一生懸命難しい言葉を使って話をする人

特に男性が多いのですが、一生懸命難しそうな言葉を使って話をする人がいます。ただ、その難しい言葉とはそれほど難しいわけではなく、そういう言葉を日常使っている人にとっては普通の言葉なのですが、一生懸命使っている人はどうやらがんばって使い慣れない言葉を必死に繰り出しているらしく、どうも身についていない。

これを会話のそこにその言葉をはさむか?という単語を挟んでくる。たぶん普段は使っていないんだろうなぁと思われる英単語だったり熟語だったり。

私はこれを長〇〇茂的な人と自分の中で呼んでいます。朝のワイドショーのコメントを聞いても、どうもこなれていない単語を一生懸命探り出して話している様子はとても違和感があります。

とある男性と話をしていて、「これは男女平等でジェンダーでダイバーシティーだ!」と叫んだ方がいました。どうやら男女の区別なく公平にお金を出し合いましょうと言いたかったらしいのですが、そこにジェンダーとダイバーシティーを持ってくるあたりがなんとも情けない。

この方も前述の〇島的なお話をされる方でした。とにかく繰り出される言葉が身についていない。

昔、何かの本で「五木寛之は簡単なことを難しい言葉で話す。○○は(忘れた)難しいことを簡単な言葉で話す」と読んだことがあります。本当にわかっていればとても簡単な言葉でシンプルに話すもの。中途半端にわかっていると、回りくどく難しい言葉を使って話します。結局よくわかっていないから、何とかやりすごそうとする。

人は普通話している相手がどれくらい経験値があって、どれくらいの言葉なら理解してくれるかを考えながら話すものです。小学生に難しいことを言ってもわかりませんから、子どもがわかるような言葉で、例をあげて話してあげます。

大人も数分話せば相手がどれくらいわかってくれそうかをまず探って、そこから話すことは普通の人ならみんなしています。

使い慣れない、自分が難しいと思っている言葉を無理して使っている人を見ると、無理しなくていいのにと思います。

電子レンジ調理器がブーム

最近仲間グループラインでのブームは電子レンジ調理器です。こういうものがあるというのは以前から知っていましたが、12,000円もするので手は出せずにいたところ、友人がこれ便利とグループラインに乗せてきました。

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3,000円台ですが形が丸いので仕舞うときに幅を取るのと、もう一声お安いのを探してみたら、ありました。

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調理器具に2,300円なら払えるし形も四角い、ということで早速購入。

炊飯器で煮物を作ったりケーキを作ったりする人はいるようですが、何しろ一人暮らしなので調理は今まで小さな鍋でちゃちゃっと作っていました。煮物はシャトルシェフを使うし。

油が飛ばないというのはいいなぁ、焼き魚が焼けるというのもいいなぁ。

炒め物は油が飛び散るので結局コンロ周りを掃除しなければいけないし、焼き魚のグリルは網に魚の皮が張り付くし、下の皿も洗わなければということで、一切れ焼くのも大仕事。よって焼き魚をあまりしなくなってきました。

材料と調味料を全部一緒にぶっこんで、後はボタンを押すだけという手軽さということで、一番先に作ったのは肉じゃがでした。ところがついてきたレシピ通りの時間にしても鍋で作ったようにジャガイモがほっこりとはなりません。電子レンジ調理器の限界かしらと思いつつ、もしかしたらとググってみたら

「電子レンジの寿命は10年~12年です」

我が家は東京転居の前に買ったもの。ということはゆうに15年以上過ぎている。つまり、電子レンジが寿命であることを発見しました。

以前より温めに時間がかかるなぁと思っていましたが、この電子レンジ調理器で気が付かされてしまいました。電子レンジ買い替えです。。

電気製品は動いている限りなかなか買い替えに腰があがらないもの。でももう寿命とわかったので家電売り場でお値打ち品を探すことにします。2,300円で喜んでいたら、値の張るものを購入することになってしまいました。

