背番号16に昭和の人間は思いを馳せる

今日のWBC準決勝はすごかったですねーーー。ラッキー祝日で、いつものように友人たちとLINEでの同時観戦となりました。

今まで危なげなく勝ってきましたので、どこまでもこの好調が続くと思いきや、追いつけば突き放されるで、まったく気の抜けないゲームになりました。

LINEの画面にはお祈りや汗のスタンプが飛び交い、「ドキドキする~~~」「心臓に悪い~~」の文字が飛び交います。たぶんTwitterとかもそうだったんだろうな。

家でひとりで観戦しても、なんとなく友だちと一緒に見ている感覚は未来的。コロナで現実になりました。

さて、今回の大目玉は大谷ですが、彼が背負っている背番号16を見ると、昭和生まれの私が一瞬で思い出すのは

星飛雄馬。

もう「ひゆうま」とキーボードに打ってもまったく変換されない古代感。

伝説の野球漫画「巨人の星」で主人公の飛雄馬は、読売巨人軍元監督の川上哲治が背負っていた背番号で、巨人軍の永久欠番である16を川上監督から授けられます。

あの頃、この漫画(アニメ)を見ていた人たちは背番号16と聞けば即座に星飛雄馬を思い出すと思うんですけどね。

WBCでこの16番が躍動するのを見るたびに、土曜の夜7時に放映されていた、まったく立体感のない絵を思い出します。

そして飛雄馬の父が腕を強化するために飛雄馬につけさせていたのが「大リーグボール養成ギプス」(当時はギブスと発音していた記憶が)。

今なら児童虐待ですが、たぶん日本のどこかで同じようなものを子どもにつけさせていた親はいると思う。身近にこのアニメに感化された父親が、夜になると嫌がる子どもを外に連れ出して、一緒にうさぎ跳びをしていたのがいましたから(子どもは高校生で家出。その後行方知れず)

あの頃「大リーグ」なんてどこの星かと思っていましたが、今や日本のプロ野球は大リーグに行くまでの腰掛けみたいになって、張本さんを怒らせています。どのスポーツもそうですが、目標は日本一ではなく世界一になっていて、あの頃と隔世の感があります。

「巨人の星」で大リーグからやってきた「オズマ」は、なぜか「ユー」とか「ミー」という単語は英語なのに、難しい会話では日本語をしゃべるのは突っ込んではいけない謎でした。

大谷選手はもはや世界の大スター。羽生弓弦さんもそうですが、大スターになっても決して驕らず、謙虚に徹する姿は清々しくて見ていてとても気持ちがいい。

さて、明日は私もお休みなので、しっかり決勝戦を見届けたいと思います。友人は仕事をしながらアマゾンプライムで見ると言っていますが、サッカーの時に本田の解説が面白いのでabemaにつないだら、回線が込み合って全く繋がりませんでした。たぶん明日も同じ状況なのではないかしらん。

それにしても侍ジャパン。みんな少年が大人になって野球を楽しんでいるように見えて、見ているこちらも草野球応援のように歓声をあげながら応援したくなります。

あの時に言わなくて未だに後悔していること

私の家の近くには割と大きな保育園があります。今でもその保育園の前を通ると「あの時になぜ言わなかったんだろう」と後悔することがあります。

それはお迎えの保護者がパラパラとやってくる夕方過ぎのこと。70代後半と思われる、絵に描いたような白髪頭のおばあさんが声高にふたりのお母さんに向かって怒鳴りつけていました。

その三人のそばを通り過ぎる時に聞こえてきたのは

「こんなところに子どもを預けて!自分の子どもくらい自分で育てなさい!」という声でした。

ふたりのお母さんは困ったように下を向いていました。私はそのおばあさんに言ってやろうかどうしようか迷って、言うタイミングを失って通り過ぎてしまったことを今も後悔しています。

