なんだか腹立たしい

東京目黒で起きた虐待事件の判決が9月17日にありました。
https://www.sankei.com/affairs/news/190917/afr1909170021-n1.html

昨日の目黒虐待事件では、心理操作が判決の大きな争点となり、 一部ではありますが、それが認められたのは大きかったとは思います。 ただ、私の中ではどうもしっくりきません。

裁判官の「相手の意に反して食べ物を与えたこと、離婚してほしいという意思を伝えられたことは心理操作されていたとは言い難い」という言葉は、この間の性犯罪被害者に「女性が抵抗不能な状態とまではいえない」のと同質のものを感じます。

ほぼロボット状態になっているが、「ほんの少し子どもに食べ物を与えた、よって完全に相手の 言うことを聞いてないから心理操作されてはいない」とは、ずいぶんな物言いではないでしょうか。

100%完全に支配されていたら、子どもに食べ物を与えず、もしかしたら夫の暴力に加担していたかもしれず、その場合は野田市の事件のように完全なる共犯者となる。共犯者にならなければ心理操作されていたと認められないのか。子どもを殺したら心理操作と認められるのか。

完全に支配されて共犯者になった場合と、今回のように少し意思があった場合と、どちらが罪が重くなるのだろうか?

目黒女児虐待死について

子どもの虐待事件は痛ましく、新聞記事も大きな見出しで「子どもが虐待で死亡した」と書いてあれば、私はもうその記事はもう読めません。これは以前にも書きました。ということであまり事件のことは知りませんでしたが、私はこの事件は報道されたときに「早朝から勉強を強いられていた」ことや、「べんきょうをがんばる」という手紙があったことで、「教育虐待の末に子どもが亡くなった」と思っていました。

しかも昨年6月、たまたま行った映画と講演のつどいでパネラーだった高名な方が「このような家庭はどこにでもある」と述べられていたので、親の身勝手な願望で教育虐待を受けていた子が死亡したとしっかり思っていました。

https://dual.nikkei.com/atcl/column/17/101200003/061800120/?P=1

ですので母親が逮捕されたことも知らず、公判が始まって初めて「DV」、それも母親は夫からの精神的DVによって支配されていたという構図であることを初めて知りました。

些細なことを持ち出しては説教する夫に「あなたの貴重な時間を使って怒ってくれてありがとうございました」 と反省文を書いているのを見れば、その支配は相当強いものだったと思います。これについては武蔵大学の千田有紀先生が詳しく書かれています。

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20190911-00142144/

野田市の事件とまったく同じ構図の子どもの虐待死で、母親の責任が追及されています。裁判所にマインドコントロールを受け支配された場合、人はどのような思考になっていくのか、これは家庭内のことに限らず、どんな事件でも応用できる理論だと思うのですが、どうも裁判所は理解することに消極的なようです。

野田市の時は「母親なら身を挺しても」という一般社会の常識で、母親に求刑を上回る判決がでました。父親がいなかった時は穏やかに暮らせていた母子なのに、父親と同居したとたん、母は常に夫の顔色を窺って何もできなくなったのはなぜなのか。

母親の供述の中に何度も「機嫌が悪くなるので」という言葉が出てきて、その状況がわかるだけに、じれったい思いがあります。判決は連休明けの17日です。

まだ夫と一緒に暮らしている方たちは気の重い2週続きの連休と思います。モラハラ家庭は死に至らなくても、同様の出来事があるはずです。今一度、子どもへの影響を考えてみることも必要かと思います。

新規事業、もうちょっとお待ちくださいませ

8月末に新規事業の有無のお知らせをしますと告知しましたが、今のところ決定の通知はありません。ただ、東京都から「順調に進んでいます」のお知らせがありました。ということで、新規事業が行えるかどうかはまだ発表できません。「順調に進んでいる」ということは期待してよろしいのではないでしょうか、ね?

