ラヴェルの「ボレロ」は、同じ旋律を異なった楽器が繰り返すという単調な曲ですが、聴いた人の耳のどこかに残る曲でもあります。
最初に聞いたのはサラエボオリンピック、アイスダンスフリーでイギリスのトービル・ディーン組が使用した時でした。アイスダンスはオリンピックの中でそれほど長い歴史があるわけでもなく、「ペアとどう違うの?」という素朴な疑問がある中で、私たちの記憶にもオリンピック競技の記録にも残ったのが、この曲を使用したペアでした。
見終わった時はまさに圧巻。数分の中で文字にならないペアの物語が繰り広げられ、観客は総立ち、テレビの前の人たちも茫然の演技でした。その演技の凄さに、この「ボレロ」という曲はそれを聴いただけでこの演技と重ね合わせてしまうためか、長い間誰も使用することがなく、フィギュア界で封印されたような形になっていました。
年月が経ち、その記憶が薄れ、ポツポツとこの曲を使用する選手が出てきました。宇野選手も今回のフリーで使用していましたね。なんだかこの曲は「勝負曲」としての位置にあるような気がします。だからエテリコーチも、天才ワリエワの勝負曲として選んだのかもしれません。
一昨日のフィギュア女子フリーは友だちとLINEを交換しながら、さながら「みんなで応援している」ような状態での観戦です。
「新葉ちゃん、中学生の時から見てた」「香織ちゃんがんばれ!」のLINEが飛びあう中、ワリエワ選手の演技になりました。私の予想は3位までロシア、4位に坂本選手、でもドーピングでワリエワ選手は失格となり3位に繰り上がりというものでした。
そのワリエワ選手の演技。もうドラマの筋立てのような展開で、「もう見ていられない」「かわいそうすぎる」のLINEが飛び交います。たぶん世界中で同じような言葉が交わされたことでしょう。それくらい、15歳の天才少女は痛々しくリンクに沈んでいました。
ワリエワ選手の悲劇的な結果もそうですが、1位、2位の選手たちもまるで鉛筆のように細い体で氷の上を飛んでいました。肉がほとんど見えず、まるで摂食障害の人のようですが、ワリエワ選手はそれほどではなく、ほどほどに肉がついていて、健康的な痩せ方のように以前から見えていました。手足が長く、かわいらしい顔と絶対のプロポーションに天才的なジャンプを飛び、身のこなしも優雅。北京の女王はワリエワ選手と誰もが思っていました。
そしてこの結末。エテリコーチに育てられた少女たちは4年ごとに顔ぶれを変え、10代で現役を引退していきます。「ワリエワ選手はまだ15歳、次のオリンピックもあるから」とは事情の知らない人。次のオリンピックに出場するのは今ロシアで4回転を普通に飛んでいる、10代前半の子どもたちです。この子どもたちに追い出されるように20歳を前にオリンピックの金メダリストたちは消えていくのです。
こうやって棒切れのように細くて全身バネのような少女たちに曲芸を仕込み、そして使い捨てる。
「ソチオリンピックで金メダルだったのは誰か知ってる?」LINEを送った私に答えが言えたのは誰もいませんでした。みんな「真央ちゃん奇跡の4分間」で浅田選手がソチ五輪に出場していたのは知っていますが、その時の1位が誰だったか、誰も知らないのです。
1位だったソトニコワ選手は五輪後、怪我が続き引退、当時私の一押しだったリプニツカヤも摂食障害ですでに引退。平昌のザギトワとメドベージェワも消えた。今回1位2位だったふたりもすぐに下からの突き上げで現役から退場となり、「北京の優勝者は?」と聞かれても、難解なロシア名のせいもあり「ロシアの誰か」としか誰も覚えていません。
イタリアのコストナー選手、カナダのロシェット選手、アメリカのコーエン選手など、何度もオリンピックや世界大会に出場すれば名前も顔も覚えますが、賞味期限が4年未満となると、覚える前に次の少女がやってくる。
ドーピングチェックは選手を責めるものではなく、守るものです。能力以上のものを出そうとして薬に頼る日常を送ると、いつの日か体がボロボロになる。今回のボレロの曲はサラエボの感動ではなく、使い捨て少女たちの悲劇を象徴するような、絶望の旋律となりました。サラエボの時に封印されたボレロは、また別の意味で閉じた箱に入れられるのかもしれません。
今回のことをきっかけにして、何か新しい動きにつながればいいなと思います。