いろいろなハラスメント

昨日テレビ朝日の「ワイドスクランブル」でいろいろなハラスメントについて放送されました。モラハラ被害者同盟にも家庭内ハラスメントの実情を聞かせて欲しいと取材がありました。

その中で私が提示したのは「性的DV」でしたが、それについて概要をお話しすると「これはもうハラスメントではなく事件」である、これを扱うには時間が足りないとのことで取り上げていただくことは叶いませんでした。

性的DVは配偶者を自分の欲求を満たす道具として扱うものですが、これをオブラートに包んで人に言っても「愛されている証拠」「あなたに魅力があるから」と、かなりズレた反応があるだけです。もしズレたものではなく、実際の描写をすると相当ヒかれる。なぜなら時にはAVまがいのものもあり、正視できるようなものではないからです。

性的DVは相談を受けていてもなかなか最初に話があることはなく、何度も相談を重ねるとほんの少しずつ出てきたりします。実際モラハラ状態ではあるけれど、性交渉は問題なくバッチリという理屈は通りません。無視をされたり理不尽な理由で怒鳴りつけられたり、こちらの要望は一喝して終わりというような相手に愛情が生まれるわけがありません。

女性は男性と違って愛情がなければ性交渉はできません。(これを生業としている人を除く)

さて、DV界では性的DVがトレンドになりつつあります。

全国シェルターネットの最新情報 性的DV・パートナーからの性暴力についての声明

https://bit.ly/3dwl66G

これには被害者の実際の声が集まっています。もしこれが夫婦間でなく行われたのであれば大事件ですが、籍が入っているというだけで事件にはならない。

とはいえ、文中に「配偶者間の検挙件数は強制性交等罪6、強制わいせつ罪2」とありますので、訴えれば犯罪として取り上げてもらえるものもあるということです。

夫婦間レイプは「秘め事」ではなく、世間にこの存在を知らしめる時がきたように思います。

葱が好き

私は四季の中で冬が一番好きなのです。というと「え?!」と驚かれるのですが、私は暑いのと日光が苦手なのです。夏、外に出るのは夕方過ぎというドラキュラ生活(笑)

東京の冬は雪もなく、毎日晴天なので(この時の日光はさほど気にならない)、お弁当を作って自転車で遠出して、川べりでランチをするのが至福の時です。

そして冬のお楽しみは深谷葱に代表される、ぶっとい葱を使ってのお料理がもうこれ以上ないくらい好き。いろんな具材と一緒にとろとろに煮込んだ鍋物もいいし、魚と煮込むと、主役は魚よりも長葱。アクセントに生姜。

スーパーには長ネギの青い部分を切り落として売っていますが、八百屋さんにはちゃんと青い所もついて売っているので、買ってくるとまず青い部分と白い部分を二分割して冷蔵庫に保存します。

根はプランターに挿しておくとまた生えてくるとのことですが、うまくいったためしがない。

近くに焼き鳥が安い冷凍焼き鳥を売っているお店があるので、それを解凍する時はオーブントースターに長ネギと一緒にのせて焼きます。調味は当然塩。主役は鶏から出た脂にまみれた葱。

春になって暖かくなるのは少し嬉しいけれど、この長葱が無くなってしまうのが寂しい、けど、代わりに新玉ねぎが出てくるとまたじゅるっと。

新玉ねぎって、どうやっても旨いよね~、ううっ。玉ねぎと言えば淡路島が有名ですが、去年友だちからもらった「ふるさと納税でもらった玉ねぎ」が絶品だった!簡単に食べるときは厚めの輪切りにしてバターと醤油でチンの玉ねぎステーキ。じゅる♪

ともかく野菜の中で一番好きなのが葱といういうくらい葱が好きなのです。

地震お見舞い

昨日の夜の地震、かなり大きく、長く揺れました。低層階の鉄筋の建物でこれだけ揺れたので、木造の建物ではかなりの揺れだったのではないでしょうか。

地震によって身体や財産に被害のあった方には心よりお見舞い申し上げます。もし募金の話が出たら早速協力したいですが、東日本大震災の時に変なことに使われたものがあったようなので、〇〇に使います(校舎に被害があったので直しますとか)というピンポイントのものに出したいなぁ。