この事業は 「モラハラからの避難応援プロジェクト~効率よく安全に別居・離婚するための戦略会議」 という長~い名前がついています。このタイトルにするために紆余曲折がありました。

モラハラ被害者同盟では家庭内のモラハラしか扱いませんが、モラハラはどこのコミュニティでもあります。特に多いのは職場です。私は時々講座に呼んでいただきますが、そこに参加された方にアンケートをとると「職場のモラハラについて知りたかった」というご意見をいただきます。チラシ等には「家庭内のモラハラ」と書いてあるのですが、お読みにならなかったのか、ただ「モラハラ講座がある」とだけ聞いて来られたのか、それははっきりしないのですが、とにかくがっかりされて帰られます。

これをまず避けねばなりません。そこで「離婚の」と入れました。いくらなんでもこれで職場とは思わないでしょう。ただ、「離婚はまだ考えられないが、でも離れたい、別居したい」と仰る方が多くいらっしゃいます。そこで「別居・離婚」となりました。

また、本当は「DVからの応援プロジェクト」としたかったのですが、電話相談を受けていると「母からのDV」「姉からのDV」と仰る方が時々います。日本では言葉で区分けしていて、DVは配偶者や恋人間(DV防止法のからは外れる)などを指しますので、「母からのDV」という言葉自体存在しないのです。では母からのモラハラは何というかと聞かれたら「母からの精神的虐待」でしょうね。これが18歳未満の子どもだったら「児童虐待」になりますが、大人だったらただの「虐待」でしょうか。

よってこのような誤解されそうなDVという言葉は避けてモラハラにしました。「モラハラ」「離婚」です。あまり精神的ケアという部分はサポートできないかと思います。精神的ケアが必要な方はしかるべき所をお訪ねください。ただ、方向性が見えれば精神的に不安は相当無くなると思いますよ。

アドバイザーは行政や民間で実際に被害者支援にあたっている担当者が、離婚後の生活の不安なことなどについてのご相談に応じます。そしてなんといっても今回の目玉は実際に被害に遭われ、離婚調停、裁判を経て避難離婚された方たちがアドバイスすることです。これは被害者が集うモラハラ被害者同盟ならではの布陣だと自負しています。

この事業を電話相談の方にお話ししたところ「これはまさに戦略が必要です」と仰いました。行き当たりばったりではどこかでつっかえます。その不安をこの相談会を利用して取り除いてくださいね。

って、まだ開催決まってないんだけど(笑

野田市の事件と面会交流

野田市の児童虐待事件の判決が6月26日にありましたが、それは求刑より重い2年半という内容でした。執行猶予がつきますので、収監されるわけではないのですが、それでも 保護観察付き執行猶予が5年と長いものでした。

このような家庭は今もどこかであるはずです。体に危害を与えなくても、夫からのモラハラを受け続けている人が、夫の怒りが自分に来ないよう、子どもの不始末を告げ口することなど、ごく普通にあるでしょう。何しろ私の母が「差し出す母」でしたので、容易に想像がつきます。

この夫婦は一度離婚して、再度結婚し、次女が生まれています。 先日、専門家の集まりがありこの事件について話し合ったのですが 、「おそらく強姦に近い形だったのではないか」という意見がありました。やっと離婚したのに、なぜまた会うようになったのか、その経過はわかっていませんが、もしかしたら恫喝などがあった可能性があります。

私は沢山の被害者の方からお話を伺っていますが、一番多いのは「結婚してから豹変」「子どもが生まれてから変わった」というパターンです。ただ、中には結婚前から恫喝されていた方もいます。なぜそんな怖い人と結婚したのか伺うと、「親きょうだいに危害を加える、家に火をつける、働けないようにしてやる」などと言われて「この人には逆らえないと思った」とお話されます。もうこの時点で支配されているのです。

もうひとつ気がかりなのは「面会交流」です。今は相手方から面会交流を求められた場合、ほとんど強制的に実施されています。これはDV被害者も例外ではありません。「DVは夫婦間であり、子どもは無関係」と言われて「子の福祉のために」実施されるケースがDVの場合は多いです。子どもが小さい場合はひとりで行くことができませんので、誰かが連れて行くか、元夫に家に迎えに来てもらうしかありません。「夫に家に来てもらう」は、DV離婚の場合ありえません。FPICの仲介はどこでもやっているわけではなく(大都市のみ)、料金も母子家庭には気軽に頼めるものではありません。

中には「子どもを連れ去られるのでは」と心配して、結局母親も一緒の面会交流になる場合もあります。復縁を迫る夫にとっては、またとない機会になるでしょう。そんなときに元夫から迫られたらどうでしょう。大体地方の場合、移動は個室になる車なのです。

今回の判決は裁判所も「心の支配そしてコントロール」を充分理解しておらず、判決はその結果だと思われます。このことについて、武蔵大学の千田有紀先生が記事を書いておられます。

