オリパラユニフォームの行方

私がオリパラのボランティアをやっていたと知った人たちはほぼ全員「メルカリとかでユニフォーム売ってますよね」と仰います。「ボランティアはどんなことをするの?」や「どうやってなったの?」よりも先にメルカリが出る。

#そんなにユニフォームを売るのに興味があるんかい。

興味のある方にお伝えしますが、あのユニフォームは見た目はかっこいいし、着心地も悪くないのですが、質はそれほどいいものではありません。ポロシャツはちょっと尖ったものに引っ掛けるとすぐに糸が出て生地がひきつれます。着ている人たちのほとんどが「糸出し」状態になっています。

ボランティアは選手や関係者とピンズ(ピンバッジ)を交換することがあり、交換したピンズをアクレディテーションカード(IDカード)をぶら下げるストラップにぎっしりとつけている人がいて、そのピンズで糸が出てしまう人もいます。

ピンズが無くても、おそらく2週間くらい着るとボロボロになるんじゃないかなぁ。だから洗うことも考えて3枚渡っているような気がします。大切に着るものじゃなくて、何しろ作業着ですから、そんなに気を遣って着ているわけではないし。

ボトムスは腿のあたりで分割できるようになっていて、ハーフパンツとしても履けるようになっていますが、1週間座り仕事をしていた人のお尻のあたりは生地が擦れて色が変わってしまっていました。

つまり上下とも2週間程度着用で使用感が出まくる品物です。

お勧めはバッグとマスクとシューズです。バッグは入れるところが3つに分けられていて、ショルダーにもウエストポーチにもなる2ウェイ。グレーはオリパラ大会のボランティア用、ブルーは交通案内など、観客をおもてなしするために集められた都市ボランティア用です。私は両方やったので、2色持っています。

マスクは真ん中に固い梁が入っている立体構造なので、苦しくありません。

シューズは履きやすくて、いつも最初は靴擦れを作ってしまう私でも初日から気持ちよく履けました。ボランティアの間でも履きやすいと評判でした。ただし、靴底の減りが早く、これも1か月履いたら底が全部減ってしまうのではないかと思います。

つまり、あのユニフォームは1か月程度の寿命で作られているんだろうなぁと思います。実際活動がそれくらいなので、1か月もてばよいのでしょう。

配布されたものを売ってもいいのかですが、大会期間中は厳禁で、本来は12月31日までがオリンピックの縛りがあるのでダメなのですが、大会が終わるとゆるくなるみたいです。

私はみんなにオリンピック気分を共有して欲しかったので、子どもや友だちなど、欲しいという人たちに少しずつ配りました。

ちょっと残念だったのは、子どもが通った小学校へ寄付したいと電話したのですが、これが叶わなかったことです。子どもたちが通ったのは地方の小学校なので、テレビでは見ていてもこのユニフォームの現物を見ることはほとんどないだろう。地方の子どもたちが大きくなって、またオリンピックがやれたらボランティアを目指して欲しい、海外に目を向けて欲しい、地方出身者でも、こういった大きなイベントのボランティアができるんだよって伝えたかったのです。

7月に電話をしたときに受け取った教頭先生の声が重い。迷惑そう。
その事情はわかる。最初はわいわいと珍しそうにしてもすぐに見向きもしなくなり、捨てるわけにもいかず、といって誰かひとりにあげるわけにもいかず、倉庫行になるだろう。いつまで保管するの?ずっーーっとなんて、迷惑。

という事情はわかるので、「必要が無くなったら引き取りますので送って下さい」と言ったのですが、さらに声は重くなり。

その送料、どこから出すの?借り物は気を遣う。何かあって傷をつけたら困る。ということだろうと思います。つまりどっちにしても迷惑なのでしょう。

「じゃ、とりあえず寄贈ってことで。送ってください」という声もどこか投げやり。

迷惑なんだなぁと思い、お送りするのはやめようとは思ったのですが、もしかしたら子どもたちが喜んでくれるのではないかという思いがあり、大会終了後、再度連絡してみたら、最初の電話の教頭先生でした。

もう一度ユニフォームを送る話をしようとしましたが、やはり迷惑そうなのでやめることにしました。子どもたちにオリンピックボランティアのユニフォーム現物を見せてあげられないのは残念ですが、学校の事情もありますから。

代わりに郷里にいる友人に連絡したら「隣の家の子だったらそのサイズが入るかも。送って!」ということになり、1セットを送りました。着てくれて、みんなに自慢して欲しいなぁ。地方にいても、夢をみて欲しいなぁと思ったのですが。