未来の仕事と人間関係

先日友人と会ったらなにか元気がありません。60歳で定年退職し、それからどうしようかと思っていたら、はからずも「うちに来ない?」と誘ってくれた方がいたそうで、喜び勇んで再就職しました。

収入はアップで会社も問題ない、誰が聞いても「よかったね」と言ってくれる職場でした。「問題は人間関係かもね」とお茶をしながら話をしたのですが、1年経って話を聞いたらその人間関係が問題でした。

仕事はほぼリモートで週1回行けばいいだけ。与えられた仕事を個室で行い、ちょちょっと話をして修正して帰るだけ。その話をする人もとてもいい方で、何の文句も言わないでねぎらってくれるそう。

「1年間務めたけど、1度も文句がないんだよ。1度もない」

「それってあなたが優秀だからでしょう?いいんじゃない?」

「1年間に1度もないって変だろう?そもそも他の人との生の交流がない。会議は全部ZOOM。会社に行ってもみんなリモートだから人がいない。1年間誰とも生で話したことがない」

コロナになってリモートが推奨され、自宅で仕事ができるようになり、「通勤地獄が無くなった」と喜んでいた人は大勢いました。誰にもじゃまをされず仕事ができてプライベートな時間を過ごせるはずでした。

ところが同僚とまったくZOOM会議以外で顔を合わせることもなく、通勤もしない。子どもがいなくなった家で妻とふたりだけ。家を出る必要がない。お連れ合いの方もあまり外に出たがらない方だそうで、夫婦で家にこもりっきり。

「ジムにでも行ったら?」

「とにかく何の気力もない。意欲がわかない。旅行にも行きたくない。コンサートにも映画も見たくない。飲み会もなければ歓迎会すらなかった。こんなんでいいのか」

まるでうつ病患者のように生気がありませんでした。仕事場に行くというだけで運動になるし、同僚との会話は嫌なことも多いけど、それなりに刺激的だったのだと思います。その「他から得る刺激」が無くなるとこうも覇気がなくなるものなのか。

大昔、未来の世界を描いた漫画や映画がありましたが、宇宙服は着ていないけれど、テレビ電話は普通になり、チンと音がして料理が出てくる家電はどこの家にもあるようになりました。でも人と人が生でまったくふれあわなくなると、こういうことになるのかと思いました。

人間関係は面倒くさいし、嫌なことも多いけど、たぶん脳に新鮮な刺激を与え続け、それによって生きがいとか新しいことを考える力になるのかもしれません。山奥にポツンとひとりで生活している人はいますが、あれはあれで自然との共存。都会の孤独とは違う。

誰とも話をしなくなり、家の中で仕事をして人との関わりが無くなった世界は、とても辛そうでした。

東京に雪が降る

昨日、外出先から窓の外を見ると、大きなぼた雪が降っていました。今年初めての雪です。

日本海側では例年にない大雪で、20年ぶりだそうです。そういえば私がまだ東京に転居する前、大雪が降ったことがありました。大雪すぎて新聞配達も来ず、家の前の雪かきに追われていました。

私が住んでいた場所は雪は降るものの、今テレビで流れている「屋根にもっこり」というような降り方はしないのに、その年はどこの家も屋根にもっこりと雪が積もっていました。

「除雪費用くらいばかばかしいものはない」と言います。春になればどうせ溶けるものを、大金を使って雪を寄せたり捨てたりしなければならないからです。と言って屋根に雪を乗せたままだと最悪家が雪の重みで倒壊してしまいます。

トタン屋根の場合、屋根に積もった雪は家の暖気でいったん溶けて氷になり、屋根に張り付きます。それが何センチにも何十センチにもなると氷+雪の重みで倒壊するのです。だからそうなる前に屋根から雪を降ろさなければなりません。

ところがそんな大雪が降る地域ではないので、屋根に上るしかけなんぞはありませんから、どうやって雪を下ろそうかと屋根を見上げていたら、ふと、私の家の屋根に積もった雪は他の家の屋根のそれよりも断然少ないことに気づきました。

