主のいないFacebook その4

2学期が終わり、我が家に子どもたちを招いてのクリスマスパーティが、その年最後のイベントでした。年が明けたら3学期。それぞれの家庭で過ごすお正月。そしていつものような新学期が始まるはずでした。でも、新学期にカスミちゃんは来ませんでした。

「カスミちゃん、転校したって」

仕事から帰った私に、半べそのような表情の子どもが言いました。
「どこに?」
「わかんない。先生も知らないって」

子どもが転校する先を先生が知らないわけないだろうとは思いましたが、ともかくカスミちゃん家族は行き先がわからないまま、どこかへ行ってしまいました。ママ友に聞いても「突然居なくなったんだって」としかわからず、本当にカスミちゃん一家は消えてしまいました。

その後、たまたま担任の先生とお話する機会があったので、カスミちゃんの行方を聞いてみましたが、「事情があって言えないの」としか言いませんでした。

「みんな泣いたのよ。クラス中が泣いたんだ」

肩を落とした先生が下を向きました。

クラスの人気者だったカスミちゃんは、突然消えてしまいました。

10年とちょっとしか生きていないのに、カスミちゃんは大きな試練の荷物をすでに抱えていたのです。


野田市の事件と面会交流

野田市の児童虐待事件の判決が6月26日にありましたが、それは求刑より重い2年半という内容でした。執行猶予がつきますので、収監されるわけではないのですが、それでも 保護観察付き執行猶予が5年と長いものでした。

このような家庭は今もどこかであるはずです。体に危害を与えなくても、夫からのモラハラを受け続けている人が、夫の怒りが自分に来ないよう、子どもの不始末を告げ口することなど、ごく普通にあるでしょう。何しろ私の母が「差し出す母」でしたので、容易に想像がつきます。

この夫婦は一度離婚して、再度結婚し、次女が生まれています。 先日、専門家の集まりがありこの事件について話し合ったのですが 、「おそらく強姦に近い形だったのではないか」という意見がありました。やっと離婚したのに、なぜまた会うようになったのか、その経過はわかっていませんが、もしかしたら恫喝などがあった可能性があります。

私は沢山の被害者の方からお話を伺っていますが、一番多いのは「結婚してから豹変」「子どもが生まれてから変わった」というパターンです。ただ、中には結婚前から恫喝されていた方もいます。なぜそんな怖い人と結婚したのか伺うと、「親きょうだいに危害を加える、家に火をつける、働けないようにしてやる」などと言われて「この人には逆らえないと思った」とお話されます。もうこの時点で支配されているのです。

もうひとつ気がかりなのは「面会交流」です。今は相手方から面会交流を求められた場合、ほとんど強制的に実施されています。これはDV被害者も例外ではありません。「DVは夫婦間であり、子どもは無関係」と言われて「子の福祉のために」実施されるケースがDVの場合は多いです。子どもが小さい場合はひとりで行くことができませんので、誰かが連れて行くか、元夫に家に迎えに来てもらうしかありません。「夫に家に来てもらう」は、DV離婚の場合ありえません。FPICの仲介はどこでもやっているわけではなく(大都市のみ)、料金も母子家庭には気軽に頼めるものではありません。

中には「子どもを連れ去られるのでは」と心配して、結局母親も一緒の面会交流になる場合もあります。復縁を迫る夫にとっては、またとない機会になるでしょう。そんなときに元夫から迫られたらどうでしょう。大体地方の場合、移動は個室になる車なのです。

今回の判決は裁判所も「心の支配そしてコントロール」を充分理解しておらず、判決はその結果だと思われます。このことについて、武蔵大学の千田有紀先生が記事を書いておられます。

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20190411-00121877/

断る技術

知り合いからどうしてもとお願いされたとき、断ることができない方は多いです。じゃぁお前はどうかと言われたら、時と場合とお願いごとによります。これはもうアサーションの技術なので、いくつか断る口実を持っていればなんてことなくお断りができます。

つい最近とても親しい友人からお願いごとではないのですが、「あなたにとてもいいものを勧める」と言って健康食品をお勧めされました(よくあるでしょ?こんなこと)。その健康食品の説明前に日本の食品事情の悪さをひとしきり言って、自分はあるメーカーの補助食品を使っているが、食品だけでなく、化粧品も洗剤もそのメーカーを使っているそうで。