「このお母さんたちが働いているからアンタは年金をもらえてるんですっ!そんなことを言うんだったら、今すぐ役所に行って自分は年金はいらないからと言って来い!」

我が母も「子ども子どもって子どもにばっかりお金をばらまいて、あたしらの時はそんなお金がなくてもちゃんと自分で子どもを育てたもんだ」と言ってる。

母よ。あなたが子育てをしたのは60年以上前のこと。時代は大きく変わる。60年前は便利な家電も車もなかったでしょ。高校を卒業したら働くのが当たりまえ、中卒で働いていた人もいたでしょ。

それと現代を同等に置くのがおかしい。昔はお父さんひとりの稼ぎで一家が食べられたけれど、今は低賃金の夫婦がふたりで働いてなんとかなる時代。ひとりが倒れたらアウトだ。

昔は近所の婆ちゃんが子どもの面倒をみてくれたかもしれないけれど、今はそんなことはできない。保育園に6時過ぎまでしっかりと預けて働かないといけないんです。

「子どもを預けて楽をしている」わけではなく、「子どもを預けて税金を納めて社会を回している」んです。

あの婆ちゃんにはわからない理屈かもしれないけれど。

高齢者施設で働く人がいなくなった理由

コロナが一般的な伝染病になってきたので、超久しぶりに母の施設に行きました。今までは施設の中に入って何かあったら困るので、会うのはいつも外でした。

それなりに差し入れた手作り惣菜などを一緒に食べていたら、話好きの母が「介護の人たちがごっそり辞めたんだよ。何があったんだろうね」と言います。

ごっそりといなくなったのは何かあったに違いないだろう。高齢者施設は何しろ人がいつかないところだけど、ごっそりとやめたとなると、たぶんみんな団結して辞めたんだろう。人手が足りなくて困っているだろうと思っていたら母が「そのせいだかなんだか、食事のトレイの箸が3本だったり、1本だったり、めちゃめちゃ。この間はいつも怒っているおじいさんが大きな声で叱りつけてたわ」

わ、目に見える。

「そんなことをするからみんな辞めるのよ。給料は安いし、じいさんばあさんは口うるさいし、細かいしだから」と言ったら

「箸2本を並べるなんて大したことじゃないじゃないか。こんなミスしてって、みんな言ってる」

ミスだって。母はこちらにきてから英単語が増えた。この間は「ディサービスがハードで」と言っていた。ハードだって。きっと周りの人たちが言っているんだろう。

90歳を過ぎても進化ってあるんだなと思いながら、これだから高齢者施設には人が来ないんだわとしみじみ感じていました。

思い出が終わる時

東京に来たのは2009年の3月からですが、その前に準備のために何度か訪れていました。2月のある暖かな日、自転車10分ほどのところにあるパン屋さんに行きました。たくさん種類があって、トレイに自分の好きなパンを置いて会計する形式のパン屋さんです。

そのパン屋さんの出入り口はテラスになっていて、買ったパンをそこで食べることができ、50円ほどの安い値段でちゃんと抽出されたコーヒーも飲めます。

ぽかぽかと暖かな昼下がり、サンシェードにうすぼんやりと映ったお日様を見上げ、「幸せだなぁ」とつぶやきました。

故郷は今頃小雪がちらついているか吹雪か、毎日グレーの空の下でみんな「さむさむ~」と言いながら過ごしているだろうに、私はこんなにさんさんと太陽の下でアンドーナツを食べている。

「幸せだなぁ」とひとかじりしたアンドーナツは私の好きな粒あんではなくこしあんだけど、からりと揚がった皮にまとわりついたグラニュー糖が、じゃりじゃりと口の中で擦れ合いながら、アンコと皮と混じり合いながら喉を下っていく。

そのパン屋さんが日曜で閉店になりました。コロナ以降、あちこち閉店になることが多くなりましたが、松屋とこのパン屋さんは私の「東京への第一歩」の象徴のようなものでしたから、寂しいものがあります。

こうやって時が過ぎ、いろいろなものが変わっていくんだ。それは仕方のないことなんだ。

そうは思っても、思い出フェチの私としては、またあの時と同じようにアンドーナツを買って、テラスに腰掛け、あの時のことを思いながら、グラニュー糖まみれのアンドーナツにかじりつくのです。

