行きつく先

私はいくつかの世界を持っています。ここは私の「モラハラの世界」。普段は仕事の世界もあるし、いくつかのコミュニティにも所属ています。各コミュニティは繋がっておらず、それぞれの世界で完結します。仕事の友人関係はそこで完結。そこからどこかへは繋がりません。

まるでサテライトのように私が中心になり、それぞれの衛星を持っていると言ったらわかりやすいかもしれません。私はこの「衛星」を沢山持つのが好きで、いろいろな活動をして広げていきます。

さて、これはその「衛星」のひとつのお話しです。家庭を持つ友人がふたりで話をしてました。

「昨日夫が飲み会だって言うから、あー、今日はのびのびできるとめっちゃ喜んでいたら、7時半にはもう帰ってきたのよ。ありえなーい」

ここのお宅の夫は家にいるのが好きで、趣味は家で読書をすることだそうです。この夫は家事はできるので、「特に面倒があるっていうわけではないんだけど、夫が家にいるだけでうざったいのよね」

「わかる!うちはずっとテレビを見てるのよ。家事でもしてくれればまだマシなんだけど、何にもしないでテレビ見てるのよ」

おふたりとも本人が夜遅く帰っても(午前様になっても)、ひとりで旅行に行っても(海外旅行に行っても)、夫は文句も言わず、食事を作って子どもの面倒もちゃんとみるんだそう。それでも

「クマガイさんはいいわねー。いつもひとりで悠々と家にいられて」と言う。

「うーん、そかなー。だったら卒婚すれば?二人でいることを解消して、それぞれの道を歩んでみたら?いくらでもひとりでいられるよ。でもね、あなたたちの住んでいる家のローンを払っているのは主に夫でしょ。せっせと働いて家を買って、その家で静かに読書をしたりテレビを見ていて、妻に『ウザい』と言われる男って、私、かわいそうだと思う」

夫が家にいるのはウザいという。でも、夫が持ってくるカネは欲しいという。

私が離婚をしたとき、多くの人は「かわいそう」という目つきだったのに、老年期に差し掛かろうとしたら、「夫はウザい。ひとりがうらやましい」と言う。しかし離婚や卒婚をする生活力も度胸もない。

どうやらひとりで淡々と歩んできた私が行きついたのは、人が羨む楽園だったようです。

避難応援プロジェクト募集開始

2年前から「モラハラ電話相談」を行っています。ありがたいことにこれを利用してくださる方がおりまして、私も掲示板だけでなく、被害者の方の生の声に接することができ、大変うれしく思っています。

昨年、東京都から助成金をいただき、「避難応援プロジェクト」というのを行いましたが、この時にモラハラ電話相談を受けられた方で首都圏にお住いの方にメールでこのイベントのお知らせしたところ、驚きの事実が判明。

なんと、ほぼ全員が避難済、もしくは準備終え、後は決行あるのみだった!

これには私もビックリしました。だって、避難ってものすごく大変なことです。一世一代の大勝負です。夫に悟られる恐怖に耐え、見つかったらどうしようとか、避難後、夫から攻撃されたらどうしようとか、子どもは納得してくれるだろうかとか、とにかく問題が山積みなのです。それを乗り越え、実行に移された方々。それがほぼ全員!

そして更に嬉しかったのは、「モラハラに遭ったのは、夫だけではない、自分自身の問題もあった」と自己分析し、人間として成長されたことです。

モラハラ被害者同盟が目指すのは「PTG(Post traumatic Growth  心的外傷後の成長)」です。これを成し遂げて下さった方々。本当にうれしかった。

私がしたのはご本人の方のお話を伺い、ちょっとした分析をし、そしてご本人がご希望になる情報を差し上げただけです。たったそれだけで、みなさん自分で更なる相談先を探し、協力を得て、避難されています。そう、自分で必要なものを探し当てる力をみなさん持っておられたのです。私がしたのはその糸口を差し上げただけ。やり遂げたのは当事者の方たちの力です。

今年は初日の1月7日から、最終日の25日まで、ご予約のコマが全部埋まっています。本当にありがとうございます。 避難応援プロジェクトは後2回ありますが、全日満員となっております。

