教育熱心と教育虐待

「教育熱心と言えば母親」というのが世間一般の思い込みのような気がしますが、いろいろな方からのご相談を伺っていて(モラハラの相談に限りません)むしろ父親の方が度の過ぎる教育熱心さがあるような気がします。

お母さんたちの教育熱心は、評価されることのない主婦の代理として、子どもに良い教育(グレードの高い学校名)を求めるのに対して、父親の場合は実際に社会で生きていると、学歴によって差別を受けることがある悔しさを子ども託す、というようなことを感じます。

自分は私立大出身なので会社で苦労をしている、だから子どもには国立大に行って欲しいというような希望が、教育虐待を生んでいるような気がします。

それが実社会の現実をふまえたものだけに、「そうではない」と言ってもなかなか彼らの中には入って行きません。

親に悪気はないのです。自分が苦労しているから、子どもには苦労をさせたくないという親心から虐待のような教育を強いているのです。ただ、それがいつのまにか子どものためではなく、自分の達成感に置き換わっているように感じます。

そしてそれに耐えきれずぷっつんしてしまった子どもたちは山のようにいます。

ネグレクトとか、身体的虐待というわかりやすい虐待と共に、教育虐待は子どもの福祉分野では大きな問題になっています。

「いつか必ず死人が出る。それが親なのか子なのか、わからないけど」と関係者がいうほど、教育虐待はせっぱつまった問題です。

「あんまり勉強勉強と言いすぎたかもしれない」とは、すでに疲れ果てて身体や精神状態が極度に悪くなった子どもたちの親が異口同音にいう言葉です。

親とは悲しい生き物で、70点をとると「80点を目指せ」と言い、80点をとるともう少しがんばれば90点が取れると思ってしまう。←私もそうだったからわかりますよー。

でも究極に目指すのは、社会の中で子どもが自分で道を切り開きながら、よい人間関係の中で楽しく生きていって欲しいということなんだと、今は思います。

子どもが壊れてから後悔しても、壊れたものはなかなか元には戻らないですよ。