雨が好き

これを書こうとすると大雨災害が起きたりするのでなかなか書けなかったのですが、実は私は結構雨が好き。特に休日の朝、窓の外で雨音がするのが好きです。朝だけでなく、寝るときも静かな雨音があると嬉しい。

寝るときはYouTubeのヒーリング音楽をタイマーをかけて聞いていたりしたのですが、どうも音楽があるとむしろ頭が活性化して寝付けない。

たどり着いたのは「単純な自然音」でした。「波音」「川のせせらぎ」「雨音」といった自然音は脳が動かず、そのまま寝入れます。この頃YouTubeではこのキーワードを入れると、ディズニーやジブリの音楽と一緒の自然音が入っているものが上位に来ますが、私は意味のある音があるのはダメなので、ひたすら自然音です。

この頃は雨と災害がセットなので(それも大災害)なかなか大きな声では言えないのですが、私は「やっぱり、雨が好き」。

毎朝6時の45分ウォーキングは昨年4月1日から「三日坊主で終わるかも」と思いながらやっていましたが、何と今日まで続いています。でも、時に朝静かな雨音がすると、「あ~、今日のウォーキングはお休みだ~♪」と思いながら二度寝する朝も嬉しい。

晴耕雨読さながらに、雨が降ったら全部お休みして、ずーーと好きなことをしている日。

結局ナマケモノということなのか(笑)

ちょっとはもう過ぎた

またまた緊急事態宣言が発令されました。オリンピックも東京は無観客になりました。ただ、ワクチン接種が進み、ちょうど今はアメリカの2月頃の状況、ワクチン接種にキャンセル待ちの人が並んでいたのが4か月前。日本はアメリカの4か月後を行っていることになります。

だからこれから4か月後が今のアメリカの姿。戸外ではマスクをはずし、スポーツ観戦やライブに熱狂する今のアメリカ。

もう少しの辛抱なのだ、出口は見えてるとコロナの不満を連打している子どもに言ったところ、「もう少しはもう過ぎたんだよ。もうお前は死んでいる状態なんだよ」

「友だちが居酒屋を閉めたんだ。もう無理って。去年の秋口がギリギリの状態で、年明けから何とか協力金でやってきたけど、その協力金が来なくなったんだって。もうちょっとじゃないかっていうけど、もうちょっとの我慢ができたのは去年のことで、今はもうちょっとの限界はとうに超えてるんだ。子どももいるし、奥さんが働きに行って何とかしのいでるって」

「幸い腕があるからどこかで働き口を見つけて働くって言ってる。テレビで出張シェフとかやってるけど、あれができるのはほんのわずかで、注文するのもごくわずかの人だけなんだよ」

本当に駅前のお店は閉店の張り紙が多くなって、新宿や池袋といった大きな街ほどそれが顕著らしい。

もうちょっとと言いながらオリンピックまで無観客になった東京。確かにもうちょっとなのだろうけれど、力尽きた人たちが立ち上がれるのはいつのことなのでしょうか。

貯金通帳預かってます

私の場合、夫の収入を知らなかったとも知っていたとも言える微妙な状態でした。何しろ生活費を渡してくれないので、額も知らなければ現物を見たこともない。

後年、タンスの上などに給与明細が無造作に置いてあったりしたので、額は何となく知っていましたが、お金が私に来るわけではないので、まったく興味がありませんでした。こんなにもらっているのに、なぜ生活費を渡してくれないかという疑問すら出てこない。

そういうものだと思ってしまう北朝鮮状態。思ったら理不尽だ思うし、どうにかしたい、今の状況を変えようとしなければならない、でもそれはできないから思うことを止めると状態だったのだと思います。

多くの方からお話を伺うと、「光熱水費や通信費やローン、学費など、通帳から落ちる物は夫が払っていた」という話をとてもよく聞きました。つまりはっきりと金額がわかるものは、夫が出していて、食費や日用品など、毎日出ていくような物には出さないのです。

これは一見して夫の負担が大きいように見えますが、実際のところ光熱水費は厳しく言われているので2万円で足りるし、通信費も夫の前で少し長く電話をすると(当時はスマホはない)夫がイライラしてくるのがわかるので、本当に基本料金に近い少ない額でした。

「ローンを払っているからいいじゃないか」と言われそうですが、田舎の小さな家のローンなんて38千円/月です。子どもの学費を払っているじゃないかと言われそうですが、給食費5千円です。5千円×2人分が学費となり、チマチマとある集金は私が払い、子どもたちの衣服や学用品など、子どもに関するものはほぼ全部私です。