今日になって友人から「養護学校で飾ることになった」との連絡がありました。う、嬉しい。たぶん元教員の友人が話をしてくれたのだと思います。

私も大いに心を打たれたパラリンピック。養護学校の生徒さんもきっとパラリンピックを見たと思います。ボランティアだけでなく、選手も目指して欲しいなぁ。

ありがとう友よ。私のユニフォームで子どもたちが喜んでくれたら、こんなに嬉しいことはない。

結婚相談所で結ばれないのは

こちらの続きです。

スペックさえ合えばという、身もフタもない言葉を使ってしまいましたが、多くの方は結婚相手に希望を持っていますから、その条件が合いさえすれば結婚するということなると思います。かくいう私も結婚相手にはそれなりの収入を求めていましたし(でも〇千万円などというとんでもない金額ではなく、その年齢の人の平均値くらいと思っていました)、倒産しないようなところに勤めていることも条件のひとつでした。

父が転勤族で、そのたびに転校せねばならず、子どもの頃は転校が悲しかったので転勤のない人というのも条件にありました。スペックではないですが、食べる時にくちゃくちゃと音をたてる人は何千万円の収入があってもお断りです。

とまぁ、これはスペックというか私が結婚相手に求める条件なのですが、結婚相談所に行く人はもっと具体的な条件を出すようです。

卒業は〇〇大、または××大と具体的に大学名を挙げたり、勤務先も限定しているそう。3高は当然ベーシックな希望項目。

といったような条件に合っている人はそう多くなく、また相手からも見染められなければならない。そうこう言っているうちに20代はおろか30代も終わりそうとなると、かなり焦りもでてきます。子どもを希望する男性は40代の女性はまず選ばない。若ければ若いほどいいとなると、こちらも希望スペックを下げざるをえません。

男性の場合「適齢期」というものは女性ほど存在しませんので、年齢が高くても収入がしっかりしてさえいればじっくりと選べます。選ぶという、これまた身もフタもない言葉を使いますが、それが「結婚したい男女をストックしておく」結婚相談所というものです。

結婚相談所に登録はしたものの、なかなか思うような相手に巡り合わなかった人のお話も複数伺ったことがあります。決して高望みしているわけではないし、標準以上の容姿の方もいらっしゃいました。ではなぜ良縁に巡り合わなかったのか。

やっぱり年齢です。高いとどうしても男性は他に流れます。これが男性の年収が低ければ「相手にも働いてもらわなければならないし」となり、相手が30代後半だろうが40代だろうがかまわないのですが、そうなると女性は「私の収入をあてにされるのは嫌」となって結ばれない。

(入会金や月会費の高い)結婚相談所というのなかなか難しいものだなぁと思います。

結婚相談所に来る男女の希望

たまたま結婚相談所にお勤めの方とお話しする機会がありました。その結婚相談所は入会金も高く、月会費も高い。私は結婚相談所とはよさげな相手を紹介してくれて、セッティングしてくれて、結婚まで導いてくれるものとばかり思っていましたが、これは大きな誤解であることがわかりました。

彼女が言うには結婚相談所とは結婚したい男女をストックしておくところで、ご希望の方を自分のものにするには自分を大いにアピールせねばならないのだそうです。

いわゆる「マッチング」というのは、こちらがいいなと思っても、あちらがそう思ってくれなければ会うこともできない。どう売り込むかが「それは会員さんががんばってもらわないと」と仰っていました。

そうか、結婚相談所は会社の人ががんばってくれるのではなく、自分の魅力を最大限にアピールして、会ってもらうようにしなければならないものなのだということを初めて知りました。

ちなみに女性が相手に求めるのは当然収入ですが、この紹介所の場合「年収3千万以上」だそうです(汗。そして男性が女性に求めるのは「顔」だそうです。「ガッキーみたいなタイプで」と、平然と言うし、「落としても蒼井優」などとほざくそうです。

そして年収3千万はおろか億単位の方は、50代でもちゃんと20代の結婚相手が見つかるそうです。

#年収が高くてもケチはいますからね、結婚してじゃぶじゃぶ使わせてくれるかどうかは別の話だから。

それ相当のスペックの方たちが集まる結婚相談所に入会するには、こちらも売れるものを用意する必要があると。女性は若いというだけで他に何も持っていなくても売りになるそうです。