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20190411-00121877/

王座の譲渡

私が離婚を迷っていたとき、背中を押してくれたのが精神科医の言葉でした。

「男の子は父と殺し合うかもしれない」

それはもうびっくり仰天でしたが、この「殺し合う父と息子」は何もモラハラ家庭だけでなく、普通の家庭でも起こりうることです。実際私の周りでも、殺し合うまでは行かないまでも、殴り合いの喧嘩になったという話は多く聞きます。ただ、モラハラ家庭は父親の支配がものすごいのと、父の政権への執着が常軌を逸しているので、大事になる可能性はあります。

相談を受ける方から「夫はとても子どもを可愛がります。子どももとても夫になついています。だから離れることをためらってしまいます」と伺うことがとても多いです。ただ、この時の子どもの年齢はだいたい小学校低学年までです。

その後、子どもに自我が芽生え、自己主張するようになると、夫は力で押さえつけようとして子どもに手をあげるようになります。子どももそんな父を恐れて最初はビクビクしていますが、体が大きくなり、年を取り衰えていく父に勝る力を持つようになると、殴り合いの喧嘩になります。そして、たいていは新しい王が誕生することになっています。政権交代です。

これを私は間近で見ていました。我が家ではなく義兄宅でしたが、このとおりのことが起こりました。子どもに負けた義兄は翌日朝から急にペコペコしだし、息子に「何か欲しいものはないのか?」などと手をこすらんばかりに言ったと義姉から聞きました。このコントのような展開に、義姉も呆れ顔でした。

ただ、義兄の腹いせは義姉と娘という、他の弱いものに向かうようになっていったとのことです。モラ夫はどうしても常に誰かを餌食にしないと生きていけない人物なのです。

「夫は子どもをとてもかわいがっている」というのは、子どもが自分の言うことを聞いている年齢までです。その後はふたりでこの家の政権を争うことになります。ただ、ある3世代が同居している家で、政権を持っているのは祖父で、中年の父はまだその支配下にあるという事例も見たことがありますので、交代が起こらない場合もままあるようです。

この家の場合、祖父が孫を猫可愛がりして甘やかしたため、両親は子どもを躾けることができず、子どもは両親を見下し、成長してからモラハラ夫になってしまいました。

本来家庭内の政権は力による譲渡ではなく、子がその年令になったら、父は座を下りて次の世代に譲るのが正しいやり方であるのは言うまでもありません。そういった平和に世代交代が行われる家は家族がみな穏やかで、「父は優しい人だった」と、亡くなった後も愛され続けます。

【再掲】2003.11.24【カルフォルニアとツンドラ】

これはこの「風に吹かれて」第2回に書いたものです。この当時は「モラハラ加害者=自己愛性パーソナリティ障害」と思っていたんですね。

今はいろいろなバリエーションがあることも、サポートもワンパターンではないこともわかっていますが、何しろ駆け出しの頃に書いたものですので、ご容赦ください。

16年前と違って、今はモラハラの認知度は比べ物にならないほどあがりました。それでも、なぜ被害者が辛いのか、なぜ夫を変えようとしないのか、そんなにつらいのならなぜ離れようとしないのかを理解してくれない人は大勢います。

「世間では」とは「普通は」という人は想像力がないし、一般的な考えが正しいと思い込んでいる人たちは、その殻を破ることができません。むしろ、破ることは悪いことだと思っています。

これは、16年前、モラハラがまったく知られていなかった頃に書いたものですが、深層では、今もそれほど変わっていないのかもしれません。

【カルフォルニアとツンドラ】

このサイトを見て、モラル・ハラスメントのことを初めて知ったと言う方が大勢いらっしゃいます。同じ被害者の 方なら共感していただけるのですが、そうでない方はわかっていただけないようです。

「どこの家も同じ」「話し合いなさい」「あなたも悪いところがあるんじゃない?」 モラ夫の全てがそうではありませんが、「自己愛性人格障害者」であることが少なくありません。この障害者(自己愛性変質者とも言う)のことを 知らない人に話しても、なかなかわかっていただけません。