他の家は「もっこり」なのに、私の家だけ「さらっと」なのです。特に屋根の傾斜が急こう配なわけではありません。でも、確実なのは「天は我を見放さなかった」ということです。「なんだかわからないけれど、神様ありがとう」と屋根を見上げました。

後でよくよく考えてみたら、そういえば前年の秋、屋根のトタンにペンキを塗り替えてもらっていたのです。たぶん塗ったばかりのペンキで雪が滑ったのではないかと思いあたりました。

#今調べてみたら、やはりそうでした。「ペンキを塗った後、雪が滑らないように雪止めを設置しましょう」と書いてあります

「20年ぶりの大雪」とのことですので、あの大雪から20年経っての東京の雪です。東京も7~8年前くらいには子どもたちが雪だるまを作れるくらい積ることはあったのですが、2020年あたりから1~2回、気持ちばかり降るだけになってしまいました。

異常気象で東京に雪が降っても、もう積ることはないのかもしれません。テレビでは電車の遅ればかり繰り返し流しています。通勤が大変になるから雪はない方がいいのでしょうが、私は1年に1回でいいから、「もっこり」積もった雪景色を見てみたいなぁと思っています。

令和の米騒動はいつまで続く

年明けには米の値段が下がるだろうという識者の予想は大きく外れ、むしろ上昇が止まらない令和の米騒動です。

こちらは独り暮らしの老人ですから、それほど米食いではないのが幸いで、これが食べ盛りの子どもがいるシンママだったらさぞ大変だろうと思います。非課税世帯には来月3万円の給付金があるようですが、ほんの1000円収入が多かったらアウト。無慈悲。

米が不作だから上がるのならわかる。米がとれているのに上がるのは、誰かが買い占めているからだとする政府。米の価格を守るために減反政策をしてきた政府。米の値段が上がったならば、生産者から買い取る値段も上がったのだから、それは適正価格になったということでよかったのかもと思っていたら、そちらは変わらないらしい。おかしい。

備蓄米をやっと放出することになりましたが、それが出回るのは3月末からということです。

平成の米騒動の時、春になったら隠されていたお米が出てきました。それは気温が上がると普通の倉庫では米が劣化するので、低温保存しなければならないからです。今は春から気温が夏並みに上がるので、隠されていたお米がわらわらと出てくるのではないかと思っています。それに合わせて政府が備蓄米を出したのかしらん、とも勘ぐれます。「ほら、政府が米を出したから値段が下がっただろう」と言うために。

どっちにしろ5キロ3500円もするお米を食べるようになるとは夢にも思わなかったワ。

なぜかこれだけは面倒くさがらずにやる

私は「一度座ってしまうとなかなか腰を上げられない人」で、ちょっと立って2、3歩歩くのも億劫で腰があがりません。

こんなぐーたらな私ですが、これだけは面倒くさがらずにやることがあります。

「旅行から帰ったら、その日のうちに旅行鞄をからっぽにする」です。

帰るのが深夜でも、ぐたぐたに疲れていても、これだけはやります。

中に入れたものを全部出し、汚れた服を洗濯機に入れ、中の物を定位置にもどし、旅行鞄を押し入れに入れて終了。たぶん多くの方は「明日やろう」と疲れた体を休めると思うのですが、私はなぜかこれだけは当日のうちに終わらせないと落ち着かないのです。

たぶんそれは翌日起きた時にこの作業をするのが億劫だからだと思います。朝起きたら普段と同じように朝のルーティンを行い、朝ごはんを食べたい。これに「鞄をからっぽにする作業」を入れたくないのです。