もうこの時点で「来るな」と身構えましたね(笑)この手のお誘いは始終ありますから、もう私のツールから断り言葉を選んで出す準備です。

何度も「自分は長年食べていて調子がいい」「両親も使って長生きした。きょうだいも使っている」「有名な○○さんも使っている」「今まで人に勧めたことはなかったけれど、あなたには試してほしいの」「アスリートだって病気をしないわけではないのよ。池江璃花子だって病気になったでしょ(うわぁ、論理飛躍。池江璃花子はこれを食べていたら病気にならなかったとでも?)」「加齢はリスクなのよ(そりゃそうだ)」

たぶんこのあたりの口上は、彼女が行っているという「セミナー」とやらで話を聞いているんだろうなぁ。普段の彼女が使わないような言葉が出てくるもの。 池江璃花子の病気がこんなことに使われてる。 年をとると「あれがいい、これがいい」の話はうんざりするほど聞くので、いちいち買っていたら、身がもちません。さて、お断りしましょ。

「勧めてくれてありがとう。でも、今は必要ないので、悪いけどお断りするわ」
この会話の後、私をその「セミナー」とやらに連れて行くつもりだった彼女はちょっと肩を落としましたが、それ以上勧めることはなく、
「わかった。でも、必要なときは言ってね」「うん、お願いするね」「必要なときは必ず言ってね」「うん」「必要になったら・・・」

くどい!!

とは言わず、終始笑顔で「ありがとう、よろしくね」を続けました(ため息)

お断りする時の鉄則は「笑顔で言うこと」「びしっと言うこと」です。これで壊れる関係ならば壊れてもかまいません。長年のつきあいがある大切な人だけど、彼女が私とのつきあいを取るか、健康食品を売ることを取るかです。売る方を取るならば、それでさようならです。選ぶのは私ではなく彼女です。

ただ、長いつきあいで彼女がそのドロドロしたものを飲んでいたのは知っていましたから、本当に良いものだと思っているのでしょう。私に勧めたのは良いものだからかもしれません。

このような「本当に良いものと信じていて、それを人に勧める」のを断るのは割と簡単で、同じようなものに宗教の勧誘があります。相手は心から信じていますから、断った相手には「こんなに良いものの誘いを断るなんて、馬鹿だなぁ」と思っています。断った相手に対して憐れだと思っていますので、怒りはしません。

困るのは損得で売りつける人です。断れずに保険屋の友だちが勧める保険を片っ端から入っている人もいます。相手から見たらカモネギでしょう。こういう方たちには断るテクニック以前に「捨てる勇気」が必要です。

サラ・コナーリターン

サラ・コナーについて書いていたら、なんと今秋新しいターミネーターが公開されることになったという記事を発見。ターミネーター2以降、出演をしていなかったサラ・コナーが60代になって戻ってくるそうです。

こちらと同世代のサラ・コナーが何をしてくれるのか、言ってくれるのか、そして息子のジョンとはどうなっているのか、楽しみです。

母なるサラ・コナー

先日、見るともなしにたまたまついていたテレビ番組(波瀾万丈)に鈴木紗理奈さんが出演していて、「サラ・コナーが大好きだったんです」と言ったので、えっとビックリ!ここでサラ・コナーの名前が出てくるとは思わなかった。

サラ・コナーは私が子育てをしていたときに目指していた人です。といってもサラは実在の人物ではありません。シュワちゃんの「ターミネーター」に登場していた主人公です。

「ターミネーター1」ではターミネーターから追いかけられて、ただひたすらキャーキャーと逃げ回っていた女子大生のサラが、自分の息子は未来で人類を救うジョン・コナーになるのだと知り(その時まだ子どもは生まれていない)、 格闘技、武器の使い方はもちろん、ITスキルを使ってATMからお金を盗みだす方法まで、ターミネーターと戦うためのあらゆる技術を息子に教え込みます。

そして未来からはこのジョンとサラを過去の時点で抹殺すべく、新しいターミネーターがやってきます。。。

という、「タイタニック」を作ったキャメロン監督が制作した映画です。この時のシュワちゃん、若い!