心理学の世界では「精神の吸血鬼」とも 呼ばれています。まさか自分の夫が人格障害だなんて、誰が信じられるでしょうか。でも本当なのです。

人格障害と精神障害は違います。 鬱病やノイローゼといったものは治療で治りますが、専門家でも人格障害を治すことは相当難しいといいます。

モラハラされている人とそうでない人の会話は、ツンドラ地帯に住んでいる人とカルフォルニアの温暖な地域に住んでいる 人が電話でやりとりしているようなものです。


ツ「食べるものがないのよ」
カ「だったら種を蒔かなきゃだめよ。人間働かないで 食べ物を手にするなんてできないのよ」


ツンドラは「そうか」と思いました。種を蒔けばいいんだわ。
ツンドラは一生懸命凍った大地を掘り起こし、種を蒔きました。 でも一向に芽は生えません。


ツ「種を蒔いたけど芽が出ないのよ」
カ「種だけ蒔いてもだめよ。水をあげなきゃ」
ツンドラは 一生懸命水をかけました。水はたちまち氷になってわずかしかない地面を覆いました。


ツ「水をまいたら凍ってしまったわ」
カ「そんな馬鹿なことがあるわけないじゃないの、嘘ばっかり!」

ツンドラもカルフォルニアも嘘は言っていません。 でもお互いの住んでいるところが違うので状況がわからないのです。

カルフォルニアにツンドラの状態をわかってもらうには、ツンドラ地帯に連れてくるのが 一番なのですが、それができなければ写真をみせて「これがツンドラの住んでいる場所よ」と教えてあげれば、心ある人ならばわかって もらえると思います。

心のない人、自分の世界しか信じられない人は。。。相手にしないことです。

私が仕事を辞めなかったわけ

私が結婚をした頃は、住んでいた場所が田舎だったせいもあり、結婚=退職は当たり前でした。実際中学から仲良くしている仲間内でずっと仕事をしていたのは私ももうひとりだけ。彼女はずっと独身ですから、結婚しても同じ場所で働き続けたのは私だけでした。

周りも結婚したら退職して子どもを産んで育てて、子どもが小学生になったら月収7万円程度のパートをするというのが普通でした。私の職場も例外ではなく、寿退社の人たちもいることはいましたが、ちょうど私が結婚をする頃は少し状況が変わってきていました。

職場環境が結婚しても続けられるようなものだったせいもあり、辞める人が激減した時代でした。更に子どもを産んで辞めない永久共働きも普通になりました。田舎で三世代同居が多かったこともあり、「母さんは稼いでこい。私が子どもの面倒を見る」という姑たちの意識変化もあったと思います。

ただ、私が仕事を辞めなかったのはそれだけではありません。

よく私がモラハラ離婚した時に「熊谷さんは仕事を持っていてよかったね」と言われますが、夫は快く働かせてくれたわけではありません。そりゃぁものすごい嫌がらせは山程されました。

元夫は嫌がらせをして、私を退職に追い込み、収入源を絶ち、家庭内に閉じ込めようと企んだのです。その最たるものは、結婚1ヶ月目から渡される生活費ゼロ。なんで収入のあるお前に金を渡さなきゃいけないんだと言われました。その謀略も乗り越えて働き続けたのは、子ども時代、父からずっと「誰のおかげでメシが食えると思っているんだ」と言われ続けていたからです。

父はもう亡くなりましたし、離婚の時は大活躍してくれましたので、もう水に流していますが、あの「誰のおかげでメシを~」は、言い返せない分、キツイ言葉でした。「誰のおかげで~」と言われることの惨めさをとことん思い知った子ども時代でした。「もう二度と『誰のおかげでメシが食えると思っているんだ』と言われたくない。だから元夫からどんな嫌がらせをされても働き続けたのです。

主のいないFacebook その3

詳しい事情は控えますが、カスミちゃん家族は夫から避難してある場所に住んでいました。その場所は生活に余裕のない方たちが住む場所でしたので、カスミちゃんもそうなのだろうとは思っていました。ただ、私の住んでいた地域ではそれだからと言ってその場所に住んでいる子どもたちをいじめるとか、陰口を叩くとか、そのようなことは一切ありませんでした。思えば「子どもをみんなで守ろう」という意識の高い地域だったのだろうと思います。いい場所で子育てできたことは、私にとってとてもラッキーなことでした。

今、南青山に児童相談所を作ることに反対している人たちが反対活動を行っているようですが、私のモラハラ活動で関わった方の中には超がつく高級住宅地に住んでいた方もいます。金持ちだったら児童虐待をしないかといったらとんでもない!救急に携わる方に「家の中で暴れているという通報で出動すると、大きな家であることが多い」という話を聞いたことがあります。