一番多く占める食費は全部私。夫は運転免許がないので車を使わない。よって車にかかるお金は全部私。夫は乗るだけ。ガソリン代や保険料車検など、結構かかりますがこれも私。

収入は夫の方が断然多いのですが、私の収入はほぼすべて無くなります。

これがモラハラ家庭のスタンダードなのですが、沢山相談を受けていると、例外的な方も割といることがわかりました。

「避難前に家にどれくらい財産があるか調べておいてくださいね」と言うと、大体の方が「夫が全部隠しているのでわかりません」と仰るのですが、例外的に「家計は全部私が管理しているので大丈夫です」と言う方もいらっしゃるのです。

モラ夫は他人を信用せず疑い深いので、絶対に家計は譲らないものだと思っていましたが、自分で家計を管理するのが面倒くさいモラというのもいて、その場合は家の財産を妻が管理しています。

これは避難・脱出・離婚にはとてもいい状況となります。その状況にいる方は、離婚の際お金の配分がどうなるか研究し、離婚後の生活に備えたいものです。

弁護士選びは慎重に

モラハラ離婚の場合、モラ夫は話し合いになりませんので、ほぼ裁判所で行う調停離婚になりますが、その時は弁護士に依頼することになります。弁護士は特に必要なものではありませんが、いろいろと事情がありまして、弁護士に依頼した方がよろしいと思います。

いろいろな事情のひとつは、あなたは今険しい山に初めてひとりで登ろうとしています。ガイド無しでどのように登るおつもりでしょうか。もちろん今はネットが充実していますので、様々な情報は結構手に入りますから、やってやれないことはありません。

ただ、初めて山に上るにはどのような装備が必要で、頂上はどこで、どの道をどう通っていけばいいのかをガイドしてくれるのが弁護士です。そして最も重要なのは、別居して調停をして離婚するまで、あなたは一度も夫と会わずにこれをすることができます。

弁護士がいない場合、夫が急にあなたのところに来たり、子どもの学校に来る可能性、メールやLineを頻繁に送ってきたり、両親に電話をして脅したりする可能性があります。それをすべて退けてくれるのが弁護士です。

山に登ったら、「あと1時間ほどで中腹に着きますよ」「この先に景色のいいところがありますから、そこで写真を撮りましょう」「トイレはこの先にもうないので、ここで済ませてください」など、逐一教えてくれます。もちろんこれはネットにもある情報ですが、それはネットに上げた人の個人的な体験談であり、体力も天気も違うのに同じようにできるかはわかりません。

弁護士は依頼人の状態に合わせて調整してくれます。↓これはサイトにある弁護士選びのコンテンツですが、結構人気がありまして、ご利用になられる方が多いです。ここに出てくる弁護士に依頼された方もいます。

https://morahara.cocoon.jp/bengoshi.html

とにかく弁護士はDV事案を多く手掛けている方に依頼しましょう。物理の先生に数学を教えてと言ったら、国語の先生に英語を教えてというほどひどくはないけど、専門の人とはやっぱり違うということになります。

そのひとつですが、離婚裁判を傍聴していて、それはそれはあっと驚くような質問をした弁護士がいました。たぶん聞いた人は全員目がテン。それほどひどかった。あまりにもひどいので家に帰ってから弁護士の名前を検索すると(離婚裁判は妻、夫、弁護士の名前が全部わかります)、まったく畑違いの方でした。マジで国語の先生が訳した英文のようなもの。

今時の弁護士は大抵HPを持っているので、検索してみるといいと思います。ただし、「DVに強い」と書いてあっても全然知らなかったり、DVについての解説をずらずら書いてあっても「なんじゃこりゃ」の人もいますので、DVに詳しい友人や相談員と相談しながら依頼してはいかがでしょうか。

韓流の罠

友人も世の方々もこぞって韓流ドラマに釘付けになっていますが、私は「冬のソナタ」を3年くらい前に見たのが最初で最後で、後は見たことがありません。なぜならこぞってみんなが「はまる!」「ずっと見てしまう」と言うので、おそらく私もそうなるだろうなと思って見ないのです。

見たい気持ちはあるし、特に「愛の不時着」はぜひぜひ見たいのですが、なにぶんまとまって時間が取れないので、この甘い誘惑に負けずに今までやってきました。

ところに思わぬところに落とし穴が!

