こちらの続きです。
林真理子さんが「不機嫌の椅子」というタイトルのエッセイをお書きになっているということで、読んでみました。「ベストエッセイ2008」という」エッセイ集に入っています。
夫はいつも「不機嫌の椅子」を独り占めしていると書かれている作品の中に、気になる文章がふたつありました。
冒頭、結婚願望があった林さんはよく私と結婚してくれたと夫に対する感謝の言葉を綴っていますが、その後に続きます。
”やがてあなたがえばり出したのは、いったいいつ頃だったでしょうか。確か二年目ぐらいだと記憶しています。私という女が、実は、言われているほど傲慢でも個性的でもなく、古風な結婚観の持ち主だということに気づいたからに違いありません”
ずっと前に林さんが「ユーミンと一緒に、離婚はしないと話した」とどこかで書かれたか、インタビューで答えられたかしたと記憶しています。ユーミンも林真理子さんも時代の先端で旗を振っているように見えて、結婚観は古風なようです。ただ、夫がえばり出したのが2年後というのはずいぶん時間がかかったなという感じ。モラハラ加害者ならば、一瞬で見抜きますから。
見抜いてから本性を出すまでに爪を隠しておくというのはやりますが、それにしても結婚してから2年は長い。
林さんが古風な結婚観を持っていることに気づいた夫は「不機嫌の椅子」を独り占めするようになった。こいつは絶対に自分から離れないとわかったら、家の中でブンブンと不機嫌を隠さずにふるまうようになった。
”「帰りが遅い」「うちが散らかっている」「お袋の誕生日を忘れた」という小言もさることながら、私が驚いたのはあなたの”不機嫌”の持続力です。商いの家に育った私は、イヤなことがあっても、喧嘩をしても、次の朝にはニコニコと食卓につくことを躾けられました。ところがあなたは何日も口をきかない。一週間、あるいは十日もです”
そして”私はとにかくあなたがその椅子に座らないよう、気を遣ったり、先回りしたりの十六年だったような気がします”と続きます。
もうモラハラ被害者ならばわかるわかると首をブンブンと縦に振りそうな文章です。さすがエッセイの名手、林真理子さんならではの簡潔明瞭な表現です。
そして最後に”私は結婚当初の負い目がまだあるのでしょうか”で締めくくられています。
結婚前、世の中で”ブスで売れ残りで結婚願望を売り物にしている女”というレッテルだった林さんと結婚しようという男性が現われた。そのことだけでも感謝すべきだよと周りから言われ、ご本人もそう思ったでしょう。
実はモラハラ被害者にはバツイチや夫よりも年がすごく上という方が目につきます。これはもう結婚当初から「こんな私なのによくもらってくれた」という「負い目」が最初からあり、モラ夫はそこに付け込んでくるのです。
また、そのような負い目が本当はないのに、「こんな私なのに」を自分で作ってしまう方もいます。一言で言ってしまえば「自己肯定感が低い」ということになるのでしょう。ただ、これは裏を返せば、尊大にならず、自分をわきまえるという美徳のはずなのですが、これを逆手に取られてしまうのです。
大体「私みたいないい女と結婚出来てありがたく思え」という女性がいたら、やなやつだと思いませんか?ところがこういうのに引っ付く自己評価が低い男性がいるのも事実。まさに割れ鍋に綴じ蓋。
ともかく「私みたいな女と結婚してくださって」という古風で奥ゆかしい美徳を持った林真理子さんは、不機嫌の椅子を独り占めする夫と今も結婚生活を続けているようですが、これで作家としてはむしろ深みが増したのではないかと思うのです。
これが優しくてなんでもはいはいの夫ならば、こういった苦労も世の中にあるのだということは表面的には理解できても、ひとつ屋根の下に暮らし、夕餉を囲み、傍からは仲のいい夫婦に見える妻の心の奥底に「いつ、この夫を誰にもわからないようにどうやって殺してやろうか」という感情が潜むということは、本当のところで理解できなかったかもしれません。
被害者には、なってみないとそのすべてはわからないものだと思います。