陽のあたる部屋は暖房いらず

我が家のリビングは南向きにベランダがあります。ここには今お正月の定番、葉ボタンとパンジーの寄せ植えと3種の色のゼラニウム、南天とパンジーの寄せ植えの鉢があります。(万年青は室内に避難中)

そして去年100円で買ったキンギョソウがいったん全部花が落ちて葉だけになったものの、また新しい芽が復活し、黄色い花を咲かそうとしています。

1月の厳寒期ですが、このリビングには日中は暖房を入れていません。確かに朝晩は寒いのですが、朝は日が昇る時間になると春のように暖かくなるのでエアコンは切ってしまい、夜はすこし寒いのですが、去年買ったこの充電式湯たんぽに足を突っ込むと充分暖かい。

これにひざ掛けをかけるともう他の暖房器具はいりません。11月分~12月の電気料金がクレジットに上がってきていますが、3,400円でした。本格的に寒くなってきたのが12月からなので、2月請求分の電気代を見なければならないのですが、たぶんそれほど高くならないのではないかと思っています。

これはひとえにこの鉄筋コンクリートでできた建物が、昼間の暖気を閉じ込めて、それが長時間部屋を保っているからではないかと思います。

では夏は暑いのかと言えばそれはなく、外の熱気を建物が防いでくれて、エアコンは必要ですがそこそこ涼しい。

夏の一番エアコンを使った時期の電気代は5,600円でした。寝室は寝ている間中エアコンをつけっぱなしにしていました。

大きな光熱水費高騰の元になるお風呂は、私は100%ジムで入るのでまったく影響がありません。本当に湯水のようにお湯を使って毎日洗髪しています。髪を乾かすドライヤーも電気代がかかるものですが、当然ここで乾かすので家での使用はありません。

80歳を過ぎたような高齢の方たちもジムを銭湯としているようで、体は動かさないけれど同じように毎日通われています。銭湯並みの大きな湯船が複数とサウナもあります。サウナには時々入ってじんわりと体を温めています。

ジムのお金は13,000円と安くはありませんが、もしうちでお風呂に入ることになったら、光熱水費が相当上がってしまうことになります。実際コロナでジムが閉鎖していた時は「え?」というくらい光熱水費が上がったので、お風呂は1日おきにしていました。

よく「光熱水費の高騰で」とニュースで聞きますが、我が家においては実感がありません。一人暮らしの光熱水費は1万円で足ります。

お部屋を選ぶときは南向きがやっぱりベストです。東向きだと午前中は明るいのですが、午後からすごく暗くなる部屋があります。西側に窓があると当然西日で暑くなります。

また、一番上の階にすると屋根の熱気が直接伝わってきますので夏は暑くなります。両端の部屋にすると同じように外気温を直接受けるので、暑くなったり寒くなったりします。

あまりないでしょうが、高層マンションは外に出るためにエレベーターを使わなければならず、そのエレベーターがなかなか来ないということで、外に出ることが億劫になってしまい、運動不足の原因になるそうです。

避難先のお部屋を決める時の参考にしてください。

探し物は何ですか?

ここのところ小さな災いが続いていました。一番は失くしもの。いつものことだとは思いつつ、失ったものがいつもは何気なくそこにあって、気にもとめていなくて、あるのが普通だったものが、ある日突然失ってしまったという喪失感。

長い間使っていたものがふたつ、突然行方不明になってしまいました。あらゆるバッグやポケットを探しても見つからず、もしやあそこでと思うところに電話をかけて聞いてみても、やっぱり見つからず、無くなって初めてわかるその物の存在の大きさを知るという、自責が延々と続くこの失くし物。

もしかしたら私は普通の人よりも物に対する執着心が強いかもしれません。捨てることもかなり一生懸命やらないと捨てられません。捨てたら捨てたで「あー清々した」となるのですが、捨てるまでの決心がなかなかつけられないのです。

