます。

母ならば子どもが病気をしたら寝ずの看病をして、ケガをしたらつきっきりで介護するものだと思い込んでいる夫です。子どもが第一。子どもを何よりも愛している母親でなければ夫は満足しません。もちろん子どもは大事だし看病もするけど、風邪ごときで髪を振り乱してまでするほどのもんではなかろうが。

人間関係をスムーズにするためには、アホらしい演技でもした方がよいようです。

電話相談受付しています

サイトでご連絡していました通り、9月分の電話相談の受付を開始しました。受付することをもっと早く告知していればよかった。。。ごめんなさい。予約希望の方からのメールがもはや入っています。

私は10年間自治体男女参画センターで相談員をしていました。DV相談がメインですが、さすがに10年やると、ありとあらゆる相談を受けました。相談を受けるために必要な研修も多分100回以上受けているんじゃないかな。そのほか、弁護士会や警察、行政間とのやりとりなども職務としてあり、会合などにも出席していました。SSW(スクールソーシャルワーカー)、SC(スクールカウンセラー)とも密接に連携していました。

その他犯罪被害者等支援員も兼ねていたので、こちらの関係でも警察、支援団体、病院、その他支援団体の構成メンバーとして勉強会にも参加していました。

おかげで増えたのが人脈です。人脈は宝だと本当に思います。

電話相談は主にモラハラがメインですが、私としては力を入れていきたいのは、「自分らしく生きるにはどうしたらよいか」というものです。世の中には自己啓発関連の書籍があふれていますが、見てみると「なんだ、とっくに知ってるわ」と思うものばかりです。

人間アラカンまで生きると、その人生のいろいろな場面で「世の中こうなってる」ということに気づきます。本で知識を得るよりも、何しろ実体験で悟りましたから、自分で体得したものの方が強いに決まっています。

電話相談では、そういった話も雑談を交えながらしていけたらいいなと思います。電話相談に限らず、友人関係でも「あなたと話すと元気が出る」と言っていただけます。私、お笑い系なんで。

みなさまのお申込みをお待ちしております。お申込みはこちら↓

https://morahara.cocoon.jp/form.php

いたらない母

私の母はただいま施設に入っていますが、時々手紙を寄こします。ちなみに私が母に手紙を書くことはなく、2週間に1度程度、1分ほどの電話をします。コロナの前は1~2か月に1度程度面会に行ったりしていたのですが、コロナのため、年配者と会うのは相手を危険に晒すと知事も仰っておりますので、今年の2月に会ったきりです。その代わり、電話の回数を10日に1回ほどに増やしました。

#世の中には毎日離れて暮らしている親に電話をする人がいるらしい。
#うーん、見上げたものだ。きっと大切に育ててもらったんだろうなぁ。

その母から先日手紙が来ました。数行の文章の最後に「”いたらない母”より」と締めくくっていました。

なんて脅迫的な(笑

こうやって人をコントロールするのですよ。本人は自分をいたらない母とは思っていないですから。「そんなこと言わないで。沢山やってもらって感謝しているのよ」と言ってもらいたくて書いている匂いが紙面から立ち昇る。

ちなみに「私、デブでブスだから」と言う人も、「そんなことないよ、かわいいよ」と言ってもらいたくて言ってます。

この手法はミエミエで使い古されているから、もう若い人たちは使わないかな。それとも時代を越えて利用されるのだろうか。

相手からこう言って欲しいから自分を卑下してみせるというやり方は、姑息で見え透いていて、それでいて強引で、その人の人柄が見えます。

”いたらない母”を” ”で括って書くのも、「をいをい」と思う。もう寿命がそれほど残っていないんだから、優しくしてあげたっていいじゃないと思われる方もおられるかもしれませんが、この蟻の一穴から、貞子のように穴から這い出して、グレードを上げてくるのが彼女のいつもの手。