もちろんお土産はまとめておくだけで、他のものもきれいにそろえるわけではないのですが、とりあえず「鞄はからっぽにして定位置に戻したい」のです。

そんな時に思うのは、子どもの頃に見たNHKの「ブーフーウー」のお姉さんが、「さあ、帰りましょう」と言って「ブーフーウー」の人形を鞄の中に入れる情景です。

↑そうとう古い((;^_^A

私の場合、旅の終わりは旅行鞄を空っぽにして、元あったところに戻すことで全部終了なのです。

声帯も年を取る

先日久しく行っていなかったカラオケに1年ぶりに誘われました。「久しぶりだな~、何を歌おうかな~」とカラオケアプリの「ポケカラ」を起動。ポケカラは後から自分の歌ったものを聞くことができるし、キーを上げたり下げたりもできる無料のアプリ。

お久しぶりで使ってみたら、歌えない。キーが高すぎて声が出ないのです。フラットをひとつだけでなくふたつも入れて、やっと歌えるかなという状態。

むむむ、こんなんじゃ聞き苦しくて、みんなとカラオケに行けないじゃん。

発声練習でもしたらいいのかと思いながらジムに行くと、丁度いいところにY代さんがいました。Y代さんは東京芸大声楽家卒のお方。以前は音楽教室で教えていましたが、高齢になったので引退されたとご本人から伺ったことがありました。

ジムに行くと、たいていその時間は居るY代さん。「どうすれば歌が上手になるか聞いてみよう」と思いながら声をかけました。

「なんだか高い声が出なくなったの。発声練習とかしたら出るようになるかなぁ」と軽い気持ちで言ってみたところ、Y代さんの顔が曇る。

「あのね、さっちー。声帯って持って生まれたもので、筋肉なの。声帯が細い人、太い人、平べったい人、いろんな声帯があるんだけどね、人は年を取ると筋肉が衰えて走れなくなるでしょ。声帯も筋肉だから声が出なくなるのよ」

「でも、練習したり、鍛えたりしたらいいんじゃないの?」

#高橋真梨子だって75歳で紅白出たし

「どんなに鍛えても、若い人と一緒には走れないでしょ。筋肉は年を取ると衰えるの。どんなに練習しても若い筋肉には戻れないのよ」

なるほど、わかりやすい。確かに若人の多くは高い声で、年を取るにしたがって低くなります。「筋肉が衰えたから声が低くなったんだ」とわかりました。

確かにおばあさんは声がしゃがれて、もはや声が高い低いというレベルではなくなります。おばあさんがおばあさんの声になるのは、筋肉が衰えたからなのですね。

そういえば懐メロ番組で、聞くも無残な歌声を披露する往年のスターが大勢います。高橋真梨子は奇跡の声帯だったのね。

もうカラオケはキーをひとつふたつ下げるのが当然として、加齢に逆らわず、70年代ポップスを歌ってくることにします。

選択的男女別姓を強烈に嫌がる人

その男性は本当に虫のすかない人なのですが、仕事上つきあわざるを得なく、しかたがないので上っ面だけ仲良くしています。あまり頭の良い方ではないのですが、ご自分は有能なつもり。

当初より私を見下していますが、私の今までの職場体験ノウハウにより、とりあえず表面上は何とか付き合っています。

その方が「夫婦別姓を法律で決めるなんてとんでもない!」と言い出しました。「大体家族が別の姓にしたら家族じゃなくなるじゃないか!一緒の姓だから家族なんだ」と仰います。

「私の友人で子どもと親の姓が違う人はそこそこいますが、特に問題ないようですよ。今は学校でも職場でも戸籍姓と通称姓の使い分けを認めてます」と言ったところ、「そういう使い分けができるんだから、戸籍まで変えることはないだろう」とのこと。

#普段使いは許すが、戸籍はまかりならんということらしい。

「そういうやり方ではあっちで手続き、こっちで手続きして、さらにあっちとこっちの姓が違うので同一人物と見なされず、結婚前に積み上げてきた業績が無くなったりして大変不利益を被っている人たちがいるんです」と言うと、「別姓にしても良いという法律を作ると、それに乗っかったぱっぱらぱーな奴らがケンカをして離婚する。離婚が増えて泣く子どもたちが増える」と言う。

なんかこのセリフ、聞いたことがあるなーと思ったら、以前私が書いたこの記事。

この中で取り上げた

https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/173/yousi/yo1730602.htm