プロジェクトに関しましては2020年度も継続したいと思っていますが、助成金がいただけるかどうかがわかりません。ただ、もし助成金が通りましたら、すぐにご連絡できるよう、リストを作ることにしました。ただいま、ご希望の方を募集しています。リストにお名前がある方には早めに日程等のお知らせをいたします。

ご希望の方は以下まで、ご連絡ください。

https://fm.sekkaku.net/mail/1155962537/

新春のお慶び

2020年謹賀新年、おめでとうございます。1月1日には埼玉テレビで映画「カノン」が放送されたそうです。それを知ったのは放送後だったため、告知することができませんでした。残念だったなぁ。久しぶりの「カノン」。今もパッフェルベルのカノンを聞くと、この映画を思い出します。うちの「お風呂が沸きました♪」もカノンなので、どうも「カノン」を聞くと、「お風呂が沸いた」を連想してしまうのですが。

昨年から持ち越しのエアコン購入ですが、初売りにダッシュしてみたら、なんと1万円値段が下がっていました~。電気製品は、待ってみるものだの結論。しかも「取り付け日は込み合っているので、ご要望にお応えできないかもしれない」との店員さんの予言は吹っ飛び「ご希望の日のご希望の時間が空いてました」とのこと。

「普通、あまりないんですが」のお言葉に「新年、ここで運を使いきりたくない」とゴネてみたら「これ、続くかもしれませんよ」とステキな笑顔で答えられました。K‐ズ電機さん、いい社員教育してます。

今年は9連休になっている方も多いので、お正月はいつもの年よりピリピリ感が強いのではないでしょうか。「地雷を踏む」とは言うものの、その地雷はモラ夫自らが勝手に埋めているので、わかりようがない。本来仕事をしている時間に家にいるものだから、環境にスムーズに適応できないモラ夫がイライラ感をつのらせているのでしょう。

あと2日。あと2日。48時間。乗り切って下さい。

今年のシメ

今日は2019最後の日ですので、ちょっとシメに一筆。

1月、まず壊れたのが電気ケトルでした。これはニトリで2千円も出せば買えるので、まぁ、いいかと。東京に転居したばかりの時にやっぱりニトリで買ったけな。

次に壊れたのは冷蔵庫。庫内の明かりがつかなくなった。幸い冷えはしているので、大型家電店3店を行ったりきたり、ネットでググり、交渉して最安値でゲットしたものの、「到着は1か月後になります」

今は在庫を置かないのだそうだ。到着まで一か月、庫内を探索する時は懐中電灯で照らしてたワ。これは23年間使っていて、私が講座でよく「後出しじゃんけん」のエピソードの時に使っているもの。そして電気屋さんが交換に来る前日、庫内の整理をしたら、おっとびっくり、明かりが点いた!

どうやら接触が悪かっただけみたいだけど、23年間、ご苦労様でした。電気代的にはエコになるからこれはまぁいいか。

そして8月、パソコンが壊れた。いや、前からモニターの下部にチリチリと線が走るのを見ないふりして使っていて、春からは縦じまも入るようになり、それでも使っていたけど、ついに立ち上がらなくなった。何度も再起動して、大急ぎでHDにバックアップ取って、大型家電店に走りました。買わなきゃとは思っていて当たりはついていたから、ここは値段交渉することもなく、ゲット。私が求めるスペックと、値段が合うのはこれしかないんだもの。

問題なのは納期で、2日後にはお盆になるから「納品はおそらくお盆明けになる。お盆前に届けられる確率は1%」と言われ、「お盆の最中はPC無し」を覚悟しましたが、もはや強運はとどまることを知らず、翌日届きました~!

このPCは6年前、篤志家の方から寄付していただいたもので、本当に良く働いてくれました。まだ動いてはいるので、何かあったようにセカンドとして置いてあります。私はMSオフィスを持っていないので、いろいろ不都合な時もあるけれど、オープンオフィスで乗り切ってます。

次に壊れるのは何だろうなーとビクビクしていたら、

来たよ。

やっぱり。

夏の終わりごろ、エアコンから水が垂れてきた。夏の終わりでよかった。
このエアコンも12年ものだから、もう寿命と考えよう。その方が電気代がエコだと思う。と言うわけで、今さっき大型家電店を行ったり来たりして、値段交渉してきたところです。結論として