とは言え、うつにでもなられたらめんどくさいので、バーゲンしている「しまむら」から、洋服を2着、お菓子と一緒に送っておきました。この服を着て施設で「娘が送ってきたの」「娘が送ってきたの」と言って回るのだろうな。子どもの頃「子どもが入賞して」「子どもが褒められて」と言いふらしてまわったように。子どもの栄誉を全部自分の手柄にしてしまう人。

子どもの頃「金食い虫」と言われながら育てられた娘の、ほんのささやかな”親孝行”です。母が境界を守ることができる人ならば別の展開もあるのですが、なにしろ人の領地にズカズカと入ってくる人なので、メキシコの壁のような鉄壁のものを築く必要があるのです。

相談を受けていると、この「境界を守れない方」が時々おられます。この話はまた別の所で。

海を見ていた午後

横浜は東京からとても近くて、私は東京都横浜市と言ってもいいくらいの感じで受け止めています。近くて行きやすい分、いつでも行けるような気がするせいか、行くのはひとりではなくたいてい子どもと一緒の中華街B級グルメ旅です。

そんな横浜に住む友人から「一緒に横浜で遊ぼう」とお声がかかったのは2年ほど前。横浜で女子がふたりで行くとしたら、「どこに行きたい?」と彼女。

私にはずっと行きたかった場所がふたつあります。ひとつは青山のジャズクラブ「ブルーノート」。もうひとつは横浜にありました。

私は温泉だろうが海外だろうが、大抵の場所にはひとりで行くのですが、このふたつはどうしてもひとりでは入りづらいお店でした。

「えーと、えーと、えーと。。。ど、ど、どるふぃんに行きたい。。!」

「ドルフィン?ああ、ユーミンね」

さすが同年代。すぐにわかってくれました。

「海を見ていた午後」は、ユーミンがまだ荒井由実だった頃の曲です。おそらくこの曲にたくさんの「青春のリグレット」が詰まっている方が大勢いると思います。

ユーミンのコンサートには何度も行きました。ユーミンがコンサートの中でこの曲を歌うと、観客はそれぞれの思い出に浸り、その思い出で会場には潮風の香りすらしてきます。

横浜に行って、「山手のドルフィン」でソーダ水を注文することを夢見ている人たちがどれほどいることか。

東京に住み始め、横浜は遠くないから行こうと思い、googlemapでドルフィンを探したこともありましたが、どうにも行けない。だって、その世代のおばちゃんがひとりでドルフィンに行ってソーダ水を頼むなんてあまりにもベタすぎて、もうその場で腹かっきって死んでしまいたいくらい恥ずかしい。

だから女子がふたりで喫茶店に来ました!という感じで行ける今回はまたとないチャンス。やっと巡ってきた山手のドルフィン探訪のチャンスです。

友人が前もって調べてくれたとおり、バスに乗ってドルフィン近くのバス停で降りました。歌詞にあるように、ドルフィンはちょっと急な坂を上っていきます。

ドルフィンは2階建てで、レストランには大きな窓あり、外の景色が一望できます。ただ、港にありがちな煙を吐くコンビナートが立ち並び、曇っていたので三浦岬は見えません。ユーミンが書いた歌詞からもう44年が過ぎて、この辺りの景色も変わってしまったのでしょう。

メニューには「ドルフィンソーダ」と別の名前のソーダ水がありました。一般的にある緑色の「メロンソーダ」はこの店では「ドルフィンソーダ」という名前でした。

「どどどどるふぃん そーだ ください。。!」   言えた!(心の声)

友人は別のソーダ水を注文しました。ああ、恥ずかしい。レスカを注文するより恥ずかしい。このお店ではドルフィンソーダの注文があると、BGMに「海を見ていた午後」を流してくれます。それも恥ずかしい。

ところが落ち着いてよく周りを見た渡すと、4~5組いるグループのテーブルのほとんどにドルフィンソーダのグラスが置いてあります。

そそそそーだよねー!ここに来たらドルフィンソーダよねーーー!