”このような個人主義的な思想を持つ者を社会や政府が公認したようなことになる。現在、家族や地域社会などの共同体の機能が損なわれ、けじめのないいい加減な結婚・離婚が増え、離婚率が上昇し、それを原因として、悲しい思いをする子供たちが増えている。”

これとまったくおんなじ。

もう女は結婚したら男の姓になり、男の言うことに黙って従い、良き母妻であるべきだと正面切って本音を言ったらいいのに「子どもが泣くから」なんていう言い訳をつけて反対する。

まぁ、いつもはフェミニストぶっているのに実はこういう奴だとわかったので、これは周囲の方たちと共有することにしましょう。評価が高いわけでもないので、特にダメージというわけでもないだろうし。

家族は遠慮しないのか

家族が一緒だとイライラしてしまうことがあります。家族は遠慮がないから感情をぶつけ合うせいではないかという声もありますが、友人と旅に出たりしても同様のことはおきます。

「大丈夫?ふたりで旅行すると大抵喧嘩別れして帰ってくるっていうよ」と言われるほど、これはごくごく普通の出来事のようです。

どんなに親しい友人でも、1日中一緒にくっついていると、何かしら行動や気持ちがすれ違うようになります。旅の疲れも加わって我慢も限界になり、ついトゲのある言葉を出してしまうようになります。複数人で行く旅行で禁句なのは何か間違いがあったときに「だからあの時私が違うんじゃない?って言ったでしょ」と言わないこと。

何か間違いがあったときに「あなたがこっちだって言うから」と言わないこと。

食べ物がマズイ、エアコンがぬるい、暑い、寒いという不満を必要以上に言わないこと(いつまでもグズグズしていないこと)

旅行に行ってケンカして帰って来て、その後口もきかない仲になったというのはたいてい↑のことが原因であることが多いです。最初は気を使って接していても、疲れたり、うまくいかないことが続いてイライラがつのると禁句が次々と出るものです。

これも友だちだと何とかやり過ごせても、家族とはできない理由は「家族」だからです。なんとなく「家族だから遠慮はいらない」という世の中の掟みたいなものがあるので、「家族なのにナニ遠慮するのよ」と言ったりします。

家族でも遠慮は必要だし、秘密も嘘もあります。他人には言えても親には(親だから)言えないことはあります。「家族なんだから遠慮は無用」と言う人は、心が広くてなんでも許容できる人か、実は家族から煙たがられている人かもしれません。

友が去る

先週、実家へ戻る友だちの送別会でした。48年間の東京生活でした。お子さんが二人東京にいて、孫もいるのになぜ実家へ?という問いに彼女は答えました。

「子どもからママ、これからどうするの?」って言われたのよ。

シンママとしてふたりの子をひとりで育てた彼女。高い私立の学校に入れ、好きな道に進ませと、必死で働いてきたのを知っているので、これからと言うときになぜ子どもから離れることにしたのか。

子どもたちの「これからどうするの?」という言葉の中に、「私たちに頼らないでね」「迷惑をかけないでね」というのを感じとったといいます。

彼女は個人事業主ですから厚生年金はありません。満額月額65,000円の国民年金だけです。それも満額もらえるのかどうか。

子どもに頼る気はさらさらないと言っても、東京にいる親族は子どもだけなので、何かあった時は頼らざるを得ない。ちょっとしたことならいいけど、しっかり面倒をみたりするのはできないと彼女は感じとったといいます。

育てた恩を返せとは言わないけれど、頼りにしないでと言われたら、本当にこれからどうしようと考えたそうです。

結果、実家へ帰って家業の手伝いをすることにしたという彼女はサバサバとした表情でした。「子どもと離れることになるのは寂しくない?」と聞くと「もう、いい」と少し怒った表情で答えました。

苦労して子どもを育てても、子どもから「頼らないで」と突き放されたらやっぱり寂しいものがあります。

老後、やっぱり頼りになるのはお金と近くの友人ということですね。