この冬、いつも通っているちょっと長距離な場所へ自転車で走っていて、ふと「この道を行けば近道かも」という悪魔の囁きに負けて、行ってみたらとんでもない迷路。結局google mapを使ってようやくたどり着いたのは「この道を行けば」というスタート地点。

へなへなへな~となりながら目的地に向かおうとしたら、手袋が片方ありません。どこを探しても見つからず、時間も押していたので「帰りに時間があったら探そう」と目的地に行きました。

さて帰り道。時間があるので手袋の片方を探そうと思いました。

100均ショップで200円で売っていた手袋です。しかも2シーズン目。手袋はよく無くすので高いものは買わないと決め、100均でいいやと思っていたらこういう物に限って無くさない。今シーズンで捨てようと思っていたのですが、手袋の片方だけが無いという状態は、もう片方の手袋が寂しい思いをするのではないか(しない)、捨てるときは両方一緒に捨ててあげたいとか(どうでもいい)、どうも感情移入してしまい、探すことにしました。

ところが道に迷っていたので、どこをどう通ったのかわからず、とりあえず迷った時に目についたファミレスの看板名をGoogle mapに入力し、そこを目的地としました。なんとなく「あ~、ガストがあるな~」と心に刻んでいたのです。

そしてあの迷った道にやってきました。どこで落としたかわからない手袋の片方を探す(しかも100均の!)という、ナニやってんだかという気持ちですが、ここで見捨てて後から雨に濡れている片方の手袋のことを思うと、きっと後悔するな~、やるだけやったんだからという証拠だけ残したくての手袋探しです。

あるわけがないと思いながら、それでも歩道を目で探していくと、

「あったーーーーー!!!!」

ガードレールの脇にちょんと、落ち葉にまぎれながら、手袋が落ちていました。もう片方の手袋と同じ模様(当たり前だ)の、2シーズン使った100均の手袋。

「ありえない!奇跡だ!」と思いながら手袋を拾い上げ、ペアにしました。「よかったねー、相棒が帰ってきたよ~」と手袋をはめ、小躍りしたい気持ちで帰路につきました。

冬はあちこちに片方の手袋が落ちていて、それは持ち主が「あー、落としちゃったー」「失くしちゃったー」という、軽い気持ちで諦めている方が断然多いとは思いますが、私はどうも自分の物だったものが自分の手から離れていくことに寂しさがあるのです。なので海外旅行に行くときに「捨ててもいいような物を持って行って、向こうで使って捨ててくる」ということがどうしてもできません。お弁当に入っている魚の形の醤油入れさえ、海外では「同胞」。

「みずしま~!一緒に 日本に 帰ろ~~!!」(←ビルマの竪琴)

と言いながら日本に持ち帰って捨てるという、わけがわからない構造です。

いつも気にも留めずに自分のそばにあって、でも無くなると無性に愛おしい。しかも自分が注意深くしていれば避けられた事故なのに、全部自分の不注意のせいで失ってしまったという自責感。

失くしものは本当に探す時間の無駄です。ちなみに冒頭に書いたふたつの物は出てきました。一つは出先に電話したら「ありますよ~」との返答があり、もう一つは何度も探したはずのバッグのポケットに入っていました。

探し物は何ですか 見つけにくいものですか かばんの中も机の中も 探したけれどみつからないのに まだまだ探す気ですか  ~中略~ 探すのをやめたとき 見つかることもよくある話で (by 井上陽水 「夢の中へ」)

いつもこの歌が頭をぐるぐるしています。

お勧め濡れマスク

乾燥して喉がイガイガひりひりする季節になりました。東京ではもう22日も雨が降らない日が続いています。更に寝室はエアコンも使うようになったので、部屋の乾燥度が上がりまくり。

加湿と一体型の空気清浄機があるリビングはまだいいのですが、ベッドのある北側の部屋にはクローゼットがあるのでカビの原因になる加湿はしたくない。

北側なので寝る前にエアコンはつけますが、部屋が狭すぎてあっという間に壁が暖かくなるので、10分ほどで切ってしまいます。それでも室内は乾燥はしているので何とかしたい。ということで、日中使っている不織布マスクを棄てずにお湯で濡らしたガーゼを挟んで使用してみたら、とっても楽になりました。