年明けに買う、ということになりました。

次に壊れるのは地デジ化の時に買ったテレビか。4K放送とは何者だろうと、友人とアホなラインのやりとりをしたことは、別に記すことにします。

今日は夕方から友人が何人かやってきて、一緒に紅白を見る予定。明日は子どもと一緒に母の所に行くので、今日は深酒できないワ。

モラ夫と一緒に生活している方々は、突然大掃除を始めて「なんでこんなもの、取っておくんだ!!!!」だの、「この埃が見えないのか!!」だの、「お前、毎日ウチにいて、何やってんだ!!!」だのという声におびえていると思います。このイライラ爆弾はあと5日続きますが、心に誓いましょう。

「ナニバカほざいてんだ!クソこの野郎!その時なって吠え面かくな!」

で、私は当時の夫の雑煮に大掃除の時にとっておいた、水垢やゴミを溶かし入れておきました。まぁ、そんなことでもしないとやってられないもん。

来年が皆様にとって良い年になりますように。2020の大みそかを心安らかに迎えられますように。

では

これからパエリア作るの~~~ (o^∇^o)ノ

聖なる夜に

今夜はクリスマスイブ。10年前、東京へ引っ越してきたばかりで緊縮財政のだったため、「今年はケーキはやめよう」と、勤務先があった渋谷から表参道を抜けて駅に向かっていたら、歩道にテーブルを並べ、クリスマスケーキが売られていました。もう7時を過ぎ、売れ残った丸いクリスマスケーキが半額になっていて、小躍りするような気持ちで買い求めました。今も「コロンバン」は他人と思えない(店だけど)

その夜はデリカのバイトを終えた子どもが、売れ残ったクリスマス用オードブルを山ほどもらってきたので、隣近所に配り、ついでに翌日勤務先にも持って行くと、若い同僚から歓声が上がり、弾む声でお礼を言われました。

「今年はクリスマス、無理だと思ったんスよ」

リーマンショックの翌年で、世の中は絶不況。渋谷の宮下公園にはボランティアによる臨時の炊き出しが出ていました。渡されたビラには年末年始の献立表と、健康診断や相談の時間が書いてありました。

好奇心の塊のような私。その炊き出しの行列に並んでみようかと思いましたが、さすがにおじさんたちの中には入って行けませんでした。健康診断をしているのは、行政職のボランティアの保健師さんだそうです。

あるDV研修で、不況になるとDVが増えるとの統計があると聞きました。不況になり、心がすさむと家庭内で暴力が起こるのはもう、法則なのだそうです。

来年はオリンピック。その後は景気が落ち込むとの予想です。あの10年前の暗いクリスマスが来ないことを願います。

サラ・コナーリターンズ

見てきましたよ(1か月以上前だけど)。「サラ・コナー リターンズ」ではなく、「ターミーネーター:ニューフェイト」

ひとこと

サラ・コナー  かぁっこいいいいいいいいいーーーーーー!!!

もうこうなると、シュワちゃんは付けたしです。ゲスト出演です。結構どうでもいいです。アクションシーンはそれほどすごいというわけでもないし、というか「ターミーネーター2」がいかに面白かったのか再認識しました。今回サラが最初に登場した時だけはもう、のけぞったもん。あまりにかっこ良くて。

過去にこんなに顔にシワが刻まれたアクションヒロインがいただろうか。 キャロライン・ケネディが在日した時に、「年輪を重ねた顔の皺が美しい」と言われたものだけど、サラのシワもその人生を想像させてイイ。メイクもそれを意識して、シワを強調させてたのではないかしら。

そして発するダミ声がこれまたイイ。シビレるぜぃ。お年がお年だから、アクションシーンは大変だったと思うけど、 キャメロン監督の真意が見えて、最後のサラにふさわしいラストシーンでした。

うん、未来を創るのは女性なのよ。元々キャメロン監督は女性を戦わせてました。「メリーさんの運命やいかに」という活動写真の頃から、女性は男性から助けられ、庇護されるものと決まっていたけど、キャメロン監督が作った「タイタニック」のローズは黙って助けを待っていなかった。ドレスを翻して走り回り、斧を振りかざしていた。そしてラストも、キャメロン監督の老人になったローズへのリスペクトがあった。

まだ見ていない方のためにオチは書かないけど、ひたすらサラを見てくださいませ。昔、ヤクザ映画を上映している映画館から出てくる男たちは、みんな健さんになりきってると言われたものだけど、 「ターミーネーター:ニューフェイト」 を見て映画館から出てくる女たちは、みんなサラになりきってると思うよー。