よく「男の子には父親が必要だ」という言葉を信じて離婚をためらう方がいますが、なぜ男の子には父親が必要と言われるかと言えば、男の子には男性モデルが必要ということでしょう。子どもは身近な大人をモデルにして育つ、だから「男の子には父親が」ということになるのでしょう。

では身近な男性であるモラ夫は、そのモデルとしてふさわしいでしょうか。「男の子にはモデルとなる男性像が必要だ」という言葉を信じて離れるのをためらうのであれば、「自分の子どもがモラ夫をモデルにすることを望む」ことになります。

「反面教師にすればよい」という希望が叶うかどうかはまったく賭けのようなものです。

男の子のモデルは別に父親でなくてもいい。叔父さんでも、学校の先生でも、部活の先輩でも、アニメの主人公でもいい。この子が大きくなっていくときに「こんな大人になりたい」と思う男性に巡り会えたら、それで充分なはずです。

シングルマザーの家には父親はいません。でも、母親だけでもサラのように(人類を救うなんて大それたことは望まないって)「子どもに生きる力を身につけさせる」ことはできると思うです。

子どもにはサッカーもスキーも車の運転も旅のノウハウも勉強も私が教えました。子どもがギターを弾きたいと言った時は、私はギターができませんので、安い個人の教室を探して行かせました。自分ができないところはアウトソーシングすればいいし、ある程度おおきくなれば、子どもが自分で探してきます。

夫が子どもに教えたのはゲームとパチンコぐらいのものです。ただ、「人を力で支配して自分の思い通りに動かそうとするならば、結局自分が不幸になる」ということは、身をもって教えたと言えるかもしれません。

王座の譲渡

私が離婚を迷っていたとき、背中を押してくれたのが精神科医の言葉でした。

「男の子は父と殺し合うかもしれない」

それはもうびっくり仰天でしたが、この「殺し合う父と息子」は何もモラハラ家庭だけでなく、普通の家庭でも起こりうることです。実際私の周りでも、殺し合うまでは行かないまでも、殴り合いの喧嘩になったという話は多く聞きます。ただ、モラハラ家庭は父親の支配がものすごいのと、父の政権への執着が常軌を逸しているので、大事になる可能性はあります。

相談を受ける方から「夫はとても子どもを可愛がります。子どももとても夫になついています。だから離れることをためらってしまいます」と伺うことがとても多いです。ただ、この時の子どもの年齢はだいたい小学校低学年までです。

その後、子どもに自我が芽生え、自己主張するようになると、夫は力で押さえつけようとして子どもに手をあげるようになります。子どももそんな父を恐れて最初はビクビクしていますが、体が大きくなり、年を取り衰えていく父に勝る力を持つようになると、殴り合いの喧嘩になります。そして、たいていは新しい王が誕生することになっています。政権交代です。

これを私は間近で見ていました。我が家ではなく義兄宅でしたが、このとおりのことが起こりました。子どもに負けた義兄は翌日朝から急にペコペコしだし、息子に「何か欲しいものはないのか?」などと手をこすらんばかりに言ったと義姉から聞きました。このコントのような展開に、義姉も呆れ顔でした。

ただ、義兄の腹いせは義姉と娘という、他の弱いものに向かうようになっていったとのことです。モラ夫はどうしても常に誰かを餌食にしないと生きていけない人物なのです。

「夫は子どもをとてもかわいがっている」というのは、子どもが自分の言うことを聞いている年齢までです。その後はふたりでこの家の政権を争うことになります。ただ、ある3世代が同居している家で、政権を持っているのは祖父で、中年の父はまだその支配下にあるという事例も見たことがありますので、交代が起こらない場合もままあるようです。

この家の場合、祖父が孫を猫可愛がりして甘やかしたため、両親は子どもを躾けることができず、子どもは両親を見下し、成長してからモラハラ夫になってしまいました。

本来家庭内の政権は力による譲渡ではなく、子がその年令になったら、父は座を下りて次の世代に譲るのが正しいやり方であるのは言うまでもありません。そういった平和に世代交代が行われる家は家族がみな穏やかで、「父は優しい人だった」と、亡くなった後も愛され続けます。

さくとさようなら〜きょうだいを亡くしたマナのお話〜

 5月28日、神奈川県登戸で小学生の女子児童と、子どもの通学に付き添ってこられたお父さんのふたりが殺される事件がありました。友人が登戸の事件現場近くに住んでいて、しかも亡くなった女子児童と同学年の女の子がいたため、子どもにどのように接したらよいのかと尋ねられましたので、わかる範囲で伝えました。

このような事件があると、子どもを亡くした親御さんは想像を絶する悲しみのどん底にあると思います。ただ、亡くなった子にきょうだいがいた場合、周りの心配りは親御さんほどには思いが行きどどかない場合があるように思います。

「結構元気にしていたよ」とか「普段とかわらなく遊んでるよ」とか、外目には子どもの心の動きはわからないかもしれません。でも、昨日までいた妹が急に居なくなって、そしてなぜ居なくなったのかきちんと説明してくれる人がいなかったら、子どもはその気持をどう表現していいかわかりません。