友人と2時間ほど粘って(もちろんジェラートを追加オーダーしましたー!)いる間、何度「海を見ていた午後」が流れたことか。

ドルフィンソーダは緑色のシロップをソーダで薄めただけでなく、ちゃんとメロンのピューレが入っているそうで、メロンの甘い味がしました。800円もするんだからね。

建物の1階にはドルフィンのオブジェや絵画の他に、ユーミンのサインが書かれたお皿などが展示されていて、ユーミンファンにはいつまでも居たくなる場所でした。

友人のおかげでやっと叶った「山手のドルフィン探訪」。駅から離れているのでわざわざ目指して行かないといけない場所にありますが、ドルフィンはある時代に青春した、元乙女たちの聖地であることは間違いありません。

さよならの夏

子どもが小学生だった頃。少子化がどんどん進み、上の子が入学した時はまだ10人以上いた子ども会が、最終的には我が家のふたりだけになってしまいました。そこに実家に帰ってきた方の子が入り3人に。うちの子ふたりだけだったら夏休み恒例の子ども会ラジオ体操もやらなくて済んだのですが、3人になってしまったからにはやらざるを得ず。しかたなく我が家の隣の空き地でラジカセ持ってラジオ体操をしていました。

そこへもうひとり、お父さんの転勤で引っ越してきたユリエちゃんという1年生の女の子が入ってきました。これで4人。ユリエちゃんの家は子どもの足だと10分以上はかかる場所にあり、弟さんがまだ小さいのでお母さんではなくお父さんがついてきて、イクメンぶりっ子の元夫も入り、結構にぎやかな朝になりました。

夏休みには子ども会でイベントをするのが決まりで、親同志が和気あいあいならば海に連れて行ったりバーベキューしたりするのですが、まったく交流のない親たちなので、私が車で映画に連れて行くことになりました。

4人を連れ「千と千尋の神隠し」を上映中の映画館へ。「夏休みドラえもん祭り」などはよく連れていきましたが、ジブリはいつもレンタルビデオばかりだったような気がする。

子どもたちはお菓子を食べながら、食い入るようにスクリーンを見ています。「千と千尋の神隠し」は、私もジブリ作品の中では好きな映画です。台湾の九份が油屋のモデルになったと聞き、行ってみたりもしました。

映画が終わり、最初はよそよそしかった子どもたちも少し慣れてきたところで、お昼ご飯はマクドナルドにしました。そこのマックは子どもが遊ぶ場所があるので、よく連れて行きました。

それぞれ注文したバーガーをたべ終えると、子どもたちは遊び場で汗びっしょりになって遊び始めました。朝何も口をきかなかったユリエちゃんも、きゃっきゃと笑い声をあげながら遊んでいます。「ユリエ!こっち来いよーー!」というお兄ちゃんの声に「うん!」と言いながら走っていきます。

これだからここのマックはいいのよね。親が楽できる。

たんまり遊んだ後、車でユリエちゃんを家まで送り、みんなでバイバイしました。

そして夏休みの間中毎日ラジオ体操をして、体操が終わるとユリエちゃんはお父さんと一緒に「お兄ちゃん、またねー!」と言って帰っていきました。

ユリエちゃんのお母さんが我が家に来たのはもう夏休みが残り少なくなった日。
「急に転勤が決まったんです。仲良くしてくださってありがとうございました」と言ってあいさつに来られました。

お父さんは転勤が多い職業だから仕方がないとは言え、ひと夏だけとは短かすぎる。

「ユリエちゃん、引っ越したんだって」

子どもに言うと「え?」と言ったまま何が起こったかわからない様子のお兄ちゃん。

翌日、ユリエちゃんがいないラジオ体操が終わった後、ユリエちゃんの家の方をずっと見ていました。

先日「コクリコ坂」を初めてみました。映画は見たことがありませんでしたが、テーマ曲の「さよならの夏」が好きでよく聞いています。

たったひと夏しかいなかったユリエちゃん。お父さんが転勤するたびにたくさんのさよならがあったでしょう。でも、1年生の夏休みに4人しか子どもがいないラジオ体操があったこと、「千と千尋の神隠し」をお兄ちゃんたちと一緒に見たこと、覚えていてくれるかな。