引きこもりの子どもで悩んでいる方へ

元農林水産事務次官が長男を殺害したとして、 懲役6年の実刑判決を受けました。44歳の長男は発達障害を持っていて、なかなか社会に適応できず、引きこもりや家庭内暴力があったと報道されています。

40歳から64歳までの引きこもりは61万人いると言われ、当人はもちろんですが、その親御さんがとても心細く、辛い思いをされていると思います。

40歳を過ぎて、子どもとは言えない年齢になっている息子や娘をどうしたらよいかわからず、家族全員が家の中に閉じこもっている家も多いでしょう。

https://saposute-net.mhlw.go.jp/

ここは厚生労働省が行っている、社会に出るのが怖いと考えている若い人向けの場所です。ただ、「行きなさい」と言ってもお子さんはまず動きません。最初に親御さんがここへ行ってください。そして担当者の方とお話をしてください。多くのサポステは「引きこもりの子どもを持つ親の会」と繋がっています。DVの自助グループと同じです。同じ思いをされている方々とお会いになり、辛い気持ちを共有してください。

「行ってどうなる」
「何も変わりはしない」

と、最初から諦めず、小さな一歩を踏み出してください。子を変えようと思うなら、まず、親の意識を変えましょう。

急がず、急かさず、ゆっくりと、期待はあまり持たず、でも希望は捨てず、動き出してみてください。

起業という副業

朝のテレビ番組で、最近副業詐欺が多いという話題に触れていました。特に傾向として ネットを使ったものが増えているとのことでした。このことについて、私も思うところ があるので、取り上げてみようと思います。

ネット上にはスマホで簡単に7日間で20万円稼げるなどのキャッチフレーズであちこちの サイトなどがありますが、そんなに簡単に1週間に20万円が手に入るなら自分でやって人には教えませんよね。ともあれ、昔のマルチ商法などの代わりに、ネットを利用したものが増えてきているとのことです。

私が気になっているのが、詐欺ではありませんが、〇〇カウンセリング、××コーチングと いったものがネットに沢山出てきているなと思われることです。どんなことをするのかしらと思ってブログやサイトを見てみると、どれも似たようなものばかり。

写真館で撮ったと思われる、片方の肩をぐいと前に出して、にっと歯を見せて笑っている写真がプロフィールに載っている。

うつ病から脱した経験を生かして、同じ病にある人を救いたいと思い、(これがACだったり、モラハラだったりいろいろ)、××認定コーチングを3カ月受講し、ついにネットで起業。限定10名様を無料でコーチングとか。有料のものは結構なお値段設定で、1時間2万円とか。私が知っている有名臨床心理士のカウンセリングは2万円ですから、それと同等の金額をとるカウンセリングやコーチングって、どんだけすごいんだろう。

しかもそれは面談ではなく、スカイプや電話。つまり相手の顔は見えない。見えない相手との会話は情報量が限られますから限界があります。表情、顔色、服装、匂い、目の動き、髪型等々、見た目の情報がないままのカウンセリングやらコーチングはとんでもなく難しいと思います。それを「3カ月××認定のテキストを勉強した」方々はどうされているのかしら。

料金については、金額が高いほど受けた人の満足度が高くなる傾向があるというのが、 この業界で言われているとのことです。ひとり単価を高くしないと、労力の割にもうからないし、高く設定した方がカウンセラーの価値が高く見えるからだそうです。これは「ネ ットで起業するコツ」を書いたサイトで読みました(笑)

「最初は安くして、固定客がついたら値上げをする」というのも常道ながらありました。そのサイトでは「ネット起業した人はさほど儲からないが、『こうすればネット起業で儲かる』というセミナーをしている人は儲かっている」とも書いてありました。うん、そうなんだろう。

そしてそういうカウンセリングだかコーチングのブログを見てみたら、「いいね!」が100 件以上もついている。「え?このカウンセリングだかコーチングだかでまだ1年しか経験のない人がそんなに人気なの?」と思って「いいね!」を付けた人を見てみると、

