森村桂さんはなぜ亡くなったか 4

桂さんが狂気の世界に追い込んだ犯人は誰だったのか。ネットをググるとそれはこの本の著者である三宅さんだと名指しする人もいます。

あるものを他方から見れば悪いのはこちら側ということはあると思います。ただ、三宅さんはこの不安定な精神を作った元凶は桂さんの母親の存在だと全編を通して書いています。

ここに書きましたが三宅さんは長々と「人は~らしくあるべきだ」と書いています。~らしさとは「女らしさ」「男らしさ」「子どもらしさ」に通じ、そうであるべき姿を決めつけているようで、最初にこの部分を読んだときは強烈に違和感があり、その~らしさの部分を飛ばして読みました。ものすごく抵抗感がありました。

ただ、なぜ三宅さんが「~らしくあるべき」と書いたのは、桂さんの母親がおよそ桂さんにとって港になりうるような優しく、力強い人ではなかった、だから桂さんの母親に「あなたが母親としての責務を果たさなかったために桂は精神を病み、自ら命を絶ったのだ」と言いたかったのだと思います。

三宅さんがそう思ったのは精神科医からの言葉でした。

”「赤ちゃんは不安の固まりとして生まれてきます。取り上げた看護婦さんが『お母さん、抱いてあげてください』と言うでしょう。あれは今まで聞こえていた母親の心臓の音を再び聞かせることで、赤ちゃんが安心を覚えるのです。そして三、四歳まで、赤ちゃんが不安がれば『おお、よしよし』といいながらあやしていく、しつけていく。その時期はそのように赤ちゃん中心の家庭になるのです。ところが、そうでない家庭がある。母親が生きていれば、まず育てる権利と義務は母親に属します。ところが、その義務を果たさない母親がいるのです。そういう母親によって育てられた子どもは、精神的な疾患の根拠をそこに持つ場合があるのです。森村さんはそういう方だと思います」

その説明を聞きながら、私は思わずうなってしまいました。その話が図星だと思えたからです。そして私からの説明として、桂が亡くなった父に代わって、母親の夫役を務めることに決めて、今日に至っている旨を医師に話しました。そこでI医師は仰天して叫ばれました。

「それが桂さんの病気の原因です。他家に嫁ぎ、妻になった娘に母親の夫役が務めりますか?」と。「残念ながら私の力では森村さんは治せません」”

森村桂さんの多くの著書の中にはお母様が始終出てきます。お母様は「桂ちゃん」と呼び、桂さんは「オフクロ様」と書いています。とても仲の良い母娘のように読んでいたのですが、実際のところ、三宅さんから見て桂さんはとてもお母様に気をつかっているように見えたそうです。

ふりかえって私の場合、母は何も許してくれない、母の望むような娘でなければ笑顔を見せてくれない、母の笑顔を見たいがために必死に努力していた娘時代が私にもありました。

母は心を許せる相手ではなく、常に「~しろ」「~するな」という命令しか向けてきませんでした。母との会話は私への命令と自分の自慢、他人の批判しかない。桂さんの場合、さらに亡くなった父に代わって生活の面倒を見るという重大な任務を負うことになります。

小さな頃から桂さんのお母様は歌人としての仕事を趣味の世界に明け暮れ、親として子を養育するという任務をほとんど果たしていなかったようです。

精神科医は「桂さんが狂気に走る原因になったのは母親の愛情不足と、ないものを欲しいとすがりつく娘の関係」だったと説明したしたことに、三宅さんは合点がいったのです。

私と桂さんは愛されていたのは父親からで、母親は愛情の受け手にはなるけれど、注ぎ手にはなれなかったという点で一致しています。更にふたりとも夫がモラ夫で離婚もしています。

ただ、私の場合は三下り半をつきつけたのは私で、桂さんは相手からつきつけられたという納得のいく終わり方ではないことが違います。同じように母親に対しても、最後の最後まで桂さんは母を棄てませんでしたが、私は娘という立場は全うしますが、愛情がどうたらというものは求めもしませんしこちらからも差し出しません。ないものを求めてもしかたがないというのは長い年月でしっかりとわかっていますから。

納得のいかない離婚をした桂さんは再婚し、また新しい人生を再スタートさせたように見えますが、その離婚の痛手は大きく、三宅さんは癒しきれていない傷を負ったまま、さらに母との関係を断ち切れないという精神的に不安定な人と一緒に25年を過ごすことになりました。

続きます。