悲しみにくれる両親を見て、「死んだのが自分だった方がよかったんじゃないか」と考える場合もあります。

この「さくとさようなら〜きょうだいを亡くしたマナのお話〜」を制作したのは、犯罪被害者やその遺族を支援する団体「被害者支援都民センター」です。

突然妹のさくが事件で亡くなった後、おにいちゃんのマナがどんな心の動きをするのかを絵本で綴っています。これを読んだ人たち全員が、うるうる目になりました。

この絵本はの入手方法は

ぷるす日記】~’プルスアルハ’ と ‘ぷるすあるは’ のブログさん


のブログにありましたので、リンクを貼ります。絵本自体は無料ですが、活用していただける方へお送りするとのことです。

誰でも被害者になる可能性があります。被害者はひとりでは立ち直れません。地域の方たちひとりひとりの力が必要です。

独り占めはすべてを失う

まぁ、なんとなくわかっていただけると思いますが、私はスピリチュアルが割と好きです。ぞっこんのめり込んでいるわけではないけれど、この世は不思議な偶然で満ち溢れていると思っています。

「人生は筋書きのあるドラマだ」

とも思っています。そう思うに足りる出来事が今まで私の身の上に起こっているからです。

以前この小部屋に徳貯金の話題を載せました。電車で席を譲るでもいい、道を聞かれたらそこまで一緒に行ってあげるでもいい、ちょっとした得貯金を積んでいくと、利子がついて戻ってきます。かといって舌切雀の強欲ばあさんのように、利子目当てにする善行は残念ながら何も戻りません。今まで生きてきて、この法則はあるよなぁとなんとなーく思っています。

「日本財団」という団体の名前を聞いたことがある方はいると思います。あちこちで ボランティア支援をしたり、慈善活動をしている団体ですが、この資金の大元はボートレースです。ギャンブルです。お父さんがハマって借金を作ったりするやつです。その贖罪があるのか、この団体は慈善事業に熱心です。

ある時、DV啓発講演会に行ったら、その講演会のスポンサーはパチンコ業界でした。何だかこの場に似合わないような男性が挨拶をして、その会は始まりました。

お金儲けをする人たちには、どうやら法則があるらしい。それは「独り占めしたらすべてを失う」という法則です。儲けたお金の一部は慈善に使う、それが言い伝えなものやら、彼らが直感的に知っているものやらわかりませんが、ともかくお金が入ったら、一部は他人のために使うというのが決まりごとのようです。

投資家のジョージ・ソロスは慈善家でもあり、哲学者でもあります。投資と慈善は相反するように見えますが、慈善のための投資は効率的で美しい。 本物の投資は難しいので、私は徳貯金の積立をせっせとすることにします。

オリンピックチケット申し込み

来るぜ!2020!

ということで、オリンピックの抽選申し込みが開始されました。前回のオリンピックは遠く離れた所に住んでいました。よもや東京でオリンピックが開催されようとは!そして私がその時に東京に住んでいようとは!

これは神の所業か、奇跡か。しかも、家族全員東京にいる!

もうこれは行くっきゃないよね、ということで早速3人分の予約抽選の申し込みをしました。開会式です。

2・3日は予約サイトが混み合っているだろうから、ちゃんとぬかりなくしばらく経ってから申し込みましたよ。IDは3月中に取ってあります。

受付最初は混み合っていたサイトもすんなり通過。開会式を選んで、金額も出て、その後は申込み時に登録した携帯電話の番号を認証するだけ。PCの画面に電話番号が出るので、そこに電話をすると「認証が終わりました」のテープが流れるんだそうだ。

早速電話をする。

お話中。

再度チャレンジ。

お話中。

これを何十回繰り返しても繋がらないので、ネットで調べてみると、やはり繋がらないという書き込みが沢山ありました。

「午前3時から明け方にかけるとかかりやすい」という記事を発見。

なんでオリンピックのチケットを取るのに午前3時に起きて電話せねばならぬのだ(怒!

当初からHPがわかりにくいとか、登録しにくいとか苦情の多かったオリンピックだけど、抽選申し込みすら根性を入れないと受け付けてもらえないとは、お前、何様だ!!