「ほとんど全員同業者」

ほとんど全員ネットでコーチングやら、カウンセリングやら、ヒーリングやら、占いやら、ビジネス指南やらネットで商売をしている方たちでした。個人の方もどうやら「私のブログに来てね」系。つまり「いいね!」が無料宣伝リンク場となっていました。ということはこのカウンセリングだかコーチングだかしている人も、毎日の日課としてこの100件以上のブログを読みもしないのに(たぶんそんな暇ないだろう)「いいね」をつけて回っているということか。うん、それも大切な【営業】なのだろう。

昔の「最初に勤めたところに定年までいる」というビジネスモデルはもう崩壊しつつあります。大企業のトヨタでさえ「終身雇用は無理」と言い、「生活の面倒は見られないから 自助努力を」と大手の会社も副業を解禁してきています。

一か所がダメになっても、 副業があれば気持ちも家の経済も楽です。その矛先がネット起業になり、カウンセリングやらコーチングやら、始めるのにさほど資金と時間がかからないものに向いているような気がします。ただ、その料金に見合ったカウンセリングやコーチングなのか。

「そんなに儲からなくてもいいの。ちょっとした家計の足しに」というつもりでネット起業している人も多いでしょう。その昔、「アムウェイは買う人より売る人の方が多い」と言われたものですが、ネットでのコーチングやカウンセリングもその道かなぁと思っています。でも、コーチングやカウンセリングは傾聴とは違います。ただ聞いていればいいというものではありません。そこは大丈夫なのか。

副業 在宅 カウンセリング というキーワードで検索すると、すぐにでもカウンセラーになれそうなことを書いているサイトがヒットします。カウンセラーになるのはいいですが、私はそういう人のカウンセリングは受けたいとは思わないけどなぁ。お金がもったいない。

モラル・ハラスメントとは

「モラル・ハラスメント」があちこちで使われ始め(最近は織田君)、いろいろな解説やら解釈やら、もう、どうしようかというくらい、ぐちゃぐちゃになってしまいました。特に「は?」と思うのは、「モラル・ハラスメントのモラルとは英語で倫理のことです」と書いてあるものがすごく多いことです。

最初に「モラル・ハラスメント」という本を出版されたイルゴイエンヌさんはフランス人ですので、「英語でモラルとは」にはならないのです。フランス語で「モラル」は「精神的な」という意味です。だから原題の 「Harcelement moral (アルセルマン・モラール)」を日本語に直訳すると「精神的な嫌がらせ」ということになります。

このあたりは「モラル・ハラスメント」を翻訳された高野先生がしっかりと私のインタビューにお答えくださっているので、こちらをご覧ください

また、フランス語でも「モラル」」は「倫理」という意味もありますので、「倫理に反する精神的な嫌がらせ」ということになるかと思います。

このインタビュー記事はモラハラ被害者同盟ができた何年後かに作ったものだと思いますが(もはや覚えていない)、私は今でも迷ったときはこの記事を読み返します。高野先生の言葉はモラハラを扱う時の原点であり、これがすべてだと思っています。

インタビューから特に印象的な部分を抜粋します。

“まずはモラハラという言葉が広まって、恐ろしい暴力が認識されることが大切だと考えます。もちろん、言葉が広まっていけば、さまざま混乱が生じるでしょうが、それはあとから整理していけぱいいと思います。大切なのは被害者の方がまず被害に気づいて、現在の苦しい状態から抜けだすことだと思います。”

” 前にも述べたとおり、被害者の方の言葉で印象に残ったのは、「自分が受けていたのはモラル・ハラスメントなんだ。自分の苦しみには名前があったんだ。それがわかったことによって、救われた」ということです。そして、もしそうなら、この言葉を広めていくのが訳者としての責任だと思いました。

被害者の方が自分の体験をお話しなさって、それによって「自分だけが特別に苦しんでいるわけではないんだ」という形で救われる方がいる。それは素晴らしいことだと思いました。また、そういった形で「モラル・ハラスメント」という言葉が広がっていき、また救われる人が出てくる。それも素晴らしいことだと感じました。日本においては、「モラル・ハラスメント」という言葉を広めたのは、被害者の方々だと思います。その意味で、「モラル・ハラスメント」という言葉は、被害者の方々のものです。”

”モラル・ハラスメントというのは、被害者を救うためにある言葉だと思います。「それはモラル・ハラスメントだ」と言って、誰かを責めるための言葉ではありません。「モラル・ハラスメント」という言葉に出会って、自分が受けていた苦しみの実体がわかり、自分が悪いわけではなかったんだ、努力が足りなかったわけではないんだと思って、この状態から一刻も早く脱出する――そういう形で被害者が救われるための言葉だと思います。