YouTubeです。

どうやらYouTuberの法則として「動画は10分を目安として作る」というのがあるようで、大体の動画は10分前後で終結しますから、ちょっと骨休みにとにゃんこ動画を見ていて、何気なしに横に出ていた「お勧め動画」をクリックしてしまいました。

#KritterKlubは韓国のテレビ局が母体になっている動物チャンネルのようですが、これが泣ける。うるうると感動しながら次々に見続けてしまう。

延々とかわいそうな場面を撮り続けている暇があったら早く助けろよ!と思う。

イライライライラ

でも、これが韓流の罠。

最後はレスキューし、手当てをして「あー、よかったよかった。うるうる」と思わせる。

これは「水戸黄門」セオリーと同じと思いながら、10分間の韓流の罠にまんまとはまってしまい、10分×何本も見続けてしまっている今日この頃。

それにしても動物に興味がなかった私ですが、子どもが猫を飼い始めて、しぶしぶそのお世話をしていたら、「にゃんこだけは大丈夫」になりました。

人って変わるもんですね。このシリーズ、時々刺激的なものもあるので、そういう物が苦手の方は注意して見てくださいね。

小池さんよくやってたじゃない

東京都知事の小池さんが疲労で入院し、昨日退院されましたが、舛添と麻生のコメントがひどい。

舛添「全国の選挙に駆り出され、体力の限界で倒れ緊急搬送された経験のある政治家として言うと、過労くらいで1週間も戦のときに休むのは政治家失格であり、私ならもう戦線復帰している。政治家にとっては選挙が一番大事だからだ。たとえばコロナといった病名を医者が正しく公表すれば万人が納得するのだが」

https://news.yahoo.co.jp/articles/54b13a2a2c8797d97ac7b71ddf9ec6a2e6727465

1年半、全国の選挙に駆り出されて毎日応援したのだろうか。選挙の応援と、伝染病の蔓延をどう防ぐかを同列に論じるだけでもう終わってる。

「(全身麻酔した股関節の)手術の翌日からパソコンで病室から指示を出すなど公務を行い、また広い病室に会議スペースを作り、都の幹部を毎日集めて会議をした。リモートでも大半の公務はできる。小池都知事の動きは、私には理解不能である」

股関節の手術と、1年半毎日コロナ対策を前線で指揮することを、一緒くたにして語るものでしょうか。私も去年全身麻酔の手術をしましたが、それ自体はどってことないです。痛かったら痛み止めをもらえばいいだけの話だし。

静養する小池氏に対して、麻生太郎財務相が「自分でまいた種でしょうが」と発言したことで炎上。麻生氏は応援演説で「(都民ファは)代表の国会議員がいないから(国に)話が通じない」「自民党とつながっている人が(都議に)いなきゃ話がつながらない」と、都民ファが国政へのパイプを持っていないことを批判していた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6feac7f5afee5922737c1bf649933d6b3c6e72ba

敵に塩を送るという言葉はこの方の辞書にはないようです。せめて「ゆっくり静養してください」とでもいえばいいのに、お宅の大将、国が重大な危機になるとお腹が痛くなって戦線離脱しましたよね。それも2度も。

小池さんは6月、18歳のヨークシャーテリアを亡くしたそうです。なんだ犬かと思う人は物を知らない人。私の周りでは全員「親が死んだ時より悲しかった」「親が死んでも泣かなかったけど、ペットが死んだときは号泣した」「2年間うつになった」と口々に言います。

つまり親が死ぬより悲しい出来事があって、そのほかに減らない感染者数、オリンピック問題と、普通の政治家が10年間やっても出てこないような問題に1年半取り組んでいたのですよ。私は毎日テレビに映る度に「よくもってるなぁ、鉄人か」と思っていました。

ここで潮目が変わるかもしれません。「小池、なにやってんだ!」ではなく、「小池さんを応援しよう」になるかもしれませんね。


「最後だとわかっていたなら」

6月28日、千葉八街市で痛ましい交通犯罪がありました。

”千葉県八街(やちまた)市の路上で28日夕、下校中の小学生の列に大型トラックが突っ込み、児童5人が巻き込まれ、2人が亡くなった。事故後、運転手からはアルコールが検出された。”

https://news.yahoo.co.jp/articles/053436211cda3c687222e2bc670d9605d644742a

ちょっと違和感があるかもしれませんが、「交通事故」という名称は犯罪被害者支援をする人たちの間では使われず、代わって「交通事件」「交通犯罪」という言葉を使います。被害に遭われた方やその遺族の方たちにとって凶器の刃物が車になっただけで、自分の身近な方が亡くなったり傷ついたりしたことに変わりはないからです。