電話相談を受けていて、この頃婚活パーティなどで知り合って結婚した相手がモラハラかもしれないという話を伺うことが多くなりました。これは「結婚ありき」で突っ走ると「あれ?」と思っても、スペックがこちらの条件に合っていれば、全部見なかったことにしてしまうからというのがとても多いような気がします。

電話相談始まりました

お待たせしました。私のオリパラ活動で延び延びになってしまった電話相談の受付を始めました。お申込み詳細はこちらをお読みになって、受付フォームからどうぞ。

https://morahara.cocoon.jp/denwasoudan.html

この相談から実際に避難に踏み切り、離婚も成立された方、まだ続行中の方など様々な方がいます。ただ言えることは、この相談をすることで筋道がたてられ、何をすべきか、どうやってするのかを私がアドバイスしますので、それに沿って動くことができたということです。

長年相談業をしていますから、いろんな例を見ていますし、どういう制度があるかも知っています。ただ、お住いの地域によってできることできないことがあるという壁はあります。そこで「ダメなんだ」ではなく、どこかに抜け穴はないか、突破口はないかと地元の相談所をあちこち探し、ご自分で探し当ててくる方がとても多いです。

これはもう喝さいです。私はきっかけにすぎません。結果を導き出したのはご自分の力です。というわけで、そのきっかけを作るために、よろしかったらこの電話相談をご利用くださいませ。通信料はかかりません。

諦めない心ーLora Webster選手

ローラ・ウェブスター選手はパラリンピックシッティングバレーアメリカ代表の選手です。11歳の時に病気で左足の一部を切除しました。パラリンピックは障がい者のスポーツですから、それだけではニュースにならないのですが、彼女が多くの女性ボランティアに衝撃と感動をもたらしたのは、3人の子どもの母親であり、現在も妊娠中だということです。

妊娠中にパラリンピックに出るという行動は無謀にも見えますが、新聞記事によると医療従事者たちが情報を共有し支えているとのことです。

パラリンピック前、「このような試合に出るのは一部の恵まれたエリートだけだ」という記事を見ました。多くの障がい者が生活に困窮する中、こうやって家族や国の支援を受けられるというのは確かにそうなのだろうと思います。

ただ、それはとりあえそれは脇に置きます。彼女の障がいを持ちながら3人の子を産み育て、妊婦の身でパラリンピックに出場するという行為が、そばで見ていたボランティアたちに相当刺激を与えたことは確かです。

子どもがいるから、年を取っているから、○○は苦手だからとやらない選択をしていたボランティア女性たちへ、彼女の姿が衝撃を与えたのも確かです。

やらない理由をつけるならいくらでもつけられるけど、とりあえずやってみっかという軽い気持ちで飛び込むのもアリだし、ダメならやめればいいし、途中で投げ出すのは嫌だから最初からやらないではお話しになりません。モラ夫に愛想をつかし、家から出るが当然のように、ダメならやめるも重要な選択です。ここで「また誰かに何か言われるのでは」とやらない理由を探し出さず、「あー、私には無理でしたー」と言っちゃえばいいだけの話だと思うのですよね。とりあえずやってみる。

オリンピック、パラリンピックの両方のボランティアをした人たちの多くが「パラの方が感動した、充実感があった」と言っています。事務局がオリンピックでゴタゴタを学習し、改善に努めたせいもあります。

当初オリンピックは世論の猛攻撃を受け、ボランティアでさえ非難対象になったため、コソコソとユニフォームを着ずに家を出て、駅のトイレでの着替えをせざるをえませんでした。世の中がパラリンピックに熱中したのは、やはり目の前で繰り広げられる障がい者の熱戦に圧倒されたというのが一番だったと思います。国枝選手のチェアさばき、ラケットの使い方は本当に感動的でした。おかげでボランティアに対する風当たりが弱くなり、ユニフォームを着たまま電車に乗ることもできるようになりました(会場によっては着替える場所や荷物を置くところがないところもあるのです)

大会期間中に「ボランティアをしたいがどうしたらいいか」という問い合わせが多かったようですが、ボランティアの受付締め切りは2018年12月でした。書類選考、面接を経てのボランティアです。ただし、世の中の裏側として、この選考を経ずにボランティアになった人もいることをここで明かしておきます。世の中、そういうもんですよ。

そして悪運と幸運に振り回されながらの1か月間でした。これほど運のいい人悪い人、運を掴める人と逃がす人のドラマが目の前で繰り広げられたことはありませんでした。貪欲に1%の可能性を掴みに行く人目の当たりにし、私も大いに刺激を受けました。