#老眼鏡が曇るのがデメリットか

これはいいわと、リビングにいる時も、要するに食事以外は全部マスクをするようになりました。外でするマスクは鬱陶しいですが、家で湿度を含んだガーゼをはさむと気持ちいい。

ガーゼは30分ほどでカラカラに乾いてしまいますが、しばらくはこの方法で喉を労わります。

疲れたけどがんばりました

お正月が終わり、客人(子どもたち)がいなくなり、静かになったのでやらなければいけないものに手をつけることにしました。

お気づきのかたもおられると思いますが、昨年暮れよりこの管理人の小部屋にアクセスすると「warning」という警告が発せられるようになっていました。

ただ、一瞬なのでその警告がナンなのかがわからない。

ということでやっと時間ができたので、スマホで動画撮影してそのwarningをつきとめました。

#警告するなら警告するなりにわかるようにしてくれないだろうか

そしてスマホの画面のwarningのところでストップして警告を見てみたら

warning:creating default object from empty value in/————————-/wp-includes/post.php on line 1767 という謎の文字が。

これはいったい何ですか~~~♪

とにかくググりまくって、多分Word Pressをバージョンアップしたら消えるのではないかという結論になりました。

そういえばたまに「更新しました」のメールが来るので自動的に更新されているものだと思っていたら、Word Pressにはいくつかの種類があって、私がずっと使っているのはもう古くてセキュリティの安全性が低いらしい。

それならさっさとバージョンアップをすればいいのでしょうが、Word Pressに限らず、バージョンアップをするととんでもない事態になることがあります。

ググってみれば「Word Pressをバージョンアップしたら真っ白な画面になった」「動かなくなった」「レイアウトがガタガタになった」と恐ろしいものが山盛り出てくる。

AmebaとかHatenaとか、既成のサイトで作っている方はこういう苦労はないのでしょうが、何しろ自前で作っているブログですから、メンテナンスも自分でやらなければならない。

最初に「Warning」で検索すると、「放っておくと重大なことになる可能性がある」とのことで、ともかく嫌でもなんでもバージョンアップせねばならない。

そしてバージョンアップの準備をすること3日間。バックアップを2種類で取り、ついでにバックアッププラグインを導入し、自動でバックアップをとれるようにして(今までバックアップしていなかったのが怖い)、もしバージョンアップして事故った場合のために元に戻すプラグインを入れと万全の準備でのぞみました。

3日間、腰を据えてバージョンアップのための知識を入れ込んだおかげで、Word Pressについてそこはかとなく詳しくなりました(1か月で忘れる)

なんで更新の数字が2種類あるのだろうと不思議だったのはWord Pressの更新とPHPの更新の2種類があるためで、このPHPの更新はサーバ側にある設定をささっといじれば簡単にバージョンアップもダウンもできることがわかりました。

もしバージョンアップに失敗しても、すぐに元に戻せる。

使用しているプラグインもテーマも全部更新した。後はWord Press本体だけ。

でも、もし失敗したらどうしようと、なかなか更新ボタンが押せません。

準備は全部できた。失敗したときの対処法も大体わかった。後は押すだけの押すだけができない。

#ロケット打ち上げもこんな感じなんでしょうかね。

今日やらなくても明日でもいいんじゃね?と、お茶を淹れたりみかんを食べたりしながら現実逃避するする。

そしてふと、「取りあえずこの『更新』ボタンを押せば次の画面になるだろうから、それから考えよう」とポチ。

あれ?何かしてる、動いてる。

もしかしたら

「更新作業しちゃってる?!」

ブログが真っ白になったり、レイアウトがガタガタになったり大騒動になる!?