東日本大震災からちょうど10年で大きな余震が来ましたね。地震帯にお住いの方は気が抜けない日々で憔悴されているのではないでしょうか。繊細な方はひとりで怯えずに、寄り添ってくれるところと繋がって下さいね。

https://www.since2011.net/

<<0120-279-338>>

こちらに24時間対応してもらえる電話相談の一覧がありますので、かけてみて欲しいのですが、なにぶん繋がらないことが多いと聞いています。諦めずにかけてみてください。全国の自治体にも相談室があると思うので、区役所、市役所、役場に電話をしてみてください。

今朝の気象庁の発表、女性の方でしたね。森さんの発言であちこちで「女出せ」と言っているのではないかと思ったりして。これが一時のなあなあで終わりませんように。

USAのサキ報道官。ほれぼれしますね。本当にかっこいい。中国の華 春瑩報道官は毎度腹立つけど、キッとしてて仕事、できるんだろうなぁと思います。

早く日本もおっさんじゃない人が報道官として登場しますように。

そうなったら森さん騒動も悪くなかったなということになるんじゃないかと。

暗黒街のふたり

森さんの「女が会議に出ると長くなる」発言は撤回しても、与党議員から退陣の話が出なくても外圧が許さず、結局辞任するみたいですね。

私は森さんという方はもともとそういう人だと思っていましたから、発言にそう驚きませんが、ともかく80歳を過ぎて、長く議員をやっているのに、まだ言っていい場所(ステーキ屋やふぐ料理屋)と言ってはいけない場所がわからないという、こちらの方をどうにかして欲しいと思います。

それよりもオリンピックのボランティアをすることになっている私は、森さんよりも二階堂さんの方の発言の方が頭に来ました。

”「どうしてもおやめになりたい」場合は追加で募集をかけざるを得ない”とは、政治家の言葉での発言ですが、これを訳すと「辞めたければ辞めれば?どうせやりたい奴はいくらでもいるし」ということです。

ま、政治家とか役人とかはボランティアをその程度にしか思っていないということですよ。補充なんかいくらでもきくと。

私がボランティアを希望したのは、生涯でオリンピックが2回ある(あった)。その1回は開催地に住んでいるという奇跡。これを受け止めねばなるまいよと思ったからです。

日本国に住んでいる人でボランティアをしたい人は大勢いますが、何しろ10日間東京にいなければならない。ここでほとんどが脱落する。そして仕事をしている人が10日間休んで任務につかなければならない。ここで更に脱落する。

この2点をクリアした人たちは、申請書を送り、面談をし、代々木のオリンピックセンターで研修を1回受けなければならないのです。私も受けましたが、結構日本各地から集まっていました。面談や研修のために交通費や宿泊費を使って、東京に来ている方が大勢いたのです。

その申請書で少しでも有利にするために、語学学校に通ったり、スポーツボランティアをしていた人も大勢いました。オリンピックにはスポンサー企業も参加する。人脈もできるだろう。何か次の人生のきっかけになるのではと、仕事を辞めた人もいます。

その熱意や努力を「やりたい奴らは他にもいるから」とは何事か。勝手にお前らが応募したんだろって言うんだろうか。当初人が集まらなくて、募集団が全国行脚してやっと集めたのではなかったか。この人たちの苦労や努力をブチ壊してどうするのだろうか。

代々木スポーツセンターの研修では、多様性や障がい者の方についてどう考えるかという、とても考えさせられる良い映画を見ました。森さん、あの映画を見たのだろうか。

私は今のところ静観です。だって、オリパラそのものがやるんだかやらないんだかわからないんだもの。今のところ「無理でしょ」の声が大きいですね。ユニフォームのサイズ合わせも終わっていたから残念だけど、人間生きていると予想外のことが起きるものですよ。