ただ、車の場合どんなに注意しても誰でも加害者になりうる可能性がありますので、故意に起こす普通の犯罪とは少し違った趣があります。しかし、今回は飲酒運転ですので、これはもはや交通犯罪です。

佐藤清志さんは娘の菜緒さんを交通犯罪で亡くした被害者遺族です。事件の後、佐藤さんは交通犯罪撲滅を祈り、全国を講演で回っています。

https://news.yahoo.co.jp/byline/yanagiharamika/20180410-00083823/

その佐藤さんが講演の最後に朗読する詩があります。

「最後だとわかっていたなら」

アメリカ人の女性が、10歳の息子を亡くし、その悲しみの思いを綴った詩です。

https://www.sanctuarybooks.jp/saigodato/poem.html


作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦
 
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう
 
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
 
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
 
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
 
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
 
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
 
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
 
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
 
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
 
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう
 
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

事件が起こる日の朝まで元気だった子どもが、物言わぬ体になって帰ってきた遺族の方の思いを想像すると、犯人を憎んでも憎み切れません。

壊れた母

長々と書いてきましたが、横暴だった父親が年を取ってから正気になり、定年になる頃はむしろ社会通念を知っていて、働いている子どもと話は合うし、アドバイスや協力もしてくれるようになったという話は時々聞きます。我が家もそうでした。

ところが壊れてしまった母は、もう元には戻らない。社会で生きていくための知識はなく、ひたすら昔の恨み言と父親の愚痴を言い、不満ばかりを垂れ流す困ったちゃんとして家族からも疎まれています。

こんなはずではなかったと思うでしょう。本来ならば自分が耐え忍んで守った家や子どもなのだから、全面的に自分に感謝し、自分の味方として夫と対峙してくれるはずだったのに、なぜか夫と仲良くしている。

面白くない。自分がいなければこの家は成り立たなかった、生活も、経済もすべて自分が耐えて堪えて、必死で守ってきたから今があるのに、なぜか子どもは自分に感謝せず、ひとりで大きくなったような顔をしている。

それでも家事ができている母はまだ家事労働者としての存在感はありましたが、子どもが独立したらそれも無くなって、ただの愚痴垂れ流しマシーンとなってしまいました。

今、モラハラ夫と共存している方に向けてこれを書いています。家や子どもを必死で守り抜いた後、子どもたちがこぞって感謝して今度は自分が守られると思っていると、足をすくわれることになります。

もちろん苦労した母を思い、その苦労に感謝し、定年後家にいてまだ横暴の限りを尽くしている父親から母を守っている子どもはとても沢山います。では、どこが違うのか。

守られる母は愚痴の垂れ流しなどはしません。ひたすら不満ばかり言い続けたりしません。精一杯自分の人生を生きようとしている母だから、かばいもするし感謝もする。義母がそうでした。

私の母よりもよっぽど苦労していましたが、その昔話はたまに聞くことはあっても頻繁ではない。いつも私のことを気遣ってくれて、何も言わなくても助けてくれました。もし義母が生きていたならば、介護もしたかもしれません。でも、義母は介護を望みはしなかったでしょう。そういう人だから感謝もできるし心からのいたわりもする。

そこが違うのだと思います。

一番の戦犯は誰だ

延々と母について書いてきましたが、では母は最初からこのような人だったかというと、そうではありませんでした。母が変わったのは父の転勤で別の土地に移ってからです。

それまでの記憶として母にいじめられたとか、ひどい言葉を投げつけられたとか、そういう記憶はありません。8歳までは両親から本当に愛されて育てられてきたと思います。

1年生の時に母が作ってくれたハモニカ袋には、母が得意だった刺繍でピンクの花がステッチされていました。その花模様は今も覚えています。

新しい土地に行き、父は仕事でパワハラに遭い、さらに「自分は秀才」というプライドと学歴がない劣等感でそのストレスを酒で紛らわすようになりました。

元々酒は強くない人で、いわゆる酒乱。飲んで帰ってきては泣きながら吠える吠える吠える。

ふとんの中で耳を塞いでいても、父の吠える声と、なだめる母の声は聞こえてきます。

夜7時を回っても父が帰って来なければ飲んでくるということ。母は小学生の私に会社に電話をかけるように言います。父が会社にまだいれば、家族がほっと胸をなでおろし、いなければまた飲んでくるのだと家中が暗くなり、厳戒態勢になります。父は会社で「7時の男」と言われていたそうです。

何度も夜親戚や電車で2時間の祖母の家の家に避難し、近所の旅館に泊まったこともありました。飲んでくるにはお金がいる。父が生活費を飲み代に使ってしまうせいで、いつも母からは「金食い虫」と言われ、母の機嫌が悪くなるのが怖くて「お金、ください」が言えない。