パラリンピック最終日。99%の人は動かなかった。「無理でしょ、どうせ」と動きませんでした。でも、動いた私は最後のボランティア・ジャーニーを感動で終えることができました。

1か月間何か転がっていないかと毎日ツィッターをチェックする日々でした。情報を得たら飛び込む。掴みにいく。元々アクティブ派の私ですが、オリパラで更に強化されました。

本当にボランティアをやってよかったです。

普通のお母さんになりたくない

オリパラが終わり、ボランティア仲間の中にはオリパラロスで虚脱現象の真っただ中にいる者多し。完全に腑抜け状態らしいです。私はロスになるほど働いていないのでそこまでではありませんが、それ以外プライベートな仕事も重なって、いつ口内炎になってもいいぞというくらい疲れています。

さて、オリパラで知り合った女性の中には主婦の方が多くいました。大体この時期に10日以上捧げられるのは「リタイア組、学生組、主婦組、パート職組」くらいなもので、それ以外の人は「有休全部使った」とか「仕事辞めた」とか「自営業」だったようです。

女性同士でおしゃべりをすることも多かったのですが、最後の日、「この期間だけ『〇〇ちゃんのお母さん』と呼ばれなかった。そのことがものすごく嬉しかった」という声に、みなさん大きく頷いていました。

私はずっとフルタイムで働き続けてきましたので、この感覚を一緒に味わうことはできないのですが、そうなのねーと新鮮な気持ちで聞いていました。話を聞くと子どもが小さいなどの避けられない事情の方はそう多くなく、子どもが中高生だったら働けばいいのにと思いますが、そこは長年その位置にいたので、重い腰はそう簡単に上がるものではないようです。

一緒に仕事をしていて有能なのがはっきりわかる方もいて、この人材が専業主婦なのは日本の損失だなぁと思うことがたびたびありました。本当にもったいない。

こうやってボランティアに来れるくらだから、夫がモラ夫なんてことはないのでしょうし、妻が仕事をしなくても夫が充分に稼いでくれて、何の問題もないのでしょう。でも、彼女たちの心の底に「〇〇さんの奥さん、××ちゃんのお母さん」のような付属品という違和感は通常感じなくても、こういった体験で掘り起こされるものなんだなぁとも思いました。

このボランティアを通じて、運命を変える人がいるのではないか。いればいいなぁと思う管理人でありました。

あ、管理人の運命は変わりそうにないですぅ~。だって活動日が短すぎるんだモン。

無欲は怠惰の基である

今朝たまたまテレビをつけたら、パラリンピック水泳で銀メダルを獲得した山田美幸選手のインタビューが流れました。山田選手は生まれつき両腕がなく、脚にも障がいがあります。

私が驚愕したのはその泳ぎもさることながら、その口調、語彙の選び方、凛とした態度。字幕に「山田美幸 14歳」と出た時は何かの間違いかと思いました。40歳ですと言われても何の違和感もないようなインタビュー内容でした。

その彼女が座右の銘としているのが「無欲は怠惰の基である(渋沢栄一)」だそうで、その言葉にも動揺しました。「ダメで元々言うだけタダ」(管理人の座右の銘)とはかけ離れすぎている。。

モラハラを始めて18年。やりたいことはやったし、ちっとは世の中のお役にたてたからもう楽隠居にシフトしようかと思っていました。もう欲もなく静かに余生を楽しもうと画策していましたが、これは怠惰をするための言い訳だったんだなと気づかされました。

ああなりたい、こうしたいという欲がなければ今のままでいい、今のままが楽ちん、何もしなくていいんだもの。こんな楽なことはない。周りから何か言われたら「だって年なんだモン、無理無理」と誰もが充分納得できる理由もある。

そうだ、怠けたいから無欲になったんだ。欲がないというのはいい意味に捉えられることが多いですが、それは人間をダメにするための欲。向上心や誰かのために何かしたいという欲は持つべきなんだと思い知らされました。

車いすテニスを見ていても、「え~~、この球を返すのか」というようなプレーの連続で、返せるようになりたいという欲があって、練習を積んだからのこのプレーです。欲がなかったら、楽しく球打ちをして満足していればいい。

うん、この「無欲は怠惰の基である」も私の座右の銘にしよう。

ただ、体と相談しながら。やっぱり14歳とは違うからさぁ。。

折り紙が苦手

オリンピックに続いてパラリンピックもボランティアをしている管理人です。

観客もいないので、常に忙しく仕事をしているわけではなく空き時間も結構あります。その空き時間にするのは「工作」です。部屋を飾るボードを作ったり、海外の方にお渡しする折り紙を折ったりしています。

