不幸を知ると幸せも知る

ここ3日間ほど、失くしたもののことで頭がいっぱいでした。今朝、起きがけにお告げのように「もう一度自分のバッグの中を探してみよう」と頭に浮かびました。どうしても他に置いてきたとか、落としたということが考えられなかったのです。

3日間、何度も探したバッグの中からそれは嘘のように出てきました。出てきてみれば「なぜここに気づかなかったのだろう」と思いますが、探している時は気づきませんでした。

そして3日間憂鬱だった頭がスッキリとし、今日は晴れ晴れです。

”人間って、何もない普通のことが一番幸せなのよ”

以前友人が言っていました。

”幸運があるとそれに溺れてしまう。幸運に慣れてしまって幸運であることが普通になってしまい、普通が不幸になってしまう。だから本当の幸せは普通でいることなのよ。宝くじとかにも当たらずに”

大事なものを失う(失っていなかった)という不幸があったから、今幸せでいられます。あの失くしたと思っていた頃、「朝まで幸せだったのに」「昨日まで幸せだったのに」と失くしたことに気づかなかった頃を思っては、今の自分の不運を嘆いていました。

ものすごく飛ぶ話ですみませんが、離婚をしようと妻が家を出ると、夫が狂ったように「子どもが、子どもが」と言い出します。出る前は子どもに見向きもせずにゲームをしたり飲みに行ったりしていた父親がいきなり「子どもの福祉のために」トカ言い出します。

「ハーグ条約が」などという、どこで聞いてきたんかいというワードも飛び出します。飛び出すワードが一緒というのは、ネットでググって指南を受けたのでしょう。

失ってから初めてわかる事ってすごく多い。健康だったり仕事だったり交友関係だったり。

子どもを失ってから初めてわかる子どもの存在。

もっと早く気づけばよかったね。

何度も何度も「子どもと遊んで」「家庭を大事にして」「そういう言い方しないで」って言ったよね。

終わってから気づいても、もう遅いんだよ。