「やば!!」とストップさせて「ほーっ」一息つき、Word Pressのバージョン情報をクリックしたら、あらびっくり。

更新しちゃってる。

あわててこの編集画面を開いたり、あちこち見たけど全部セーフ。

できちゃった。3日間、必死でググりながら調べて調べてを繰り返した「更新」があっと言う間にできちゃった。

「ふ~~~~」と一息ついて、「これって還暦過ぎた孫のいるおばあちゃんのやる仕事じゃないよね」

エンジニアでもちゃんと勉強したわけでもない普通のおばあちゃんが20年前からずっとこうやってサイトを作ってきましたが、PC本体側で作るものと違って、サーバ側を動かすものは意味がわからず、もうそろそろ限界かしらと思っていました。ま、とりあえずなんとかバージョンアップが完了いたしました。

ある日突然サイトやブログが消えたら、何かやらかしたと思ってください。

謹賀新年-今年もよろしく

三が日は子どもたちが家に来ていたので、わいわいの賑やかなお正月でした。3日まで我が家で寝泊まりしていた子がいたので、昨日全員帰ったとたん、いつものものをいつもの場所に戻す作業やら、布団を再度圧縮して押し入れにしまう作業やら、冷蔵庫の整理やらで疲れ果てました。

今年は孫も加わっていたため、目離しできなかったり、ぐずって泣き出したら全員であやしたり(かえって大泣きになる)と、人数が増えると、なにかと勝手が違っていました。

この中でたぶんこの先一番長く生きるであろう赤子には、孫が自分で模索しながら満足する人生であってほしいとも思います。

子どものパートナーの実家は地方のごく普通のお宅です。穏やかなお父様と明るいお母様の家で育った彼女と巡り合ったことは「でかした!息子!」でありました。

私も元夫も機能不全の家庭、そのふたりが作った家はモラハラ家庭と、2代続いた円満ではない家庭に、初めて普通の家庭で育った方が加入されたことで、我が家系はやっと軌道修正ができそうです。

パートナーのご両親は「孫には何事もなく、良いレールにのって幸せに生きて欲しいと願っています」と仰るのですが、それにブンブンと首を振ったのが息子と私。

「この子にはこの子が選ぶ生き方があります。それが傍から見て安全ではなさそうと思えても、子どもが選んだなら行ったらいい。私たち大人は援護できるものであればすればいいと思います。小さな頃の躓きはむしろいい肥料になります。転びながら、挫折しながら、何が自分のやりたいことなのかを模索してほしいと思います」

普段は何かと意見の相違がある我が親子でありますが、ここは一致しています。

ご両親は「何事もないことがいいと思うんですけどね」と不思議そうにされるのですが、そこは穏やかな方たちなので、ここで論争とはなりません。

「大事なのはレジリエンシー、復元力です。転んでも自分で起き上がる力です」

さて、息子よ。正月我が家にいた時に、赤子の取り扱い方を見ていたけど、丁寧とは言い難かった。普段あまりやっていないでしょー。哺乳瓶の取り付け方もぎこちない。こういうのは離婚の時に「子どもを乱暴に取り扱う」と離婚原因のひとつになるんだから、心して子育てするように。

さて、2023年は共同親権の正念場の年です。

こちらをご覧になって、ぜひ法務省にパブコメを送ってください。共同親権になってワクチンも子どもの進路も何もかも、モラ元夫が嫌がらせをしてきます。今回はコビトさんは何もしてくれません。王子さまは向こうから来てくれません。

安全安心は自分の手でつかみましょう。

今年もお世話になりました

2022年もあとわずかになりました。年を取ると時の流れが速くなりますが、本当に昨日お雑煮を食べたような気がします。ブルーレイに録画した「2021年今年の出来事」が見終わることができず、まだ未視聴の印がついています。

コロナはいまだに生活の一部になり、マスクなしの顔しか知らない方も増えてきました。

著名な方が次々と亡くなり、どんどん昭和が遠くなる。来年もまたこのブログを書いているかどうかわかりません。

ウクライナの戦争もまだ終わる気配がありません。

地道に一歩一歩足元を見つめながら、また来年、ここでお会いできたらと思います。

2023年がみなさまにとってよい年になりますように。

何しろ共同親権反対のパブコメを送ってくださいね。