それより、選手の方たちは一生をこれにかけていたでしょうから、そちらの方を気遣って欲しかったなぁ。森さん、二階堂さんに考えて欲しいなぁ。

ふたりの写真が並んでいると「暗黒街のふたり」という映画のポスターに見えてきました。政治の世界って、暗黒街みたいだし。

ありがとう、松屋

昨日PayPayがキャンペーンをしている吉野家からテイクアウトしようとしてお店行ったら、なんと閉店。すでに店の中はがらんどうで看板もない。毎日前を通っていたのに気づかなかった私もどうかしてる。

ショック。年に1回入るか入らないかという程度の吉野家だったので、生活に不便になることはないのですが、何となくファストフード=吉野家という感じだったので、コロナ不況もここまできたかの思いがあります。

そうなると、松屋は。。

子どもと一緒に初めて東京に来てから12年が経ちます。故郷から夜行バスでやってきて、電車を降りたのはまだ午前7時前。雨が降っていました。

寒いし、手配した部屋には食べ物はないし、暖房器具が到着するにはあと数時間かかるし、何よりお腹がすいたので、手っ取り早く駅前にあった松屋に入りました。故郷には松屋はないので、子どもにとっても私にとっても初松屋。

私は朝定食、子どもは大盛牛めしを注文して、カウンターしかない席に座っていました。やってきたあつ~いお味噌汁を一口すすると、それが腹わたにしみわたり、長旅の疲れがほどけていきました。

1月の末になると、いつもあの時のことを思い出します。駅前の松屋へはその後入る機会がほとんどなく、いつぞや牛筋カレーが美味しいという評判を聞き、1回入ったかなという程度です。

バーミヤンが閉店し、吉野家が無くなり、もしかしてこの松屋も無くなってしまうのかなと思ったら、いてもたってもいられなくなり、思わずテイクアウトで買ってしまいました。

あの冷たい雨の朝、遠くからふたりしてやってきた私たちを、暖かい味噌汁で迎えてくれた松屋。

できることならこのままずっとそこにあって欲しい。

週末にはあれ以来初めてになる朝定食を食べに行ってみようと思っています。

めんどくさい「三顧の礼」

こちらの続きです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/ffed202edbdc84ee8d13806f44d5f298f78e7c52

”釈明会見では辞任を否定したが、それは周囲から引き留められての判断だったという。毎日新聞によると、森会長は「元々、会長職に未練はなく、いったんは辞任する腹を決めたが、(組織委の)武藤敏郎事務総長らの強い説得で思いとどまった」と経緯を明かしている。”

周りから説得されて、本当は辞めるつもりだったけど、思いとどまったという、ホントかなぁ。

こういう人たちはやる気満々なのに「本当は嫌だけれど周りが押すから渋々」というポーズを取りたがります。この面倒くさい儀式をしないと腰を上げません、いや、上げてくれなくていいんだけど、あなたの代わりはいくらでもいるんだけど、どっちかというとやめて欲しいんだけど、と思いながら、「どうかお願いします」と言わないと、ヘソを曲げて後からガタガタ騒ぎまくって、裏で工作なんかして会をめちゃめちゃにするし、めんどくさくなるからしかたなく三顧の礼のまねごとをすることになる。

元義父がこれでした。「おじいちゃん、今日は外にご飯を食べに行こう」と誘っても、「俺はいい、お前たちだけで行ってこい」と言う。外食をするというのは、元義母の負担を減らそう(私の負担もだ)という目論見があるから誘っていることで、元義父が行かなければ元義母も行けない(元義父なんか来なくたっていい)。

そこで、孫たちを使って「おじーちゃん、いこーよ、いこーよ」「ああああ、俺は行かなくていい!」「そんなこと言わないでいこーよ」「ああああ、お前たちだけで行ってこい」「おじーちゃんが行かないとつまんない」「いい、いい、お前らだけで行け」

これを3回ほど繰り返すと、渋々外出着に着替えて来ます。ある時、なぜがものすごく派手なアロハシャツを着てきたことがあり、その時一緒にいた義姉が「あれ着てくの?どっから買ってきたんだろう、あのシャツ」と固まってしまったことがありました。