私は折り紙がものすごく苦手で、折れるのは鶴だけなんですよぉ。。(涙。あの、幼稚園の頃、小学生の頃、みんなが易々とできる折り紙が、私はできないという屈辱感、劣等感の極み。もう、折り紙が目の前に出された時からず~~んと暗くなる。

いくら焦っても、どんなに作り方に目を凝らしても、できないものはできません。

そして今回、折り紙でメダルを作るのだそうだ。

#メダルなら100均で買ってくればいいんじゃね?
#金色の紙とボール紙で作ればいいんじゃね?

と心の叫びはあるけれど、みなさん、教えてくれる人の手元を見ながら楽しそうに折り紙を折り始めました。しかたなく私も折るけれど、どうしても意味がわからないところがあって、首をひねっていたら、教え方の若い方が優しく見本を見せて下さる。だがしかし、焦りもあって「あの~、やっぱりわかりません」

とほほ。。こんなところで恥を晒すとは。。

すると、脇で見ていた若いボーイが紙を取り、さらさらっと折り始めると、見事にできたメダル!「初めて作りました」と言うボーイに

「すご~~~い!!」という歓声。「見てればわかりますから」

ととととと、見て聞いて、やってもらって手取り足取りしてもらってもできないんですけど。。。

どうやら私はある一か所ができないとみなさんわかったらしく、そこまで他の方が作って、私に渡すという流れ作業方式になりました。う~ん、パラリンピックらしく障がい者に優しい心遣い。

昔だったら劣等感にまみれてその夜は涙に暮れるところですが、私はどうやらこういう作業が苦手ということがもう分かっていますので、「それは個性である」と開き直ります。おそらく折り紙も人の3倍くらい頑張ればできるとは思いますが、そこまで頑張ろうという気も必要もないので、これでやっていきます。

#必要があるのなら頑張りますよ!

「箱も折れないんですか?」「やっこさんとかは?」ともの珍しい生物に遭遇したように矢継ぎ早に聞かれたので、「私の人生で今まで折り紙が必要なことはなかったので、できません(●^o^●)」と明るく答えたところ、「私もだわ~」と仲良しのボランティア友が。どうやら私たち、仲良くなったのは同類項だったからかもね。

できないことを克服するのも大切かもしれませんが、この年になったら、もうできることだけやることにしています。親御さん、どうぞできない子を責めないでください。折り紙にむいていない脳構造なのかもしれません。他のことができるなら、それでいいじゃないですか。

高齢者への虐待は

住民からの通報で多いのは児童虐待と高齢者虐待です。高齢者の虐待というのは「近所に親子が住んでいるが、始終息子(娘)が親を罵倒して、親が泣いている声が聞こえる」というものです。。

これが子どもならば児童虐待になるので、強制的に保護することができるのですが、老人は大人なので、本人の同意なしには保護できません。そして暴力・暴言を受けていても家に残りたいという方が多いそうです。

たまにではなく、それがいつも聞こえてくるということで通報されるのですが、役所の高齢者担当者が行って話を聞くと「自分が子どもの頃に同じように殴られたり罵倒されたりした。同じことをして何が悪い」と言われることが多いそうです。

それは昔のことで、今はやってはいけないと言っても、聞く耳持たずの子どもも少なからずいるようです。

高齢者と同居しているということは面倒をみているということで、何かと苦労が多い介護を担っている子に対してきついことも言えない、むしろ介護者の苦労を気遣わなければならないということになるそうです。

それにしても「子どもの頃に同様のことをされたから、今同じことをして何が悪い」と言われると、「絶対にそれは間違いだ!」と言えない担当者の声もあります。

「昔は叩くのが当たり前だったんだ。みんな叩いていたんだ」と言っても、叩かない親もいたわけで、そこで後年恨みが残るほど叩いたら、因果応報になってもおかしくないかなーと。

「叩かれても親に恨みなど持たず、優しく面倒をみている子もいる」と言うかもしれません。でもきっとそういう親は叩いたとしても、感情にまかせて叩いたわけでなく、子どもが大きくなったら搾取しようとか、自分の介護を引き受けさせようとか、そういう小汚い心は持たずに、子どもを愛していた親なのかもしれません。

子どもを育てたら、その恩返しを求めるような親には福は来ないんです。