DVと貧富は関係ありません。どうも貧乏な家庭で、父親が酒を飲んで暴れて、母親に殴る蹴るして、子どもたちはいつも汚い格好をしているというのがDV家庭だと思われている方がいるようですが、本当にマジ関係ない。父親の職業を陳列できないのが残念なのですが、DVに貧富はまったく関係ありません。

そしてカスミちゃんも、そのような逆境に負けず、明るくて、正義感がたっぷりの子でした。個人特定されたくないので、エピソードが書けないのが残念なのですが、きっと大きくなったら子どもの頃と同じように、いつも輪の中心にいるようなステキな人になったのではないかと思います。

そんなカスミちゃんが居なくなったのは突然でした。


魔の10日間の必需品

ページトップの写真が、桜から藤の花になりました。以前外国人の方に「桜が終わったら、次はウイステリアね」と言われて、なんのこっちゃと思って調べてみたら、藤の花でした。

その方が見せてくれたのは、あしかがフラワーパークの藤棚の写真でした。私が知っている藤棚とは全然違う、ほとんど芸術品のような写真がたくさん並んでいました。あしかがフラワーパークは、日本人の方でも知っている方はそう多くないのではないでしょうか。今は外国人の方がInstagramなどを見て行かれるようです。私もいつかはこのあしかがフラワーパークでウィステリアを見たいと思っています。

さて、あと数日でゴールデンウィーク中に突入いたします。毎年ゴールデンウィークが終わるまで、夫の機嫌をがどうなるか、祈るような気持ちで過ごしている方が多いと思いますが、何せ今度は10日間。かなり心を引き締めて臨む必要がありそうです。

そこでオススメなのがこの本です。

「心の傷を癒やすカウンセリング366日」

1年366日。毎日ひとつずつ短い内容のアドバイスが書いてあります。提言だったり、慰めだったり、共感だったり、その日によって違います。これを毎日1つずつ読むだけで「ああ、そうだよね」と心の成長ができそうなことがたくさん書いてあります。366日が終わったら、また1から読み直してしまいそうです。ぜひ1冊手元に置いて、心のよりどころを作ってください。

そしてこの本なら、もし万が一モラ夫に見つかっても大丈夫だと思いますよ。

【再掲】被害者は共依存か

被害者の中には「自分は共依存なのではないか」と悩んでいる方が時々います。共依存とは頼られた相手にとことんつくすことで自分の存在価値を確かめるという ものです。お互いに依存している。だから”共依存”です。

よく例として取り上げられるのは、アル中夫の飲酒を何とか止めさせたいと、かいがいしく世話をする妻という構図です。 自分は共依存ではないかと思う方はおそらく、自分は相手が望むものを常に先読みして行い、相手に心地よい環境を提供しているからと思っているせいではないでしょうか。 ではなぜ先読みをするのでしょう。それをしないと相手が怒るからですよね。


怒鳴るか、黙るか(無視するか)、物を投げるか、ドアを大きな音をたてて閉めるか、子どもたちに八つ当たりするか、嫌みを言うか、 生活費を入れないかなどなど、そのツールは山ほどあります。先読みして、「はい、新聞」、「はい、リモコン」「はい、お箸」と手渡すあなたは 幸せでしょうか。

共依存ならばそうすることで、自分はこの人に無くてはならない人なんだと感じることができるのだから、それは喜びのはずです。 でも、多くの被害者は「はい、リモコン」と夫にリモコンを渡すときの顔は引きつっているか、びくびくしているか、ともかく幸せとはほど遠い顔つきをしています。

被害者はリモコンを渡すとき「今の状況と夫の視線から想像するに、今彼が欲しているのはリモコンであると推察されるが、果たしてこれは正解だろうか」と祈るような気持ちで 手渡しています。オーバーなと思われるかもしれませんが、それは被害者になってみなければわからない感情でしょう。そこまで追い詰められるのです。

もし 間違っていたらあの恐ろしいモラハラが始まるきっかけを作るわけですから、それは必死になります。あなたのために尽くしている私を感じるのが幸せなんて、いったいどこの話かですよ。

被害者の多くは夫が仕事に出て行くとき、「今日、事故で死んでくれないか」と思いながら送り出します。これはモラハラ被害者として、とても一般的な感情です。 もし共依存なら、世話をする相手がいなくなってしまったら自分の生きる価値が無くなってしまうわけですから、そのように考えることはありません。


だからモラハラ被害者は共依存ではないのです。