#おおかた店の若い娘に「すごくお似合いですよ」とでも言われて、売れ残りを押し付けられたんだろうw

ある日ある時、この儀式にうんざりしていた私が、いつものとおり元義父が「俺は行かない」と言い出したので、「じゃ、おじいちゃんはお留守番だね。おばあちゃん行こ、行こ」と強引に元義母の手をとって連れて行きました。「え?え?」と私に手を引っ張られながら後ろを振り返る元義母でしたが、彼女も毎度のこの儀式に辟易していたと思われ、付いてきました。

取り残された元義父、ぼーぜん。

すると元夫が、「何してんだ、ほら、行くぞ」とナイスフォロー。元夫はマザコンなので、義母のためにはやるんだよ。

渋々むっつりとした表情で付いてくる義父。

そして以後、元義父は「俺は行かない」という儀式はしなくなりました。

私は元夫には逆らえないけど、元義父には強い。元義父は私の機嫌を損ねると最愛の孫に会わせてもらえないと思っていたらしいのと、年をとると介護という問題も出てくるので、私には弱かったのです。人間、弱みがあると何も言えなくなるのですね。これ、モラハラの構図と同じ。

さて、森さんですが、「今の座に未練はない」と仰っているそうですが、実際困難が予想されるオリパラですから、私だったらこれ幸いと辞任しますが、どうも政治家というのはそういうものではないらしい。菅総理大臣だって、去年9月、コロナでわやわやの時期に総理大臣に就任しましたからね。あの方たちの感覚というのは我々一般人とは相当かけ離れているようです。

メンタルが強いのか、鈍感なのか、それはわかりませんが。

森さんは別格

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の発した「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」発言が波紋を広げています。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6384193

どうやら女はひとり発言すると対抗意識を燃やして「私が私が」と言い出すので、会が長くなると言いたかったらしい。これは大いに反論したい。男だって「俺が俺が」と、とにかく会合で何か発言したい、自分の存在を出したいと、どうでもいい話を持ち出して会を長くする人がいるので、私は「はー、めんどくさい」と思っているところです。

森さんの中に「女のくせに理事会なんてところに席を置くだけでもけしからんのに、発言までするとは面白くない」というものがあるのでしょうね。

私が呆れてしまうのは、この発言をして、世界中から非難を浴びていても、それがどういうことなのかまったくわからないという、無知と鈍感さです。たぶんこの周辺の方たちがふぐ料理屋やステーキ屋のいつも会食の中でいつものように話しているのを公に話しただけなので、「みんなそう言っている。何が問題なのか」と思っているだけなのでしょう。

森さんは今までも問題発言が多かった方です。それを何度も繰り返す。誰も諫めようとも進言しようともしないイエスマンに囲まれる、裸の王様状態。

あそこまで偉くなったら、本音と建て前を使い分ける技量くらい持てよと思う。ただ、建前で女性を尊重しているポーズを取りながら、実はバリアンチフェミという人は多いので、それに比べれば二面性が無く、わかりやすくていいなぁという気もします。

森さんについて知人から聞いたことがあります。政治家と接点がある、とある団体で働いていたことのある知人がある日声をひそめて、「政治家には沢山会ったけど、森さんは別格だった。誰もあの人に逆らえない。あの人の前に出るとどんな人でも小さくなる。あんなヨボヨボのじいさんだけど、今でもあの人の力はものすごいものがある」

今回も、これだけの騒ぎになっているのに閣僚の中からは辞任せよの声は出ていないとのこと。

https://mainichi.jp/articles/20210205/k00/00m/010/074000c

知人の話がぴったりと合う。

森さんはとっても怖い人らしい。

三世代同居の秘策

東京に来て周りを見渡しても、相談に来られる方の話を伺っても、三世代同居の方はあまりいらっしゃいません。同居の場合も都会での三世代同居はほとん1階と2階で分けていたり、玄関から別だったりする2世帯住宅です。地方にあるように、水回りもすべて一緒、完全同居の形はあまり見受けません。