そういった意味から、モラル・ハラスメントの被害を訴える人には、この言葉の間口を広げてもよいと思っています。その反対に、「それはモラル・ハラスメントだ」、「あなたはモラル・ハラスメントの加害者だ」、「あの人はモラル・ハラスメントの加害者だ」と声高に誰かを非難する言葉には、少し距離を置きたいと思っています。「モラル・ハラスメント」だと言って人を非難すれば、それ自体がモラル・ハラスメントになる恐れが大きいからです。

といっても、もちろん、医学的な診断を下したり、裁判などではこの言葉の定義をきちんとしていかなければなりません。そこでは、何がモラル・ハラスメントで何がそうではないのか、専門的な見地からの判断が必要でしょう。でも、それ以外の場合は、第三者による二次加害を防ぐためにも、モラル・ハラスメントの被害を訴える人の言葉は、まずはそのまま受け取りたいと思っています。

もうひとつ、ある人が誰かの精神的な暴力に苦しんでいるなら、それがモラル・ハラスメントであろうが、パワー・ハラスメントであろうが、精神的なDVだろうが、その苦しみに変わりありません。そういった状況では、言葉によってどんな名前がついているかより、その苦しみをやわらげ、そこから逃れる(第三者はその手伝いをする)ことが大切だと思います。その意味では、「モラル・ハラスメント」という言葉にこだわりすぎないことも重要だと考えます。”

この記事はまだそれほどモラハラが一般に流通していなかった頃に作ったものですが、「モラハラが誤解されること」「二次加害の恐れがあること」「モラハラかどうかにこだわること」などの今日わやわやになっている問題点を、高野先生がずっと前から指摘して下さっていた、画期的な記事だと思っています。

みんなときめく

部屋を片付けようと、断捨離を決行することになりました。捨てるか捨てないかは「使うか使わないか」ですが、「使わないけど捨てられない」ものは生きていた時間が長かった分、分量が多い。特に子どもに関するものは中々捨てられません。

子どもの古着は東京に転居する際に、職場の同僚に引き取ってもらったりしましたが、学校で作った工作や図画が「これを捨てたら無くなってしまう。今捨てなくてもいいんじゃないか」と、いつも「次に考える」の箱に入ってしまいます。

田舎の家から都会の集合住宅に転居して、住居の広さが半分になりましたから、あらかたは片付いたのですが、どうしても捨てられなかったのが「子どもふたりのランドセル」でした。

狭い住宅の中に10年間、ランドセルは置いてありましたが、きっかけになったのは市役所の「古いかばん(ランドセル含む)を集めます」という市報記事を見つけたことでした。子どものランドセルをゴミ捨て場に持っていくことができなかったので、「市役所に預ける」という免罪符があるならば、これを利用しようと集積場に持っていきました。それでもなかなか名残惜しくて、ふたつのランドセルを並べて写メしていたところ、市役所の方が「これはアフリカなどに送られるんです。日本のランドセルは人気で、喜んで使ってもらえますよ」と言ってくださいました。

そう言えばテレビのバラエティか何かで、日本のランドセルがアフリカで人気だと言っていたっけ。遠くまで地平線のアフリカの平原で、このランドセルを背負ったアフリカの人たちが歩いている姿が浮かびました。「よろしくお願いいたします」と係の方に頭を下げ、ふたつのランドセルを撫でて、さよならしました。

6年間使ったものだから、かなりよれているのに、「大切にします」と言っていただけて、言葉って魔法だなと思いました。

その晩、通っているジムの大浴場にふたりの年配の方が湯船に浸かっておしゃべりをしていました。

「断捨離しようと思うんだけど、なかなか進まなくてさー」

「そうそう、コンマリが、捨てようかどうしようか迷っている物をこうやって胸にあてて、ときめかなければ捨てればいいんだって言ってた」

「うん、知ってる。だからこうやって胸にあてるんだけどさー、みーんなときめくのよ」

「そうなのよ!みんなときめいちゃうのよ!」

「ときめくのよねーー!」

ふたりで大きく頷きあい、合意されました。

そうなのよね。子どものものは、思い出という物語があるぶん、みんなときめいちゃうのよ。