何度も携帯のリスタートを回し続けて早3日。今日も繋がらない。

ああ、そういえば昔同じようなことをしたっけ。ラジオの「テレホンリクエスト」で曲をリクエストするのに、黒電話のダイヤルをジーコン、ジーコンって回したっけ。常に話し中で、繋がったことが1、2回あっただろうか。今は携帯のリダイヤルを押すだけだからマシか。

それから車の免許を取る時、実技の予約を取るのにも苦労したっけ。予約電話は何時~何時と決められていて、秒針がその時間になる瞬間、プッシュボタンを押す(ジーコンからプッシュボタンへ。時代の流れを感じる)

そして繋がらない。

これ、絶対にフライングで繋げてる人、いるよねー。必死でプッシュして予約を取ったものよ。

そして月日は流れ、子どもの部活で運動場の場所取りの電話は、携帯からかけていました。やっぱり時代の流れは感じるけど、プッシュを繰り返しすぎて腱鞘炎のようになってしまったものです。

今はオリンピックの抽選のため、もはや意地になってリダイヤルボタンを押し続けながら画面の赤文字を見たら、

あら????

画面に「あなたが登録した電話番号 ☓☓☓ー☓☓☓☓ー☓☓○☓←赤文字 からおかけください」と書いてある。

○って違うんですけど。

私の電話番号と1文字違うんですけど。

あたふたと私が登録した情報を見てみたら、どうやら1文字間違えて登録しちゃったみたい。あはは (*^.^*)

でもさー、電話番号が間違っていたら「登録されていません」とかテープで流れるよねー、ふつー。だから電話番号を直しても、やっぱ繋がんないんじゃない?と、いろんな意味で祈りながら認証登録番号にかけてみたら、

「電話番号を認証しました」のテープ音

イッパツで認証できてしまった。。。

なんか世の中って不条理だなーとか

世の中って切ないなーとか

世の中ってやるせないなーとか

そんな気持ちでPCの電源を切った私でした。。

もし、電話番号認証がずっーーとできていない方。

登録した電話番号、間違ってません?

今一度、お確かめください。

この投稿がどなたかのお役に立てたなら幸いです。


野田市の児童虐待死とDV相談

今年2月、千葉県野田市で起こった小学4年生の栗原心愛が虐待によって死亡した事件で、母親の傷害ほう助罪を問う初公判が先週ありました。亡くなった後、詳細な虐待の様子が記事になりましたが、読むことができないようなものが多く、本当にどこかでどうにかできなかったものかと強く思います。

第1のチャンスは沖縄に住んでいた時、親族が行政に相談に行ったことです。母親は親族に相談していたから行政に行ったわけで、沖縄時代は相談できる人がいたことになります。「DVがあると通報があったのなら、行政が家に行って確かめたり、避難させるべきではないか」と思う人がいるかもしれませんが、これはできません。

実際被害者のみなさん、家に突然役所が来て、「この家でDVがあると通報があったので来ました」と言われたら困りませんか?児童虐待は児童虐待防止法があるので、親の承諾が無くても子どもを一時保護できますが、大人を強制的に保護することはできません。

高齢者虐待も同様で、高齢者は大人なので、家族から虐待されていても「家に残りたい」と本人が言うならば保護できません。DV被害者も同じです。外から見てどんなにひどいDVを受けていても、本人が家を出たいと言わない限り保護できません。家に残りたい、ここで暮らしたいと言われればそこに置くしかないのです。

BBSに時々被害者の関係の方が「本人はDV被害に遭っているから助けたいと思うが、どうしたらよいか」という質問が書き込まれますが、これはもう、粘り強く待つしかありません。へたに強く説得しようとすると、接触を拒むようになるので、「何かあったらすぐに連絡して」と言うしかありません。

沖縄で親族の方が相談に行った時、おそらく行政側は「本人を連れてきてください」とい言ったと思います。相談される方は実際に虐待されている本人と話して、何が、いつ、どのようにあって、あなたはどうしたいのかを直に聞かなければならないのです。

これが本人でない人と話をすると「暴行があったのはいつですか?」「えっとぉ、確か10日か2週間くらい前だったみたいなことを言っていました」「どこで暴行されたのですか」「聞いてません。たぶん家の中じゃないですか?」ということになり、結局本人に聞くことになるし、一番大事な「あなたはどうしたいのか」が本人でないとわからないのです。

母親自身は行政に出向いていないようですから、ここで切れてしまった。野田市へ情報提供はあったそうですが、たぶんそのような案件は沢山あるので、埋もれてしまったのでしょう。母親も裁判の中で「誰かに相談すればよかった」と言っています。とても残念です。

もちろんこの事件で一番責任が重いのは児童相談所です。では児童相談所はどのような動きをするのかを知りたくて読んでみました。

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