私は結婚するときに「親と同居」を求められました。その頃、同僚も友人たちも同居する人が多かったので、それを何とも思わずに受け入れましたが、変人の義父から「お前ら親を利用しようと思っているのか」と断られたので、むしろそのお断りをありがたくいただきました。

相談員をしていたしていた時に、義両親との付き合い方のお話をとても少ない数ですが伺いました。とにかくすべてに過干渉であると。それでも遠距離の場合は離れている分深刻度は高くありませんが、近場にいるとそういうわけにもいきません。

仕事をしているといつもは保育園なのでいいけれど、子どもが病気をした時などは頼らざるを得ない、だから決定的に決別するわけにもいかない。そして義理とはいえ夫の両親なのだから大切にしなければいけないという思いもある。

私はこういうお悩みのお話には私の郷里の話をします。

私が元働いていた職場は、女性が結婚しても子どもが生まれても離職することがない所でした。そしてんな結婚すると多くは三世代同居をしました。共働きで夫婦収入を合わせると、かなりの額の保育料がかかります。2人、3人子どもがいると「保育料のために働いているようだ」と同居していない人たちはため息をつきます。

それが同居だと必要ないし、子どもが病気で幼稚園を休むなどの時にも即座に対応できます。なにより義両親が「かあさんは稼いで金とってこい。子どもは見てやる」と言ってくれるので、お言葉に甘えてそのようにしています。

それゆえ三世代同居の同僚たちは時間を気にせずゆったりと仕事をし、時にはしなくてもいい事や効率を全く考えない仕事をして残業代を稼いでいました。「早く帰るとご飯の支度を手伝わなきゃいけないからさ」と、ランチの時には言っていました。

とは言え、やっぱり文化や時代が違う義両親との生活は苦痛の方が多く、下の子どもが小学校に入るやいなや、まず妻が家を出て、夫がそれを追いかけて出るということが始まります。そして少しの間アパート暮らしをして、次に家を建てる。夫は本宅と愛人宅を行き来するように妻がいる家と実家とを往復します。たぶん実家の親に不満やイヤミを言われながら。

これが多く家で行われるので、私も何とも思っていませんでした。子どもが大きくなったら同居は解消するのがごくごく普通だったのです。

#よもや介護を放棄して家を出るとは思っていなかった義両親の憤りやいかに

もちろん義両親と仲良く暮らしてずっと住み続ける人も、少数ながらいましたが。だから私の元義父が「親を利用しようとして」というのも、あながち誤解だというわけでもなく、おそらく元義父は知り合いの家がその状態なのを知って同居を断ったのかもしれません。

「私の故郷では『子どもが小さい時は面倒をみてもらう。その後は疎遠になる』が普通なのよ」と相談者の方にお伝えすると、「へー、そうなんですか」と仰り、かなり罪悪感が軽減されるようでした。

今私は孫がいてもいい年ごろになり、もし子どもが子育ての助けを求めてきたら、喜んで受けると思います。もちろん介護目当てではありません。あのぷくぷくとして手に触って、柔らかな体を抱くことができたら、それは本当にありがたいだけです。(毎日24時間は困るけど。たまに数時間ならというわがままな夢)

私の体が動かなくなった時のことは、もう考えてあるので、当然一緒に住んでもらっての介護はありえません。私だって母を施設に入居させているのだから。母が変なのは、自分は義両親も実親と同居したことも通って介護したこともなく、きょうだいの配偶者におまかせだったのに、なぜか自分は子どもの家族と同居して介護してもらえると思い込んでいたことです。不思議やね。。

子どもと同居すれば当然老後は安泰と思っていた世代の方は、厳しい世の中になったと思って、自衛していただきましょう。

何でも時代を先読みするのが大事ヨ。

更年期さまざま

私の周りで更年期の悩みを聞くことが多いです。その症状は様々で、ひどい人になると仕事を辞めなくてはならなくなった方もいました。

更年期障害は閉経前後10年で現れるものですが、実は私はこの障害がまったくありませんでした。ちなみに子どもの反抗期を体験したことのない方は、子育ての辛さの何パーセントかを味わうことなく過ごした幸せな方だと思います。私は更年期障害がない幸せな人です。