さらに住んでいたところが社宅で、近所は全部会社の人たち。学歴がないので一向に出世しない父。近所の奥様方とのヒエラルキーに、負けず嫌いの母が反応しないわけがない。

とにかく家を建ててここを出たい。家を建てるお金を作るため、子どもの学用品や着る物や食べるものには全部事業仕分けで避けられました。

一番の戦犯は父です。これはもう間違いない。会社でパワハラに遭っても、秀才なのに学歴がないために出世できなくても、そのストレスを家に持ち込んだのは父の甘さです。家族への甘えです。

#パワハラに遭っていたら、外で酒を飲んで家族にあたってうさを晴らしてもいいのかと思う。私もパワハラに遭ったけど自分でなんとかしたぞ。子どもに当たり散らすなんてしなかったぞ。

ひたすら父のプライドの高さが母を壊し、子どもたちは機能不全の家庭で育ったACとなりました。

ところが父が50歳を過ぎた頃、父曰く「なんだかつきものが落ちたようにすっきりした」のだそうです。もしかしたらパワハラの原因が無くなったのかもしれません。

それからは酒は宴会などでたしなむ程度。酒さえ飲まなければ良い父親ですし、単身赴任で週末しか帰って来なくなったこともあり、家には平和が戻ってきました。

でも、壊れた母は変わらない。「自分は世界で一番不幸」という被害者意識だけを大量に抱え込み、家族の中でいつ爆発するかわからない困ったちゃんになりました。

母はもうどうでもいい

こちらの続きです。

もう母親に対しては恨みがあるとか、愛して欲しかったとかそういう気持はまったくありません。彼女は彼女なりの気持ちで娘を育ててきたと思います。ただ、彼女は「嘗めるように娘をかわいがってきた」と思い込んでいるでしょうから、実際にしてきた子育てと私の気持ちとの間に相当の乖離があり、それを塞ぐことは無理だと思っています。

それを実現させるには

「彼女にはその能力がない」

それにつきると思います。

能力のない者にそれを求めても無駄。ちょうど精神障碍者は罪を負わせないと同じ感じです。本人に自覚がないのに罪を償えと言っても、言っている意味がわからないのだから、言うだけむなしいという気持です。もう、アホらしいというか。

信田さんは昔からACについて、沢山の本をお書きになってきました。それまで「どんな親でも子どもを愛している」「親に孝行しろ」という大合唱に、正面から「子どもを愛せない親は確実にいる」さらに、「その数は世間が思っているよりもずっと多い」とも提唱してきてくださっています。

この記事では、5月6日に放送されたクロ現プラス「親を棄ててもいいですか」になぜ出演されたかも書かれています。

NHKクロ現プラスの中で、若くてきれいな女性アナウンサーが「例えば親が死ぬ時に立ち会うことによって、今までの経験を整理して、次への一歩を踏み出すきっかけになるのではないでしょうか」と言った時、思わずいらっとしました。

#あなたはきっと母親に愛されてきたんでしょ

#NHKのアナウンサーになるくらいだから、何の不自由もなく好きな学校に行けて、暖かい家庭で育ったんでしょ

このアナウンサーの言葉はこの回の冒頭、親が死んだ時に出棺に立ち会わず、代行業者を使った人に対する言葉です。

「せめて親が死んだときぐらい、立ち会えよ」という世間一般の、常識という無邪気な悪意に満ちた言葉を発しました。

それに対して間髪入れず信田さんが「そうなったらいいですよね。でも、ドラマみたいに行かないんですよ」と言いました。

きっとこの女性アナウンサーの頭の中は「???」だったでしょう。

それくらい、親に愛されてきた人とそうでなかった人には大きな隔たりがあります。

この記事の中で信田さんは「親に謝って欲しいのです」と書かれていますが、私はとうにその気持ちはありません。理由は最初に書いた通り、意味のわからない謝罪をされたところで嬉しくもなんともない。今そんなことを言ったら「ナニ企んでるの?」としか思えない。

親に謝って欲しいと思っている方は、まだまだ道半ばな方なんだろうなと思います。

私は別に親を棄てたいとは思っていません。ただ、その親が私や私の家族(子ども)の平和を脅かそうとする行動に出たら、一気に排除します。母はもう私に家族の一員ではなく、遠いお星さまの居住人。そこからインベーダーとしてやってくるなら、地球防衛軍として断固侵入を阻止します。