反抗期のなかった子どもは後から反動が来るとか、それ自体が問題だという人もいますが、私の周りに限って言えば、反抗期なく育っても、何ら問題なく人生を送っている人も結構います。

私は反抗期がなかった人というのは、親からの抑圧がものすごくて反抗できなかったか、反抗する理由がなかったからではないかと思っています。親子関係がものすごくうまくいっていて、意思の疎通もスムーズ、親からの無理な抑圧もない場合は、反抗する理由がない。

「それっぽいものはあったけど、1週間くらいだったかな」という人もいました。

さて最初の更年期障害ですが、私はまったくその症状がなかったので、苦しい更年期障害を経験しておらず、何も言えません。「まったくないんだよねー」と同僚に言ったら「貧乏に更年期なしって言うよ」と言われました。

#うう、当たりすぎていて何も返せない

#生活するのに夢中で、自分の体に変化を気にすることもできなかったかもしれない。

ともかくとても生活に大変だった頃と更年期の時期がぴったり重なったので、この言い伝えはありかなと思っています。

今更年期でモラハラ渦中にある方は、とにかく自分の体優先にして(難しいかもしれませんが)、専門病院に行くなどしてくださいね。

石のスープ

小学生の頃読んだ童話で好きだったのが「石のスープ」(大体私が好きなのは食べ物が出てくるお話)。

外国の、とある村に戦争に行った兵士たちが通りかかりました。村人たちは兵士に食べ物を取られては大変と、食料を全部隠してしまいました。兵士から「何か食べるものはないだろうか」と聞かれた村人は「全然何もありません」と答えました。

村に何も食べ物がないのはおかしいと思った兵士は一計を案じました。

「私はとびきり美味しいスープができる石を持っている。ここで作るので鍋と水を貸してほしい」

村人は訝しがりながらも鍋と水を出します。兵士たちは鍋に石と水を入れて煮始めました。

「これにほんのちょっぴり塩を入れたら世界で一番美味しいスープができるんだがな」

世界で一番美味しいスープとはどんなものだろうかと興味津々で村人は塩を出します。

こんな感じで次に小麦、野菜、次に肉、最後にミルクを村人から出させてスープは完成します。できあがったスープを兵士は村人にも分けて、みんなで一緒にとびきり美味しい石のスープを食べました。食べ終わると兵士は石を村人に渡し、去っていきました。

   ちゃんちゃん♪

この童話のステキなところは、兵士が腕づくで食べ物を奪おうとしないこと、できたスープを村人に分けて一緒に食べること、更に石を置いて去ることです。まさに「北風と太陽」。こんな物語を子どもが小さな頃に語って聞かせたら、知恵で物事を解決するように成長する一助になりそうです。

誰かが「スープは貧者の食べ物だ」と書いていました。貧しい暮らしをしていると、炭水化物(パンや穀類)と塩の入った汁物が唯一の食事になります。汁が塩辛いほど炭水化物を多くとれてお腹がふくらむ。絵画にも実のないスープとパンを前にした家族が、食事の前に祈りを捧げているものがよくあります。

でも、寒さが増す頃になると、私は「今日は何のスープにしようか」とわくわくします。スープの中には鍋物も入ります。体に暖かいものを入れると内臓は元気よく動き出し、よって体調も良くなり、元気になります。

とにかく内臓を活発にしたいので、朝起きがけは胃をどんと下げて、大腸に刺激を与えるために水を1杯ぐいっと飲む。朝ウォーキングの後はホット豆乳とか、ホット青汁とか、何か体を温めるのものを飲みます。朝は味噌汁だったり、クノールスープだったり。朝飲まない時は昼にいただきます。

朝昼何もスープが無ければ、夜はシチューやオニオングラタンスープや鍋物。

今でも童話にあった村人たちを唸らせるほどの「石のスープ」はどんな味だったのだろうか、この素材だけでそれができるとは、一級の調理人がいたに違いないと思っています。